ダゲール街の人々のレビュー・感想・評価
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タイトルなし(ネタバレ)
ダゲール街はパリ・モンパルナスの一角。
香水店、肉屋、パン屋などが立ち並ぶ。
そこで商いを営む人々。
買い物に来る人々。
余興は、他所からやって来てマジシャンのマジックを愉しむこと・・・
そんなスケッチに似たドキュメンタリー映画。
仏題「DAGUERREOTYPES」は「ダゲール街の典型的な人々」の意と写真の原点ダゲレオタイプの二重意。
というか、街の名は、写真を発明したダゲール氏に由来する。
個人的な話をすると、大阪城にほど近い下町育ち、それも店屋の息子であったわたしには、この映画に登場し、ダゲール街で暮らす人々に対して、すべて懐かしい思いを抱きました。
被写体の良さだけでなく、映画としての魅力は終盤あらわれる。
住民みなが楽しみにする小さなマジックショウ。
マジックショウと人々の日々の暮らしのクロスカッティング。
編集によって、日常をマジックのように魅せる。
すばらしい。
実際のリアルではない、映画としてのリアリズム。
エンディングは人々の肖像映像。
映画なのに動かない。
動かないことによって、ダゲレオタイプ写真に似たものとなり、人々は映画の中に記録される。
記録された「50年前の人々とまち」を、いま観る眼福。
リアルの凄さ
街を紹介するドキュメントというとテレビの「出没!アド街ック天国」や地井さん、加山さん、高田さんと続く「散歩シリーズ」が思い浮かぶが本作は監督アニエス・バルダさんの興味の対象の選び方と編集のセンスが見どころでしょう。
アニエス・ヴァルダさんはベルギー生まれ第二次大戦を逃れてフランスに渡り後に映画監督になりヌーベルバーグの祖母ともよばれる才人です。個人的にも好きな監督さんで「幸福(1965)」の衝撃と映像美、遺作となった「顔たち、ところどころ(2017)」など印象深く思い出されます。
原題のDaguerreotypesは街の名にもなったルイ・ダゲールさん考案の銀板写真のこと、アニエス・バルダさんも元は写真家だったから興味を持ったのでしょう人々の撮り方もどこかポートレート風に撮っていました。
出てくる人はパン屋さん、仕立て屋、肉屋さん、香水屋さん等のご夫婦、楽器店の店員、運転教官などご近所さんらしい。いつどこから来たの、なれ初めは?とか皆に同じ問いかけ、お堅いドキュメントでは退屈と思ったのか街を訪れたマジシャンのショーを織り交ぜ、マジシャンの動作にリンクした街の人々の日常動作を繋ぐ古典的な編集も愉快でした。
登場人物で気になったのは香水屋さんの奥さん、他の人が快活に仕事や私生活を語るのに何故か言葉少なで憂いが漂っていましたね。何も説明はなかったですが監督も惹かれたのでしょう、撮影分量が多かったように思えます、普通のご婦人の表情が大女優の演技を越えるリアルの凄さを感じます。
戦前のユダヤ系フランス人がいなくなったダゲール通りの話。
パリ『ダゲール通り』に店を構えて生活する人々の様を描いた話。
途中、経歴をインタビューする場面があるが、だいたい、戦中から戦前の人々と分かる。淡々と人生を語るが、一人も戦争の事を語る者がいなかった。
パリは空爆も市街戦も無かったから、当然の事かもしれないが、パリに定住していたユダヤ系の人々は、ヴェル・ディヴ(冬季競輪場)事件に遭遇している。つまり、15000人近いユダヤ人が検挙されて、強制収容所へ送られると言う事件だ。この事件をパリの人々は見ている。いや、見て見ぬふりをした。
この映画はそう言ったテーマの映画ではないが、自分たちの人生経験にも戦争の事は語っていない。それどころか、肉屋の主人は兵役の話までしている。フランスでの兵役とは、ナチスに加担した側の兵役になるので、ヴェル・ディヴ(冬季競輪場)事件を起こした側の軍隊となる。この映画はそう言った主旨の映画ではないが、この人達の人生経験や人生観を聞いても、あまり心は動かされない。
今、この通りは日本料理、タイ料理、ベトナム料理と言った異国の料理店が立ち並ぶ通りの様だ。多分、肉屋も床屋も楽器店も存続していないと思う。香水屋もね。おばあちゃん認知症だったんだね。
ダゲール通りからヴェル・ディヴはセーヌ川を隔てた対岸の位置になる。距離は6km位で、直線上の中間部にユダヤ人街のマレ地区が存在する。
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