名もなき生涯のレビュー・感想・評価
全59件中、21~40件目を表示
寡作だった作家の豊かな語り口。
かつては寡作で知られていたテレンス・マリック監督ですが、ここ最近はかなり制作ペースが上がっています。何か心境の変化があったのでしょうか?マリック監督は最初期の作品から近作まで、比較的作風が一貫していて、それは例えば、信仰と人間の業、自然に包摂される人為といった二項対立を、人工光に頼らず描き出す、といった形で示されます。主題は時に内省的な傾向を強めるため、時には『ツリー・オブ・ライフ』の宇宙創生の描写のように、観客はおろか演じている俳優にも理解しきれない領域に達してしまいます。
翻って本作の主題は(こう言っては失礼かも知れませんが)、表面的にはマリック監督作品として異例なほど明確です。圧倒的な権力を握るナチスを前にして、配偶者にも理解しかねるほどに自らの信念を貫き通す無名の農夫フランツ、そして彼やその家族の存在を疎ましく思い、助けるどころか排除しようとする住民達、そうした不穏な状況下にあっても天使のように愛らしい娘達。信念に基づいた選択がどのような状況をもたらすか、誰の目にも明らかな状況でなお、フランツは引き返そうとはしません。
全てを犠牲にしてまでも信念を貫き通すフランツの真意は何か、実は主人公フランツの内面こそが本作最大の謎なのですが、その鍵を監督は、最序盤と幕切れでそれとなく示唆しています。その表現手腕に脱帽しました。本作を鑑賞後、マーティン・スコセッシ監督の『沈黙ーサイレンスー』(2016)を見直したくなりました。
偶然とは思いますが、コロナ禍で感染者や特定の地域の人々が攻撃されたり排斥される状況、そして米国における人種差別に対する抗議運動という現状を鑑みると、本作のフランツやその一家と同じ境遇にある人々が世界各地で生じているのでは、と思わずにはいられませんでした。
第二次大戦を別視点から
機械的なことを言えば、超ワイドレンズで俯瞰しながらの撮影は今でこその技術。緻密な構図が美しい背景をよりひきたたせている。地をはうような農民の生活もリアルだ。
鑑賞しながらまさにサウンドオブミュージックと重なった。妻から山に逃げましょうと言われるが、そらは現実的に不可能なこと。
それにしても何度となく許されて釈放(と言ってもドイツのもと労働は強いられるが)のチャンスはあれど頑なに拒否。自分に置き換えるとそもそも拒否すらせず心は従わないなんて嘘をついても生き残るんだろう。最後のチャンスにも夫の決心を見て取った妻すら引き止めない。
名も無き英雄はその功績すら残っていないが、きっとこうして映画で取り上げることで残っていく事を信じたい。
良心的兵役拒否
がテーマだったんですね。良心的兵役拒否は刑事事件取り調べに対する黙秘権より、更に更に更に細い個人主義。「良心的兵役拒否権を宣言します!」なんて言っても、屁の突っ張りにもなりませんし、実際ならなかった。
名もなきレジスタンス達のおかげで世界は、それほど悪くなっていないかも知れない。い?ですか?
なんかなぁ。
やっぱり、屁の突っ張りにもなってへんのじゃないかと。少なくとも徴兵制のある国々においては。最後の、メッセージは、もっと力強いもんが欲しかったです。
画、音楽、台詞無しの演出は好き。で、なんと言ってもアルプスの山間の風景が最高でした。
と。
あの時代にナチス相手に相当な譲歩を引き出した弁護士さんがいたとしたら。凄いとしか言いようがありません。これが最大の驚きでした。
----------
暇に任せて追記(4/9)
映画"ハクソーリッジ"の主人公である、デズモンド・ドスも良心的兵役拒否者とされています。彼はセブンスデー・アドベンチスト教会の敬虔な信者であり、宗教上の信条に基づき、銃を手に取る事を拒否し、衛生兵として陸軍に志願。太平洋戦争の最中、沖縄戦に参加しています。
イスラエルは女性にも徴兵制が適用される国です。自国のパレスチナ占領政策への反発から、男女ともに兵役を拒否する者が後を絶ちません。罰則として懲役が科されますが、10日間の禁固刑等、その罰則は軽微なものです。イスラエルの場合は政策への反発であり、宗教上の信条と言うよりも政治的な思想、イデオロギー色が強い様です。
この映画の中で、兵役拒否の理由を問われたフランツは、最終的に「直感だ」と答えます。直感で、ナチスが行っていることは正しくない事だ。正しくない事には参加できない。
第二次世界大戦で、オーストリアはナチス側に付きました。それが連合国側であったとしても、フランツは拒否していただろうか?
もしも身近に、レジスタンスが居たとしたら、フランツは参加したのだろうか?
病院勤務は人の命を助ける場所だが、ナチス側だから拒否したのだろうか?
フランツは死後、殉教者としてカトリック教会から列福されましたが、彼はそれを望んだであろうか?
何か、直感だけど、全部 "NO"(拒否した)だと思うんですよね。Hidden Life とは、政治的なイデオロギーからでも無く、宗教上の信条からでも無く、直感的に自己の正義に反すると感じた軍隊と戦争に対するレジスタンスを貫き通した男の、命の掛け方の物語。
俺は武闘レジスタンス派ですけどね。命を懸けるなら、ナチス将校狙いのテロリストじゃね。いや、テロリストをかくまう宿屋のオヤジってとこか、逃走を手伝う山岳ガイドとか、偽造パスポート屋、手りゅう弾を作る武器工房のオヤジでも良いし、って。何で、ここで妄想はじまんの、俺?
ジョージ・エリオットの言葉に泣けてくる
ずっと広角レンズなのだろうか、3D効果もあるように感じて目も疲れてくるのですが、中盤以降は慣れてくる。広大な自然の描写は心地よいのですが、家の中までこれだから目が人を追い続けると3時間弱の長尺はかなりつらい。
まずは退役軍人のための募金を頑固に断るフランツ。ここから村人たちの冷たい視線、やがて村八分のような扱いになる家族。だけど幼い3人の娘はいじけることなく、無邪気のままなのだ。「召集令状きちゃったよ」などと会話する村人たちの苦渋の表情も痛々しい。何しろ、祖国オーストリアのためじゃなく、ナチスドイツのために戦場に駆り出されるのだ。
道を歩けば石を投げられる、水をかけられるという嫌がらせを受けるフランツと妻ファニ。戦争が終わるまで耐えればいいんだという思いも儚く、フランツにも召集令状が届く。村の神父なんかも「国のために」などという言葉を使うが、あくまでもナチスに屈服することを拒むフランツ。そしてドイツへと赴くも、手を挙げなかっただけで投獄。そこから夫婦の書簡のやりとりが続くといったストーリー。
手紙を検閲されないだけでも日本よりも自由が感じられるのですが、愛情と信念の狭間で苦悩する心も伝わってきて、重厚さが増してきました。何度も弁護士から告訴取消しのサインを催促されたり、「誓いの言葉は形式だけだから」と説得されても、信念を曲げなくなったフランツ。ほんと、見てるだけで折れそうになるほど懐柔策が取られるのですよ。3時間の長尺のため、頭がくらくらしそうにもなりつつ耐えました!
終わってホッとする中、ジョージ・エリオットの言葉が最後に流され、こうした名もなき人のおかげで今の平和な世界がある云々といった内容に感動してしまいました。敢えて人を殺さない道を選ぶことが、当時の状況としては異例なこと。何も宗教的な面だけじゃなくてもいいんだけどな。
神の沈黙、聖書の善悪、カミュ、フーコー、ハンナアーレンと、かなり哲学的
ナチスドイツの勢力下にある町でみんなが出兵していくなか、それでも一人だけ頑なにヒトラーに忠誠を誓うことを拒み続け、家族や自分が周りから酷い扱いを受け、やがて捕まり、一度忠誠を誓えばそれで助かる状況下に置かれながらもそれを拒み死を選んだ男の話。
前半はわかるのだが、後半は窮地に立たされすぎて自分なら完全に根負けしている。
彼は死刑になるか解放されるかの瀬戸際に立たされた際、殆どのナチス側の人間から
「一回言えばいいだけだから、こんなんは口約束だから!今だけだから!」
と言われる。
ここでわかるのはナチス側の人間もヒトラーを完全に崇拝していたり信仰している訳ではなく、権力構造上しかたなしにヒトラーと「契約」を交わしている訳だ。
彼らはその際、主人公の神や善を否定している訳だが、どちらかというとそんな彼らの方が現代のニヒリズムやらシニシズムやらリアリズムやらの思想や思考に近いのではないかと思う。
そこがこの映画を日本人に難解なものにさせる。
テレンスマリックの映画は敬虔なクリスチャン的な西洋思想に根付いているので、日本人には分かりづらい描写や思想、思考が多く見られんじゃないかなぁと常々思っているのだが。特にこの映画はそうだ。
なぜならこれはベルイマン、タルコフスキーなどが描いてきた神の沈黙や聖書における善悪についての映画なのだ。
別監督の作品になるが、一番似てるなぁと思ったのがマーティンスコセッシの「沈黙」。
沈黙では敬虔なクリスチャンの司祭が日本で酷い罰を受け、一番位の高い自分が神を否定しないばかりに仲間を次々に殺されていく絶望を描いているのだが、そこでも日本人側から出てきた言葉が
「一回言えばいいだけだから、こんなんは口約束だから!今だけだから!」
と構造上のみの表面的な契約を何度も懇願する。
そしてこれを言わないばかりに犠牲になるのは周りの人間である。最終的に沢山の人間が犠牲になる。
西洋思想に疎かった自分からしてみれば、「はよ、妥協してまえよ!周りも口でだけ言えばいいって言ってんじゃん!一回言うだけだよ、それで周りの大切な人もお前も助かるんだよ!」と思いながらみていた。
なぜ彼はギリギリまで契約を交わさなかったのか。
ここで西洋の善と悪について「ダークナイト」を例にとる。
ダークナイトのジョーカーはサタンそのものである。
彼はあらゆる誘惑を用いて人を悪の道に陥れようとする。彼の「文明人なんてのは顔の皮一枚剥がせば野蛮人そのものさ。極限状態に陥れば、平気で醜いことをする」というセリフはサタンの思想そのもので、サタンというのは人間に絶望的なシチュエーションを用意して、君が俺と契約を交わせば君は助かるよ、と囁く。
ここで彼と契約を交わしたハービーデントは「ツーフェイス」という化け物に変貌していった。
ここで大事なのが「契約」を交わせば自分自身が気づかない間に化け物に変貌してしまうということ。
表面上でもなんでも、口先だけでも「契約」を交わしてしまうと、自分の心の中に「サタン」が漬け込んで気づかない間に自分も化物のような行動に出てしまうという恐ろしさを物語っている。日本的にいうと「言霊」がその人の人格を形成してしまうということに似ていると思う。
だから敬虔なカトリックというのはあれほどまでにストイックなのだ。「神の沈黙」というすべての苦難は神からの試練であるという考えも究極のマザヒズム的なストイックさだ。その厳しさと神との葛藤や憎しみなどがタルコフスキーやベルイマン作品の根幹にある。
だから彼らは折れない。(沈黙は折れちゃうけどね。)
そういう意味で本作の主人公は、ダークナイトのバッドマン(ジョーカーを殺さない)やハクソー・リッジの主人公(戦争で人を殺さない)のようにヒーローそのものであるのだ。生き方を曲げないことこそが善であることを体現している。たしかに、キリスト教が正しいとは全き思えないが、彼のように折れない人間が少数でもいてくれて抵抗してくれたお陰で悲劇は収束したのだろうし、彼のような精神が多くの人の心に根付いていたのならそもそも悲劇は起きなかったのではないかとも思う。
(ここで宗教の重要性とは個々人の道徳性の向上であり、現代も全く不必要なものではないどころか誰もが持つべきものだあることが理解できる)
不条理を受け入れながら死んでいくのは、カミュやサルトルなどの実存主義の思想に底通しているかのように思う。(実存主義自体ナチスの影響で現れた思想だし)
更にここではナチス側の登場人物自体が悪人という勧善懲悪として描かれておらず、システムや権力構造が悪を生み出すこと、それに飲み込まれた「普通の人々」が化物に変貌していったことが悲劇を産んだことも作品の中で誠実に描かれている。
これもフーコーの構造や監視が悪を孕むという思想や、ハンナアーレントの普通の人々が狂気に走る全体主義の構造についての思想に通じると思う。
上記より気がついたことは、聖書の思想というのは西洋のあらゆる哲学やら思想に深く深く根付いているのだなぁということ。そして映画というのはそれらの正しい使い方を教えてくれるということ。
見事に西洋思想について含蓄のある作品となっている。
良い父親なのか・・・?
さすがのテレンス・マリック監督です。
こんな映画が2020年に観れるとは思いませんでした。
今後良い戦争映画ってないような気がする。
もう誰も戦争を知らない世代になりそうです。
表題の通りですが、良い父親なのか判断できません。
残された家族はどーすんの?
とも思うし、
屈したら負けだよね・・・とも思う。
自分なら家族を守るほうになるかも・・・自分は弱いのか?
責めないで欲しい。
無名人の偉大な生涯
久しぶりに約3時間の長編映画を見た。退屈するどころかラスト1時間は感動的だった。第2次大戦中、ナチスに抵抗すればどうなるか。そんなことは百も承知しつつ自分の主義を曲げない男。その彼を支える妻との不屈の物語。
アルプスの山岳風景がスクリーンいっぱいに広がり、特に霧がかかったシーンはとても美しい。そんな牧歌的な農村にも戦争の足音が忍び寄る。主人公が徴兵を拒否すると、村人からの蔑視と同調圧力が強まり、国家権力と個人の自由とのせめぎあいが続く。たいてい個人の側が大勢になびくものだが、この作品では蟷螂の斧となっても個人を貫く主人公が力強く描かれている。
歴史とは有名な人だけが語るものではない。無名の人の語られない事実の積み重なりであることをこの作品を通じて知らされる。
戦争の裏側で、家族への愛情VS自分の信念
第2次世界大戦時のオーストリアで、徴兵とナチスヒトラーへの忠誠を拒み続け自分の信念を貫き通した実在の農夫とその家族に巻き起こる出来事を映画化したヒューマンドラマ。
台詞が少なく、説明も少ないが、映像描写でだいたい何となく分かるが、淡々と上手くいかないことが続くので、中弛みがある。
オーストリアの山と谷の自然に囲まれた美しい景色の村で、農夫フランツとその妻と3人の娘と明るく楽しく幸せに暮らしていたが、戦争が全てを破滅させてしまった。
ヒトラーの忠誠を拒んだことで収監された農夫フランツは非国民扱いされ(日本の戦時中のような)、妻も非国民の妻として村人たちからひどい仕打ちを受ける。
上映時間は3時間と長く、終盤までは同じようなシーンが続く。すごい免罪符をぶら下げられても、決して信念を曲げることはない。妻や娘たちへの愛情は自分の信念を貫くことで理解して欲しい、、、家族かギロチンか、率直な意見として、いや~これは理解できないな~。
大自然に囲まれ、風の音や川のせせらぎ、鳥のさえずりの穏やかな日常が静かに進むなかで、戦争の苦しみや哀しさがヒタヒタと聞こえてくる、戦争映画だけどその裏側みたいな作品。
【”手足は縛られても、心は縛られない。” 信念を貫き通した男の姿を美しいオーストリアの山岳風景を背景に描き出す。有機的集合体の全体意思に抗う難しさが、逆に男の姿を崇高に表現した作品でもある。】
ー オーストリアの山岳地域で生きる男の信念:罪のない人を殺める事は出来ない・・。ー
・愛する男の信念を貫く姿を、懸命に心の葛藤を抑え、村人達からの誹謗中傷に耐え、支え続ける妻の姿。
男を心配する母親。陰ながら支える僅かな人々。
・舞台は、第二次世界大戦中のオーストリア山岳地帯の小さな村。人々は斜面の草を刈り、干し草にして家畜を育て野菜を収穫する日々。
が、村の男達に、大戦拡大に伴う招集令状が届き始める・・。
■この作品が観賞中に心に染み入ってくる幾つかのシーン
・男が聖人として描かれている訳ではなく、妻や娘たちを心から愛する普通の男である事。
(あの、目隠しをしながら斜面で鬼ごっこをする幸せそうな家族の姿。)
そして、揺れ動く心を隠すことなくフランツを演じたアウグスト・ディールの沈鬱な横顔。
・夫の行く末を案じ、村人の冷たい視線に傷つきながら、3人の娘をきちんと育てる妻ファニをヴァレリー・パフナーが気丈に演じる姿。そして、彼女をえる姉とフランツの母との強い絆。
・村人たちも、村長を含めた数名以外はどこか後ろめたさを漂わせている。(テレンス・マリックの為政者に対する鋭い視点が垣間見える。)
などが、抑制したトーンの中で、きちんと描かれている所である。
・更に、反逆罪で捕らわれた”罪人”達が高い壁に囲まれた収容所に収容されている場面でも、他の罪人達が不安から壁内を物憂げにうろつく中、フランツは空を見上げている。ファニも近き山の上に広がる空を見つめている。
・フランツに死罪が言い渡された後、人払いをし、フランツにある言葉を呟くドイツ軍判事の姿。(ブルーノ・ガンツ:言わずと知れた名優。彼の名優の死は実に残念である。)
・山の風景も時に穏やかに、時に黒く湧く雲で覆われたり、二人の置かれた状況の反面鏡のように表情を刻々と変えていく。
<最後半、フランツが子供達に宛てた手紙の文面がモノローグで流れた場面では涙が滲んできてしまう。
”ママがこの手紙を読んでくれる頃、パパはもういない・・。でも神様の恵みで、又会えるよ・・。これからは、お祈りする時には僕のことも忘れないで・・。”
そして、エンドクレジットで流れたイギリスの”今やほぼ無名の作家 ジョージ・エリオット”の文章
- 世の中の善は、突出した英雄だけではなく、名も知れぬ平凡な人達が”揺るぎない信念を持って”より良く生きていることに支えられている。 -
というフレーズを観て、とても救われた気持ちになった作品。
舞台は第二次世界大戦中であるが、”現代の状況を鑑みても”、重い命題を私たちに突きつけて来る素晴らしき作品でもある。>
夫婦の気高い精神性
人はきれいごとに弱い。正論に弱いと言ってもいい。だから人を従わせようとする者は、常にきれいごとや正論を口にする。極東の小国に居座る暗愚の宰相がその典型だ。アメリカの言いなりになって武器を買わされることを平和のためと強弁する。そして積極的平和主義などと意味不明のスローガンを口にする。そんな意味不明の言葉でも、普段から自分で物を考える癖がない人は、平和のためと聞いて頷いてしまうかもしれない。最近は新型コロナウイルス対策が評価されているようで、安倍政権の支持率が上がっているらしい。森友疑惑、加計疑惑、桜を見る会疑惑のすべてについて何も説明責任を果たしていないにも関わらず、支持率が上がる理由がわからない。日本は不思議の国だ。
本作品に登場する村人たちも、ご多分に漏れずナチの言い分を正しいと思ってしまう。家族を守る、祖国を守るなどと言われると、それが正しいことのように勘違いするのだ。ドイツのヒトラーがオーストリアの自分たちを守ってくれると思わせるほど、ナチのプロパガンダが巧みだったということもあるだろう。
山間の農村らしく斜面の描写が沢山あり、全体に暗めの映像が続く。明るい太陽の下で見渡せば、おそらく美しい光景なのだと思うが、映画はあえて全体を暗く映し出す。暗い畑に対して、その向こうにそびえる高い山は明るく、神が主人公たちを見下ろし、見守ってくれているようだ。
主人公フランツは平凡な農夫で、妻と3人の娘たちとシンプルに幸せに暮らしている。彼には自分で物を考えることができるという、ある意味で不幸な才能があった。他の人々にはないこの才能のおかげで、どうしてもナチに賛成することができない。加えてフランツには自分の尊厳を守る勇気があった。
村人たちは自分で物を考えるフランツが気に食わない。村長をはじめとする、自分でものを考えない人々には、フランツが理解できない。そもそも他人の人格を大事にするフランツは、自分からは殆ど何も主張しないのだ。しかし抵抗はする。ガンジーがしたのと同じように、自分の精神の自由だけはどこまでも譲らない。同調圧力にも屈しない。そんなフランツの自由な精神もまた、村人たちには気に食わない。そしてフランツとその家族に不利益を齎そうとする。
我々はどうか。フランツを非難し、その妻に冷たくした村人たちと同じレベルではないだろうか。自分で物を考える癖がない人々がナチを支持し、安倍政権を支持する。我々が明るい太陽の下で見ている現実は、本当は本作品と同じく暗い光景なのかもしれない。
妻と3人の娘を大切にしながら淡々と生きるフランツに、ついに召集令状が届けられる。そして物語が進む。
降りかかる多くの災いに耐えて信念を貫く夫と、その夫を信じ、無事を祈る妻の毅然とした生き方には頭が下がる。夫の勇気を尊敬してあらゆることに耐える妻。自分を責めた女性が困窮しているのを見て野菜を分け与える妻。この夫婦の気高い精神性にとても感動した。人間の尊厳は勇気に支えられているのだと改めて思う。
2020年ベストムービー!⭐️✨
ワンカット、ワンカットがまるで絵画のようで美しく、場面が切り替わるごとに、その画の美しさに気が入ってしまい、作品の物語に没頭出来ない…そんな贅沢な作品でした(笑)
*この作品のテーマにあるように、私たちの歴史や人生は、名も無き人たちのかけがえのない営みや努力・犠牲があるからこそ、成り立っているのだと、考えさせられる尊い作品でした。
そして、私たちがまたそうあるべきなんでしょう…。
正義を貫くことの意味を問うマリックの到達点
これは凄い作品だった。『ツリー・オブ・ライフ』以降、ハイブローな作品を撮り続けてきたテレンス・マリックが魂をダイレクトに揺さぶる大傑作を作った。
オーストリアの山と谷に囲まれた美しい村、そこに在る自然を信じられない程の奥行きをもってとらえた映像に圧倒される。まるで楽園だ。そこで暮らす主人公フランツとその家族たちの幸せの情景が強い説得力を持った。
幸せの絶頂にあった彼らが戦争の渦に巻き込まれていく1939年。オーストリアの山に住む農夫たちにも容赦はなかった。1943年、ヒトラーへの忠誠を拒んだフランツは収監されベルリンへ。
ひとは正義のために死ねるものなのか?家族をも犠牲にできるのか?
状況は何も変えられない。犬死である。
この作品は観る我々に嫌というほど考えさせる。自分ならどうしたのかと。
これはマリックの最高傑作といえる強靭な意志を持った作品。今年の外国映画のベストの一本だろう。
静かな「沈黙」
せりふ少なく説明も少ないので、神は信仰を持つものを助けてくれるわけではない、というテーマだとは言い切れないのだが、それが強く響いてきた。
スコセッシの「沈黙」は激しい映画だったがこれは真逆。(拷問シーンなどもあるが)
何度も「たかが言葉だ」と言われ説得されるが主人公は最後まで頷かない。イデオロギーなのか信仰なのか。
美しい山の風景、そこに暮らす素朴な農夫たちの生活が丁寧に描かれる。衣装も素晴らしい。眼福
コレどう捉えますか?
サインをすりゃ囚人から解放されるのに!とか
もっと素直になれば幸せに生活送れるのに!とか
「弱者を殺すのは本当の強さなんかじゃない」←(あってるか?)と言わずに、兵役に行けよ〜とか
何の意味があるのか?
何か得する事あるかコレ?
他にもたくさん…
さて観る人はどう捉えるのだろう?
約3時間!
そして妻の葛藤
計り知れなさ。
けど最後まで強く逞しい
とにかく暗くて重くて胸が詰まる…
オーストリアの美しい風景を観れるだけでも溜息モノです
色々な意味で悔しさが残る作品
本作品、去年より大変に楽しみにしていました。
ここ数年、第二次世界大戦のドイツモノが毎年何だかの形で上映されるのを楽しみにしています。
本作品、戦争のシーンがない戦争映画であり、邦題のタイトル通り、名もなきひとりの何でもない人の人生に関しての映画・・・・
大変に素晴らしく、秀作な作品ですが少し長いかな・・・・
全編を通して、静かに話が進んで行きます。
最後は、やはり、悔しいな・・・・・信念も大切ですが、家族も大切・・・・・主人公の生き様に感銘するのと同時に、残された家族が可愛そうにも感じる・・・
やはり、戦争は何も生まれません・・・・・・
本作品、テレンス・マリック監督作品ですが、明らかに彼の最高傑作になるんじゃないですか・・・・
しかし、実話なんで、お話の全編が真実なんだろうが・・・・日本でも世界で、何の罪のない人が殺された訳ですが、本当に彼らの死に意味が有ったのか・・・・また、彼達は生まれ変わる事が出来たのか・・・・大変に悲しい作品の1本です。
余談ですが、舞台となるオーストリアの山の上の村なんですが、大変に綺麗な場所で、雲が低く、一度行ってみたくなる。
テレンス・マリック新境地
テレンスマリックだからこそ。映像は美しく、役者の演技は生々しく。そしてもちろん眠くなる。
撮影は1テイク20分~40分ほどの長回しだったという。それをかなり短いカットで細かくつないでいる。通常の映画のようにドラマの起承転結でシーンが作られるのでなく、登場人物たちの動きや会話は、途中から始まり、途中で終わる。断片的なイメージが映画に不思議なリズムと印象を与える。
見ているうちに、こうしたイメージの積み重ねに同化し、スクリーンに映っていない、編集で削られた山麓での暮らしを想像し、本当に主人公たちが実在して生きているような気持ちになってくる。実話がベースになっているからこそだろう。テレンスマリックは好きだけど、ツリーオブライフから前作までの、一連の「映像詩による物語の追求」から新たに一歩進んだ印象。次回作はいよいよキリストを真っ向から描くとか。かなり見てみたい。
あまりに美しくて
ほぼずっと泣いてました。風景が、光が、会話の一つ一つが、仕草が。
信念を持ったとして、悪魔がささやいたとき、どちらを選ぶのが正解なんだろうか。ずるくても背いても生きていて欲しいけど。
私は殉教者にはなれないけど、せめて小麦を少し足してあげたり、りんごを拾ってあげられる人でいたいなと思った。
明るく陽気な友人の最後の悲痛な表情が辛かった。善い人が幸せに生きられる世界でありますように。
正しさを教えて
第二次世界大戦時、ナチスに忠誠を誓えない農夫が、自分の信念のもと、徴兵を拒み続けたことから、自身と家族に巻き起こる出来事を描いた作品。
上映時間は3時間越え。終盤に入るまでは同じようなシーンが続くので、体感時間が3時間とも思えない長さだったけど、不思議と話にどっぷり入り込み退屈さを感じない。
素直な感想を言えば、罪のない人を殺せないという信念のもと、ナチスに決して忠誠を誓わなかった主人公は立派だなと思いつつ、村では厳しい虐めを受ける妻や、父親を想い待ち続ける子供たちのことを考えたら…少し許せない気持ちになった自分もいました。
許されることではないけど、他の村の女性たちは自分の夫が戦地に行かされているわけだし、私の立場も考えろと言う村長さんやキャリアの心配をする弁護士さん、彼らの気持ちもわかるんですよね。それでも夫を肯定し続ける奥さんが切ない。
大自然に囲まれた舞台の中、穏やかなはずの風の音や川のせせらぎ、鳥のさえずりも、全て哀しく聞こえる、そんな作品だった。
決して批判しているわけではなくて、寧ろこれほど真剣に映画に向き合えたのは初めてかなと感じた。
ちなみに本作のベストキャラクターは、徴兵時に出逢って、監獄で再び出会った男ですね。
彼が求めていたものの話を聞いて・・・主人公の素朴な日常がとても幸せなものだったんだなと。
1943年8月9日
実話に基づく映画。
オーストリアの小さな農村での話。
ひとりレジスタンス。
頑固一徹。
常人では真似もできない。
神父は同情しつつも、やめなさいと。
司祭に相談もしてくれる。
司祭もナチスには逆らえないと。
地位ある聖職者よりも彼が敬虔なのはそれでよくわかったのですけど。
かみさんはことあるごとに神父様に相談に行く。
なんだか、寅さんのさくらが御前様に相談に行くみたいな感じだが、重さが全然違う。
だけど、こうしたピュアな抵抗だけが世の中が悪い方に行かないためのブレーキになるんだよという結論を映画は最後に示した。
なるほどとは思う。
インドのガンジーみたいな組織はないので完全にひとりでレジスタンスを貫き通すのだ。
それはね、ロックな生き方なんです。
それは天涯孤独のやくざでもないとやれない。
普通の人はやっちいけないんじゃないか?とおもうんです。
かみさんが村で村八分にされても、ひたすら耐える。未婚の姉、母親も頑張る。小さな3人の娘は無邪気そのもの。とても、かみさんひとりじゃもたない。
不謹慎を承知で言いますが、
その前に「初恋」見たんです。
主人公が窪田正孝に見えたんです。
かみさんが、尾野真千子に見えたんです。
でも、長かったですね。
ほっぺたを何度もつねりました。
いびきをかいたりして、まわりの方に迷惑かけられない。それは私なりの正義です。
1943年当時のドイツは召集礼状に拒否するオーストリア人に対しても人権を尊重する手順を何段階も踏んでいたことが詳細に描かれます。本当か?とは思いましたが、やはり、ゲーテを産んだ国ですので、信用しました。
終戦間際のゴタゴタでは無理でしょう。まだドイツが余裕があった頃なのでしょう。
彼の覚悟と信念をさらに際立たせるものではありましたが、死刑確定の書類が村のかみさんに送られたあと、かみさんがベルリンに行き、刑の執行当日に立ち会う際にも、本人がヒトラー政権に命乞いをすれば、釈放されるチャンスを与えられたのに、頑なに固辞し、かみさんも本人の意思を尊重してしまう。それほどわかりあっている夫婦に脱帽するしかありませんでした。
かみさんに頼まれて同行し、なんとかならないかと、説得した神父さんも最後には脱力してしまうのです。
私はエンドロールが流れている時にも
終戦になったから、刑は中止になるんじゃないかと思って待ちました。
1945年の話かと勘違いしていたためでもあります。
ただ、ちょっと嫌~なシーンが前にありました。村の共同施設の水車小屋があり、小麦を粉にするのですが、水車小屋のおじさんが小麦をおまけして、持ってきた量よりも増やして持たせてあげるのです。かみさんが未亡人になったら、うまいことしょうと思っている雰囲気の男なのです。そんな男が村にはわんさかいたかもしれない。
もし、かみさんが、そんな女だったらと疑ってしまうときりがありません。
わたくしごとではありますが、遺族年金入るからオーケー🆗👌よ
なんて思っていたら・・・・
これはもしかして、ホラー映画かなと思ったのでありました。
全59件中、21~40件目を表示