劇場公開日 2019年10月19日

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「カエルくんの救ったもの」ドリーミング村上春樹 ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5カエルくんの救ったもの

2019年10月19日
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先般、舞台「神の子供たちはみな踊る」を観た。
同名短編小説集の「カエルくん、東京を救う」と「蜂蜜パイ」を原作にした舞台だ。
原作は随分前に読んでいたが、改めて、僕は、「カエルくん」は「僕達」や「僕達の<良心のようなもの>」ではないかと思った。
そして、カエルくんに助けを求められる片桐も「僕達」や「僕達の<良心のようなもの>」だと思った。

「完璧な文章などない、完璧な絶望がないように」
一見、完璧な翻訳もないというところに通じそうだが、カエルくんの世界と並行して語られるこの作品を観てると、翻訳者のホルムさんや、この作品の意図は、別のところにあるように思う。

「すべてのものは移り変わる」
村上春樹さん(以下、敬称略)は、「日本人じゃなく、商業的に世界をマーケットにして小説を書いている」と揶揄する人の話を聞いたことがある。
しかし、この文章は圧倒的に日本的で、東洋的だ。
言い方は悪いが、般若心経の「色即是空 空即是色」のような世界観だ。
そして、村上春樹作品にずっと貫かれてる世界観のようにも思う。

そう、世の中には一瞬の完璧な処に止まっている<ようなもの>などないのだ。

ミミズくんは地震を想起させるアイコンのように感じられる部分もある。しかし、僕達の世界の価値観や良心を揺さぶる「何か」と言った方が良いように感じる。もしかしたら、僕達自身もミミズくんになってしまうことだって否定できない。

そして、それと相対しようとするカエルくんは「僕達」や「僕達の<良心のようなもの>」だ。
だが、それも完璧ではない。
移り変わるということもあるが、そもそも価値観自体が揺れ動いていて、完璧なものなど、もともとないのだ。
ミミズくんを内包してる可能性だってある。

だから、良心<のようなもの>と書いた。

ミミズくんと戦ったカエルくんは、かなりの傷を負った。
僕達の良心<のようなもの>も、生きていく中で、よく傷付いているように。

そして、完璧な絶望もない。

人は、多くの困難に立ち向かい、絶望の淵にあっても、幾度となく立ち上がってきた。
村上春樹がディタッチメントからコミットメントに変わったという論評に乗っかったような書き方になってしまったが、僕は村上春樹作品には、コミットメントは前から備わっていたと思う。

大学の亡くなったゼミの恩師が、村上春樹より相当年上の人だが、村上春樹作品には救われるところがあると言っていた。
何も、コミットメントは社会そのものにではなくて、そこに生きる個人にでも良いじゃないか。

村上春樹作品は、ムダに議論して窮屈になるより、読者の世界観の中で生き続ける<ようなもの>であれば良いように感じる。

僕達も、きっと僕達の世界観も完璧ではないし、でも、絶望するようなこともない。
僕達や、僕達の良心<のようなもの>は、生き続けているのだから。
カエルくんは、ちょっと曖昧なもののうえに立つ、僕達の世界観を救ったのかもしれない。

1時間と短い作品だが、結構目が離せない濃い内容の作品だったように思う。

ワンコ
kossyさんのコメント
2019年12月9日

これだけ世界中から愛されてる村上春樹をなぜ今まで読まなかったんだろう?と反省しております。
まずは三部作からですね。トライしたいと思います!

kossy