劇場公開日 2020年2月21日

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「神の沈黙、人の信仰」名もなき生涯 しずるさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0神の沈黙、人の信仰

2020年3月2日
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悲しい

怖い

第二次世界大戦中、ナチスドイツ併合下のオーストリア。ヒトラーの思想に賛同できず、軍召集を拒み、罪に問われた農夫の姿を追う。

戦争もの、伝記ものというよりは、非常に内面的、哲学的な側面を感じた。
中盤までは、農夫と家族の山村での日常生活と、それが戦争によってじわじわと侵食されていく様、農夫が勾留されてからは、農夫と妻の手紙のやり取りという形式で、刑務所の様子と、村人に差別や嫌がらせを受けて孤立しながら必死に生活を送る家族の姿が、代わる代わる写されていく。
戦闘描写も殆どなく、物資不足などの生活への影響は勿論あるのだろうが、目立った形では描かれない。
ただ、情勢に抗えず、人々の意識や思想が、民族排他、国家奉仕、集団統制、自己保身へと、じわじわと押し込まれていく、心の不自由に焦点を当てている。

神を信じる者として、罪のない弱者を食いものにする戦争に加担する事はできないと、自らの信条を貫き通す農夫。何も変わらない無駄骨だと嘲られ、口先だけでもヒトラーに忠誠を誓えば放免されると諭され、神は救ってくれないと絶望を囁かれ、温かい思い出と暴力の現実を行きつ戻りつ煩悶しながら、それらを頑固に拒んで信条に殉ずる姿には、明らかにキリストの受難が重ねられている。正しい者を神は救って下さると信じ、けれど叶わず、苦しみ嘆いた末に、ただ実直に土を耕し果樹を育て続ける家族の姿もまた同じく、生きる事と信仰の本質を描いているのだろう。

山村の自然の中を、刑務所の中庭を、狭い個室を、ぐるぐると歩き廻り、頭を抱え、呻く農夫の向こうには、もっと根本的な命題、人であるという事は、尊厳とは、善性とは、良心とは…と自問しながら、内へ内へと潜っていく、作り手自身の姿が透けて見える気もする。
時に容易に人を踏みにじり、時に身を擲って情を与え、時に死を以てしても意志を貫く、人間とはいかなる存在であるのか。
一介の農夫のちっぽけな抵抗は世界を変える事はない。たぶん変えようとした訳でもない。ただ彼が彼である事の矜持を守り通して生き、死んだだけだ。その自我の強さが、人が人たり得る所以のひとつであるようにも思う。

風や水や木々の匂いまでも感じさせる大自然、建物内部の光と影など、映像がとても美しいが、主人公主観、人物に近接するアングルなど、多様な視点が入り交じる。
物語として筋立てて語るというよりは、詩か散文のように言葉や台詞が投げ掛けられる。
メインの台詞は英語で字幕も入るが、敢えてだろうが、ドイツ語のまま、字幕も表示されずに、雰囲気や語調や展開で内容を推し量るしかない場面もある。
癖のある表現、淡々とした内容、3時間という長尺。好みがくっきり分れるのは致し方ない所だろう。

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しずる