燃ゆる女の肖像のレビュー・感想・評価
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振り向いてはいけない
姉が亡くなり、急遽、修道院から呼び戻され、結婚させられる貴族の娘の肖像画を描くために、女性画家が呼ばれる。 この二人が恋に落ちる。 全体がとても美しい絵画のようで、うっとりと見入ってしまう。 草むらで三人の女性が立ったりしゃがんだりするシーンが好きだ。
燃ゆる女
オルフェウスは何故振り返ったのか?その意味について語り合う3人の女性。見るという行為の意味。 生理、祭り、堕胎と性と生に関係するモチーフ。赤ん坊と映る上からカットは実に絵画的である。堕胎を絵に残そうとする3人の想い。 母となってなお想いをはせる。身を投げた姉の想いと重ねてしまう。封じられた女の一生。暗黒に吸い込まれたオルフェスの妻。 燃ゆる女を描こうとした主人公の想いに心を寄り添う。
仕事早退、劇場直行。2本立て1本目。こうして女はLとなる。 いやに...
仕事早退、劇場直行。2本立て1本目。こうして女はLとなる。 いやに高評価だがお子ちゃま脳の私には無理だった。だってなーんにも起こりませんもん。幾度となく意識が遠のいた(笑) 美女2人なので、せめて官能シーンでも。来たっ!と思ったらすぐ翌朝ですやん。とんだ肩透かし。これなら昔見た日活ロマン「セーラー服百合族」の方がよほどドキドキ💓したぞ ・赤子の側の堕胎、やめようや。 ・燃える女。火傷はしなかった? ・白いエロイーズ(この名前もたいがい)は? やっぱフランス🇫🇷か、あからさまな日本人(東洋人)差別のある国の作品、もっと厳しい目で見ようではないか(笑)
心がザワつきます
静謐な画から伝わる生々しい情動。エロイーズがとても綺麗、純粋で正直で、他者は勿論自分もごまかさない。ラスト、マリアンヌを見ることなく涙を流す彼女の恋は、愛に変わることなく永遠に失われないのだろう。
結ばれる事のなかった人たちの為にも…燃ゆる愛の肖像
今世界中で掲げられているSDGsの中に“ジェンダー平等”とあるが、決してタイムリーに狙った作品などではない。
燃ゆるような激しさと内に秘めた繊細さ、悲しくも美しい、愛の物語。
18世紀のフランス。
画家のマリアンヌはブルターニュ地方の孤島の屋敷に住む貴婦人から依頼を受ける。それは、結婚を控える娘エロイーズの肖像画を描くのだが…、
エロイーズにとって望まぬ結婚。これまで依頼を受けた画家たちは満足いく肖像画を描き上げられなかった。
そこでマリアンヌは正体を偽り、散歩のお供や話相手として近付き、画を描く機会を伺う…。
肖像画は微笑みとか、そんな“顔”が多い。しかし、お嬢様は笑わぬ。微笑み一つすら見せぬ。これで結婚用の肖像画など描き上げられるのか、予想以上の難依頼。
マリアンヌ自身も画家としての自分に葛藤があるのか、エロイーズほどではないが、あまり笑顔を見せない。何処か似た者同士。
エロイーズが心を塞ぐのには理由が。姉が居たが、亡くなり、その姉の結婚話が繰り上がって自分に。あの時代、親が決めた事には逆らえない。
だからせめてでも、島で自由奔放に振る舞う。それがまた何処か哀しく映る。
海辺を散歩したり、他愛ない話をしたり、少しずつ距離を縮めていく2人。
マリアンヌは画を完成させ、正体を明かし、画を見せるのだが…、
エロイーズは“私の本質を捉えてない”と一蹴し、マリアンヌは画を潰してしまうが、エロイーズは自らモデルになると申し出、マリアンヌは書き直す事に。
マリアンヌが島に滞在出来るのは後数日。
婦人が諸用で屋敷を外し、残ったのはマリアンヌとエロイーズと女中。
トランプで遊んだり、お酒を呑んだり、妊娠していた女中の中絶に立ち会ったり…。
絵画作業も続く。画家とモデルとして、キャンパスを挟んで見つめ合い、音楽や文学など話をしながら親密な関係を深めていく。
ある夜、島の女たちが集い、歌う祭り。
それに魅せられた2人は焚き火の中、官能的な視線を交わし、洞窟の中で初めて一夜を共に過ごす。まるで、初めて会った時から愛し合う事が決まっていたかのように。
笑わぬ2人が笑顔を見せ合うように。
書き直した肖像画も完成まで一筆。が、それは、2人の別れを意味していた…。
時は18世紀。今と違ってLGBTに理解など無かった時代。
決して結ばれる事の無い女性2人の情愛を、監督セリーヌ・シアマと主演のノエミ・メルラン&アデル・エネルが思い入れたっぷりに体現。
前述したが、静かながら、内に秘めた想いは、燃ゆる炎の如く激しく。
まるで絵画のような映像! 美しい島の風景、香り立つ官能の匂い、赤や緑など色を強調した衣装、島の女たちの歌は力強く印象残り、ヴィヴァルディのクラシック名曲が2人の愛の感情を高め、マリアンヌが時折幻想で見る白いローブ姿のエロイーズは神々しくも。
全てが緻密に作られ、監督セリーヌ・シアマの類い稀な才覚を感じた。
本作は単なる芸術作品ではない気がした。
セリーヌ・シアマが世界中の女性や愛へ想いを込めて。
ラスト、マリアンヌは2度エロイーズと“再会”する。最初の“再会”は意表を突く形だが、“28ページ”が2人の愛を繋ぐ。
そして、最後の“再会”。切ない。あの時代、ああする事しか出来なかった。
エロイーズ役のアデル・エネルと監督のセリーヌ・シアマは元パートナー。そう思うとエロイーズを捉えた視線(=映像)、あのラストなど意味深で感慨深いが、何も個人的感情だけではないだろう。
今は全ての女性たちが自由に愛を謳える。
振り返って。
結ばれなかった人たちの為にも。
再会とは長く会っていない者が年を経て会い、語り尽くし懐かしむそして...
再会とは長く会っていない者が年を経て会い、語り尽くし懐かしむそして、再び別れがやって来ると解釈した場合、この最後の再会についての自論は、この先お互いが自由に時間を作りいつでも会いましょう、オルフェは描く事で封印し私達は新たなるステージに立たせてもらいます、湧き出る涙は時代と対決しても構わない決意だと勝手に自分で解釈させてもらいました。名作です。
タイトルなし
絵は二人にとって結局何なのだろう。二人の気持ちを映す鏡。絵は間違いなくあとの方がいいことがわかる。それぞれの忘れられない表情を伝え合うシーンは美しい。 身体に刻まれた一瞬の記憶。後悔より思い出すこと。あまりに切なくて美しい。
かしこさ
不遜なことかもしれないが、映画レビューに「めちゃめちゃ面白かった」と「好きすぎる」を見ると、なんか日本人やべえなと思う。 むろん、これは、ブーメランにもなりえる、じぶんを差し置いた失礼な意見だが、あなたはオンラインに居並ぶ何億もの「かわいい」に辟易したことはないだろうか? tomatoesのレビューや海外のyou tubeのコメント欄にsuper cuteとかの一語コメントが100も200も並んでいるだろうか。 わたしはえーごをよくわかっていないが、かれらは各々もっと独自性のあることを言っているはずである。 対してわが国の一般庶民の感想というものが、その識字率や教育程度にかかわらず、率直に言ってボキャブラリーが貧困すぎるうえに、画一的だと思えてしまう──ことはありませんか? なぜこれほどまでにパーソナリティーの欠如した意見が、駄々並びしてしまうのですか?「かわいい」「めちゃめちゃ~」「好きすぎる」・・・1億2千万人も擁していながら、全員が365日かんぜんに一致した言動をしちゃっているのを、ふしぎにお感じになりませんか? マスコミが大衆向けに喧伝しようとして使う用語が、幼児化することがある。 (カーリングのことはよく知らないが)カーリングは競技時間が長くなるので、中継ぎ時間が設けられる。平昌(オリンピック)で、日本の女子カーリングチームが、その中休み時間に甘味を摂った。それをマスコミが「もぐもぐたいむ」と呼称した。 マスコミが言うところの「きれいすぎる」カーリングチームが「そだねー」と言いながら、「もぐもぐたいむ」にお菓子を食べていた──わけである。 わたしはかのじょらもマスコミも、ばかに見えてしかたがなかった。ばかに見えませんでしたか? 映画もドラマも、オリンピック中継でさえも、それを見て、日本・日本人が幼稚だと思えてしまうことが個人的にはある。その幼稚が、ある種納得できるのは、レビューサイトに居並ぶ、画一的なコメントがあるからだ。 日本国民に「もぐもぐたいむ」が受け容れられてしまうのなら、日毎「かわいい」を連呼する、まったく同じ感想をもつにんげんしか見ていないのなら、メディアが幼稚でもかまわないじゃないか──という感じである。 さらに、それは日本のクリエイターにとって利運でもある。なぜなら「かわいい」や、だいたいなクオリティで満足させられる大衆相手に、際立った才能は必要がないからだ。どうでもいいものをつくったとしても人気者を配すれば「かわいい」との評価でおさまりがつく──わけである。 ほんとはどうだろう。すこしは批評精神を持った大人だって映画を見ているのではなかろうか。なんらかの独自視点をもったにんげんが、映画をみることだって、あるんじゃなかろうか。 わたしはこまっしゃくれた山の手の文化人を嫌悪しており、旬○や秘○とかに批評を掲載しているわが国の伝統的な権威主義評論家が日本映画をダメにした因子だと思っているが、とはいえ、庶民の「かわいい」「めちゃめちゃ~」「好きすぎる」をもって映画が批評できるとは思わない。庶民派でありたいと思うし、権威はきらいだが、あるていどの批評精神は必要だと思う。 これらの感慨を海外のすぐれた映画を見たときに、反面的に痛感することがある。ヌリビルゲジェイランやアンドレイズビャギンツェフやアスガーファルハディ、アブデラティフケシシュ、ナディーンラバキ、グレタガーウィグ・・・多様な心象をあつかった映画を見たときに、なんの脈略もなく「日本人てあんがいばかなんじゃなかろうか」と思ってしまうことがある。どうだろうか。わたしたち日本人は理知的な民族です──と、その根拠となりえる映画をつくっているだろうか。さらにそれを正しく評価できる観衆が日本にいるだろうか。 むろん日本には世界に誇るアニメ文化やキャラクター文化はあるけれど、作り手にも見る側にも、なんか不実のようなものを感じてしまう──ことがある。 本作はパラサイトがなければカンヌも獲っていたが、他の映画賞も多数獲っているものの、それらの賞のことは、まあどうでもいい。 孤島と絶景と、レズビアンロマンスと18世紀と二人の女の繊細な心の動きのリアリティ、その顛末が息を呑むような密度で描かれている。話自体が格別にユニークでもあり、見たこともない映画体験だった。 監督はフランス人のセリーヌシアマ。この映画ではじめて知った。女性である。どうだろうか。この女流映画監督と日本の(「セクシュアリティあるいはジェンダーがゆらいだ瞬間が映っていること」をテーマとした)「21世紀の女の子」は同じ映画監督の土俵にいると見なすことができるだろうか? ガーウィグやラバキや、クロエジャオや「はちどり」や、このセリーヌシアマ監督を見て、それでもわれわれは「女子」や「かわいい」によってクオリティがスポイル(容赦)されうると、考えるだろうか? 映画は「女であること」を弁解していないにもかかわらず、また現代にはびこる狂信なフェミの叫びとも無縁でいながら、250年前の同性どうしの出会いと別れについて雄弁に語っていた。
計算された情緒に醒める事もある‼️❓
映画館で観たら違う感覚で受け入れられたのかもしれませんが、何故か、入り込めない。 自然光と雑音の中ですので、展開よりも先に、彼女たちが魅力的に感じない、絵が下手に感じる、とか、予断が入るのですね。 最後の数分間は、ある意味、計算され尽くしていて、あざとい、引き込まれながらも、醒めてしまう。 観るものからすれば、再会に感激してるのか、無視されたのか、何も知らずに観劇で感動してるのか、全然違うのか、含みを持たせた演出は見事です。 だから、そこまで無表情にしてたんだ、芸術的などんでん返しでもある。 あー、映画館で観たら感動したんだろうな、車と草刈機の喧騒と窓の外はカラス、さて、私の感性が低いのであろうか、残念。
女性が感情を出せない時代の
女性が感情を表に出せない時代の恋愛物語です。
全編にわたって「静」が強めで進行します。
なので、映像を含め起伏を好む方にはかなり苦痛な時間になるんじゃないかと思います。
個人的に後半に向かってもっと激しい感情の揺さぶりが描かれるのかと期待したのですが、思いの外あっさり終わった感があります。最後にそれぞれの感情のすれ違いを描いて終わるのですが、その点は気に入りました。
女性の色々な感情が描き出されていると思った
ものすごくよかった 女性の色々な感情を描き出していて、 恋やそれにまつわる色々な感情、 激しく燃えて終わりを迎える。 恋愛の女性側を、女同士で合わせ鏡のように、 二人を使って色々なところを見せる。 映像もとても綺麗で、 西洋画のシーンとして全て切り取ることができるような映像になっている。 同じく恋愛を題材にした 花束みたいな恋をしたと比べると 深さがまるで違う。 花束みたいな恋をしたの方が、すごくインスタントな感情しか描かれていない。 インスタントなインスタの画像と、コンテクストが深く作り込まれた絵画との違いのような。
18世紀のフランス、ブルターニュの孤島。 画家のマリアンヌ(ノエミ...
18世紀のフランス、ブルターニュの孤島。
画家のマリアンヌ(ノエミ・メルラン)は、孤島の領主である伯爵夫人(ヴァレリア・ゴリノ)から娘エロイーズ(アデル・エネル)の肖像を描く依頼を受ける。
自殺した姉に代わって、ミラノのさるお方のもとに嫁ぐことになったエロイーズ。
前任の男性画家には最後まで顔を見せることがなかったことから、伯爵夫人は、マリアンヌをエロイーズの散歩友だちと偽って、散歩途中の観察に基づいて肖像画を描くことを提案する・・・
というところからはじまる物語で、三人に加え、若いメイドのソフィー(ルアナ・バイラミ)を加えた四人で展開される。
18世紀の女性たちの抑圧された愛と葛藤を描いた物語は古典文学の趣があるが、セリーヌ・シアマ監督によるオリジナル脚本。
カンヌ映画祭で脚本賞を獲得したのも、そのあたりにあるのでしょう。
個人的には、物語よりも演出的に驚かされたところが多々ありました。
最初の散歩で断崖に立つふたりを横から捉えたショット。
並んだふたりは互いに相手の顔を見ようと顔を振り向けるが、互いに視線を交わすことがない。
マリアンヌが描くエロイーズの最初の肖像のシーン。
なにかしらいつも抑圧され、憮然としていることの多いエロイーズでありながら、描かれた肖像は健康的で若さに溢れるもの。
エロイーズ(=健康的な、の意)の名前そのものから、「規律、しきたり、概念・・・ そういうものが肖像画には求められる」と職業画家として語るマリアンヌに対して、「この肖像は、わたしに似ていない。あなたにも似ていない」と言い放つエロイーズ。
こころを見透かされたマリアンヌは、肖像の顔の部分を布で拭き消してしまう。
この消された肖像のショット。
島の祭の夜。炎を前に歳老いた女たちが歌う島の歌。
炎を挟んで互いを意識するマリアンヌとエロイーズ。
炎に近づきすぎたエロイーズは、ドレスの裾に炎が移っていることに気づかず、立ち去ろうとするが、そのとき、炎に気づき昏倒してしまう。
昏倒したエロイーズに手を指し伸ばすマリアンヌ。
その手が・・・岩場でのふたりの手につながるジャンプカット(ここがいちばん映画的で驚かされました)。
エロイーズと深い仲になったマリアンヌ。
ミラノに嫁ぐエロイーズは、マリアンヌにとっては、失うことが約束されている存在。
幾度もみるエロイーズの幻影。
その姿は、冥界に残されたオルフェウスの妻エウリュディケーのよう。
マリアンヌが島を去る際に一声かけるエロイーズ(その姿は映らない)。
振り返るマリアンヌ。
繰り返されるオルフェウスの物語・・・
そして、ミラノの劇場の二階桟敷席。
向かい側の桟敷席からエロイーズを見出したマリアンヌ。
マリアンヌはエロイーズを見つめているが、エロイーズは決して振り返らない・・・
その長い長いワンショット。
どこかしらにまだるっこしさも感じる映画なのですが、取り上げたような傑出したシーンがあり、「傑作」といって差し支えない映画でしょう。
また、撮影の美しさも相まって「秀作」「良作」ともいえる映画でしょう。
肖像画を描くこと、他者を知ること
静かな映画だ。ともすると、眠気を誘われるほどだ。しかし、美しい映画だ。キャンバスに線を描くシーンから始まる本作は、物語の進行と共にその線を太くし、色彩を加え、絵画の如く観る者を引き込む。 肖像画を描くということは、他者を知ることであると同時に、その人物への愛無くして描けない。その者を知れば知るほどに描く筆は進み、白いキャンバスに魂が吹き込まれていく。しかし、それは拭ってしまえば消えてしまう程に儚い。メインとなる女性画家と肖像画のモデルとなる女性との掛け合いは叙事的に描かれるが、使用人の女性のエピソードが加わることで、この時代の身分や性別がどのように扱われてきたかの輪郭が明瞭になる。 束の間の5日間で起こる様々な出来事は、それまで息もできなかった登場人物たちに一時のい安らぎを与えるばかりか、人間らしさを感じさせるシーンとなって機能する。それであるが故に、その5日間が過ぎた後での展開の速さに乾いた哀愁を感じざるを得ない。 肖像画が描き終わることで物語にも結末が訪れると思えたが、その後の展開にこそ本作の真髄が感じられる。冗長とも思えた物語の全てに、すべてのシーンに意味があったと感じさせるまとめ方の巧妙さは言うまでもないが、一枚の絵画に隠されたメッセージとその後の2人の視線の行方は本作の魅力を一層特別なものに昇華させている。
良作。あとは好みかな。
評価がそこそこだったので、あらすじをよく読まずに行ってしまった。 あの時代ということと、感情を表に出さない二人だったから尚のことかもしれないが、あまり感情移入出来なかった。 良作だと思いますが、個人的には好きな作品ではなかった。ちょっと暗かったというのもあるかな。
エロイーズ
本当にこの魅力はなんだろう。しばらく顔を見せず、崖をあるきながらようやく振り返るときに初めて見るその顔をあ、こんな人、なの、と思うんだけど、最後のビヴァルディを鑑賞する顔に行くまでにはとても陰影の深い顔になっている。芸術を見て感動するとき、これはあなたが思っていた、感じてきたこととを更新するもの。
美しい、完成度の高い作品
とにかく画面が美しい。 構図と、色調のバランスがとても綺麗だ。 どのシーンを切り取っても格調高い絵画のようです。 アートを媒介としたこの映画じたいが、立派なアートだと感じました。 それから音楽の使い方がひじょうにうまい。 無駄なBGMはいっさいなし。 それだけに要所要所に流れる音楽がグッと感情を揺さぶる。 もちろん登場する女性たちも綺麗です。 緊張感のある画面の中の美しい女性たちを観ているだけでも僕はしあわせでした。 で、ストーリーは、というと、正直、途中から「ちょっと退屈やなぁ」と思って観てました。 そんなエッチなことばかりしてて、ちゃんと絵が描けるんか、もっとマジメにせんかいや、と。 でも、終盤やられましたね。 肖像画の中の「お嬢様」と再会する場面には、思わずニンマリ。 ラストは……そう、この映画は、このラストを観るためにあるのです! 観終わったあと、「もう1度観たい」と思っている自分がいました。 追記 そしてもう1回観に行きました。
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