パリに見出されたピアニストのレビュー・感想・評価
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周囲の人達こそが、主人公⁈
マチュー青年が主人公だと決めつけると、平凡なつまらない物語に見えてしまう。でも、少なくとも私には、パリ音楽院のディレクターのピエールやマチューの周囲にいる人等こそ、この物語の主人公の様に思えてならない。私には音楽の素養がないので、詳しくは分からないが、主旋律のメロディ(主演者)よりも、伴奏のコード(共演者)の方に感動させられた。
私たちは皆つながっている
天才は往々にして尊大で他人を顧みず他人の気持ちが分からないという描かれ方をするが、この作品もそんな感じで主人公が描かれる。皆あんなに応援するのにーイライラするーとなる。主人公の幼少期がかなり可愛い子なのだが周りの影響で悪い道に入っちゃうんだなぁ
周りは振り回されっぱなしで天才って大変だし、周りはもっと大変。先生達の気持ちがあったかく切ない。
音楽なのに音を楽しんでない。スポ根映画。
この映画もレビュー消されている。
見たい映画ないので、もう一度見てみる。見ないと無責任にはレビュー出来ませんからね。但し、レビューが消されているくらいだから、高評価ではなかったのだろう。
ハンガリーラプソディー リスト作曲
は良い音楽ですよね。さて、芸術に『賞』を設けて競う。フランスってそういう事で評価する。日本と似ている所がある。と言うか、資本主義(商業主義)とはそういうものだ。
さて、昔から良くあった話。
才能あるものがないものに対して抱く優越感だろうね。本当にあるものはそんな事は関係ないでしょ。
ラフマニノフピアノコンチェルトNo.2
余り、違いを聴き比べた事がないが、出だしの所が色々あるとは聞く。プロコフィエフピアノコンチェルトNo.3と同じ。それがいいんだよね。でも、上手い下手は分からない。インプロビゼーションとかカデンツァがある理由で無し。
AU BOUT DES DOIGTS
ウ ブディトゥア 和訳
『さぁ!この指先で』
っう感じでしょ♥
パリは関係ないでしょ。
聞く人は弾く訳では無いのだから、気軽に聞けばよいと感じるが。オペラのようなストーリーにそって展開する音楽もあるが、協奏曲、交響曲ともにオベラの序曲からできたもの。従って、余韻を楽しめば良いのだ。肩ひじ貼っていたら、おしまいまで見通す事が不可能になる。
音楽なのに音を楽しんでない。スポ根映画。ラフマニノフに騙されて評価し過ぎた。
もう一度見て気付いた事。
ラフマニノフピアノ協奏曲第二なんだけど、第1楽章が終わっただけで『プラボー』って言って良いの?映画だからしかたないか。
10/7AM0時25分鑑賞終了。
3回目の鑑賞なり。
心に宿る音楽と勇気と努力で幸せを掴む物語
仲間と悪さをして警察にお世話になる主人公
しかし、そんな彼にも綺麗な心がある
おじさんから教えてもらったピアノの体験が彼の心に音楽を宿らせる
その才能を音楽院の先生に見出され、反発しながらも先生との結束を固め練習に励む
彼の生きてきた環境と、彼の心に宿るクラシック音楽にはギャップがある。
ただ、彼は幸せになってもいい。
不幸の環境に甘んじていてはいけない。
幸せになる勇気と努力が必要。
そう思わせてくれる映画だった
美しく力強いラフマニノフ「ピアノ協奏曲 第2番」の演奏で強調される天才ピアニスト誕生の物語
ルドビク・バーナード 監督による2018年製作(106分)のフランス・ベルギー合作映画。
原題:Au bout des doigts、配給:東京テアトル。
貧乏な母子家庭の不良少年がピアニストとして天才的才能があり、ストリートピアノ演奏でパリ国立高等音楽院のディレクターに見出されるという言わばシンデレラ的なストーリーは、夢があって悪く無いと思った。白人主人公(ジュール・ベンシェトリ)が恋する乙女が黒人音楽院生(カリジャ・トゥーレ)というのも、現代フランス的で良い。
ただ、コンテストまで観客が見せられるピアノ練習量の乏しさや、腱鞘炎がどう克服されたのか不明等、ストーリーの細かい設定はかなり雑な印象。とは言え、登場してくる曲はなんとも美しい。
バッハ「平均律クラヴィーア曲集第1巻第2番 ハ短調 」、ショパン「ワルツ 第3番 イ短調」、ショスタコーヴィチ「ピアノ協奏曲 第2番 へ長調 」、リスト「ハンガリー狂詩曲 第2番 嬰ハ短調」。そしてコンクール曲のラフマニノフ「ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調」。演奏しているピアニストは誰なのか?
そして、映像も素敵、特に主人公の想いを表出させた黒く光るSTEINWAYのピアノの美しさが素晴らしかった。
監督ルドビク・バーナード、脚本ルドビク・バーナード、 ジョアン・ベルナール。音楽はパリ生まれの若きピアニスト・作曲家・プロデューサーであるアリー・アローシュ。
撮影トマス・ハードマイアー、編集ロマン・リウー。
出演
ランベール・ウィルソン(ピエール・ゲイトナー)、クリスティン・スコット・トーマス(エリザベス)、ジュール・ベンシェトリ(マチュー・マリンスキー)、カリジャ・トゥーレ。
音楽は心を現すもの
ジュールベンシェトリ扮するマチューマリンスキーは、警察から追われる中でストリートピアノを弾いていた。ランベールウイルソン扮するパリ音楽院ディレクターピエールゲイトナーは、マチューのピアノの見事さに思わず声をかけた。
野放図に弾いていたピアノが良かったのに音楽院にしばられると苦しいんだな。リズム無しに物語は生まれない。努力しない天才を開花させるには根性がいるね。それに一番の強敵はピエールの妻だったとは。音楽は心を現すもの。荒れた気持ちで集中出来るのか? 生きてきた環境も重要かな。それらに負けずに強い気持ちを持てれば勝ちだ。ちょっと気を持たせ過ぎの感はあるが、良く頑張ってたよ。
サクセスストーリーは元気出るね
もっと天才肌らしく表現させてあげれば良かったと思う。音楽の天才は、何はともあれ音楽最優先するはず。それこそが天才。ちょっと中途半端だったかも。もう少し設定年齢を下げていたら良かったかな。
マチューは泥棒を働いている最中に(駅のヤマハではなくスタインウェイのグランドピアノを見つけてしまい)ショパン弾き出す。逮捕されるまで我を忘れるほどなのだから、音楽院でピアノだけやってろと言われて嬉しくないはずがなかろう。ピアノ弾きたくてウズウズする雰囲気なんだから。
また、何故彼のピアノが素晴らしいのか?
"子どもの心を持った大人"という表現をするのなら、その辺のところをもっと伯爵夫人なりがセリフで伏線として出しておかないと。
天才を表現するのは難しいかもしれない。だって吹き替えは素晴らしいピアニストのではあるかもしれないが稀有な天才ではないのだから。だからこそ、その辺の天才であることの説明は映画の中で必要なのではないか。手解きのお爺さんのエピソードはもっとあって良かったはず。
フランスの抱える問題を表現したかったのだろうが、不良グループやセレブな黒人の女の子とのやり取りで散漫な感じになってしまった。埋もれていた天才の苦悩、天才だからこその苦悩をもっと掘り下げてほしかった。
でもね、こんなサクセスストーリーは見ていてやっぱり元気になるよね!
音楽版「グッド・ウィル・ハンティング」
パリ北駅に置かれた駅ピアノが引きあわせた運命の出会い。
ピアノをひく青年マシュー(ジュール・ベンシェトリット)とそれに聞き惚れるコンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽院)の学部長のピエール(ランベール・ウィルソン)。
まさに音楽版「グッド・ウィル・ハンティング(1998)」といったハートフルなヒューマンドラマです。
マシューの才能を見出したのはピエールより先に、マシューと同じ団地に住む老人でした。
幼いマシューに老人は「ピアノは心で弾くのだよ」と教えます、ピエールもまた「天才とは子供の心を取り戻した大人のこと」とボードレールの名言を引用します。
いくら天性の感性に恵まれたと言っても素人ではいきなり国際コンクールを目指すのは無理なのでコンセルヴァトワールでの特訓が始まります。学部長の進退をかけた懇願とは言え編入が出来てしまう所は凄いです。普通ならよそ者扱いで揉めるところですが学生たちも温かいのは意外でした。
先生の伯爵夫人は気難しそうなので「セッション(2014)」の二の舞かと冷や冷やしました、他にも気を揉ませる出来事を散りばめていますが、この手のドラマの定石でしょう。個人的にはアンナとのベッドイン、ピエールの奥さんの辛辣なセリフ、弟の事故などは余計に思えしっくり来ませんでした。
パリは格差社会の坩堝なのですが移民の母子家庭の子のマシューより黒人の恋人のアンナの家がブルジョアというのもパリの縮図なのかもしれません。道を外さぬ為にも友達は選ぶべきと思いましたが終幕に来て悪友たちがマシューを助けるくだりといい、代役のミシュレが笑顔で席を代わるシーンも痺れました。
マシューの演奏の指導と吹き替えはショパン国際コンクール他受賞歴多数のジェニファー・フィシェさんという女性、リストのハンガリー狂詩曲は聞き惚れました、ラフマニノフ ・ ピアノ協奏曲第2番はもう少しエネルギッシュな方が好みですが表現がマシューの天才ぶりを伝えるという重要な役どころを上手に演奏していましたね。
王道ストーリー
展開はまさに王道のストーリーです。
貧しい暮らしの青年が、音楽院の教授に見込まれて成功を目指す流れです。
展開は、ベタベタですが、こういう映画は元気をもらえますし、自分自身もやる気になれるので好きです。
音楽と建築、そして映画
映画と建築の関係にあってその基本的要素は物語性にある。さらに、物語としての都市は叙事詩であり、建築は戯曲(悲劇)であると書いたのは、たしかアルゼンチンの女性建築家ダイアナ・アグレスト。
恵比寿ガーデンシネマで映画・パリに見出されたピアニストを見ながらこんなことを思い出していた。なるほど、最近は月に三度は映画を観るが、建築見学にはほとんど出掛けなくなってしまった。消費社会における商品化されたパッケージデザインには関心がないからだ。
「パリに見出されたピアニスト」はパリの北駅から始まる。郊外(バニュー=壁の外)に住まう主人公マチューの楽しみはこの駅構内のピアノを弾くこと。彼はバニューの不良仲間と盗みを働き、警官に捕まり、刑務所へ。しかし、マチューの駅ピアノに魅せられていたパリ音楽学院のピエールに助けられた彼は刑に代用される無償奉仕を口実にピアノのレッスンを強いられる。
ここから先はドラマ・ドラマ・ドラマ、建築では決して表現できないドラマが続く。クライマックスは余りにも予想通り、さすがにここまでくると建築とは程遠い。建築はこの映画のラフマニーノフではなく、水の流れのようなバッハに近い。ミュトスよりロゴスということか。
ご自由に弾いてくだされ
タイトルにある「パリに見出された」というよりは、音楽院ディレクターのピエール・ゲイトナーに見出されたピアニストでした。傲慢、生意気、やる気なし!といったタイプのマチューは“女伯爵”と呼ばれるエリザベスの特訓を受けるも、ピエールほど感銘を受けなかったようだ。
悪い仲間たちにそそのかされて空き巣に入るものの、ついピアノを見つけて弾きだしてしまい、一人だけ逮捕。6ヵ月間の公益奉仕のため音楽院の清掃を義務付けられるが、空いた時間にピアノレッスンを受けるという展開だ。
ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番というコンクールの課題曲を与えられ、交響曲の酷評のためにフマニノフの苦悩したといった意味が全てマチューにも当てはまる。貧困家庭に育ち、人生の目的も見出せない様はそのまま恋人アンナや家族、そしてピエール家に下宿したこと、不良仲間との決別などが糧となってくるのだ。クラシックは苦手なので、導入部がどうもハンガリー狂詩曲第2番とイメージがダブってしまいました。
やっぱり面白いのは楽譜を上手く読めないところだろうか。ピアノを2台並べたホールで、エリザベスが弾いた部分を真似して弾くところがいい。この協奏曲第2番は辻井伸行の演奏をユーチューブで視聴できるので、盲目の彼が体得したであろうことと微妙に重ねて見てしまった。
コンサートやコンクールを中心とした音楽映画のお決まりでもある遅刻!むしろ遅刻しない音楽映画の方が少ないと思う。ただ終盤では、取ってつけたかのようなシーンもあり、慌ただしくて残念にも思います。ただ、不良仲間が「頑張れ!」と言ってくれたところはちょいと涙・・・恩師でもあるジャックの描写が少なかったし、もうちょっと長くてもいいから、ジャックと弟ダヴィドを丁寧に描いてもらいたかったなぁ。
2本立て2本目。不良は実は天才ピアニストという王道サクセスストーリ...
2本立て2本目。不良は実は天才ピアニストという王道サクセスストーリー。
・主人公が感情的過ぎて応援できない、すぐ努力をやめます(笑)
・彼女はなぜ黒人。いい人アピール?東洋人は差別しまくりのくせに。不良に部屋貸すと連れ込み部屋となります(笑)
・女教師突如味方に。不自然極まりない。不良仲間も裏切り主人公を突如応援、???
・あの状況でコンクールに出るなんてある得る?コンクールも遅刻あり、代打あり、舐めてる?
あまりのご都合主義に愕然。陳腐。パルシネマにしては珍しい駄作。主人公俳優の血統に騙されてるんじゃないですかね。
気持ちの変化が描かれていない
貧しい家庭に生まれた少年が、ピアニストとしてアメリカン・ドリームをつかむ話だ。おもしろいし、そこそこ感動するし、見て損はないのだが、脚本が雑で、演出が凡庸だ。紆余曲折があるからこそ映画はおもしろいのだが、気持ちの重要な変化がほとんどスルーされている。たとえば、ピアノ実技指導教員のエリザベス。ピエールから主人公マチューの指導を依頼された時点では、主人公の素質は認めながらも、マチューに対し、何の興味も示さない。大勢の学生の一人に過ぎない。それが、コンクールが近づいた頃になると、「彼の指導は任せておいて」と、指導する気マンマンに変わっている。コンクール当日に至っては、マチューを見出し彼に賭けているピエールと対等に思い入れている。マチューを育てることに対するエリザベスのモチベーションが、どうしてこれほど大きく変わったのかが描かれていない。
また、コンクール出場を拒否して実家に帰ったマチューが、なぜ翻意して出場する気になったのかも全く描かれていない。弟が瀕死の重傷を負ったことにより、ますますコンクールどころではなくなりそうなのに、なぜか弟の治療の真っ最中にコンクールに出場する気になる。非常に重要な気持ちの変化であるにも関わらず、何の説明もなく、観客は置き去りだ。
その後、マチューはコンクール会場目指して走る。主人公がクライマックスで走るという使い古された演出を、恥ずかしげもなく、最大の山場で使うか。会場ではピエールとエリザベスがやきもきしながらマチューを待っている。ちょっと待った。ピエールとエリザベスはマチューが来るだろうとなぜ信じている? マチューが出場を拒否した時点のようすでは、出場しないという意思は固いと見えるのに。やがてマチューが到着し、間一髪というタイミングでステージに上がる。このとき、全力疾走して来たはずのマチューの息が全く上がっていない。まるで、ずっと客席に座っていました、みたいな穏やかさだ。演奏後は肩で息をしているのに、マチューは全力疾走しても息が上がらないらしい。
こういう作り込みのぞんざいさがあちこちに見られる。
タイトルなし
. 「この指で、未来を叩く。」
.
パリ郊外の団地に暮らすマチューと
音楽学院ディレクターのピエール
誰でも自由に弾けるストリートピアノ
ここでの出会いが未来を掴む
サクセスストーリー
.
ありがちな成功への妬みや嫉妬
この映画に描かれていないのがいい
格差・環境の違いはあっても
音楽への愛はかわらない
クラシックの名曲が流れます
ピアノの音色
音楽は癒しです😌
.
拍子抜けするほど単純明快、でも涙
才能ある若者が周りに支えられ、それを開花させるという既視感いっぱいのよくあるストーリーでした(笑)。 こちらのレビューを見て評価がとても高いことに驚いたぐらいです(笑)。
これから起こることも予想できるしうまくいきすぎるストーリーなのですが、それでもラストは涙涙でした。
とくにじんと来たのは、女性教師が自分の経験をもとに主人公を諭すシーン。こんな風に若い人にいい影響を与えられるオトナになりたいものです。
鑑賞後ふと思ったのは、主人公はピアノの英才教育を受けていないからこそ、また貧しくて思い通りに行かない人生だからこそ、ピアノにその怒りや悲しみをぶつけ、独特の個性が花開く演奏ができたのではないか。
フラメンコなどを見ていても、スペイン人ダンサーの洗練された踊りとロマ(ジプシー)の人たちの粗野だけど魂を揺すぶられるような踊りは、彼女たちの境遇から来たものではないかと思うからです。そういう意味では、ぬくぬくとした環境で育った日本人の私たちがどれだけレッスンを積んでも、彼女たちのような踊りの境地へは永遠に到達できないのだろうなと思いました。
親を選んで生まれてない
富豪、貧乏。
生まれた時に教育のレールは引かれている。
でも、出会いは無限にある。
子供は無限の可能性があることを知り
子供が得たい欲を開放したら
天才 が誕生する可能性が広がる
育てるのもまた出会い。
人間は出会いにて選択され、悩まされる。
クラシックは詳しくないが
映画好きな自分としては
このような作品は
シンフォニーまでは至らないが
ありだ。
音楽で友人まで虜にした作品。
音楽は裕福な人だけが楽しむものではないことを
最後は示した。
コンセルバトワール
パリの高等音楽院は、のだめで初めて撮影許可されたと聞いたけど、これもロケなのかな?
コロナの影響でお出かけできないため、ブルーレイレンタルで鑑賞。映画館で見た方が良かった!と思える良作。「蜜蜂と遠雷」より、人物描写も演奏シーンもよくて、音楽映画としてもヒューマンドラマとしてもこちらの方が好き!やはり、課題曲は有名な曲の方が良いな…と思ってたので、繰り返し演奏されるラフマニノフにテンションが上がります。
多少ご都合主義なのは、許容範囲だと個人的には思います!公益奉仕というフランスのシステムもとても興味深いですね。
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