「何度でも、永遠に観たくなる名作ですね。」ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 永遠と自動手記人形 C.K.さんの映画レビュー(感想・評価)
何度でも、永遠に観たくなる名作ですね。
たくさんのネタバレが含まれますので、ご注意下さい。
もともとは2週間限定公開、たぶん来年予定されていた新作映画へのつなぎとして、コアなファン向けに短期間、上映館も限定して公開される作品だったのですよね…。深夜アニメだし、原作も唯一の京アニ大賞作品とはいえ、一般にはほぼ無名だし。知る人ぞ知る、隠れた名作として伝説になっていたのかも…。
でもこれ、「そんなレベル」じゃないですよ?もちろん、本編のTVアニメ自体が「そんなレベル」じゃなかったんですけど。あんな事件がなかったとしても、この映画の持つポテンシャルの高さは一般の人たちに伝わっていたと思いたい。「この世界の片隅に」と同じように、素晴らしいものは素晴らしい、そうやって、たくさんの人に伝わっていって、多くの方々が観ることができたと信じたい。
上映が延長されたことは大きな喜びですが、当然かな、と…。一館でも多くの映画館で公開が継続されることを祈りつつ、できれば来年以降、いつになるかはまだわからないけれど、京アニの方々が今この瞬間も生命を注ぎ込んで作っておられる新作が公開される、その日まで、この外伝が上映され続けててもいいかなぁ…とさえ思ったり。
3回観ました、仕事もあるので、申し訳ないですがレイトショーで、3日連続で。今まで、どんなに好きな作品でも1回以上観に行ったことなかったです。それが…ちょっと自分が信じられない(苦笑
まぁ、90分という上映時間がリピートを可能にしてくれたかもですが。
もちろん、上映開始前にはあの事件が頭の片隅にあったわけです。けど、どなたかYoutuberの方も言っておられましたが、鑑賞中はあの事件のことは一切、忘れて、映像世界の中に没入してました。
エンドロールで愛おしい「エイミー」を聴きながら、ようやく思い出して、ああ、そうだった…こんなにも素晴らしい作品を作った方々が…と泣きましたが。
この作品は、私が目にした情報が正しければ、あの事件の前日に完成していた。つまり、この素晴らしい作品の制作の原動力は、あの事件とは関係なかった。あんなにも凄まじい悲劇があって、たぶん京アニのこれまで築いてきたものの多くが失われてしまったけれど、彼らが作り上げてきたもの、作品、伝えたかったもの、想いは、事件とは全く関係ないレベルで、あの悲劇をこんなにも美しく圧倒的に乗り越えるだけのポテンシャルを持っていた。
物語の詳細は、他の方々も適切に語って下さっているので、そちらにお任せして。作画の凄さも、観てもらえばわかるし、観なきゃわからないので。
最近はどのアニメもそれなりに「綺麗」な仕上がりになってるし、特に背景のリアル感は昔に比べたら…スタッフの方々には感謝しかないです。でも、そのリアル感が妙な違和感になっているのも、観る側の実感でもあり。人物が浮き上がっちゃうんですよね。
その点で、本作(深夜アニメの本編も含めて)の作画は一線を画すものだと思います。リアルにこだわるというよりは、これはアニメである、ということをしっかり覚悟した上で、このアニメ世界の中での違和感のないリアル感、世界観を丁寧に、美しく描いている。人物たちが浮いた感じにならないような、適切な背景描写の繊細さといいますか。
その上で、表情やしぐさの演技が丁寧で繊細で完璧。瞬きや視線や、手足の指や、そういったものが実写では表現できない、アニメーションとしての動きで心の奥に迫ってくる。光と影も、髪も服の皴も、草木の一本までも演技をしてる。単なる記号としての存在を超えて、そこに想いや意思が息づいているようです。アニメだから、実写以上に描かないことは絶対に映像にならないので、描くことの意味と、あえて描かないことの効果が、メッセージとして伝わってくる。
それにしても、この作品の映像と音楽は、本当に輝きに満ちていて、観る者の心の奥底まで優しく染み込んできます。だから、号泣するというよりは、静かに胸の奥から湧き上がってくる感動。
どなたかの評の中で書かれていて、ああ、なるほど…と感心したのですが、前半と後半(よく言われる1部と2部ではなく、「前半と後半」だと思うのです)で、内容が対になって響き合っている、と。
これは単純にヴァイオレットの優しさ、エイミーの代わりに想いを伝えるため、ヴァイオレットがテイラーに愛を注いでいる…という観かたもできますが、私はその行動の背景に気づいて、二重の意味で胸が締め付けられました。
これもこの作品への(ネガティブな)評価として語られることですが、描かれる愛のカタチ、内容が単純すぎる…愛はもっと複雑なものだろう、だからこの作品を見てもあまり良いとは思えない…という意見もあります。
様々な小説を読んでおられる方々、映画をたくさん観ておられる方々からすれば、お話のテーマも内容も単純で、そんなに面白い発見はないのでしょう。単なるお涙頂戴作品に見えてしまうのかもしれません。
でも、この作品は、ヴァイオレットという少女…幼い頃から戦闘人形、道具として、戦場で大人たちに利用されてきた、心を育てることができなかった少女の物語。
人間は産まれた時から感情を持っているわけでも、それを表現できるわけでもない。テイラーの無邪気な笑顔は、感情よりもむしろ生存本能から生まれたものでしょう。人間は家族や社会の中で、感情やその表現を模倣し学んでいくのですから。
なので、この作品で語られる、表現される「愛してる」は、単純で良いのです。いえ、単純で、真っ直ぐでなければ意味がないとさえ思います。それでもこんなにも愛おしく様々な「愛してる」がこの世界にはあふれている。ネジくれたオトナである私には、それがとても大切なことだと感じます。
原作者ご自身も「愛してる」があまりよくわからないので、いつもヴァイオレットと一緒に考えて探している…というようなことも書かれていました。だから私たちも、経験し、学び、模倣するヴァイオレットに寄り添って見守ると、いろいろな景色が見えてくる。
ヴァイオレットもずいぶん成長し、いろいろな感情を表現できるようになったけれど、でもこの作品の中でも、彼女はたくさんの「初めて」を経験し、学び、模倣している。つまり、彼女はエイミーにしてもらった行為、教わったことを模倣して、それをテイラーに向かって表現している…そんな風に感じたのです。
エイミーに「優しいよ」って言われてヴァイオレットが返した言葉、「わたしはただ真似ているだけです」というのが、ここで蘇ってきて胸が苦しくなった。
エイミーの置かれた状況…「牢獄」の深刻さ、閉塞感、絶望感が現代ではあまり伝わらないかも?という危惧もありますね。時代、環境設定はフィクションなわけですけど…。おそらく参考にされたであろう時代背景を考えると、女性がまだ人間として扱われないことが多く、男性社会にとっての道具、隷属的な存在であった時代に近いのでしょう。いくら飢えることはなく、(現段階では)性的に虐げられることもなく、上流社会で一流の教養を施されているにしても…「どこにも行けませんよ」は重い言葉です。
3回も観ると、確かに少し冗長に感じる部分が…特に後半にないわけでもないです。けれど、様々な多重構造になったこの作品の、しかも本編から連綿と継続する物語の背景的な深まりを思うと、これはこれで良いかな…これを60分とかにしちゃうと、描き切れない部分もあり。初見でも楽しめるとはいえ、やっぱりこれは「外伝」ですから。
後半ラスト前のシーンでは、初日は仕方ない(仕方ないですよね?)としても、2日目、3日目も「来るぞ~」と身構えていたのに、感極まってしまいましたよ…。声優さんの声の凄さ、演技力の素晴らしさ、劇伴音楽や映像の輝き…。前半のデビュタントの舞踏会シーンや前半ラストもそうですが、このシーンは特に、エイミーの願い、想いが私の中で永遠になった瞬間です。
この作品では、「愛してる」と「名前」がとても大切なのですよね。そして、それを永遠につなぐものとしての「手紙」…。まだまだたくさんの物語を、私たちに届けてほしいと心から願っています。
最後に、茅原実里さんの歌声はよく、好みが分かれるって言われてる。独特でちょっと聴いただけだとボカロみたいな無機質さを感じるけど、でも「みちしるべ」でも「エイミー」でも、もの凄く温かく優しい。とても丁寧で謙虚で、人間の温もりを感じるのです。茅原さんがヴァイオレットの戦闘マシーン、道具的な部分を、TRUEさんが目覚め始めた人としての熱情を表現してる、という評価も読んだことがありますが、そうとも言い切れないのかも?私はお二人ともすごく好きですね、どちらもこの作品には欠かせない。
こんなに長々とくだらない感想を書き連ねてしまうくらい、この作品は素晴らしく、心の底から楽しめたのでした。ありがとうございました。
2019/10/06追記:
結局、とうとう6回目を観終わりました。
観るたびに感動してこみ上げてくる回数が増える作品です。
絵画的な意味でも名画であり、愛おしさの総合芸術。
でもさすがに6回目だと、耐性がついてきますね^^;
これでしばらく寝かせて、BDが発売されるのを待ちたいと思います。
たぶん、一生の間に何度も観返す作品ですから。