燃ゆる女の肖像のレビュー・感想・評価
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私は振り向かずにいられるだろうか
ミニマムな舞台設定で、よくぞここまで描ききったなと感嘆する。
18世紀のフランスの辺鄙な田舎の館は、登場人物が身につけているコルセットと同じように彼女たちを閉じ込める。
自然の音以外で唯一耳に聴こえてくるヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲。「夏」だろうか。まさに二人の人生の短い夏を象徴するかのように時に気だるく、時に激しい。
本作は二人とも女性であるし、その必然性は理解できる。しかし、二人がいかなる性別の組み合わせであったとしても…。いや、二人ともが女性であることがメッセージとして大切なのだ。
これをきちんと言語化できないことがもどかしい。
完璧かよ。
正直、語りづらい映画だと思った。というのも、どこの瞬間を切り取っても完璧にしか見えなくて、もはや付け入るスキがない。もう、伝えるべきことはすべてそこにあるので、観てくださいしか言いようがない。一応ライターという名目で仕事をしてる者として、かなりの敗北と言わざるをえない。
かといって、説明的なのではない。むしろ説明は極力省き、なんなら登場人物も極力絞り、人物や物語の背景に関する情報も最小限に留められている。静かに、淡々と進むようで、とても熱い。そして、静けさを一気に打ち破るのが、炎と、人海戦術による歌声というあまりにもダイレクトなぶっ込みであり、「繊細かつ大胆」みたいなあまりにも陳腐な言葉をついつい書いてしまう。やはりこれほどの敗北感を味わう映画にはなかなか出会えない。完璧か。
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憤怒に満ちた愛の讃歌が観客に与える不思議な感情
18世紀のブルターニュの孤島で暮らす貴族の娘、エロイーズは不機嫌極まりない。母親が気の進まない結婚をゴリ押しする上に、お見合いのための肖像画を先方に送らなければならないからだ。なぜ、当時の女性たちは相手の顔も知らないのに自分だけ肖像画を差し出さなければいけなかったのか?ヒロイン一家に仕えるメイドが置かれた状況も含めて、甚だしい女性蔑視に対する押し殺した怒りが背後に横たわっていることは確かだ。しかし、そんな重々しい背景を凌駕して、エロイーズと肖像画家マリアンヌの恋が、孤島という閉ざされた空間を舞台に堂々と燃え盛っていく。たとえ人々に広く告知され、祝福されなくても、否、だからこそ秘めた思いは強く、エロチックな香りを放つもの。監督がエロイーズを演じるかつての恋人に捧げたという物語は、無駄なカットを極力削ぎ落として、憤怒に満ちた愛の讃歌を観客に向けて奏で続ける。だからだろうか、見終わった後、なにかに憑かれたような気持ちになるのは。
「見る」という行為
画家とモデル=見る側と見られる側という記号的な関係性は、これまでの幾度となく映画の題材として用いられてきた。対象をつぶさに観察し、その心情まで読み取って筆に伝えようとする画家の行為は、一方的な求愛にもよく似ている。そこが恋愛物語の語り部たちの想像力を刺激するのだろう。
「見る」という行為は、何にも増して禁断的で、潜在的な欲望そのものなのかもしれない。
思えば、日常生活において誰かのことを「見る」とは、とても限定された条件のもとで行われている。一定の秒数以上ずっと相手のことを見続ければ、それはすぐさま特別な感情や事情に紐付けられてしまう。
映画の舞台となった18世紀のフランスでは、女性同士がお互いを「見る」行為は、いま以上に社会的な束縛を課せられていたはずだ。だからこそ2人の行為はスリリングで、ゆえに絵画のように美しい輝きを放つ。
また、この映画はさらに、「見られる」側の心情にも踏み込んでいく。画家により一方的な求愛を受ける側は、どんな気持ちでこれを受け入れるのか。劇中、ギリシア神話のオルフェとユリディスの物語を引用し、「見られる」側の心情に独自の解釈を忍ばせるあたりに、この映画のオリジナリティがある。
こうした伏線をこれ以上ないかたちで回収するラストシーンがとにかく素晴らしい。われわれ観客もまた「見る」側となるのだが、それは、スクリーンの向こう側から覗く視線とは全く別物の、主人公と一体化した主観の視線にほかならない。その視線でわれわれは、「見られる」側の心情に寄り添い、禁断の愉悦に身を浸すことを許されるのだ。
Another Worthy Artifact in the Gallery of Painting Films
Portrait is certainly a modern social issue film that addresses abortion and female homosexuality. It hangs high on the easel for its deep literary presence equal to that of a fabulous oil painting, so much so its profound nature sings in shots of the artist's fundamental sketch marks. Costumes drape the actresses with the same mystery of classical paintings. A quiet film pleasant to gaze upon.
そのままでも愛すべき好作。背景を知るほど傑作の感を強くする
女性の人権や自由が男性より低く見られていた18世紀末のフランス。伯爵家の娘エロイーズは親に縁談を決められる。画家の父親と同じ職についたマリアンヌは慣例にならい父の名で作品を発表している。そんな2人が、見合い用肖像画の制作を通じて出会い、芸術を愛し自由を渇望する互いの魂に触れ、恋に落ちる。
監督・脚本のセリーヌ・シアマは、やはり女性同士の恋愛を扱ったデビュー作「水の中のつぼみ」のヒロインにアデル・エネルを起用。シアマはエネルと一時期パートナーだったが、友好的に別れた後、エネル(仏映画界でのMeToo運動の牽引役でもある)に新境地を拓いてもらいたいとエロイーズ役をあて書きしたという。監督の心情がマリアンヌに投影されたと知れば、ラストシーンでエロイーズを見つめるマリアンヌの眼差しから伝わる切なさが一層増し、彼女らの絆に感動も一段と深まるはず。音楽の使い方も絶妙で、焚火シーンの劇中歌は鳥肌もの!
スローだが、先が読めない展開にただただ驚く
あいをこんなにも美しくこんなにもイヤらしく・・
この作品の登場人物たちの間に湧き上がる感情を「愛」と書いてしまうと違うものになる。またエロティックなシーンもあるが、それもエロティックと言う程ドライでなくポップでもない。それは多少の湿り気を伴う纏わりつくような気配である。言葉にすると少し違うような気はするが、やはり「いやらしい」という言葉が最もフィットする。あとこの映画の卑怯な点はフランス映画である点だ。フランス語と言うのはそれだけで十分芸術的で音楽的である。視覚的な芸術性と聴覚に届く芸術性を兼ね備えたこの作品は非常に高潔でかつ美しく尊厳を以って毅然とそこに佇む。中でもモデルと画家と侍女が揃ったシーンはとても絵画的で息をのむ美しさがある。こうしてみるとこの映画を鑑賞すると言う事はまるで自分たちが美術館の名画を愛でながら回遊してるかのような錯覚に陥る。そんな不思議で美しく充足感に包まれる映画であるのだ。
こっち系のはあまり好きではないがなんかすごい
エロイーズお嬢様の見合いの肖像画を依頼された画家のマリアンヌと絵を完成させるまでの5日間の女同士の恋。
あまり感情移入できなかったけど私だけを見て描いて欲しいというエロイーズの気持ちとあなたの全てを見て描いてるわというマリアンヌの気持ちがジリジリ伝わってくる。始まりから物音とセリフだけで静かなのに感情が爆発するシーンになると女達のアカペラやオーケストラ出てきて音楽の効果絶大。
強い愛は個々の中に潜む
セリーヌ
"28ページ"
高尚そうで中身の無い作品
絵画を鑑賞しているよう。
女性同士の微妙な触れ合い
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