名もなき生涯のレビュー・感想・評価
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試される人間、信仰のあり方と、マリックの映像世界の親和性
空中を漂うように緩く揺れながら移動するカメラワーク、自然光を活かした人物や草木の淡い描写、詩的なモノローグ、反復が強調されたクラシック調のBGMが特徴的なテレンス・マリックの映像世界。柔和で、優美で、どこか超越したような感覚は、神の眼差しを思わせる。今作では特に、美しい高原の村の背景にそびえる急峻な峰が、形而上的な存在や過酷な運命を象徴するかのように、たびたび映し出されては観客に独特の感興をもたらす。
主人公フランツの受難に加え、村八分のような仕打ちを受ける妻と娘たちも不憫でやるせない。日本でも戦時中、反戦主義者は非国民とののしられ、理不尽な目に遭った。半世紀以上が過ぎても、さまざまな相互不理解と分断があり、生きづらい世の中が続いていることを、神の視点からはどう見えるのだろうかと考えてしまう。
実話なので重い。でも共感するのは難しい
オーストリアの山あいの美しい風景のカットがたくさん挿入される。ピュアな信念を描いた映画なので、きれいな風景が主人公の考えの底にあるということだろうか。普通の人にはできない判断を最後まで貫くのを丁寧に描いていて、なぜそういう判断をすることになったのかはほとんど説明しない。説明しようとしてもできないし、下手に説明しようとしないことがドキュメンタリー映画のようで、リアリティを感じた。
「フランツ・イェーガーシュテッター」という人の話がベースで、実際に信念を貫いた人がいたことが驚き。たぶん映画で描かれたように、ジタバタしたり迷ったりはしなかったのだろうと思う。
上映時間は175分で、ほぼ3時間。話の進み方が遅く、映像表現として冗長に感じるところはある。主人公が異例の判断をする話なので仕方ない面があるけど、主人公の気持ちがわからないままの3時間は長かった。妻フランチェスカや娘3人との仲の良い平和な時間を何度も描いているが、どれも平易な印象で今一つ心に残らない。なので、全体として心を揺さぶられるところまで至らず。
貫いた信念は、キリスト教の教えに基づいているのだろうと思う。殉教について子供の頃から聞かされているような文化の中なら、この映画に感動するのかもしれない。
キリスト教を純粋に信心する人は主人公の気持ちがよく理解できるのだろ...
キリスト教を純粋に信心する人は主人公の気持ちがよく理解できるのだろうか?
主人公の妻の父も「殺すより殺される方をとる」考え。
ある程度信念を貫いても、自分の生命が掛かると私には自信が無い。
主人公がドイツ人では無く、オーストリア人というのも、「ハイルヒトラー」と見せかけだけでも言えなかった要因かと。
拘置所に入った背景や主人公の心の中は違うが、中居正広&仲間由紀恵夫婦の「私は貝になりたい」を思い出した。人を殺さないではなく殺せない、殺さなかった男がいい加減な裁判?で死刑と判定。
それまでの生活が戦争と全く繋がらない生活。アルプスの大自然で作物や家畜を育て家族仲良く暮らす。町の床屋で平和に暮らす。
戦争さえ無ければ、どちらの主人公も戦死ではなく、死刑で処刑される事はなかった。
改めて戦争にはゾッとする。
処刑の仕方にもいまだに?と感じた。首を離す処刑は日本では明治になって暫くしてやめられた、と目にした。あの処刑場は想像するのは
恐い。
景色が綺麗すぎるのに対比して、信念を貫く主人公を取り巻く現実のむごさがわかる。実在の方というのが虚しい。
生きることの意味を問いかける作品
第二次世界大戦中のナチスドイツに併合されたオーストリアの農村、ナチスに対して忠誠を拒んだフランツ、収監されて死刑の判決がくだされる、1人、農作業に勤しむ妻のフランチェスカ、畑を耕すロバ、牧羊の鈴の音
父親の帰りを待ち続けて、食べ物を残し
ドアを閉めずに開けている幼き3人の娘たち
教会にいる敬虔な人たち
フランツが生涯を閉じてから手紙を読むフランチェスカ、向こう側でまた会いましょう。
萌ゆる草原、風の囁やき
風に舞う1枚の木の葉、歴史に残らなくても
善の方向に今も向かっている、静かに祈りを捧げたい、テレンス・マリックの映像が
美しい作品でした。
名もなき尊き生涯を
『シン・レッド・ライン』で美しい大自然の中で繰り広げられる人間たちの愚かな争いを描いていたが、本作はテレンス・マリック監督作の中で最も悲惨な物語と言えるだろう。
であると同時に、揺るぎない信念を貫いた物語…。
実在の人物と、彼の36年という短い生涯に基づく。
今でこそ彼の行いは称えられているが、当時はそうではなかった。寧ろ、周囲から見れば“裏切り者”であった。
高名でも著名でもない。“名もなき人物”。
フランツ・イェーガーシュテッター。
オーストリアの自然に囲まれた村で暮らす農夫。
妻と3人の娘、農業の仕事も黙々とこなし、平凡ながらも穏やかで満ち足りた日々。
それが終わりを告げる…。
オーストリアがナチス・ドイツに併合。国や村人たちもヒトラーに忠誠を誓う。
そんな中、フランツは一人、忠誠を拒む。
国中の人々が戦争に駆り出される。
フランツは兵役も拒否。
この当時、それが何を意味するか…。
今はヒトラーとナチス・ドイツの悪しき行いに対し、声を上げて否を唱えられる。
が、当時は…。ナチスと戦争という病に侵されていた当時は、それに従順する事が“正しかった”。
本当に歴史というものは不条理だ。当時は多くがそれに従い、時が流れ、今はそれが間違いだったと手のひらを返す。
当時からそれを訴える事は出来なかったのか…?
いや、出来た。揺るぎない信念があれば。
フランツは破壊や殺しが称えられる戦争に対し、疑念を持つ。
本当にそれが称えられる事なのか…? 栄誉な事なのか…? 破壊や殺しが。
そうである筈がない。間違っている。
誰に教わった訳でもない。自分自身で考え、そう信じる。
当時、誰もそうしなかった事を。
メル・ギブソン監督×アンドリュー・ガーフィールド主演で実在の医療兵を描いた『ハクソー・リッジ』を思い出した。
あちらは宗教の教えから他者を傷付ける銃すら持つ事を拒み、仲間や上官から蔑まされ、軍法会議に掛けられながらも、自分の信念を貫き通し、戦場で敵味方関係なく救出に奔走し、戦後英雄として称えられた。
似通っているが、決定的に違うのは、末路…。
もし、自分だったら…?
周囲に流されず、己の信念を貫けるか…?
無理だ。間違っている事に疑問を持ちながらも、それを言動にする勇気など無い。私はチキンなのだ。
きっと私も、愚かにも周囲に流されている連中と同類なのだろう。
皆と違う考えを持つ者は、いつだって疎外される。
村人たちの偏見、差別、迫害、蔑み、冷たい仕打ち…。言わば、村八分だ。
「お前は敵より悪質。裏切り者」
兵役を拒否していたが、徴兵される。しかしそこでも、自分の信念を貫く。
投獄、尋問、暴行、拷問…。生き地獄だ。
さらには裁判に掛けられ、最期は…。
フランツだけじゃない。村に残してきた妻や娘たちにも…!
嗚呼、時に人は、何て醜く愚かなのだろう。
今、この輩に問いたい。自分たちのした事は誇れるほど正しかったのか、と。
名もなき人物の生涯だが、フランツと妻のやり取りしていた手紙を基に構成。
夫はナチスによって投獄。つまりそれは…。
夫は獄中から妻を想う。
妻は村で夫を案じる。
それらが交錯。
処刑の前、最期の面会。
妥協すれば減刑もあり得る。しかし夫は信念を曲げない。
そんな夫に妻が掛けた最後の言葉が、この夫婦の絆を表した。
「正義を貫いて」
二人共、覚悟の上なのだ。
体現したアウグスト・ディールとバレリー・パフナーはもはや演じているのではなく、そこに生き、営んでいた。
そこまで信念を貫く事なのか…?
何処か何かを妥協すれば、この結末にはならなかったかもしれない。
自らも残された家族の苦しみ悲しみも和らげたかもしれない。
だが信念とは、如何なる時でも自分自身を偽らない。
どんなに不器用で、どんなに悲しい結末が目に見えててもいい。
自分を信じなかったら、自分じゃなくなる。
普通に撮ったら、悲しみや感動など激しく感情を揺さぶるものに。
が、本作の監督はテレンス・マリック。
詩的な映像、音楽、語りで、感情に訴えるのではなく、感情に委ねる。
難解で長尺が多く、人によっては全くハマらず、ただのヒーリング映像にも思えるだろう。
他の監督とは一線を画す作風、一貫したスタイル。監督自身も己を曲げない信念の持ち主だ。
時々崇高過ぎて、ついていけない作品もある。
初期の『天国の日々』や『シン・レッド・ライン』は勿論、『ツリー・オブ・ライフ』には圧倒された。寡黙な作家で知られるが、近年は突如のハイペース。ちょっと興味を惹かれない作品やまだ見てない作品もある中、本作は惹かれた。
紛う事なきテレンス・マリック作品。圧倒的な映像美、荘厳な音楽隊、哲学的な語りには、いつもいつも監督の深淵を覗いた気がする。
エンディングの文が胸を打つ。
本当にそうだ。素晴らしき事を訴えているが、ごくありふれた事だ。
伝説の監督とも呼ばれるテレンス・マリックだが、その思いや営みは我々と同じ事を願っている。
名もなき尊き生涯を。
長い上に暗すぎてしんどい
出来ないことは出来ないで仕方ない生き方だと思うけど、家族もいるし自分だけの問題じゃない。でもこの旦那さんも奥さんも悪くない。ただ戦争は何も生まない。二度とこんな事やっちゃダメだ。以上!
タイトルなし
1940年代
第二次世界大戦時のオーストリア
山と谷に囲まれた美しい村が舞台
のどかな村で家族と暮らす農夫
ヒトラーへの忠誠を拒み信念に殉じた
フランツ•イェーガーシュテッター夫妻の
やり取りした書簡を元に描かれた
フランツの半生
実際のフランツ宅でも撮影をしたそう
美しい景色
当時の人々の暮らしぶり
絵画を見ているような
しずかな詩的な作品
集団の恐ろしさ…
ナチス支配下に置かれたオーストリア。農夫フランツは徴兵されるが敬虔なクリスチャンであり、殺し合う戦争に行くことを嫌い、拒否する。その村の神父でさえ、ナチスに怯え、徴兵に行くことを勧めるが、断固拒否。やがて収監され、反逆罪となる。残された妻や3人の幼子は村で暮らすが、戦争に行かなかったことで村八分にあう。戦争という暗い影のせいではあるが、この村人達の集団心理が最も恐ろしい。個人よりも、国家、集団が優先され、そこを外れたものには容赦ない仕打ち。ヒトラーに服従するサインをすれば、自由になるが、フランツはそもそも自由だと、手足を縛られるより心を縛られたくないという強い信念をもって、遂に死刑となってしまう。妻もサインしてとも言わず、彼の信念をおかすことはせず、尊重する。この映画とにかく長い。会話がほとんどなく、それぞれの呟き、心の声が静かに響き、余計に孤独感、苦しいほど時間がゆっくりと流れていく。私なら家族のために、自分のために信念を曲げて、「生」をとる。しかし、エピローグの、歴史に刻まれない、こういう名もなき人のお陰で、世の中が悪くなるのを少しでも食い止めているのだろう。
不服従を貫いた、ある農夫の人生を格調高く描く
ドイツに併合されたオーストリア。
ヒトラーへの服従を死ぬまで拒み続けた名も無き農夫、フランツ。
周りは言う。家族や村や立場ある者のことを考えろと。
権力側は問う。お前が死んでも世の中は何も変わらないと。
フランツのなかにはそんな驕りは何もない。
自分が悪だと思う者に対して、ただ自分の心に背くことができないだけ。
かしこくなれ、と人は言う。
では自分の心に忠実なのはいつも権力側になってしまい、弱者はいつも狡い生き方をしなければならなくなってしまう。
それでいいのだろうか?
仮に忠告を受け入れ生き延びたとして、彼は自分自身を一生許せないだろう。
彼の目に映る世界は美しく、自然の中に神が宿るという感覚がマリックによって研ぎ澄まされ、没入感たっぷりに観客を誘う。土や干し草の匂い、竈の炎の熱さやパンの香り。露草と朝もやの湿気まで感じられるようで、日々の営みへの愛おしさを募らせる。そして問う。ただ単に愛する者と自然とともにつつましく生きたいだけなのに、なぜそれが許されないのだろうかと。
善と悪はいつの時代も曖昧で、ある日突然、価値観は逆転する。
どうして人は無辜の人まで服従させようとするのだろうか。
コロナ下の現代と重なる。
「感染したら誰かを殺すことになる。お前の体がどうなっても知りはしない。周りのためにワクチンを打て」という同調圧力、「○○の家族が感染した。この町から出ていけ」という陽性者叩き。
フランツの住む村の村人たちのように、いつの時代も自分の保身しか考えていない人が多勢の中で、孤立を恐れず、死を賭してまでヒトラーへの不服従を貫いた彼の勇気と、それを受け入れる妻ファニの信念に心打たれました。
誰しもが戦争を好んでいるはずがない。
ならば勇気をもって戦争に不服従を貫けば、庶民の数で公僕を圧倒できるはずなのに、大多数の人は易きに流れてしまう。
ラストに引用されていたジョージ・エリオットの言葉、「世界は名も無き人々の知られざる善意によって守られている」というように、このように映画となって狡くて弱い人間ばかりじゃないことが後世に伝えられ、心に少しでも残り救いとなることで「世界は酷くならない」のだと思う。
本物の英雄とは…と考えさせられる。
信念を貫く苦しみを神に問うたひとりの農夫のこころの声を探求したテレンス・マリック監督の映像美
ナチス・ドイツのオーストリア併合に反対して良心的兵役拒否を貫き通した、実在の農夫フランツ・イェーガージュテッターの信念を探求した詩的映像美が鮮烈な鬼才テレンス・マリック監督の、歴史の片隅に刻まれたヒューマンドラマ。妻フランチェスカと交わした往復書簡のモノローグと、奥行きのあるカメラアングルに前後に滑らかなカメラワークを多用した独特な演出による映像作家の力作。美しくも厳しい自然に根差した過酷な労働から培われた敬虔な宗教心が共鳴を呼ぶ。戦争と平和、信仰と諦観、愛と苦悩といった相反する概念が、振り子のようにこころの中で彷徨い答えを求める。観る者を考えさせる静かな映画だった。
映像美に溶け込むような音楽も素晴らしい。地味な脇役も時代再現の映像世界に息づいているが、主演のアウグスト・ディールと妻役ヴァレリー・パフナーが更にいい。特にヴァレリーの感情を抑えた表現の深みのある演技が見事。
タイトルの意味
「歴史に残らないような名もなき生涯を送った人々によって、歴史はさほど悪くならない」
エンドロールの言葉。オーストリアの山村で農業をして暮らす夫婦。夫が戦地への召集を拒み続ける。英雄でもない、名の知れた人物でもない1人の農夫の生涯。
ヒトラーを崇拝出来ず、戦うことに疑問を持ち、一度は召集に応じたものの2度目は拒み続ける。だんだん村八分にされ、家族も辛い目に遭っているけど信念を貫き通す。勾留されても決して曲げない。なんと強い信念だろう。奥さんも辛い思いをしているのに理解を示す。なんて強い愛なんだろう。
オーストリアの自然がとても美しく⛰、会話を控えてお互いの手紙でストーリーが進む。トーンがとても切ない。
観ている途中で、この雰囲気、観たことあるような、、、と感じた。モン・サン・ミシェル、、、「トゥ・ザ・ワンダー」会話を抑えた過去を振り返る文章で、切なく展開する物語。手法が何処となく似ている。同じ監督作品なんだ!なるほど納得。他の作品も観てみたい!
"みんな、悪人を見抜けないのか?"
主人公はオーストリアの山村の農家で生まれ、育ち、結婚して三人の娘がいる。
ナチスドイツにより、オーストリアは併合されるが、主人公はドイツに従わなかった。
招集されるがヒトラーに忠誠を示さなかったので投獄される。
執拗な拷問にも耐え、困った当局は忠誠の書面にサインすれば釈放するという条件を示す。
生か死かの判断に、人間としての尊厳は果たして・・・。
美しい映像はそのまま絵画のようだ。
映像が素晴らしい。空と雲が美しい。実話のリアリティがある。一貫した...
映像が素晴らしい。空と雲が美しい。実話のリアリティがある。一貫した生き方が、生活の細部や関係性などに表れている。
事大主義的感はあるが、マリックの好きな自然がうまく使われる映画。
独りよがり感はある。
モハメットアリを思いだした。
この監督は有名らしいが全く知らなかった。静かに進んでいくスタイルは好きだ。でも、果たして三時間もいるだろうか? カメラワークはこの映画を不思議なくらい過去のオーストリアに戻させてくれるが、映像に目が回ってしまった。そして、コメントできるぐらいの映像に対して知識がなく、美しさだけ堪能した。
でも、私は語学教師なので、このドイツ語と英語の共存に対してコメントを書きたい。監督はアメリカ人らしいが、ほとんどの役者は調べればわかるがドイツ語圏の役者だ。なぜ英語?監督がアメリカ人だから?こんなにドイツやオーストリアの俳優が起用されているのに? ドイツの私の好きな俳優フランツ ロゴスキーまで英語を話している。ナチス政権の台頭の中の苦悩で舞台はオーストリア🇦🇹、それに、ドイツのオーストリア併合の時代。それに、時代を考えてドイツ語で作品を作れなかったものか?映画ではドイツ語の部分だけ字幕が出てないが、この部分は感情的な部分なので何をいっているか、ドイツ語がわからなくてもおおよそ見当がつき、おおきな問題じゃない。字幕がない部分はそのままにして、あとの役者にドイツ語(オーストリア、ドイツのドイツ語)を話させた方が、緊迫して、より真のものとなるから、現実味が増す。
最近、映画を主に英語で作る監督が増えてきているような気がする。これに対するショックはわたしにとって、並大抵ではない。『オーセンティック』(英語のauthentic)日本語で 本物の、正真正銘の、真正の、真のとなっているが、こういう作品を期待している。なぜかというと、映画の世界をもっと現実に近づけて観たいから。それに、あくまでも個人的な見解だが、映画の題まで日本語でなく英語を使っていると、興醒めする。『オーセンティック』(英語のauthentic)のものの中に感じるものを大切にしたいから。
この映画は1939年、オーストリアのST.Radegundというドイツの国境近くにある村で、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツに併合された、良心的兵役拒否の実在の農夫フランツ・イェーガーシュテッターの生涯を描く。
ナチスの軍門におちいった教会の指示に同意せず、自分の信念と信仰に生きる。妻や娘への愛情は並大抵ではなく、拷問にも耐え、決して揺るがない。妻たちも村八分に耐え、お互いに神を信じて生きていく姿は素晴らしいが、妻がベルリンの刑務所から戻ってきて、大地を手でむしりとりなから泣き叫ぶシーンは酷いね。夫の揺るがない心情を理解していても、自分が訪問することにより、夫の気持ちが変わるかもしれないなんてちょっとでも思わなかったろうか?
現在では、イェーガーシュテッターは、カトリック教会の殉教者であり、英雄で彼の銅像が建っているかもしれない? しかし、当時は兵役拒否なんて許されなかったんだからねえ。日韓併合の時は朝鮮人に対する兵役はボランティアだったのか?強制だったのか?調べてみればわかるが?
良心的兵役拒否ではモハメットアリ(カシアスクレイ)が有名だ。彼は英雄として扱われている。アリがボクシングのキャリアを犠牲にしてまで貫いた信念で、私のように彼の支持者になった人はおおい。かれはボクサーとしても権利を剥奪されて投獄された。彼は知能指数が低いとされていたが、彼の言葉『ベトコンにうらみはない』は全くその通りだ。なぜ、自分はベトコンと戦わなきゃいけないんだ?この意味はなんなのだ?国の都合主義じゃないのか?それも、黒人の多くが戦場にいくし、金のある(当時白人)若者は兵役を逃れることができる。なんと、不平等な!
新しい戦争の描き方
セリフが少なくても
苦しさがヒシヒシと伝わってくる
なにを信仰するか
命を掛けて自分の正義を貫けるか
悪に洗脳されてしまった人達
善を貫こうとする人達
人間の悪が結集した時の恐ろしさ
善人がさも悪人にされてしまう不条理さ
映像が芸術的に美しくて
長尺だか飽きない
マリックが何故今、この作品を撮ったのか?
私の好きなテレンス・マリックが帰ってきた!!まずはそのことを歓迎したい。寡作な映画作家と知られる大巨匠であるが、比較的コンスタントに作品を発表した過去10年間の作品を振り返ると、いずれも物語の焦点をあえて絞らないようにしたように思えるものばかりである。
『天国の日々』でこの監督の虜になった私から見れば、どこか浮世離れした主人公が見据えるある焦点に向かって、語られるこの監督独特のストーリーテリングが好きなのだ。それを思うと、本作は従来のテレンス・マリック作品の物語構成にバッチリとはまり、物語が描く過酷な現実とあまりにも美しい映像とのコントラストにため息をつくばかりだ。
しかし、マリックが何故今、この作品を撮ったのか?という疑問が始終頭の中を駆け巡る。しばし神の存在を肯定し、あるいは否定し、マリックは有神論者なのか、無神論者なのか、とファンの間でも物議を醸す彼の作風は今作でも健在であるし、見方によっては本作の主人公・フランツの行いはキリストの受難とも重なって映る。だが、本作の時代背景はナチスが統治する1943年のオーストリア。誰もがヒトラーに忠誠を誓い、命を捧げることが当然な世の中に対し、自分の意志を貫き続ける主人公の姿は、同調圧力が至る所に存在する現代社会にも通ずるテーマに見えてくる。
多様性を謳いながらも、人種差別、ヘイトスピーチ、マイノリティの排除、国による言論統制など矛盾を孕む現代には、本作の世界とも通ずる何かが生きている。言わずもがな、マリックは寡黙だ。フランツもその家族も皆、声を高らかに自分の主張を叫んだりしない。ただ、周囲の圧力に屈しないように、自分の殻を守り、蓋をする。マリックはフランツに自身を投影したのだろか。少数派の声を大にして歴史に名を刻んだ偉人たちも多いが、マリックは誰も知らないような人にスポットを当てる。それは『名もなき生涯』というタイトルが示す以上でも以下でもない。しかし、そのような人物たちが確かに存在したということを描いたことこそが本作の最大の意義である。
3時間か〜
しかし終わってみると必要な時間だったことがわかる。
彼の直感は、彼に地上の死をもたらすけれど、命よりも大切なことを時間や空間を超えて他の人々に与えている。
そしてわずかながらも味方がいる。
彼や彼女は一人ぼっちではない。
日本にもこんな人がいたことも思い出す。
そんなハチドリの一雫の抵抗が、人を変え世界を変えていく。そんな希望が見える映画だった。
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