燃ゆる女の肖像のレビュー・感想・評価
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劇中でオルフェウスの物語の一説を朗読し始めた時、正直そこまでこれが...
劇中でオルフェウスの物語の一説を朗読し始めた時、正直そこまでこれが大事な要素になるとは思っていなかった。だからこそ、2人が「振り返る」別離のシーンの余韻が今も深く残っている。
人間には、してはいけないと言われたり理解したりすることほどやりたくなってしまうという、どうしようとない性のようなものが備わっていると思う。
いい映画だねー
絵画のような映画
傑作!!!
生者と死者は結ばれない。
詩人オルフェは、死者の妻を生き返らせるよりも、永遠に残る劇的なる場面(芸術)を望んでいる。無自覚に。一方運命を悟った死者ウリディスは、オルフェの望みを叶えるために彼が振り返ることを望む。
画家であるマリアンヌは逞しき生者であり、見る側(オルフェ)だ。エロイーズは冥府に囚われた死者であり、見られる側(ウリディス)。
ただ一度、祭りの夜に燃えるドレス(情熱)を解放したエロイーズは力強くこちらを見ていた。その圧巻の美しさは確かに生者だった。
しかし時代は女が自由に生きることを許さない。
純白のドレスを着たエロイーズの幻影は、冥府に連れ戻され永遠に閉じ込められた死者の姿だった。
別れ際にエロイーズはマリアンヌに言う。「振り返って」と。私には「生きて!」と聞こえた。
だからラストの、決してマリアンヌと目を合わせまいとするエロイーズの覚悟に泣けた。
あなたは生者として生きる。あなたは「見る側」だから。私は冥府に囚われた「見られる側」。だから決してあなたを見ない。それが愛する人と運命を分かつということ。
…それにしても、3人の暖炉の前の食事や食器、暮らしぶりの「音」が魅力的だった。木炭のデッサンの音にも興奮した。女たちの合唱しかり。ビバルディしかり。
生者の世界が視覚であることに対して、目に見えない永遠の世界は聴覚でできているようだ。
必然的な恋と、余韻
絵画みたい
#33 ギリシャ神話か日本神話か
『パリ13区』メインキャストの1人が主演しているとのことで観に行った。
そしてやっぱりノエミ・メルラン氏が美しい。
家の主人であるお母さんがいなくなると、画家も娘もメイドも身分関係なく楽しく過ごす風景が新鮮だった。
身分を重んじるこの時代に本当にこんなことがあったのであろうか。
あと堕胎の仕方がなんだかフランス的。
それはさておき映画の中で出てきたオルフェの物語、どこかで聞いたことがあると思ったら日本神話の『イザナキとイザナミ』のお話じゃないですか〜。どっちが先なの?
肖像画
アンビバレンスな歓びと哀しみ
この映画は女性の、人生における喜びと悲しみをまるでアンビバレンスな感情のように、描いていると思う。結婚は女性にとって最大の喜びのはずだ、だがその相手が会ったこともなければ、どこに住んで、どんな性格かも分からなければ、どうだろう。果たしてその男性を直ぐに愛することができるだろうか。黙って運命に従わなければならないとしたら、哀しみ以外の何物でもないだろう。
出産もまた女性にとって大きな喜びである。だがおかれた境遇により、自分に宿った生命を堕さなければならないのは、大きな悲しみだ。監督は堕胎しようとする女性の隣に元気な赤ちゃんを置いて、無垢な喜びとその喜びを享受出来ない悲しみを鮮やかに対比させている。
愛もまた大いなる歓びである、互いにひかれあう心は理性では止められないし、閉鎖された環境ではなおのこと、より強く燃え上がる。画家もモデルも互いの感情を隠し切れなくなる、モデルが燃えているのではない、画家の感情がモデルを燃え上がらせるのだ。だが他者に知られてはならない関係は必ず終わりが来るし、最後に大きな悲しみを招く。
画家もモデルも関係を終わらせたくはない、二人は心で繋がろうとする。それが二人だけの密かな歓びであり、大げさに言えば生きる支えにもなったはずだ。だが時を経て、愛は変わらずとも、二人の境遇は大きくかわる。時を経て出会えた歓び、だが彼女と見つめ合うことの出来ない哀しみ、ここで繋がりを断つべきか、それとも・・・彼女は苦悩する。
振り向いてはいけない
姉が亡くなり、急遽、修道院から呼び戻され、結婚させられる貴族の娘の肖像画を描くために、女性画家が呼ばれる。
この二人が恋に落ちる。
全体がとても美しい絵画のようで、うっとりと見入ってしまう。
草むらで三人の女性が立ったりしゃがんだりするシーンが好きだ。
燃ゆる女
仕事早退、劇場直行。2本立て1本目。こうして女はLとなる。 いやに...
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