「気持ちの変化が描かれていない」パリに見出されたピアニスト モーパッサンさんの映画レビュー(感想・評価)
気持ちの変化が描かれていない
貧しい家庭に生まれた少年が、ピアニストとしてアメリカン・ドリームをつかむ話だ。おもしろいし、そこそこ感動するし、見て損はないのだが、脚本が雑で、演出が凡庸だ。紆余曲折があるからこそ映画はおもしろいのだが、気持ちの重要な変化がほとんどスルーされている。たとえば、ピアノ実技指導教員のエリザベス。ピエールから主人公マチューの指導を依頼された時点では、主人公の素質は認めながらも、マチューに対し、何の興味も示さない。大勢の学生の一人に過ぎない。それが、コンクールが近づいた頃になると、「彼の指導は任せておいて」と、指導する気マンマンに変わっている。コンクール当日に至っては、マチューを見出し彼に賭けているピエールと対等に思い入れている。マチューを育てることに対するエリザベスのモチベーションが、どうしてこれほど大きく変わったのかが描かれていない。
また、コンクール出場を拒否して実家に帰ったマチューが、なぜ翻意して出場する気になったのかも全く描かれていない。弟が瀕死の重傷を負ったことにより、ますますコンクールどころではなくなりそうなのに、なぜか弟の治療の真っ最中にコンクールに出場する気になる。非常に重要な気持ちの変化であるにも関わらず、何の説明もなく、観客は置き去りだ。
その後、マチューはコンクール会場目指して走る。主人公がクライマックスで走るという使い古された演出を、恥ずかしげもなく、最大の山場で使うか。会場ではピエールとエリザベスがやきもきしながらマチューを待っている。ちょっと待った。ピエールとエリザベスはマチューが来るだろうとなぜ信じている? マチューが出場を拒否した時点のようすでは、出場しないという意思は固いと見えるのに。やがてマチューが到着し、間一髪というタイミングでステージに上がる。このとき、全力疾走して来たはずのマチューの息が全く上がっていない。まるで、ずっと客席に座っていました、みたいな穏やかさだ。演奏後は肩で息をしているのに、マチューは全力疾走しても息が上がらないらしい。
こういう作り込みのぞんざいさがあちこちに見られる。