燃ゆる女の肖像のレビュー・感想・評価
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なんという美しい映画…「見ること」⇒「愛すること」と「”映画“を観る幸せ」が等しいことを久々に教えてくれて感動…
①ほぼ冒頭にチラッとだけ見える“絵”が凄く良さげ…生徒が問う『先生、あれは何という絵ですか?』『「燃ゆる女の肖像」というの…』あの絵を映画の中でもっとじっくり見れるのか…見たい…ここで映画に鷲掴みにされる…掴みはバッチリ。②マリアンヌが最初に完成した肖像画をワヤにするくだりが秀逸。本来であれば依頼主の母親に見せて「良くできてるわ」「どうも」「はい、お代金」「さようなら」で終わるところを、「お願いがあります。真実を告げて彼女に最初に見てもらいたいんです」と言ったマリアンヌの真意はどこにあったのか?もうこの時点でアリアンヌはエロイーズに惹かれていたと思うのだが…そして、真実を告げられ肖像画を見せられたエロイーズの台詞が意味深。「この絵は私ではないわ」そのつぎの台詞が良い…「あなたでもないわ」…これはエロイーズからマリアンヌへの如何なるメッセージか…アリアンヌは『心外です』と涙ぐむ。画家としてのプライドを傷つけられたせいか、それとも『貴女は私の中身をちゃんと見てくれていない』というエロイーズの愛のメッセージと気付いたからか…或いは期待していた通りのことを言ってくれたからか…ここまでのお互いの気持ちの探りあいから目が離せない。③肖像画を描かれるのをあんなに嫌っていたエロイーズが自分からモデルを買ってでる。マリアンヌと離れたくない、という宣言である。ここから二人の愛は第二幕を迎える。④年上(と思いますが)であり職業婦人でもあり男性との恋愛経験もあれば堕胎の経験もあるマリアンヌだが、なぜかこの恋愛においては新たな段階に進むのをリードするのはエロイーズの方だ。マリアンヌがエロイーズの表情の癖を列挙し(愛の告白にもなっている)エロイーズに『良く見ているのね』と問われ『観察者ですものと』答えたマリアンヌに対して放つエロイーズの一言『貴女は私を見ている。では私は(誰を見ていると思う)?』。この一言で「見られる者」は同時に「見ている者」となるという当たり前と言われればそれまでだが、映画を観ているものとしてはコペルニクス的な発想の転換。二人の関係は拮抗する。⑤母親が帰ってくるまでを二人きりにせずに(堕胎を控える?)ソフィーをクッションに入れる脚本が上手い。二人だけなら、愛し合いながらも、それ以外の感情もぶつけ合って結構キツイものになっだろう。ソフィーが貴婦人の様に刺繍をし、エロイーズが召し使いに扮する三人のシーンは微笑ましい。そしてここで新しいモチーフ=オルフェが出てくる。我が国のイナザキノミコト・イザナミノミコトほどエグくはないが、せっかく黄泉の国から戻れるはずが男が戒めを破ったため永遠に離ればなれになるところは同じ。普通男の方が責められる解釈が多いこのお話、ここでもエロイーズが思いもせぬことを言う、『女の方から(振り返るように)声をかけたのかも…』。この台詞は二人の別れのシーンを印象的なものとする…エロイーズは別れのシーンを想定してあのようなことを言ったのだろうか…⑥冒頭の絵は結局映画の中では二度と出てこない。だがマリアンヌがあの絵の元としたシーンが鮮烈。女たちだけの祭りの中、焚き火の向こうに立つエロイーズが歩みだしたとき、ドレスの裾に火が…この時を界に二人の情念に火が着く象徴的なシーン…⑦女性版「Call Me By Your Name」と言えないことはない。ラスト、暖炉の炎を見つめながら結ばれない恋に涙するエリオのclose up、結ばれなかった恋に涙するエロイーズの横顔のclose shot。よく似ている。ただ、エリオの場合、オリヴァーは電話の向こう、別の大陸にいる(同じ体験をしたのでエリオの気持ちはよくわかるのだ)のに比べ、エロイーズは顔を横に向ければマリアンヌの顔が見れる、視線も合わせられるかも知れないところにいる。それでいながら涙を流しまた微笑みながらも一度もマリアンヌを見なかった姿に愛の強さを感じた。私には出来そうもない…⑧初めはブー垂れ娘だったのが恋を知ってみるみる魅力的な女性になったエロイーズの姿も特筆もの。⑨この映画の全体に配されているシンボリズム・サイン・モットーについてはいくらでも語れそう。ただ、美しい映像や愛の物語だけではないこの映画のスピリットを、♯Me too movement が根付かない日本でどれだけ理解されるだろうか…
観る人を選ぶ映画
久々に出会ってしまった、私には共感も感動もできない映画。
私に理解できたのは、
エロイーズの肖像画を描くために雇われた画家のマリアンヌと、愛し合うことを知らずに修道院で生きてきたのに突然望まない結婚をさせられることになったエロイーズが、肖像画が完成するまでの間と分かっていながらもお互いを求めあう。
別れた後も忘れられずにことあるごとに求めてしまうマリアンヌに対し、一見、過去は振り返らないのかと思わせておいて2人にしか分からない28ページを匂わせ、やはり過去を忘れられない(マリアンヌ以上に過去に囚われている)エロイーズ。
といったところ。
観る人(普段から美術や芸術に慣れ親しんだ方)が観たら、絵画のように美しい場面の連続で感動するのかもしれないが、そうではない私には少し退屈に思えた。
逆に、幼い子どもと赤ちゃんがすぐそばで遊んでいるところで堕胎処理をしたり、空を飛ぶ薬を脇毛に塗ったり(間違ってたらすみません。。。)と、逆に興ざめするシーンもあり。。。
ただ、(エンディングにも流れる)焚火シーンの劇中歌は鳥肌が立つほどきれいなハーモニーで、(この映画を思い出すと必ずこの曲が頭の中で流れる、という意味で)ある意味エクソシストのテーマ曲くらいのインパクトがあった。
まあ、とにもかくにも観る人を選ぶ映画だと思う。
(私のようなタイプの方だと睡眠不足では寝落ちする危険が高いので要注意です。。。)
わき毛で空を飛ぶ
女流画家のマリアンヌが貴族の娘エロイーズの肖像画を描くために小島の屋敷に呼ばれたが、ミラノに嫁ぐエロイーズのために画家であることを隠し、散歩に付き添って観察するうちに恋に落ちるという展開。
絵画的な映像に女性同士の恋愛というだけで美しい作品になるのですが、さらに感じられるのが身分違いの恋であるということ、修道女だったお嬢様がキリスト教では禁じられている自殺や堕胎に寛容になっていく様子、親の命令には逆らえない封建的社会といったことまで描いていたように思います。
特に辛辣だったのがメイドのソフィが受ける堕胎術のシーン。ベッドに横たわる彼女の横には幼子が二人無邪気に遊んでいるという不思議な光景を目にすることになる。これはエロイーズのイメージなのか?それとも実際に?と、マリアンヌ自身の心象風景ともとらえることができるのでは・・・と、見終わってからアレコレ考えさせられる。
一方、カードゲーム(大富豪か?)をするなど仲良くなった3人の女性たち。階級、宗教を超えて自由に青春を駆け抜ける様子が眩しすぎるのです。いつから好きになったの?などと、こっぱずかしい台詞もぽんぽん飛び出てくるマリアンヌとエロイーズ。ちょっとイタリア映画風だったりもするのですが、18世紀という設定からフランス革命以前なのかもわからなくなる。まぁ、後半はおフランスでしたが。
画家とモデルという関係において、スカーレット・ヨハンソンの出世作でもある『真珠の耳飾りの少女(2003)』も思い出してしまいましたが、心まで描くための意思疎通には恋愛を避けて通れないのかもしれません。二人はそれぞれ違ったシーンから好きになったと言っているけど、暖炉に絵をくべるところで心を解き放ったのでしょうね。う~ん、素敵。
もう一つ重要な伏線である「オルフェとユリディス」。振り返ると一生会えないのに、ついつい振り向いてしまうことを3人3様で解釈したり、別れのシーンにも見せてくれる白装束のエロイーズや、“最初の再会”での絵や28ページを示す肖像画(子どももいる)に双方の永遠の想いが秘められていた。全体的にはBGMがないのにマリアンヌの好きな曲(ヴィヴァルディ・夏)をラストにオペラハウスでここに持ってくるか!と、“最後の再会”でのマリアンヌの慟哭にはもらい泣き・・・
視線が操った炎に惹かれた。
前半は盛り上がりに欠ける感じだなあと思っていたが、使用人の女の子が妊娠した、原っぱの女だけの祭りで女たちが歌ったあたりから引き込まれた。
その原っぱで、火の裏にいるエロイーズを見つめるマリアンヌの視線が、炎を操りスカートを燃やした、ように思えて、ぞくっとした。
そのあとは、惹かれあう二人のひと時のロマンスを堪能した。
使用人の女の子が妊娠したけど、全然望んでなくて、なので(流産するように)走りまくったり、棒からぶら下がったりしていた。最終的に多分手で掻き出す処置を、地域の女性(産婆?)にしてもらってた。その処置の間、使用人の女の子のそばには、赤ん坊が寝転んでいて、その対比が切なかった。
生理痛の緩和に温めた豆?をおなかに当てるとか、生理にまつわる文化史ってあまり触れられないから新鮮だった。
17世紀のブルゴーニュ地方の島が舞台らしいが、それは映像からは読み取れなかった。
映画には関係ないけど、中絶を私は悪いことだとは思ってない。その必要があるなら選択できるべきだと思う。
妊娠に至る行為そのものを望んでいなかった場合だって大いにある。妊娠させた男は逃げることが簡単にできる。
そんな現状で、中絶を殺人だと女を糾弾するのは絶対おかしい。
妊娠させた男も等しく糾弾するならばまだ議論になりうるが、そうではないのだし。
美術館に行ったみたいでした!
好きなシーンと感想。
・冒頭の裸でキャンパス乾かすシーン
全体を通して素敵。ずっと絵画を見てる様。
・暖炉前にしてパンを切るエロイーズ・刺繍をするソフィとそれを覗くマリアンヌの横並びシーン
まさに絵。3人とも綺麗すぎ、ソフィが意外と負けず劣らず美・美・美!
・祭りでの合唱の迫力
ホラーかと思う歌い出し。
これが絵の下地になる様なオマージュを感じこの映画の感動を表す様で好き
・祭りでエロイーズが燃える時と直前
直前のぼやけは自分の涙!?と錯覚するほどの揺れ動く感情。
そのあと、すぐ2人が崖でのキスシーンに移って心から「そうだよね!?そうだよね!?」って2人と同じ気持ちになれた。
その後の"キスをしたいと初めて思った時を思い返すシーン"でまさかのその前に!?ってなる裏切り。マジで最高。
・ソフィの子供堕すシーンでの子供
言わずもがな。
何故あの場に子供!?と思う気持ちはコンマ何秒かでどっか行っちゃうくらいグッとくるシーン。
ソフィの相手も出て来ないってとこも映画的に想像を掻き立てられてすごいと思った。
マジ相手どんなやつなん!?
2人同様、ソフィもとっても魅力的だった。
・エロイーズの淫部にマリアンヌ
エロイーズの脇毛に謎の薬や、このシーンでも美しさが勝ってかいやなエロさがないのすごい。
それが28ページに続くってのも最高。
・チラ見せの28ページ
淫部に写るマリアンヌの自画像が書かれた本を持ってエロイーズの子ども?と書かれた絵のこのチラ見せ。
見事な伏線回収。
あそこ、字幕いらないでしょ。笑
・ラスト、オーケストラの迫力
ここも伏線回収。
心が揺れに揺れまくった2人いや、ソフィも入れて3人、いや母親も入れて4人、の感情をドーンと全てさらけ出させたような爆音オーケストラ!
動揺しておでこを触りました。笑
結局、お姉さんの自殺の心境や
ソフィの相手や経緯など、解明されないからこそ、ああなのかな?こうなのかな?って妄想も膨らんで楽しいし、女性メインになってることで後半、ひさひざ登場の男性(ただ座っておはようって言うだけ)のシーンにゾゾっと悪寒がする感じはやられたぁって感じでした。
見た人と語り合いたい映画なのに上映数が少ないの残念。
ラストシーンは、『女王陛下のお気に入り』を彷彿とさせてくれました
すべてが綺麗で美しい映像で描かれるので、観念的な美の世界の愉悦に浸る、と決めて味わうのであれば、まったりしたストーリーもそれほど気にならないと思います。
美術鑑賞への深い造詣や美術史的知識が無くても(というか、私がその方面についても極めて疎くて浅いので)、結構入り込めました。たぶん、多かれ少なかれ神話や宗教画やルネッサンス期の有名な絵画も、印象派も、レンブラントもルーベンスもベラスケスも、何かの折にどこかでは見たり聞いたりしたことはあるけれど、どの絵が誰の作品かなんて分からない。そんな程度でも、なんだか絵画的雰囲気が伝わってきました。
今よりも遥かに、〝女性の性〟について不自由な時代であったとしても、美しいもの、自分にはないものに惹かれ合うという本能的で生理的な衝動が生じるのは抑えられません。しかも、タイミング良く世の中とは隔絶された離島で自分たちだけの濃厚な時間と空間が物理的かつ限定的に巡ってきたわけです。侍女の堕胎という出来事に関与したことも、〝ある種の秘密を2人で共有する〟というスリリングな体験となり、はからずもマリアンヌとエロイーズの親密度が増す働きをしたのだと思います。2人の心が燃えない理由はありません。
ラスト数分間のエロイーズの表情の変化。
振り向いたのか、耐え抜いたのか。
エンドロールに移る直前、突然スクリーンが真っ暗になって2〜3秒の間がありました。
鑑賞者が自由に想像してください、ということなのですね、きっと。
劇中で語られるオルフェの話では、振り向いたことで、〝終わった〟わけですが、マリアンヌは回想のナレーションの中で最後の再会と言ってました。
最初の再会(絵画の中)で、手元の本の28ページに自分がエロイーズの中で生き続けていることを確認したマリアンヌは、ラストの場面で(たぶん)振り返ったエロイーズとは、現実世界での関係は終わりを告げたこととしたのではないでしょうか。あの涙でエロイーズの思いの丈をしっかりと受け止めることもできました。
だから、顔が判別できない『燃ゆる女の肖像』はその区切りでもあり、自分にとっての永遠のエロイーズ、自分にとっての28ページとしての記録、なのだと思います。
圧倒的な傑作!!自分自身よりもいとおしい他者を想い/想われること
結論から書くと圧倒的な傑作です。
それも、個人的な感想ですが、泣ける、ハラハラするという一次的な尺度では測れない傑作です。
どうでもいい自分語りからはじめます。私は絵を描くことが昔から苦手でした。
美術の授業中に先生から何度となく言われた言葉。「もっとよくみて書け!」
そのたびに、「みてるわい。それでも下手なんじゃ」と思っていました。
この物語にのめりこんでいく脳みその片隅では、そんな記憶が反芻され、そしてはっきり理解しました。私はみるという行為の本質を何も理解していなかった、と。
『みること/みられること』を全編通じて描いた作品ですが、
さらにラスト前とラストシーンで提示されたのは、『自分自身よりもいとおしい他者と出会い、想うこと/想われることが、選ぶことを許されないまま、それでも進んでいく人生をあたためつづけうる』というメッセージと考えます。
解釈の余地を残すラストシーンですが、私はエロイーズもマリアンヌの存在に気付いていると思います。
というか、二人の人生があのラストシーンでふたたび交差したことは幸せな偶然ではなく、
ヴィヴァルディの夏という、互いにとって数少ないながら明確な共通項を演奏する公演である以上、会えるかもと期待して訪れずにはいられなかったと思います。
本当に会えてしまった二人、思わず目で追うマリアンヌ、一方でエロイーズの覚悟、
スクリーンを通じてマリアンヌの視点を得た私が無意識にしていたことは、エロイーズの顔のつくり、うつろう表情をひとつも取りこぼさないようにみるということでした。
ラストシーンがいつまでも終わらなければいいのにと思わずにはいられませんでした。
繰り返します、圧倒的な傑作でした。
エロくて綺麗
写真が発明される前、娘の結婚に必要な肖像画を描くため女性画家を家に招き、娘には内緒で絵を描いてくれと依頼される。
画家のマリアンヌは何とか絵を完成させたが、娘のエロイーズに見せてからにしたいと言って見せた所、批判された。
描き直しする中で、マリアンヌとエロイーズはお互い愛するようになり・・・てな話。
最初濡れた服を乾かす時にマリアンヌが全裸になったり、エロイーズとトップレスでのベッドシーンが有ったりと、なかなかエロくて綺麗だった。
最後のエロイーズの涙とアップがたまらなかった。
シーンに1つの無駄もない傑作
「観察」を通して育まれる愛情。
こんなふうにじっくりと他者を見つめる機会が、現代にあるだろうか?
静かで、丁寧で、動きも場面も多くは変化しないけれど、発する言葉と吐息、キャンバスを走る木炭の音、衣擦れ、どれも心地よく耳に入ってきたし、描写もとても美しかった。
女性がイニシアチブを取れない時代にありながら、男性がほとんど登場しない。オープニングの、男たちの船上での冷たい視線。男のいぬ間に中絶する少女。父の名を借りて作品を発表する画家の主人公。
ひとつとして無駄のない、美しい傑作を観ました。
(^_^) 久々の見応えある映画、激しく推奨。
激しく推奨!!!
久々の見応えある映画。
孤島に住む母と娘。娘エロイーズは歳の頃30歳前半、完全に婚期を逃して世間を何も知らず島に閉じこもる。姉がいたようだが自殺。
この娘の結婚の話がありお見合い用の肖像画を描きにパリから女性の肖像画家マリアンヌが訪れる。2人は惹かれ、愛しあい、別れ、そして再会を、、、、。
美しすぎる。同性を愛する話であるがノーマルな人が見てもグッとくるはず。
愛し合う2人は本当に美しく見えます。
ラストとラスト手前は感動しました。
ラスト手前は別れて数年後マリアンヌがエロイーズの肖像画を偶然絵画展で見つけるんですけどエロイーズはマリアンヌを忘れていなかったことが絵画を見ただけでわかります。ハッとされました。
そしてラスト、オーケストラのコンサート会場で会場のトイ面でマリアンヌはエロイーズを見つけます。マリアンヌはエロイーズは私を見つけていないと言いますが、、、、、。感動的な曲とともにエロイーズの涙を浮かべた顔のアップ。私はエロイーズがマリアンヌの方を向くんじゃないか?向くんじゃないか?向くんじゃないか?と思いつつ映画はそこで終わります。完全作者の術中にハマってしまいました。
完全ネタバレ スンマソン。
あの終わり方、、、、さすがフランス映画。日本人と通じる物を持っていらっしゃる。
〝万引き家族〟同様、ラストは視聴者に託されています。
ちゃんと睡眠を取ってから見た方がいい。
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婚約を控えた貴族の娘の肖像画を描くために、フランスのある島の館にやってきた女性画家の話。
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この話すごく『君の名前で僕を呼んで』に似てるなと思った。ひと夏の恋、男同士、舞台はイタリア、ラストはエリオが泣いているのを正面からくつして終わる(音無し)。
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これを全部逆にすると『燃ゆる女の肖像』の話になると思った。ひと冬の恋、女同士、舞台はフランス、ラストはエロイーズがそっぽを向いて泣いているのをうつして終わる(大音量のオペラ)。
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あとは、毒蛇から妻を救うために地上に戻る際、絶対に妻の方に振り向くなと言われていたのに振り向いてしまい永久に妻を失ったオルフェウスの神話が出てくるんだけど、これ『窮鼠はチーズの夢を見る』でも出てきてる。
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今ケ瀬が見ていた映画はこのオルフェウス神話を元にした『オルフェ』という映画で、だから『窮鼠』の2人は向き合うと上手くいかなくなるのよね。
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こういうのを考えると最近のLGBTQ映画の流れって全部同じ流れの中にあるのかなと面白かった。
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思えば初めて2人が対面する時も先を歩くエロイーズが振り向いていて、だからこそマリアンヌは彼女の顔を見れて絵を描くことができる。でも絵が完成するとエロイーズは嫁ぎに行ってしまう。
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この映画の中で振り向く行為を肯定してるマリアンヌは、いずれ別れなければいけないと決まっていても、見つめ合って絵を描くという一瞬の大きな幸せを掴んだのかな。そして最後エロイーズが一度も顔を向けてくれないのに繋がってきて悲しい。
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なんか途中めっちゃ眠たくてそんなハマってないなとか思ったけど、これ書いてるうちにすごい良い映画だったんだと実感している(笑)
【"緋色と翡翠色"の二人の女性の禁断の恋" 18世紀フランスの離島を舞台に、気品溢れるエロティシズムな映像でその様を描いた作品。鑑賞後の僥倖感にじっくり浸れる作品でもある。】
■特に素晴らしき点
・肖像画家のマリアンヌ(ノエミ・メルラン)と、伯爵夫人の次女エロイーズ(アデル・エレル)の笑顔なき出会いから、徐々に打ち解けて行く過程を彩るフランスの離島の海岸の荒々しくも、美しい風景。
- この海岸の様々な風景が、二人の関係性の変遷と、重なって見える・・。-
・マリアンヌは、住込みの少女ソフィーと徐々に心を通わせ、伯爵夫人が島に戻るまで、彼女達(途中から、エロイーズも)が一緒に食事を食べるシーン。及び少女の堕胎のシーン。
- イロイロな事を語っていると思ったシーンである。
当時は貴族と女中が共に食事をすることはなかった筈であるし、堕胎も・・。-
・二人が愛し合った後に、マリアンヌが、エロイーズにあげた本に、エロイーズの横臥の裸体を描くシーン。
そして、数年後、展覧会でマリアンヌが、エロイーズとその幼き子供の肖像画を見るシーン。エロイーズが持つ本のページが描かれている事にマリアンヌが、気付くシーン。
- 見事である。唸らされた。-
◆マリアンヌが書き上げた「燃ゆる女の肖像画」が、マリアンヌと、エロイーズの二人の顔が合わされているように描かれたように、私には見えた・・。
・ギリシャ神話の”オルフェウスの冥府下り”のシーンを、”今までにないオルフェウスの妻が夫の目の前で”冥府”に引き戻される姿”を描いたマリアンヌの意図。
- 分かりやすいが、オルフェイスはマリアンヌ、オルフェスの妻はエロイーズであろう。ー
・マリアンヌが、エロイーズに様々な感情を拙いピアノで伝える序盤のシーンと、ラストの「ヴィヴァルディの四季/夏の第二楽章からの嵐」が、激しく奏でられる関連性。
オペラ座で、二人が遠目に再会しながら、エロイーズが一切、マリアンヌの方を見ずに、毅然とした態度を崩さない中、涙を流す横顔。
-今年の、個人的に激しく魂を揺さぶられたシーンである。見事である。-
・18世紀の貴族の衣装、住んでいた館の意匠の美しさも、この作品に深みを与えている。
<素晴らしき作品に出会えた事に、心から感謝である。>
深いような。
人って狭い所で生きてると、色々偏りができてしまうもの。
2人が別れた後のエロイーズとエロイーズの子供の肖像画を目にしたマリアンヌ。マリアンヌはエロイーズを片時も忘れてなかったように思えた。だから切ない。
エロイーズの手にしている本の28ページを見て、報われたのかな?
それでも切ないな。
だって、自分は独身なんだもん。
って思ってしまった。
3人とも素晴らしい演技でした。
永遠の愛の獲得と喪失を同時に表現した巧みな脚本
画家のマリアンヌは離島の貴族から娘、エロイーズの肖像画を描いてほしいと依頼される。
写真もない時代。
女性の肖像画を送り、相手が気に入れば婚姻が成立する、というのが当時の習わし。
エロイーズの母もまた、送った肖像画を気に入られて、この家に嫁いで来たのだった。
しかし、姉の死により、本土の修道院での暮らしを楽しんでいたところを呼び戻されたエロイーズは、結婚を望んでおらず、不機嫌だ。
マリアンヌの前に依頼された画家は、肖像画を描かずに帰った。エロイーズが、画家に、まったく顔を見せなかったのだ。
そこでマリアンヌは画家であることを隠し、“散歩の相手”として、エロイーズと接し始める。
マリアンヌは当初、怒りで心を閉ざしていた。しかし、エロイーズと徐々に打ち解け、信頼し合うようになり、やがて恋に落ちる。
この過程で、2人がどんどん美しくなっていくのが見事だ。
だが、肖像画が完成すれば、マリアンヌは島を去らなければならない。そしてエロイーズは結婚に向かうことになる。
映画の中の愛は、いつでも「時間限定」だ。
「スピード」のキアヌ・リーブスとサンドラ・ブラックが、事件が終わったあとも長く付き合っているかどうかを問うのは野暮である。
「スター・ウォーズ」のシークエル・トリロジーで描かれたハン・ソロとレイア姫の“その後”は、現代的なリアリティはあるが、苦い。
それでも映画は、描いた愛の強さを伝えるために、愛の永遠を表現しようとする。
本作では常に、「見る」「見られる」関係が意識される。
画家のマリアンヌは肖像画を描くためにエロイーズを観察する。つまり本作ではマリアンヌが「見る側」、エロイーズが「見られる側」にある。
マリアンヌが島を去るシークエンスは、劇中に登場するギリシャ神話のオルフェが伏線になっている。
オルフェは死んだ最愛の妻を取り戻すため、死者の国に下り、そこで妻を連れ帰ることが許される。
ただし、条件があった。
死者の国から地上に戻るまで、後ろを歩く妻のことを一度も振り返ってはいけないのだ。
ところが途中でオルフェは振り返ってしまい、妻は再び死者の国に落ちていってしまう。
オルフェが振り返ったのは妻を愛するがゆえである。そして、永遠に妻を喪うのだ。
島を去る場面。
マリアンヌは、エロイーズと短い抱擁を交わしただけで、足早に屋敷を出ようと階段を降る。追いかけるエロイーズは「振り返ってよ!」と叫ぶ。
マリアンヌが振り返って見たのは、踊り場に立つウェディングドレスを着たエロイーズ。
その姿は、マリアンヌが2度も見た幻と同じ姿である。その幻を見るシーンも、マリアンヌは「振り返って」見ている。
マリアンヌは「見る」、エロイーズは「見られる」。
これが2人の愛の関係である。
オルフェは愛の物語だ。
オルフェの深い愛と、と同時に、その愛が喪われることを表している。
マリアンヌはなぜ、振り返ることなく足早にエロイーズの元を去ろうとしたのか。
それはオルフェの物語が頭にあったからではないか。振り返ってしまい、エロイーズと永遠に会えなくなることを恐れたからではないか。そしてマリアンヌが2度も幻を見てしまったのもまた、その「恐れ」の深さゆえなのではないか。
と同時に、愛するがゆえ、その後のエロイーズの幸せを願ったからではないか。オルフェが振り返ったことで、妻は死者の国に落ちた。エロイーズの結婚が、彼女にとって「死者の国」にならぬよう、マリアンヌは振り返ろうとはしなかったのだろう。
ラストに入る後日譚が秀逸である。
後年マリアンヌは、絵の品評会にいる。彼女はギリシャ神話のオルフェを題材にした絵を出展していた。
そしてマリアンヌはそこで、エロイーズが描かれた肖像画を見る。エロイーズの手には1冊の本、そして28ページが開かれている。
そのページは、余白にマリアンヌが自画像を描いたページだ。
肖像画には、その人の価値観や大切にしているものを一緒に描く。マリアンヌは、エロイーズの愛の永遠を知る。
そして、ここでもマリアンヌは「見る」、エロイーズは「見られる」側だ。
さらに、その後、マリアンヌは音楽会でエロイーズを見かける。エロイーズは口を開けて、感情をたかぶらせ、涙を流しながら音楽を聴いている。
曲はヴィヴァルディの「夏」。それは、かつてマリアンヌがピアノで、エロイーズに弾いて聴かせた曲だった。
そして本作の最後のシーンでマリアンヌは、こう語る。「エロイーズは私を“見なかった”」。
そう、マリアンヌは「見る」側で、エロイーズは「見られる」側。これが2人の愛の関係である。島にいたときと変わってはいない。だから、確かに、ここに永遠の愛は存在している。
しかし、愛はあっても、2人はもう会うことはない。それは、オルフェと同じく。
ここに、愛の喪失がある。
この愛の永遠性と同時に喪失を表す、素晴らしいラスト。
喪われてもなお、残り火のように熱を持つ愛。2人の想いの深さと切なさに打たれる。
「28ページ」、ヴィヴァルディの「夏」、そして「オルフェ」。親密になっていく過程で語りあった音楽や文学が、すべて伏線となり、島を去るシーンと後日譚に意味を持つ。見事な脚本である。
それらが生み出す、観終わったあとに心に刻まれる余韻の深さ。それが心を掴んで、しばらく離さない。
傑作だ。
2020年ベストムービー!⭐️⭐️⭐️⭐️✨
村の祭り?(村の集会?)のシーン、エロイーズの服に一瞬火が燃え移り、美しく燃え上がります…とても官能的な場面でした。そして、まるでホラー映画みたいなコーラスから(笑)、美しい歌声へと変わっていくシーンは、ちょっと鳥肌ものでした(オリジナル音楽だそうです)。
監督の細かい演出…息遣いや表情の変化など、心理描写が上手く、なかなかドキドキさせられました。
とても印象深い作品でした…オススメです!
映画史に残るクライマックス
今年のベストワン。さまざまな暗喩に満ちた神話の世界。表層的には肖像画家が貴族令嬢の結婚用肖像画を描く仕事を通じて恋愛に発展、絵の完成とともに別れが来るという時限的な残酷な愛の悲しみ、という本筋。しかしその裏側に監督が仕掛けた裏テーマをどう読み取っていくか。ハリウッド映画ではまず不可能な、鑑賞後に仲間と解釈の意見を戦わせることができる久しぶりの「討論用の映画」でもある(「ミッドサマー」以来かな)。
ともあれ、物語の舞台をどう解釈するかから始まる。一枚の絵の登場で回想に入って、本筋が始まる。メインの物語はすべて過去を回想しているもの、という前提を忘れてはいけない。
画材とともに海を小舟でわたり、絶海の孤島にある貴族の館へ向かう画家。途中、海に落としたキャンパスを冷たい海に飛び込んで拾い上げる彼女のエピソードは何を暗喩しているのだろう。途中語られるオルフェの物語、小間使いの堕胎、村の女性たちの祭での歌声、姉の死の真相、ヒロインの母へのルーティン行動、唯一ラスト間際に食堂で男が食事をしている描写、すべてに意味をもたせているような描き方。現世にいる画家、海を渡ることによって彼岸へ行き、肖像画を描き、そのモデルを愛し、しかし完成とともに再び海を渡って現世へ戻る。そんな解釈をさせる象徴的なシーンが館を去る時にヒロインが画家を呼び止め振り向かせるくだり。あたかもオルフェのクライマックスのように。
スクリーンに映されるのは、静かな平坦このうえないドラマが粛々と進んでいくように見える作品だが、そこには膨大な情報=意味が詰め込まれて、観客を圧倒していく。
その後の出会い、一回目の再会の静かな感動に観客は溜息をもらすだろう。そして二回目にして最後の再会は映画史に残るクライマックスだと断言できる。そこではヒロインのアップが数分間長回しされる。その圧倒的な演技に、ここまで見続けた観客の心を締め付け、息を止めさせ、うちのめす。
音で感動させられました。
映像は綺麗ですが中盤まで展開がほとんどなく飽きてきましたが、後半にかけてドキドキさせられました
音で心揺さぶられました。
焚き火で歌うところはミッドサマーを思い出したw
ところどころホラーっぽい演出(そこまで怖くないけど)
白いドレス?を着た女性はもしかして死んだ姉かな?
双子とは言ってなかったから微妙だけど
振り返ってよ
たぶん、永い失恋の話なんじゃないかな。
冒頭の絵、タイトルである燃ゆる女の肖像。
緑のドレスの女は、後ろ姿で描かれている。
最後の劇場で、視線に気付いているのに決して目を合わせようとしないエロイーズのよう。
その後ろ姿をみて、マリアンヌはまだどうしても、願ってしまうんじゃないだろうか。
「振り返ってよ」
でもじゃあ、絵の女のドレスの後ろについた火は、どっちの情念?
マリアンヌの?
エロイーズの?
エロイーズは、あの日二人の思い出の音楽を聴きに、あの日劇場に来た。そして泣いていた。
それでも、たぶんもうエロイーズがもうボロボロになっているであろうあの本の28ページ目を開くことは、ないんじゃないかな。
きっと燃ゆる女の肖像は、劇場から帰ったマリアンヌが描いた絵。
まだ情熱を心に燻らせながら、振り返ってよって、何度も願いながら。
とても良かったです。
女という性の本質
表現するということは、対象について観察し、考察し、寄り添おうとする事だろう。【形】の把握から、【本質】の理解まで。本当の美しさも、醜悪さも、深入りしなければ解らない。近寄り、共感し、愛で、時に憎む。対象に自己が混じり合い、その落とし子であるかのようにひとつの作品となっていく。そう考えれば、全ての芸術は、恋愛によく似たものであるかもしれない。
「この肖像画は私に似ていない」と娘は言い放つ。本質を突かれて画家は憤る。互いの誇りのぶつかり合い。形をなぞる視線が、内を探る視線に。隠れ見る眼差しが、見つめ合う眼差しに。
【愛とは何か】。言葉でなど語れるものか。感情を揺り動かし、身体を突き動かし、嵐のように呑み込み、波のように去り行くもの。芸術もまた同じ。音楽も、絵画も。わけなど判じる間もなく、心を高みに投げ上げる。
光、陰、色彩。吹き荒ぶ風の冷たさ、暖炉の火の熱、砂の感触。荒々しく響く波音、一心不乱なデッサン音、密かな衣擦れ。濡れた唇、乱れた髪、蝋燭の灯りに浮かび上がる肌の艶かしさ。論理で説くのではなく、表現は極めて感覚的、叙情的。台詞は少なく、けれど鋭く。
情感一杯にロマンスを詠い上げながら、一方で、観察する画家の目のように冷静に。女性の冷遇、自由の抑圧、と、ともすれば社会的倫理的な主張に偏りがちの所を、監督は、女性達を可哀想な被害者ではなく、自立し、逞しく強くしなやかなものとして描く。男達がどうあろうと、女は女として存在し続けるのだと。
画家は信念をもって芸術の道を選ぶ。女主人は、遠方の縁談を選んだのは退屈しないためと豪語する。侍女は赤子に手を握られながら堕胎し、男の裸体を画く事を許されない女画家がその堕胎を描く。女達は夜の帳の下朗々と自由に歌い上げる。そして、画家に啓示を与え、芸術となって永遠を得た娘は、潰えた恋の思い出に慟哭しながら、それでも恍惚と笑みを浮かべるのだ。振り向く事はせず。
女性という性が持つ業、身体と感情、苦しみと喜び。【女】という対象物を、いとおしむ眼差しで見事に描き出した肖像画。
成る程、これは女性監督にしか成し得まい。
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