燃ゆる女の肖像のレビュー・感想・評価
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自分は繊細ではないし女性でもないのだが・・・
「こんなにも繊細な作品は観たことがない」(グザヴィエ・ドラン)だそうだ。 「そうか、自分は繊細ではないし、LGBTでもないし、女性でもないのだから、理解できないのだ」と、何度も居眠りしながら観ていた。実に眠かった。 「きっと観る人が観れば、交わされた台詞やちょっとした仕草の背後に、微妙なニュアンスや秘めた情熱を感じ取るのだろう」と。 主人公の持ち込んだ2枚のカンバスが、イントロで強調され、その後の展開を暗示するなど、“芸が細かい”のは確かだ。 ところが、映画の終わり近くなって急展開し、話が怪しくなる。 二人の情熱は燃え上がるものの、実は互いのことはあまり理解し合っているわけではなかったようなのだ。 つまり、台詞や仕草には、別に深い意味は無かったということになる。 たかだか2週間くらいの間に、エロイーズが笑うようになり、「私も変わった」などと平然と言い放っているのを聞くと、「はぁ?」となってしまう。 少なくとも、肖像画の消された最初のバージョンの表情と、採用された最後のバージョンの表情は、逆であるべきではないだろうか? まあ、最初のバージョンはクライアントのご機嫌を取るために、定型的に仕上げたのかもしれないが・・・。 映画のキモであるはずの肖像画そのものに、意味内容が感じられなかったのは残念だ。 どうも最近は、ジェンダーや人種が絡むと、ヨーロッパでの評価は“自動的に”高くなるのではないか? 「パラサイト」同様、カンヌの“ご威光で”過大評価されているような気がする。 こんな奇妙な状況が続くと、映画界にもトランプ大統領のような人間が現れても不思議ではない。 ともかく、徹底的に“女性目線”で、ほとんど男が出てこない本作品は、自分には難しすぎた。 なお、昔のブルターニュの田舎と言えば、ゴーギャンの絵にもあるように、少しエキゾチックな土地柄のはずだ。 火祭りの女達の合唱は、現地で採取した歌かは知らないが、民俗性が反映されているのかもしれない。
絵画のような美しい映像から見える怖さ
とにかく全てのシーンが美しく、抒情的。 波の音、暗い部屋、ろうそくの灯り、お祭りでの合唱。 18世紀のブリュターニュの孤島が舞台とのことだが、映像の美しさに圧倒される。 この時代の女性は、結婚して子供を産む道具でしかなかったのだろう。 主人公の女性も結婚はしないのかもしれないが、画家として、自分の名前で描くことはできず、父の名前で描いていたというところも驚く。 というより、女性が仕事を持って、自分の好きな人と結婚する自由を得ることができるようになったのも、まだ100年も経っていいないんじゃないか。 もっというなら、LGBTを公言できるようになったのだって、30年も経っていないと思う。 たぶん、本当に許されない愛、だったんだと思う。 その儚さと人を好きになるのにジェンダーは関係ないという燃えるような思いが、全編から痛いほど伝わってくる。
素晴らしいエモーショナルムービー
素晴らしい。もう『野菊の墓』(松田聖子主演)です。完全なる切ない恋愛。まあ絵描きの話くらいにしか思わず観に行ったのだが(笑)、アニエスヴァルダのような古典映画の快楽を持った現代映画。アデル、ブルー…も思い出した。 荒涼たる風景の、しかし壁の色、波の色、草木も光も絵画的な隔離された屋敷に、絵描きと嫁入り前の娘が肖像画を描くまで暮らす。その間に起こる魂の交換と原始的な恋愛のはじまり。狙いに狙ったバックショットが美しい。出会いの海辺の振り向きと、別れ間際の波打ち際の後ろ姿と。 ミニマルに攻めていって中盤ようやく音楽が加わり、ラストで一気に雪崩れ込む感情のピーク。オルフェのエピソードにもはっとさせられた。
音楽も説明も極力削ぎ落として語るモノとは。
とにかく全てが美しい。人物も風景も絵画もそして音さえも。 場面を盛り上げようとする音楽は一切無く、だからこそキャンバスを力強くなぞる筆やゆらめく炎の音が印象的なのだろう。 とっつきにくい、わかりにくい、と感じる人もいるかもしれない。が、説明的なモノは何もなくても18世紀がどういう時代だったのかを多弁に語っている。 今ヴィヴァルディの「夏」を聴きながらラストシーンを反芻している。 エロイーズ、あなたはなんて人なんだ!
期待したほどの濃厚なレズビアン場面もなくて個人的にはがっかりだが・・・
この作品、女性監督のセリーヌ・シアマとダブル主演のエロイーズ役のアデル・エネルがほんまもんのレズビアンカップルで付き合っているということで、大いに期待しておりました。「英雄は嘘がお好き」「不実な女と官能詩人」のノエミ・メルランの美しい裸体が惜しげもなく見られると思い、期待しておりましたが、その点では完全に裏切られて、チクビさえ見られませんでした。私と同様に邪な鑑賞動機の輩はさぞ肩透かしを喰らった感でありましょう。
しかしながら、冒頭のボートのシーン、海に落ちたカンバスをみずから飛びこんで拾うシーンはわざと濡れて暖炉の前での全裸シーンのためのもの。船に乗ったまま引き上げればいいのにね。ありがとうございました。
エロイーズ役のアデル・エネルは顔の輪郭や口元が石橋静河に似ており、二重瞼がきれいで、長いカットが多かったです。監督の強い思い入れを感じました。
素朴な祭りでの女たちの歌うアカペラの曲がエンドロールでもかかり、この作品の独特な雰囲気を感じることができました。
女中のソフィ役のルアナ・バイラミも魅力的で、3人の関係も面白かったです。とくに、ソフィの妊娠が発覚して3人が流産の手助けをするシーンが結構長く、面白かったです。浜辺で3人が草を探すシーンでは、花が枯れてはだめだとか言う会話がありまして、花に毒のある堕胎に使える植物があるのかな?タイの地方の豪族の一夫多妻を描いた映画(題名忘れた)を思い出しました。エロイーズの母親(女主人)が戻って来るまでにオロす必要があるらしく、相手はたぶんほっそりした若い下男だと思われました。ソフィはなかなかチャーミングで、堕胎を村の女性に頼んだすぐあとにそのシーンを再現したポーズをソフィとエロイーズにさせて、ひと作品描きあげるシーンも印象的でした。当時の女流画家はエロチックな絵は描いてはいけない風潮があり、テーマも男性画家に比べ極端に限られるとマリアンヌ(ノエミ・メルラン)自身がエロイーズに言う場面があったので、3人がマリアンヌの創作を応援していることがわかりました。オルフェィスとエウリデケのギリシャ神話を読むシーンは最後の二人の別れのメタファとなっており、28ページの余白にマリアンヌが描いた自画像をエロイーズが大事にしていたことがのちの絵画博覧会でのエロイーズと娘の絵にも表されています。娘の顔がなんとなく、マリアンヌに似ておりました。画家に注文をつけたのでしょう。最後の方で、別れを受け入れながらも、互いにいつ好意を感じたか聞き合う場面は二人が充分に愛を確かめあったあとだけにとてもいいシーンでした。エロイーズがマリアンヌが経験者であることに興味を示したときに、マリアンヌはこれはイケると思ったと告白するのですが、エッチだなぁと感心しました。最後はオペラの会場でマリアンヌはエロイーズを見かけますが、エロイーズがマリアンヌに気が付かないのかどうかわからないまま、ただただ泣いて終わるのが大変よろしかったです。
女優も映像も美しいが
予備知識も全くなく予告編も見ず、映画賞とレビューの評価だけで見ました。 主役の女優二人はとても美しく、女性監督作品らしくきめ細かで全てのシーンが絵画的な美しさはありました。しかしストーリーはかなり地味で上映時間が長く感じました。 女性向けの映画なのかも。とにかく美しい映像は印象に残りましたがお勧めはしにくい。
切ない恋愛ストーリー(女同士だけど)
賞を取ってるから、どんな映画だろうと楽しみだった。それ以上の事前情報ほ無しで鑑賞したら、主人公の女性(画家をしている)がモデルの女性とキスして愛し合ってしまった( ̄▽ ̄;)
こんな展開だと思ってなくて、私のようなおっさんが鑑賞してるのは大丈夫かなと周りの目が気になった。
ざっくり言うと、主人公(マリアンヌ)とモデルのエロイーズが恋に落ち、だが別れなければならないと言う切ない映画だった。
この映画の登場人物はかなり少ないので予算はかけて無さそうだ。主人公(マリアンヌ)と貴族の娘エロイーズ、その母、貴族の使用人ソフィの4人がメインだ。母は途中からいなくなるけれど、この4人で話が進んでいく。
恋愛と言っても、男性が好きな裸のシーンは殆ど無い。(全くない訳では無い)
主人公(マリアンヌ)を演じるノエミ・メルランの誕生日は1988年11月27日なので、30代だと思うけど、キレイだった。ちょっとカルロス・ゴーンに似てるなと思った。やっぱり、フランス人の顔立ちということなのだろう。ノエミ・メルランは脱いでいる。冒頭の濡れた衣類を乾かすため暖炉の前で暖を取るシーンと、生理になった時にベッドから起き上がるシーン。暖炉の前のシーンではほとんど影になっているから胸の形が見える位でハッキリと裸は見えない。生理の時はアンダーヘアが見えたくらい。モザイクをしないのはフランス映画って感じだ。
貴族の娘エロイーズを演じたのはアデル・エネル。1989年1月1日生まれなので、こちらも30代。これからミラノの男性とお見合い結婚することが決まっていて、恋愛経験も無いようだったからもっと若い役だと思っていた。裸になるシーンはあった。マリアンヌと一緒にベッドの上にいて寝てる時に、左胸が露出していた。あと、脇毛が生えていた。これは当時のフランスでは当たり前なのかもしれない。
あとは裸のシーンはない。
使用人のソフィ役のルアナ・バイラミは2001年3月14日うまれ。未成年であるが、映画では妊娠してしまい、堕胎している。彼女が堕胎するシーンでは、対比するように隣には赤ちゃんと小さい子供がいた。子供を堕ろす行為はソフィにとっても辛いようで、泣いていた。
なぜ、マリアンヌとエロイーズが恋に落ちたのかは私には分からなかった。エロイーズの肖像画を作る使命を与えられたマリアンヌが映画の中盤で肖像画を完成させてしまったから、あれ?これからどうするの?と思っていたら、突然エロイーズとキスして、いつの間にか愛し合っていた。もしかしたらそういう空気が出てたのかもしれないが、私は気付かなかった。
最後のシーン(マリアンヌとエロイーズが別れてから最後に再開するシーン)ではエロイーズがオーケストラの演奏を聴きながら涙を流すのだが、これは多分マリアンヌのことを思い出したからだと思う。マリアンヌが肖像画を描いていた頃にエロイーズに演奏するシーンがあって、きっと同じ音楽だと思う。だからエロイーズはマリアンヌを思い出して泣いたと解釈した。このシーンはずっとエロイーズが映るのだが、役者の実力が無いと成立しないと思った。
映画の中で、純白のドレスを着ているエロイーズがふっと消えるシーンが2度ほどあるが、それが何を意味していたかは分からなかった。
マリアンヌが屋敷から出ていくシーンは悲しいシーンだった。
以下、ストーリー
マリアンヌは学生の前でポーズを取りながら、学生に指導をしている。学生の後ろに『燃ゆる女の肖像』というタイトルの絵が飾られていることに気付く。自身の作品だ。学生に問うと奥から出てきたとのこと。
過去に遡り、マリアンヌは小型の船に乗って島の貴族の屋敷へ向かう。船での移動中に絵画道具を海に落としてしまったのでマリアンヌは海に入って取りに行く。上陸し屋敷まで行くと、マリアンヌは部屋の暖炉の前で衣類を乾かしながらタバコを窘める。
屋敷では屋敷の主(主人の妻でエロイーズの母。主人の姿は無い。)から娘のエロイーズの肖像画を描いて欲しいと依頼される。肖像画をお見合いで使用するためだ。エロイーズの肖像画を描こうとしたことは過去にあるが、エロイーズが拒否して描かせて貰えないそう。このため、マリアンヌは自身が画家であることと、エロイーズの肖像画を描こうとしていることを隠しながらエロイーズの肖像画を描くことになる。
マリアンヌはエロイーズと散歩することにする。しかしエロイーズはマリアンヌの前を歩いたりして、なかなか顔を見せてもらえない。また、マリアンヌがエロイーズに視線を送ることも、気付かれてしまいそうで危うい。
エロイーズには姉がいたが、崖から落ちて死んでいる。転落時に叫ばなかったこと、エロイーズ宛の手紙に『許して』と書いてあったので、自殺と考えられている。
マリアンヌはエロイーズの目を盗みながら、エロイーズの肖像画を書き上げるが、エロイーズの母にエロイーズに肖像画を描いていたことを打ち明けたいと言う。
マリアンヌはエロイーズに肖像画を描いていたことを打ち明け、肖像画をエロイーズに見せる。エロイーズは肖像画の出来に否定的だ。マリアンヌも納得していなかったようで、肖像画の顔のところを削除してしまう。エロイーズの母はマリアンヌに怒るが、エロイーズがモデルになることを承諾し、母は5日間の外出から帰ってきた時には肖像画を完成させているように再び依頼をする。
マリアンヌはエロイーズを描きながら?、突如エロイーズとキスをする。(正確には覚えていない)。これから母が戻ってくるまで二人は愛し合うことになる。
ある夜、集会(何の集会か分からないが、何人かの女性が集まって歌を歌う)で、火を挟んでマリアンヌとエロイーズは見つめ合う。するとエロイーズのスカートに火がついた。エロイーズは慌てる様子もなく、マリアンヌを見つめているが、他の女性がすぐ様、消化した。
一方で使用人ソフィは自身が妊娠したことをマリアンヌとエロイーズに告白する。子供をどうするか尋ねられると、エロイーズの母がいない間に堕胎すると応える。
ソフィは堕胎する時にベッドの上で寝転ぶが、同じベッドの上には、赤子と小さな子がいた。堕胎中はマリアンヌとエロイーズはその様子を見ていた。医師?が堕胎を終えたことを告げると、ソフィは涙を流した。
夜、エロイーズは堕胎中の絵を描くようにマリアンヌに提案する。暖炉の前にマットを引き、ソフィを横にしエロイーズは堕胎のポーズを取る。その姿をマリアンヌは絵に描いた。
ソフィから明朝の朝、エロイーズの母が戻ってくると聞かされたマリアンヌは最後の夜もエロイーズと過ごす。母は肖像画を見て報酬をマリアンヌに手渡す。
マリアンヌは二人と別れて屋敷を後にする。
再び、教室に場面転換する。マリアンヌは学生の絵を見る。
マリアンヌは父の名前で展覧会に作品を出品する。当時のフランスでは女性画家には例えば男性の裸体が描けないと言った制約があるため、父の名前を使用している。
展覧会にはエロイーズがモデルとなった絵が飾られている。エロイーズの傍には小さい子供が描かれている。
マリアンヌはオーケストラの会場に入ると遠くにエロイーズが会場に入ってきたことを視認するが、エロイーズは気付かなかった。(または、気付いていたが、顔を向けなかった。)オーケストラの演奏が始まると、エロイーズは涙を流した。
なんか観いってる
170本目。 観たい作品が多く公開され、選択に悩む。 で取り敢えず今日はこれかなと。 カンヌとか出てきた時点で、ハードルアップで、俺向きじゃないかなって。 実際そんな感じはあるんだけど、でもなんか観いってる。 それは多分、ほぼ女性しか出てないだけなのかも知れないけど。
視線と表情で描く究極の恋愛表現!!
まだ限られた職業でしか、女性は社会に居場所を見出すことができなかった時代の中で、多くの女性が社会進出のきっかけとなったのが画家という職業でもあったことから、マリアンヌは18世紀のフェミニストでもあるのだ。 しかし、固定され、限られた概念の中では、まだまだその先に進むということは、未知の領域であり、人間として、女性として許される行為なのかということも判断が難しい環境だった。 時代を通してみれば、同性愛というものは、18世紀以前から存在していたものではあるのだが、芸術や歴史の中で知っていることと、自分の身に起きることでは、全く違ってくるだろう。 マリアンヌはフェミニストではあっても、少なくともエロイーズと出会うまでは、異性を愛し結婚をすることへの反発はあったものの、レズビアンではなかったように思えるし、そもそもその概念自体がマリアンヌの中には存在してなかった。 それがエロイーズと出会い、肖像画を完成させようと、表情や仕草のひとつひとつを観察するうちに、マリアンヌの中に何かが芽生えてくることが伝わってくる。その伝え方というのが、映画的でわかりやすい表現などによるものではなく、マリアンヌとエロイーズの視線や表情からなのだ。 そこには、女性同意の恋愛を描いているという表面上的なものではなく、人間が人間を愛する瞬間を絵画のように、詩のように、美しい景色をキャンバスにみたてて描いていくのである。 手が触れるかもしれない、唇が触れるかもしれないという緊張と恐怖、愛を交わす喜びが自然と口元に現れる。 細かい視線や表情だけで、どうしてここまで人を愛すること、愛の誕生の表現が可能なのかというと、勿論、今までにも女性同士の恋の芽生えを描き、自身がレズビアンでもある監督のセリーヌ・シアマや撮影のクレール・マトンの力、そして俳優達の演技力もそうなのだが、監督とエロイーズ役のアデル・エネルは、かつて実生活において、恋愛関係にあった間柄なのである。 本編でみせるマリアンヌの眼差しは、正に監督自身の眼差しでもあるのと同時に、アデルの目線も監督を見る眼差しなのである。 結果的に別々の道を歩むことになり、別れてしまった2人にとって、肖像画を描き終えることは、愛に終わりがくるという、マリアンヌとエロイーズの心情に重なるというメタファーともなっているのだ。 美しい景色と、優しい波や風の音が凄く心地よい作品でもあることから、寝不足では観ないことをおすすめしたい。視覚、聴覚的にかなり眠気を誘われる作品である。
美しき諍い女
おー、エロイーズは監督と好い仲(別れた後らしく)なんですね。マリアンヌは'不実な'時から好きなんですが、この人は眼力が凄いですね。メイドちゃんが何気に可愛かったです。 お祭りで皆が歌っている歌詞はなんですか?Fugere Non Possum 囲われ者… 兎に角、画面が綺麗で全部がカレンダーになるくらい凄いです。
遂に、、、
タイトルロールが始まり冒頭の3分間で私は、この映画に恋をした。 ブルターニュの空をターナーのように切取り、睦みのシーンではルノワールのように肌を彩る その撮影力に惑わされるが、黒いマントを羽織り女達が佇む姿はカスパー・フリードリヒのように悲劇へと暗示する 音楽にいざなわれる対話劇は三島の『サド侯爵夫人』のようにエロスの園へと変容して行く そして、訪れる結末 その死から34年目にして私達はトリュフォーの後継者に出逢った。
「燃ゆる女の肖像」に萌ゆる私
「これはただモンじゃない!」初めて予告編を観た時に感じた予感は本物でした!!
今もキーを打つ指が震える程の儚く美しい愛の物語に魅せられた
ブルターニュ地方の古城、波砕ける岩場、強風煽る草原…風景その物が既に名画でありその全てこそが2人の愛物語を彩っている
18世紀、本来なら出会い結ばれる事もないはずであり身分も違う2人が出会い、運命の元に惹かれて行く…
あくまでも静かで淡々としている過程に引き込まれその流れ全てが強く心に刺さりました
鮮烈な音楽と共に祭りでエロイーズに炎が立った時、マリアンヌの心にも炎が立つ…
同時に私自身までもが胸に何かの感情が燃え立つ覚えを感じた位だ…
冒頭のマリアンヌの表情とラストのエロイーズの涙が物語る様に
永遠に胸に秘め、閉まっておきたい愛…
この先もずっとずっと想い続けたい珠玉の一本になりました⭐︎⭐︎
女優達の演技の素晴らしさにも圧倒され
しばらく席を立てなかった〜💦
【オルフェとユリディス】
18世紀のフランスは、絶対主義が揺らぎ、ブルジョアジーが台頭し、革命が起きた時代だ。 ただ、この時代、まだ、カトリックの教えは支配的で、男性は女性に対して優位な地位にあった。 それは、ソフィの妊娠、そして、カトリックでは神の意思に背くおして禁止されている堕胎を人知れず行わなくてはならなかったことからも推測される通りだ。 また、禁じられていると云うところでは、同性愛も同様だ。 この作品は、プロローグからエピローグまで独特なピンと張り詰めたような緊張感が続く。 おそらく、現代とは異なり、この時代にはより厳しく禁じられていた同性愛が物語のテーマになっているからだろう。 マリアンヌとエロイーズの互いに抗えない気持ち。 エロイーズが抗うことの出来ない自身の運命。 この対比も独特な緊張感に繋がる。 こうしたなか、マリアンヌとエロイーズが画家と肖像画のモデルという関係を超えて接近し、気持ちが変化する様は、切なくも美しい。 作中で、引用されるオルフェとユリディス。 オルフェは振り返り、ユリディスは息絶える。 ユリディスは、オルフェに振り返って欲しかったのではないのか。 エロイーズは、ユリディスを自分に重ねたのではないのか。 抗うことの出来ない運命からは逃れられないと知っているから。 しかし、オルフェとユリディスの物語には続きがある。 息絶えたユリディスの後を追い、オルフェも自ら命を絶とうとするが、神はユリディスを生き返らせ、オルフェの元に返すのだ。 マリアンヌは、オルフェとユリディスの物語のように、エロイーズと再会できるのだと信じていたのではないのか。 だが、エロイーズはマリアンヌがそこにいると気付いていながら、涙を流し目を合わせようしない。 オルフェとユリディスの物語は男と女の物語だ。 神はこれを許しても、マリアンヌとエロイーズの愛を許さなかったのかもしれない。 燃ゆる女の肖像は、内面に燃えたぎる愛情を秘めた女性を表したものなのだろうか。 僕は、もしかしたら、この時代にあって、同性愛という禁忌を犯したものは焼かれるのだということを示唆しているのかもしれないとも思った。 時代背景、心の揺らぎ、運命、対比、引用された物語と似た展開と異なる結末が相乗効果と独特な緊張感をもたらす秀逸な作品だと思った。
圧倒的怒りと、束の間の(貴女にしか見せない)笑顔
《怒り》と(貴女にしか見せない)笑顔 --- 別れの瞬間、当人にしか分かり得ぬものを表現する。カンヌ国際映画祭脚本賞は伊達じゃない、流石のキャラクタースタディと構成力に唸る。けどそれを可能にしたのは、紛れもなく目が離せない主役二人の演技と演出による所が大きい。予定調和でなく二人の行く末が気になって仕方がない。日本語で言うところのシュールに変な緊張感が漂う。時にスリリングで、時に不思議とユーモラスですらあるという独特な空気感、作品を包む雰囲気が素晴らしい。何層にもなっていて考えさせられる。 《波》が高い ---- 主人公が自画像を描くシーンとラストカットは圧巻の一言で、本当に見入ってしまった。ポスタービジュアルにもなっている、火を囲むまさしく燃えるシーンもすごい。心をじっくりと時間をかけて開いていき、束の間の幸せの後に、性別/時代(= 女性であることの窮屈・不自由さ)や身分によって葛藤する様もリアル。安易な表現になってしまうが、もう出会うことのないと思っていた所から遂に見つけた情熱や命の炎。例えば本作が何年と明確に明示されていないのもと邪推したり、刹那、かくも魔力の虜になる。そうした普遍性故かも。どうしたら出来上がり?その時が来たら --- 28ページ P.S. 主人公二人はデイジー・リドリーとグレタ・ガーウィグに似ている 勝手に関連作『美しき諍い女』『キャロル』『君の名前で僕を呼んで』『モーリス』『マディソン郡の橋』
静物画、ヴィヴァルディ、オルフェ
静かに強烈な映画で全て正確に頭に刻印されました。流れる映像の1コマ、1コマ、どこを切り取っても美しい絵画になる完成度に心揺さぶられました。
紺碧の海から、静物画の世界に観客を放り込んでしまう監督の手腕が素晴らしい。台所、パン(到着後、空腹のマリアンヌが食べてたのすごく美味しそうだった)、チーズ、ワイン、銀食器、グラス、パイプ、暖炉、蝋燭、本(オルフェの話が、後にマリアンヌが描く絵と共にすごく効いていた)、楽器(チェンバロ)、花瓶に活けられた花やハーブ、刺繍、ドレスやベッドリネンといった布、鏡、椅子やベッドなどの家具、キャンバスに筆にパレット、トランプ。全部、静物画のモチーフだ。
屋敷の中に響くのはひたすら生活の音。木の床を歩く靴の音、水やワインを注ぐ音、飲む音、暖炉の薪がはぜる音、布が擦れる音、チェンバロの音色。
最初はやけに眉間の皺が深いエロイーズが、どんどん綺麗に美しくなっていった。マリアンヌは泳げる、煙草を吸う、重い荷物も持つし堕胎の経験もある。何より職業画家だ、ただ描く対象は狭められ、父親の名前で絵を描く。どこにもいつでも、北斎とその娘みたいなのが居るんだ、と思った。
見られる立場(自分の意志に関わらず結婚することが決められている)のエロイーズには拒否したり言い返す強さがあって、見る側のマリアンヌには非常な用心深さと繊細さがある。エロイーズをマリアンヌは緻密に観察し、そのマリアンヌを私達が見つめる。視線の重なりが覗き見のようで罪悪感を覚えた。
詩人でも画家でもないエロイーズは、描く対象が限られている女の画家であるマリアンヌに絵の素材を提供する。焚き火の炎をスカートに纏うことで、ソフィに堕胎の時の格好をさせることで、そしてマリアンヌを想いながら決してマリアンヌを見ない自分を見せることで。
エロイーズは、「夏」を聞いて感動し、涙を流し、口を開けて呼吸し、官能的な表情を浮かべ、最後は恍惚とした笑顔になり、視線は一切動かさない。自分は見られる側に徹する、私は妻を見てしまうオルフェにはならない、あなたを見たらあなたを失う、あなたのことを追想しながら私は生きていく、とエロイーズはマリアンヌを見ずに伝えた。
傑作、、になり損ねた作品って感じ
何だろうか?
海を利用したり祭りのシーンなどとても印象的なシーンがある
その反面ストーリーが少し弱い気がしたな
あと恋に落ちていくシーンなど心理描写が伝わってこない感じがした
両方とも根っからの同性愛者って感じではなかったので
おっかなびっくり駆け引きしながら落ちていくんじゃないの?
いきなりキスで肉体関係って感じだったのでそんな気持ちが湧いた
祭りのシーン燃ゆる女の所の音楽とかは好きだけど、、、って感じ
印象的なシーンではあるんだけどね
ただ、全体的には一昔前の貴族的な社会の生活を綺麗に映像にしてる感じもあり
良かったな
最後余計なシーン省いてもう少し何かあったら傑作だったかもね
残念な事に傑作になり損なった感じかな
でも、強く印象は残す作品でした
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