「シネマート新宿にて観賞」スウィング・キッズ shallowwhiteさんの映画レビュー(感想・評価)
シネマート新宿にて観賞
巨済捕虜収容所について、作品冒頭でテンポ良く分かり易く説明が入るが、捕虜が勢力を分けて相争い、なんとアメリカ軍の収容所所長が捕虜側の人質になり解放折衝が行われる事件まであったという。そんなことって有り得るのか?
作品で描かれる血生臭い闘争や、アメリカ軍のコントロール上の苦慮も、意外や事実に基づくものということ。勉強になりました。
そんな過酷な状況の中で、触れてはいけない文化への渇望、踊ることへの情熱、離れた妻や子への情念……これらがタップダンスに昇華する展開は涙無しには見ることが出来ない。
特に主人公ロ・ギスとヤン・パンネが、ダンスで己を縛るものを突破するシーンの熱さは、たとえ妄想だとしても涙を禁じ得ない。
そんな想いが結実したクライマックスも、やはり再び涙無しには見れない。演者のダンスは勿論のこと、音楽に呼応した適切なカットや撮影も力強い。現在の韓国映画の娯楽力の強さもハリウッドに劣らないと改めて感じさせられた。
だがしかし、観終わった後で私は憤怒した。この作品の作り手が許せなかった。映画を観た後で怒りを覚えるのは久しぶりだ。
チーム「スウィング・キッズ」を私に、ここまで好きにさせておいて、作り手は彼らの未来を、あっさり意味も無く摘み取ってしまう。酷すぎないか。
この物語は事実には基づかない。登場人物の未来は作り手の差配一つだ。こんな結末を与えるなんて作り手にハートはあるのか?
厳しい舞台設定であり、悲劇で物語ることに自体には異論は無い。だとしても話運びがうまくなさ過ぎる。
意思疎通が困難になっても通じ合う兄弟、ロ・ギスへの視線が変化した踊れる米兵ジェイミー、祖母想いの裏切り者、B級アクション紛いに正体を現すサディスティックな黒幕……これらの要素が最後の悲劇にまるで活きていない。機関銃をぶっ放して後は放置だ。あんまりだ。
私は、結末を自分の脳内で書き換えて怒りを霧散させることにした。
(以下私の妄想)
・ダンスの終演後、ロ・ギスは銃を取りに行くが、兄が舞台裏に居た。ここまで同じ。
・兄は銃を手にして所長でなく黒幕をステージの外で撃つ。弟に降りかかった厄災を全て己で引き受けて。祖母想いの裏切り者がロギスを省いて顛末を米軍に伝える。
・結局ダンスはマスコミ受けが良く、所長も彼らをある程度厚遇せざるを得ない。
・場面は変わり、戦後。ビョンサム(おじさん)は妻と帰路につく。シャオパン(ぽっちゃり)は母国の農村で踊って食っている。ジャクソンは沖縄で妻子と再会する。
・ロギスとヤン・パンネはジェイミーの手引きでアメリカへ。「どうなるか分からないけど、カーネギーホールが俺たちを待っている!」
皆、イデオロギーに打ち勝つ。ハッピーエンドで良いじゃないか。