劇場公開日 2023年3月10日

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「映画化するなら描かなければならない背景が、まったく描かれていなかった。」Winny talkieさんの映画レビュー(感想・評価)

1.0映画化するなら描かなければならない背景が、まったく描かれていなかった。

2024年3月8日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

本作のネタ元になった事件は大々的に報道もされましたし、映画自体としての本作も世評が低いものではないと承知はしているのですけれども。
(実際、評論子が入っている映画サークルの中でも2023年公開作品の年間ベストテンに挙げている会員は少なくない。)

しかし、評論子には、残念ながら大いに不満な一本になってしまいました。
それは、本作には、この事件の本当の「意味づけ」というのか、「構図」というのか、「背景」というのか、そういうものがまったくの描かれていなかったことで、個の事件の、いわば「上っ面」を簡単になぞっただけに終始していることによります。

つまり、本作のネタ元になった事件が事件化された背景には、「功を焦る警察」+「検察」とは言いつつも、ちっとも警察の捜査を「検じよう」としない検察当局+はんかくさい(北海道弁。馬鹿とか、思慮が足りない、とかいうくらいの意味)裁判官=本件の事件」という構図があります。
本作ではこの事件の、いわば上っ面をなぞっただけで、本来描かれるべきこと、描かなければいけなかったであろうことが、まったく描かれていなかったと思います。
本作の事件は、その実相において「法制度が技術の進化に追いついていない」とかいう単純な話ではないと、評論子は思うので。

その意味では「観終わって、がっかりした作品」というほか、なかったと思います。評論子には。

(追記1)
=京都府警の「勇み足」=
警察の仕事は、いま「曲がり角」にあります。
近年は年を追うごとに犯罪(刑法犯)の認知件数が減り、死亡交通事故も減っています。過激派も、暴力団も暴走族も、活動が鈍くなっています。
代わって、警察の仕事として新たに登場してきたのが、DVやストーカーといった生活安全の事件です
しかし、それは、従来型の警察には、もっとも苦手とするタイプの犯罪―。
それらは、被害者・加害者の生活関係に深く入りこまなければ解決は覚束ないタイプの犯罪で、これまで「警察公共の原則」、そしてそれ故に「警察は民事不介入」と教え込まれてきた現場の警察官には、もっとも不得手な犯罪ということになります。
そういう不得手な犯罪ということで、どうしても対応が後手に回っているうちに、警察は、桶川では手痛い失敗をして「大やけど」を負ってしまった。

その失地挽回とばかりに、どこの警察本部でもリキを入れているのが、コンピュータ化時代を背景として「サイバー警察」ということになっています。本件の京都府警を含めて、どこの警察本部でも。

とくにwinnyの開発者が住んでいた、つまり事件について管轄権を有する京都府警は、ここぞとばかりに勇み立ったことは、想像に難くありません。
(ここで大きな事件を摘発して名を挙げれば、京都府警は警察業界でも大きな顔ができるようになる。)
その「勇み足」が、winnyの無理な摘発だったことは、疑う余地がなかったことと思います。

(追記2)
=「検察」とは言いつつも、ちっとも警察の捜査を「検じよう」としない検察当局=
このことについては、今更、言い足すこともないので、詳細は割愛します。

(追記3)
=第一審のはんかくさい裁判官=
作品中で、いみじくも壇弁護士が指摘しているとおり、ナイフは飽くまでも肉を食べるための道具なのであり、それ以上のものでも、それ以下のものでもない―。
結果としては、それに尽きるのですけれども。

しかし、第一審の裁判官は、合議事件として三人も関与しながら、雁首揃えて起訴状(検察官の作文)どおりに考え、結果として自分たちの「はんかくささ」には思いが至らなかった(合議事件ですから、まっとうな裁判官が一人はいたかも知れませんが、結果が有罪だったということは、残り二人の裁判官は、はんかくさかったということ)。
ちなみに、この事件について最終的に無罪を言い渡した最高裁の決定文(平成23年12月19日)は、誰でも最高裁のウェブページで読めるようになっています。
それを読むと、いかに第一審の裁判官が「はんかくさかったか」ということは、一目瞭然だと思います。
それ以上は、何も付け加える必要はないと思います。評論子は。

日本でもクルマにはねられて亡くなる方が跡を絶たなくても、クルマの開発者が逮捕されたという話は、ついぞ聞きません。
また、包丁で刺され殺される人も、これまで枚挙に暇(いとま)なかったことと思いますが、さりとて、包丁職人が立件されたということもありません。

(追記)
「検察」とは言いつつも、ちっとも警察の捜査を「検じよう」としない検察はさて置くとしても、もちろん、警察は、社会の中で必要欠くべからざる大切な仕事をしていることは、万人に異論のないところだと思います。
そして、その大切な警察の活動(捜査)が適正なものでなければならないことにも、異論の余地はないことだろうと思います。
それ故、その大切な警察が、いたずらに功を焦ることなく、地道な活動をしてほしい(公器としての組織なのですから、相手の認識不足を「もっけの幸い」として自分たちに都合の良い書面を書かせたりしない)と思っているのも、独り評論子だけではないことと思います。

talkie
talkieさんのコメント
2024年3月9日

「警察の捜査をちっとも検じない」と書きましたが、実は、こんなことがありました。
男の子が乗り、その父親が運転するクルマが交差点で事故を起こしました。男の子は、はっきりと青信号を見ていたのですが、相手車の運転者の言い分や「目撃者」の証言から、警察は父親が信号無視をしたとして検察官に送致しました。
検察庁にも呼び出され、取り調べを受けた父親から担当検察官の名前を聞いた男の子は、その検察官に手紙を書きました。
手紙を受け取った担当検察官は、男の子の真剣な訴えから警察の書類に不審を持ち、周囲の反対を押し切って自ら再捜査をして、相手車の運転者と「目撃者」とが知合いだったことを突き止め、更に本物の目撃者も見つけて、父親側の信号が青色だったことを突き止めました。
くだんの検察官は、父親への起訴を取り消すとともに、改めて相手車の運転者を起訴、最初の「目撃者」も犯人隠避で捕まえてきて起訴するということがあり、「おばちゃん、ウソついている」という見出しで、地元紙で報道されたということがあります。
検察庁法には「検察官は、いかなる犯罪についても捜査をすることができる。」と書いてあります。やればできるのだと思います。
今回は、そうならなかったことが、本当に残念だったと思います。

talkie
talkieさんのコメント
2024年3月9日

りかさん、コメントありがとうございました。
どの一つのピースが欠けていても、金子さんの身の上に不幸が降りかかることは避けられたのだと思うと、本当に胸が痛みます。
せっかく映画を作るのなら、そのことを訴えてほしかったというのが、私のレビューでした。
これからもよろしくお願いします。

talkie
りかさんのコメント
2024年3月8日

こんばんは♪
共感ありがとうございます😊
おっしゃる通りだと思います。
間違っている警察の言い分のままの検察、その検察の言い分のままの第一審裁判官、
せめて寿命がもっとあれば良かったのに、と思います。

りか