家族を想うときのレビュー・感想・評価
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Sorry We Missed You ご不在で届けられません(ごめんなさい。あえなくて)
ケン・ローチはやっぱりすごい!
ウーバーやアマゾンの配達に象徴される、奴隷のようなグローバル労働管理に本気で怒り、一方で家族の分断をなんとかしなくては、と訴える。
Sorry we missed you. we weren't able to deliver your package today.
原題の”Sorry we missed you”
運送屋の不在連絡票に書かれた形式的な常套句に深い意味(「もっと一緒にいたい」という家族への切実な想い)をもたせているところも、ケン・ローチらしい。
「こんな家族がいて君は幸せなんだ」と息子に諭す警察官の言葉もケンの本音だが、家族のために働けば働くほど家族を不幸せにしてしまう労働者のジレンマを厳しい目で見つめている。
孤立した労働者は、誤った強制労働に対処できずに、隘路にはめられてしまう。
よく、考れば、子どもが大変なときに仕事を休めないなんて不当なことは許されないはずなのに……。巧妙な自営業者という契約が自由と尊厳を奪っている。先進国でも、ブラックな奴隷労働が生き延びているのは、英国も日本も同じです。
私達も、ケンのように怒りを持って発言しなければいけないと強く感じました。
[未見者連絡報告票]この作品は、内容が大変重いですので、覚悟して真剣に拝見して下さい。
ケン・ローチ監督作品に巡り合ったのは、2度目である。最初は、「私は、ダニエル・ブレイク」でした。労働者である男が、外壁に大きく自分の名前をスプレーで描いた場面が、強烈に覚えている。自分は、一人の労働者である前に一人の人間である。という印象を私の胸に焼き付きついたのを覚えている。あれから、3年後の現在、久しぶりに「家族を想うとき」に巡り合った。この作品は、家族を守るために働くが、なぜか悪循環を繰り返す
観終わってからも「どこで、ボタンを掛け違えてしまったのか。」その主人公の悲惨な末路の原点をしばらく考えてしまう。鑑賞後、主人公の生き方をしばらく考えてしまう作品も
此処最近、非常に珍しい。個人的にこの作品に出逢ったことは、稀な幸運を掴んだと思った。最初は、フランチャイズの宅配ドライバーになるために訓練訓練の毎日であるが、家族のことを想いながらも、家族のそれぞれの事情により足をとられることになる。家族のために仕事をすればするほど、家族の中に溝が出来始める。一番手を焼く時期でもある思春期の息子にかなり手を焼かれる。作品の要所々々においては、日本の現状と交わる内容が具に描かれていて、他の先進国においても、日々の暮らしの中で似たような問題を抱えているのだろうかと思ってしまうほど、重なってしまう問題が見受けられた。リッキーが、怪我を負い、病院で順番待ちをしている所は、「ある、ある」と、同情してしまった。この作品のラストは、う~ん、観る人に想像させる域。ケン・ローチ監督には、此処の家族が抱える問題を扱った、虚飾のない作品を届けてもらいたい。
シビアで、救いのない物語
家族のためにマイホームを持つことを夢みる父親は、配達員としてフランチャイズ契約を結び、1日14時間労働を週6日続けている。それを支える母親は、介護士として朝から晩まで”お客様”に尽くし、気持ちが休まる暇もない。家族を想った選択が、逆に家族の時間を奪っていく。
格差社会、ギグワーカー、ゼロ時間契約、ワーキングプア…ここに労働者階級という独特の社会構造が絡む現代英国を、映画はシビアに切り取っていく。父親も母親も決して悪い人間ではない。親に反抗する息子も本当に家族が憎いわけではない。ただ、日々の生活に精一杯で、表面張力で保たれている水面は、ほんの少しの刺激でコップの縁から溢れてしまう。最後まで救いのない物語。でも日本も人ごとではない。
容赦ないリアル
前作も観られなかったので、おそらくは初めてのケン・ローチ監督作。
いゃぁ、それにしても容赦ない。ということはつまり、我々の生きる社会がことほどさように容赦ないということ。
グローバル資本主義がポリティカル・コレクトリーにいかに庶民を搾取するのか、その方法が事細かに描き出され、その結果家族がいかに軋んでゆくのか、ホントに容赦なく描く。
が、それは日本でも同様に進行していること。
僕らはどうやってソレから逃げ出すのか、考えなくてはならない。マジで…
そうしないと、お父さんのように自ら進んで家族の声に反して破滅することになる…
ホントに切ない…
ターナー家に幸あれ
心からこのような家族に幸せになってほしいと願う。
こんな家族が日本に、世界中にいて、特に小学生の娘の健気な姿に涙した。
よりによって何でこんなにも問題が次々と起こるんだと。
疲れ過ぎて夫婦の営みもできなかったり、食事は冷蔵庫のパスタをチン、子どもたちにしっかり向き合えなかったり、、、
日本の共働き家庭も似たような状況だ。
ラストの終わり方がまた切ない。この先ターナー家はどうなるのだろうか?
とにかく深い。重い。そんな映画だ。
これと言った音楽もなく、淡々と物語は進んでいく。
だけど飽きる事なく集中して鑑賞できた。
【社会的弱者を苦しめる管理・官僚主義が蔓延る世に鋭い警鐘を鳴らし、”全ての人は尊重されるべきである”という信念を貫き続けるケン・ローチ監督の揺るぎない姿勢に敬服した作品。】
- 家庭を持つ者にとっては観ていて辛い映画である。
邦題はキレイだが、原題は”Sorry We Missed You"である・・。-
・日本でセイフティ・ネットの綻びが指摘され始めて、早や数十年。
厚生労働省も色々頑張ってはいるのだろうが、負のサイクルはリーマン・ショック以降凄いスピードで回っている。
- 私は、以前から厚生省と、労働省は分けるべきであると言っている。何故なら、厚労省の激務は霞が関で働く友人から、詳細を聞いており数字でも掴んでいる。コロナ禍が蔓延してからは、更に状態は酷いと聞く。厚労省で働くお偉いさんではなく、平の職員さん達には本当に感謝である。-
・現政府は、アベノミクスの効果を強調しているが、モノづくりを生業にしている者から言えば、景況感は明らかに悪化している。(2019年12月13日現在:数値は出せません・・。)
・で、企業が手を染めるのは、安い賃金で効率よく利益をあげるシステム、簡単に言えば非正規雇用の比率を上げることである。
・現宰相(当時の安倍さん。)は”人生100年時代、健康に70歳まで働きましょう!”などと国会で度々連呼しているが、これは、誰もが知っている年金問題とのすり替えである。
確かに日本人の健康寿命は70歳前半まで伸びているが、彼が言っている言葉は”皆さん、死ぬ直前まで働きましょう”と同義である。
ついでに、政府の財源を圧迫している健康保険料も減るのだから、まさに一石二鳥である。
・日本がこのような国になってしまった理由は何なのか。色々あるだろうが、管理・官僚主義の横行もその一つであると思う。
・では、イギリスはどうかというと、日本に輪をかけて経済情勢は悪化の一途を辿っている。(英国から撤退する日本企業は、増加の一途である。)
・で、ジョンソンみたいな変な人が首相に選ばれ、保守党が過半数を獲得し、(保守党を全否定するわけではないが。)EU離脱を決め、不寛容な保守派がのさばる事になる。
・その背景としては、深刻なイギリスの経済状態がある。
・マクラが長くなったが、今作はイギリスの労働者一家が、負のサイクル(正規労働者→”ある業界の個人事業主=非正規労働者”という名の経済的弱者)に巻き込まれていく姿を、哀切に描いた物語である。
・低賃金にあえぐ一家の長、リッキーがフランチャイズ制を導入している運送会社と契約し”個人事業主”の宅配ドライバーとして独立する所から物語は始まる。
フランチャイズ制度は日本でもコンビニ業界のオーナーの苛烈な働き方が、新聞紙上を連日のように賑わせているが、この制度を考えたレイ・クロックという男は頭は良いが、罪深い輩である。
・心優しき母、アビーは介護福祉士として休みなく働く日々。
長男セブは反抗期とも重なり、色々な問題を起こし、只でさえ多忙なリッキーとアビーは疲弊していく。(セブ、お前高校生ならば、家庭の事情を察しろよ!と鑑賞中、心の中で厳しくお説教。)
小学生の可愛い女の子ライザは家族中が悪化していく中、一人心を痛める。(で、ある行為をしてしまう。。)
・観ていて、本当に辛い場面が続く・・・。
・ラストシーン、この家族の行く末がどうなるのかがハッキリとではないが描かれており、少し涙する。(解釈は観客に委ねられる・・。)
<イギリスの一般的労働者、社会的弱者の目線で”官僚制度の瑕疵”への怒りをエネルギーに変換し、世の不条理、矛盾に鋭く切り込む映画を作り続けるケン・ローチ監督の揺るぎない姿勢に深く敬意を表する。>
<2019年12月24日 劇場にて鑑賞>
■2022年6月28日追記
日本が誇る是枝監督が、ケン・ローチ監督を深く敬愛している事は、周知の事実である。
是枝監督が様々な家族の姿に拘り、映画を制作し続けているモチベーションになっているのが、ケン・ローチ監督であると言う事を、先日「ベイビー・ブローカー」を観て思い出した。
怒鳴る男の罪深さ
俺は家族を支えるために働いているのに、そのために時間を惜しんで働いているのに(だから、家族のことになかなか時間をかけることもできないのに)、なんで分かってくれないんだ‼️
と思ってキレてしまう男性は、日本だけではないんですね。この映画で描かれる経済的な問題(例えば格差や極端なコストダウンや効率化が構造化したことによる中間層の疲弊)はイギリスの場合、移民問題やEU離脱なども絡んで日本以上に大変な面もあると思いますが、それはさておき、とします。
私にはもっと大きな問題が目につきました。
それは〝怒鳴る男〟の罪深さ。
もちろん世の中には色々な人がいて、考え方もそれぞれ違うわけで、この父親の姿をもって、一般化するつもりはありませんが、家庭を舞台にした人間ドラマにおいて、怒鳴る男って多いと思いませんか。
『ひとよ』で殺された虐待男に限らず、日本のホームドラマや朝ドラなんかでも結構出てきます。
大きな誤解がありますが、怒鳴る、とか、キレル、という情動は決して、元々生理的・瞬間的に起こるものではありません。少なくとも、針で刺されたら痛い、という反応よりは後天的に身に付けた反応です。
自分の理解の及ばない、或いは自分の感情では受け止めきれないような相手の言い分や考え方に接した時、咄嗟にそれを拒否するために、いつの間にか身に付いた反応なのです。
学校の先生や会社の上司などでも、その人にとって未知の考えや反論をする生徒や部下に対して〝怒る〟という反応しか出来ない人。とにかくそれは許されない、と根拠なく否定することしかできない人っていませんか?
冷静で利害関係が絡まない人なら、あ、この人とは話ができないな、と諦めるだけで済むかもしれませんが、生徒や部下、子どもという弱い立場の人にとっては最悪です。これからも続くのか、という恐怖と絶望感に苛まれます。
怒鳴ることしかできない人は自分の情感の多様性を広げる可能性を、自分を守るシールド作りに追われているうちに自ら閉ざしているのです。
【怒鳴るな!というのは分かった、じゃあどうしたらいいの?ということについて書いてなかったので追記します】
もちろん対処法的に行うこととしての正解なんてありません。
ただ、どうしてそんなことになってしまったのか、を一緒に考えることしかできないと思います。怒鳴るのではなく、ただ話を聞いて一緒に考える姿勢を見せるのです。それですぐに息子が素直に語り始めたり、急に態度を改めたり、なんてことはないでしょう。
それでも、この親たちは想像力を働かせて、自分のことを分かろうとしている、という姿勢が伝わればそれだけで十分だと思います。その姿勢が伝われば今度は、息子自身も想像力を働かせるようになります。
今は気まずいけれど、次に親に話しかける時なんて言おうか、と考え始めれば、親たちの働いている状況や苦労している姿も見えてくるし、自分を取り囲む環境や人との繋がりなどが朧げながらも浮かぶようになります。そういうことに想像力が働くようになることが、人の成長であり、優しさに繋がるのだと私は思っています。
(追記分、ここまで)
この映画では幸いなことに、聖母のような妻(被介護者への接し方までルールを作るほど自己制御ができる素晴らしい人)のおかげで、なんとかあの父親も気付き変わることができそうなので、一見おやっと感じるラストですが、父親の成長に向けての苦しみ、それはすなわち希望の見える終わり方だと、私は思いました。
綱渡り
FC契約でエリア配送を行う宅配会社で働き始めた父親と、民間の訪問介護をしている母親が家族の為、家庭の為にと働く中で、家族で過ごす時間が減り、掛け違いに至っていく話。
高校生の息子と小学生の娘を持つ共働き夫婦。
金融危機に際し家を手放し借金生活。
1000ポンドが捻出出来ずに車を売る始末。
父親も母親もマジメに働いているが…。
日本ではそれ程多くはないかも知れないが、どこの国にもどこの家庭でもあり得ることを題材にした負の連鎖のストーリーで非常に重いし、一歩間違えたら自分だってと身につまされる。
甘えといえば甘えだけど、息子のそれも娘のそれも寂しさによるところはあるわけだし、家族みんなで出掛けると言った息子の提案をみるに、息子も救いの芽はあるし。
もう高校生の長男が家庭の事情を少し覗き、これで変わってくれれば良いが、兆しの様にもみえるし、まだ何も始まっていないようにもみえるし、もう一声欲しかったかな。
年の瀬に重量級。
長く勤めた仕事を辞めたことがある。
心身が整えられずに…。
40才になったばかりの頃だったか。
何とか見つけた新しい仕事はこの映画と同じ「自営業」だった。「パートナー契約」という名前だった気もする。
リラクゼーションのお店。そこに管理者は常駐していない。刻々と変動する客が入れる予約のホワイトボード、そこを本社のカメラがライブで見つめている。
そしてもうひとつ。「相互監視カメラ」があった。同僚ではない。職場ではない。お金を稼ぎたいもの同士が一時身を寄せる場所には何かうすら寒いことを感じることがあった。
「働くこと」の「意味」がとても薄く感じる職場だった。
それまで「働く意味」なんて、それほど考えずに済んで来たが、限界はすぐにやって来た。元の職場に戻りたいと腹が決まった。
ケン・ローチの描く働く場はあの職場と同じ香りがした。
働くことで家族が壊れていく。まったく矛盾している。
ただ、これからこんな職場は増えていくのだろう。そして、今働く職場もだんだんとそうなっていくのだろう。
制度も社会も狂っている。人間も狂わないと家族も狂わないと生きていけない。
狂わないと生きていけないなんて、生きているとは言わないのだと思う。
いろんなことを考えさせてもらった。
働くこと、生きること、家族のこと、私の父のこと。父も無理をしていたところもあったのかもしれない。
すごい作品。ケン・ローチ監督、やっぱりすごい。
その先の未来
この映画のオリジナルタイトル「Sorry We Missed You」、
映画のストーリーに沿って意味を考えたら、「分かってあげられなくてゴメン」あたりだろうか。
家族が、それぞれに向けた率直で温かい言葉だと思う。
だから、その先の未来で、この家族は困難を乗り越えるのではないかと信じたくなる。
働きたい時に、働きたいように自由に働くといった夢のようギグ・エコノミー。
だが、実は、このリッキーのように、自分のリスクでさまざまなものを補わなくてはなららず、そして、ノルマに絶えず追い回される。
昔、イギリスの社会福祉を表す象徴的な「ゆりかごから墓場まで」という言葉を学校で習った。
高度福祉社会を表す表現だ。
しかし、イギリスは、サッチャー政権下の大きな方針転換の一環として多くの規制緩和を行い、公的保険や福祉も民間に委ねるなど公的なサービスを後退させた。
自分の才覚で頑張ってね、というやつだ。
金融分野では「金融ビッグバン」として語られ、ロンドンが世界の金融市場としての地位を高めたが、介護分野はコストとして省みられることはなくなってしまった。
それが、アビーの置かれた状況だ。ノルマに加え、人手は足りず、リッキーの状況とさして変わらない。
アビーがいくら人として接しようと心掛けても、まるで、介護を待つ人を物のように扱わないと仕事が回らない現実。
サッチャー改革で、医療従事者も海外に流出し、その悪影響は今も残り、列をなす病院の患者の待ちくたびれた表情で語られる。
ブレア政権は、この状況を改善しようとしたが、時すでに遅く、イギリスの政治家は、自分達の無策を省みず、欧州連合(EU)の拡大で国外から流入した労働者に原因を求め、怒りの矛先を向け、3年前の国民投票で決まったのが、EU離脱、いわゆるブレグジットだ。
12日のイギリス総選挙では、与党保守党が圧勝し、来年1月の離脱が現実的になったが、未だ多くのことは決まっておらず、不透明感は高い。
多くの製造業者はイギリスを後にし、大陸欧州に拠点を移している。
そして、この3年で、イギリスの通貨ポンドは大きく下落し、イギリスの一部の輸出産業は潤った。しかし、移民にとっての働く場所としての魅力度は低下し、ドイツやオランダなどが、クオリティの高い移民の受け入れ先の候補として手を挙げている。
政治はいつも人々を欺き、置き去りにする。
イギリス人の多くは、ブレグジットの負の側面を本当に理解してるのだろうかと考えてしまう。
イギリスは栄光を取り戻せるのか。
Queenのギタリスト・ブライアンメイが、既にイギリスは大英帝国ではないのだと皮肉っていた。
そして、
これほどではないにしても、僕達の社会も似たようなものではないか。
人手不足と言いながら、ワーキングプアは減らない。
AI人材が不足してると大々的に語られ、政府や企業はその深刻さを強調するが、介護や保育の人手不足や低賃金環境の解決は遅々として進まない。
移民労働者を受け入れるといっても、公平に扱われる確信もない。
加えて、ギグ・エコノミーが少しづつ社会を侵食している。
最近見たニュースの食事の宅配サービスで働く人達の現状は、リッキーの置かれた状況そのものだ。
震災復興はまだ道半ばなのに、政治は高級ホテル50棟の建築をチラつかせる。
獣医学部新設は、十分な雇用を生んだか。その地域の経済を活性化させたか。
政治のお金の使い所は間違っていないか。
ケン・ローチ監督が、是枝裕和さんとのNHK番組での対談で「こうした社会格差などをテーマに映画を作ると、非愛国者のように言われるが、意味が分からない」と言っていた。
是枝裕和さんが、「万引き家族」で賞を取り、政府関係者から要請された面談を断ると、非国民と非難するものがいた。じゃあ、国民栄誉賞を断り続けるイチローも非国民か。
ちょっと考えるだけで、胸糞が悪くなることばかりだ。
政治や市場原理主義に翻弄されるちっぽけな家族。
経済が縮小すれば、社会的弱者にしわ寄せが行くのは必然だ。
既に共働きで仕事に追われ、時間が削られ、分断されている。
ギグ・エコノミーは更にこれに拍車をかける。
家族の会話の時間さえない。
疲労だけが蓄積されていく。
親はもはや子供の人生の道先案内人になることが出来ないのか。
怒りをぶつけあうだけなのか。
セブが、リッキーに、まだ働き方が足りないのではないかと言っていた。
セブも、ギグ・エコノミーに洗脳されてしまったのか。
政治から回答は得られそうにない。
僕達は今、人間や政治・社会システムの愚行が、こうした状態を生んだということを認識し、どうするか真剣に考える時に来ているのではないか。
僕は人間だからこそ変えられるのだと信じたい。
映画は娯楽で社会テーマは重いと言う人もいるかと思う。
しかし、僕達は、自身の知識や経験のみならず、現実からも逃れることは出来ないのだ。
でも、人間であるからこそ、イマジネーションを働かせて対処することも可能なはずだ。
是非多くの人に観てもらって、考えて欲しい。
原題タイトル「Sorry We Missed You」は、家族や親しい人に向けられた素直で温かい言葉ではないか。
リッキーの車を止めようとした、アビーも、セブも、ライザも、解答はなくても踏み出したのだ。
僕達も今ハッキリした解答はなくても、どうありたいのかを示すことは出来る。
リアルな現実を突きつけながらも、何かその先の未来を見つめようとする作品だったと思うのは、僕だけではない気がする。
じわじわと…自覚させられ…疲弊
まさにケン・ローチの現代ドラマで、非常につらかった。
今回の内容は、自らにも関わるようなことばかりで、じわじわと圧を受けられている実状を目の当たりにさせられ、自覚させられ、見終わってからもずっと疲れたままだ。
いわゆる映画音楽なるものは一切ない。ストーリーテリングや展開はシンプルで、過激でもないし劇的でもない。しかしながら、作品への興味というか集中力はこれまでにないものだった気がする。
ネット通販のこと、仕事のこと、家族のこと…何かしら心を揺さぶる事柄が秘められているはず。
イギリスのことながら、これはまさしく紛れもなく悲しい現代社会であり、見ていてつらい。日本にケン・ローチがいなくてよかったかも…
ケン・ローチ、怒りの一撃
この映画は巧妙で、観ている側も家族の争いに引き込まれて、「何が間違っているか」を見失いそうになるんだけど、主人公一家は頑固オヤジと多感な反抗期の子どもがいるどこにでもある家庭で、その家庭を壊すものをケン・ローチは暴いて明確にしていく。
「わたしは、ダニエル・ブレイク」よりもさらに研ぎ澄まされたケン・ローチの怒りが全編を貫いている。主人公の息子セブの「何かが間違っている」という問いにケン・ローチは答える。「あなたたちは間違っていない、愚かでもない。間違っているのはあいつらだ。」
時間とお金のバランス
ユーロライブにて試写会鑑賞。
ターナー家の父は運送屋、母は介護士、高校生の兄と小学生の妹の一家の物語。
父はマイホームのために1日14時間働き、母も同じくらい介護の仕事で働く。その為どうしても家族の時間というのは限られてくる。そんな中、兄は非行に走り、妹は兄の悪い姿を反面教師として成長していくが寂しさを助長していく。そんな家族の物語だ。
時間を削ってでも働くのはもちろん家族のためである。だがやはり家族といっても共にする時間がないとどうしても心が離れてしまう。そんな中、兄は悪さをするが、それはどことなく自分の存在を知らせてるようにも見えた。悪いことをすることで家族は自分に目を向け、自分の存在を認識してくれる。根っから家族に迷惑をかけたいわけではない。だから最後父親が怪我をした際には駆けつけたのであろう。
父も母もまた、狭い家で暮らすよりマイホームを買い家族がゆっくり過ごせるために日々汗水流して働いている。妹は小学生ながらそんな姿を客観的に見て、いい子でいる事で家族のバランスを保とうと必死になっている。作品内ではぶつかることばかりが多く、最終的にもぶつかったまま幕を閉じるが最初から最後まで家族は互いを想いあっている。ただそれが中々形とならないのが現代社会を現しているのかと感じた。
妹と宅配作業をし父と娘は幸せな一時を過ごしていたように思えた。ただそれも次の日には注意され二度とできない事に。
一家団欒食事している中、母が急に仕事が入ったが兄の提案で家族で母の仕事先に行くことになる。とても幸せそうだった。ただ翌日にはまたぶつかり合ってしまう。
幸せになりかけてもどうしても時間の余裕のなさが、引き金となり衝突しあってしまう。
では時間があれば幸せになるのか。そうすると今度はお金が減り違う問題が生じまたぶつかり合うとおもう。
この時間とお金のバランスというのがこの作品では強く考えさせられた。
上にも書いた通り、最後父は怪我をした体で職場に向かう。家族は制止したが振り切って向かった。
まだあのまま作品が続くのであれば、また父が家に帰ったあとぶつかり合うようにも思える。
結果この作品内では確固としたハッピーエンドは描かれる事はなかった。
それは時間とお金のバランスがターナー一家、そして社会全体としての答えが分からないからであろう。
その答えは鑑賞してる我々が考えるべきなのかもしれない。
そんな感じでこの作品内では具体的な答えは描かれてない。その答えを考えさせられる作品だった。
ずしりと重い
ロングライドさんのご招待の試写会にて
ケンローチ監督が引退撤回してまでも描きたかった
大きい資本に搾取されるばかりの
フランチャイズの個人事業主のドライバー
労基法みたいな救済措置もなくて
人並みな生活を送ろうとすると
罰金やらで逆に借金が増えていくことも
こんな現実に監督は怒り心頭なんだというのが映画のラストからも伝わってきた
働き方改革とか言っても
結局は大企業の利益(つまりは議員の利益)しか考えない日本も
ちょっとした違いはあれど同じ問題を抱えているなと考えさせられる映画
考えて欲しいっていうのが監督の伝えたいこと、ですよね!?
試写の後にトークショーがあり
映画関係者じゃなくて
日本の個人労働者向けのNPOの方が来て
日本の現状や問題点を映画になぞらえてお話しされていて
とても興味深く聞いてしまった
映画ってこういう広がりがあるから良い
そしてトークゲストを選んだロングライドさんナイスです!
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