家族を想うときのレビュー・感想・評価
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今の社会によって、内面化させられるもの。
新自由主義が自由かつある種の自立的な労働モデルを成り立たせる一方、劣悪な生活や労働に対する怒りや悲しみの声に自己責任と言って終わらせられる社会をもたらしました。
エンディングはあえて、あの形にしたのではないでしょうか?現実の何かが解決したと、私たちが錯覚しないように。
ケン・ローチが一度吐き出した引退という言葉を飲み込んでまで作った「わたしは、ダニエル・ブレイク」と今回の「家族を想うとき」。この作品の観賞後、自分ももしかしたら日本で生きてきて無意識に自己責任論を内面化していないだろうか、加担していないだろうかと考えさせられました。
どうしたら良いのか
Uber Eatsの配達員が共働きで頑張るヒューマンドラマかな?と鑑賞。
ケン・ローチ監督を知らなかったので。
ええっ、という驚愕のラスト。どこに救いがあるのかわからない。それでも、この家族が笑顔で暮らして行くにはどうしたら良いだろう。。と考えた。
普段、映画のパンフは買わないが、この社会問題と作品についてもっと考えたく購入。パルムドールを取るような、社会派の監督だったのですね。
胸にズシッとくる。映画って後が良いものばかりじゃないんだなぁ...
それでも見て欲しい作品。
これが人生だなんて想いたくない。
今年最初の映画。
新年一発目がこんな憂鬱な気持ちにさせられる映画だなんて。
とにかく上手く行きません。
何もかも上手く行かない。
お父さんが藁をも掴む思いで始めた宅配ドライバーも
お母さんが限界を感じながら続けてる訪問介護も
お兄ちゃんの反抗期による親子関係も
唯一の救いは妹の純粋さですかね。
でも、その妹もストレスで大変なんです。
映画の流れが、
小さな希望の光が見えた!→やっぱりダメでした。
の繰り返しなので、どんどん憂鬱になっていきました。
社会情勢で持っていた家も、上手くいっていた仕事も失って家族との関係も悪くなってもう辛くて辛くて。
舞台はイギリスでしたけど、日本や世界のどこでもあり得る状況だと思います。
というより自分がこの映画のようになっても不思議じゃないと思わされたのがより見ていて辛かったです。
確かに、土俵際いっぱいになった時には家族が団結したり仲良くなったりしますけど、それだけじゃどうしようもない。世の中甘くないんだよって言われてる気がして凄く刺さりました。
ちょっとトラウマになりそうな映画だったので、おちゃらけハッピーな何にも考えなくていい映画見て回復したいと思います。
もはや他国の話しとは思えない。
人は生まれながらにして平等じゃ無いし、頑張れば必ず報われる訳でも無く… 家族の絆、幸せについて考えさせられるました。
イギリス舞台の貧困家庭の話はよくありますが、もはや他国の話しとは思えませんでした。
見慣れない俳優さんばかりでしたが、素晴らしい演技に引き込まれた、流石にケン・ローチ、新年の一本目にふさわしい、考えさせられる作品でした。
2020年 2本目「どうしてこうなってしまった?」答えのでない疑問
「家族を想うとき」は、お父さんもお母さんも誰も間違ってないのに「どうしてこうなってしまった?」と見てる観客も思う映画だった。家族がいる事の大切さと、その大切な家族を守ることで家族が壊れてしまう怖さ。
必死に働く事が家族の人生を壊してしまう。普通に暮らすということは、精神的な余裕が無いとダメね。余裕というのは、金銭的なものもあるけどそれよりなにより精神的な余裕が必要ね。
主人公の夫婦、奥さんが介護している人達と「良い人」が出てくる映画。良い人たちが、尊厳を持って生きられる世界にするにはどうすれば良いのか。弱者を救うセーフティネットは、明日の自分を助けてくれるかもしれない。とても大事なものね。
この家族の悲劇は世界標準だろう
予告編を見て観るか迷ったが ケン・ローチだしなあと。
ここにあるのは、多額の借金、過酷な労働、両親の喧嘩、先が見えない若者の焦燥など、貧乏人にとっては標準装備かつ世界標準の悲劇。
エンディングで父親の暴走を止めようとした家族。これが希望だ。優しかった。正直うらやましかった。たとえ壊れたとしても、この記憶が罪の意識を和らげてくれるだろう。
私は止めなかった。
まあ、事実は映画より厳しいということで、客観的に観ることができない作品だ。
息子がグズ過ぎ
父さんも母さんも善人だし必死に働いてるのに、いくら反抗期だとはいえ息子がグズ過ぎ。
そしてやり切れない展開と救いようのない話。
誰のせいでもないのに善人が苦しむ姿を見せられるだけの映画って、、、ツラ過ぎる。
苦悩する家族の姿が、リアルに描かれた作品。
家族思いの健気な少女の告白に泣けた。
家族の為に奮起する父の姿に、
背負っていかねばならないものの
大きさを感じました。
他者に優しくありたい、改めて
そう思わせる映画でした。
そして、総ての働き手の労働により
この社会が回っているという事を、
企業、雇い主、恩恵を受けている私達が、
感謝する心を忘れてはいないだろうか、
という監督の思いを感じ、今も心が苦しい。
解決策なき告発
何があっても休めない。
仕事の問題が家庭に、家庭の問題が仕事に波及する。
ドキュメンタリー好きの自分も、ドラマでしか描けないもの、ドラマであればこそダイレクトに表現できるものを思い知らされた作品だった。
素晴らしいレビューが多く、これ以上、自分ごときが何かを付け加えるのは愚であろう。
この映画が、いかに日本にも100%通じるリアルな話であるかを物語っている。
ただ自分は、映画「わたしは、ダニエル・ブレイク」の方が好きだ。国の「保険制度」という、明確なターゲットがあったからだ。
本作品のテーマは、運送業に限らず、広く“名ばかり自営業”すべてに当てはまる。
しかし、本作品のターゲットは、「市場原理主義」のもたらす弊害だ。どこに解決策を求めたら良いのだろうか?
全ては家族のためなのに
最初から最後までずっと苦しかった。家族の為を想っての行動でしかないのに、一つ一つの決断が亀裂を生み、広がり、どうしようもなくなってしまう。イギリスの貧困層の社会問題を描いていますが、日本でも起こりうる、むしろもう存在しているんだろう問題だと思います。
正直、長男セブの行動にイライラしてしまい、彼を悪者みたいな目で観てしまいましたが、この家族は彼をそう思ってはいなかった。やっぱり何をしても愛する家族だしお互いを想いあっている。だからこそ、ラストの表情に胸が締め付けられました。
エンドロールが流れ始めた時、涙が溢れました。本編で張り詰めていた緊張が解けて、想いが込み上げてきてしまった。
ケン・ローチ監督、さすがです。
これは映画じゃなくて、現実
映画の全編を通して、監督が投げかけてくる問いを描いた作品
この一家は、きっとどこにでもいる、日本にもいる普通の一家
家族のために働くのに、それが家族を壊していく
反抗期を思いっきり迎えてしまった長男と、すぐキレる頑固オヤジとのバトルすら、壊れかけた家族の一片に思えてくる
それでも、家族同士の愛情がそこかしこにあって、みんなが家族をよくしたいのに、歯車が噛み合わないかのように、うまくいかないのがよくわかる
頑固オヤジをボロクソに言う反抗期の長男が見せる優しさや思いやり
なんとか家族をよくしたいのに、想いが違う方に作用してしまう長女
すぐキレる旦那をなだめながら、疲れ果て、それでも家族を守ろうとする母
そして、ただただ家族を愛して、守りたくて、必死で働くのに、なにひとつうまくいかないような状況に追い込まれる父
確実に今の日本にもある社会の抱える闇がそこに垣間見えてくる
重いけれど、じわじわと染み込んでくる作品
「冷蔵庫にパスタが…」
ケン・ローチ伯楽の渾身の作品といったものである。フェードインインフェードアウトの場面転換、ここぞのラストでの薄くしかし効果的に演出されるフィルムスコアもさることながら、オーバーな演出や過剰なシーンを排してもその厳しさをきちんと表現出来ている構築、心中に響く慟哭、この世の地獄を体現させる印象付け等々、その辛さの押し引きを見事に織込まれていて、フィクションだとはまるで感じない自然さを醸し出している。『ワーキングプア』等という、昔ならば小作人からの搾取が、この現代に於かれても以前として進化しない社会構造及び仕組みに対しての怒りと悲しみそして諦観を、鑑賞した者全てに深い爪痕として残すメッセージ性はとてつもなく崇高な内容である。劇中の家族に訪れる現代の悲劇を、唯こうして観ている以外なすすべもないもどかしさ、嘆きを一体何処にぶつければいいのか、これ程複雑な状況になぜ陥らなければならないのか、これはもはや砂漠で一人取り残された絵が浮かぶような心持ちなのである。子供達の頭の回転の良さや優しさや勇気のみが、この作品の救いなのである。大人達はもうこの爛れた世界を組立て直すことは出来ない。諦めのみが支配している現状を、ラストの父親の満身創痍での仕事へ向かう悲しい姿のカット一発で表現させてのエンドは、これ以上ない位の居たたまれない苦痛が充満した落とし方であった。普通の作品ならば、ここからが家族達の逆襲シークエンスとしてカタルシスをプレゼンスされるのだろうが、それ程甘くはないと、監督の厳しい叱咤が劇場内にこだまするようなそんな怒気を込めた叫びに、自分の人生のダメだしをされたような気持を抱いたのである。今作品は、“真剣”に時代を憂いているのだ。“不在票”なんていう概念がこの世を滅ぼすとつくづく感じる、心を掻き回された作品である。
働けど働けど搾取される名もなき人々
イギリスの名匠、ケン・ローチ監督の映画はそんなにも多くの本数は観ていないのですが、NHKの『クローズアップ現代+』でのケン・ローチ監督と是枝裕和監督との対談番組を観て、今回、一度は引退を表明していたのをあえて前言を撤回してまで撮りたかったという、この話題作を心待ちにしていましたが、公開日から出遅れましたが、ようやくながら、12月26日(木)に京都で唯一の公開館であるMOVIX京都まで鑑賞に出向いて来ました。
率直な感想と致しましては、今作には本当に泣かされてしまいました。
今年の劇場鑑賞は映画納めのつもりで鑑賞に出向いたのですが、最後の最後で、凄く強烈な訴求力を持つ映画に出会ってしまいました。
それ程に、まさしく傑作でした。
イギリスのニューカッスルで家族と共に暮らすリッキー(クリス・ヒッチェン)は、効率よく稼げるという謳い文句の宅配ドライバーの仕事に就く面接のシーンから、映画は始まります。
フランチャイズの「個人事業主」として運送サービスを提供し、給料ではなく運送料を受け取るという契約。
「勝ち組になるのも負け組になるのも自分次第」というのが、独立ドライバーという触れ込みでした。
借金を背負い生活も苦しい中で、妻の訪問介護の仕事用の車を手放し、大きなバンを購入すると、彼は早速仕事を始めました。
10年前、世界的な金融危機のあおりを受けて、住宅ローンが組めなくなり、持ち家の夢も、安定した仕事も一度に失ったリッキーは、妻と二人の子供たちの幸福、そして自分自身の誇りのために、1日14時間の週6日勤務という過酷な環境の中で、真面目に勤務を続け、生活を立て直そうと宅配の仕事に賭けるのでした。
ですが独立ドライバーとは名ばかりで、実際には「本部」が決めたスケジュールに従って働きづめ。しかも何かあったら自己責任の上に罰金が科せられる。それがこの業界でのルール。
彼の給料だけでは二人の子供を育てていくには家計の遣り繰りが出来ないため、夫婦共働きで、訪問介護の仕事をするアビー(デビー・ハニーウッド)も、「本部」からの理不尽な決まり事に振り回されて困惑しているのでした。
この様に、「本部」のほんの一握りの支配層の人間のみが莫大な利益を得るといった巧妙な搾取の構図に、末端の独立ドライバーであるリッキー達や、或いは民営化された訪問介護の介護士として働く妻アビーは、金・時間をからめとられて、やがて疲弊していく。
また、両親の仕事が忙しくなるにつれて、家族が一緒に過ごす時間が減っていき、小学生の娘のライザ・ジェーン(ケイティ・プロクター)は不眠症気味になり、高校生の息子のセブ(リス・ストーン)は不登校になり、街でグラフィックアートと称してスプレー缶で落書きをすることに没頭するようになるのでした。
といった様に、家族を守るために、いつかマイホームを持ちたいという夢を叶えるため、その日のために懸命に働いているのに、少しずつ家族はすれ違い、家庭が揺れ始めて行くのでした・・・。
といったイントロダクションの映画でした。
携帯電話やインターネットの普及、情報化の加速、レスポンスの即応化などにより、世界経済はすっかり一変し、人々は時間に追われ、余裕を失ってしまい、いつしか人間らしい生活がないがしろにされてしまった。
低価格競争、24時間サービスの提供、顧客満足度の指標化による管理体制など、そもそもその舵を切ったのは、国の経済政策や事業主なのかも知れないですが、その背景には、私たち消費者個人の際限なき欲望があります。
そして、今作の宅配ドライバー達の雇用主でもある上司マロニーは言う。
「ドライバーの寝不足なんて誰も気になどしていない。興味があるのは、いかに安く、より速く、という事だけだ。」と。
疲弊した労働者、冷たい目の雇用主、そのどちらの立場もが我々自身の姿にも重なる。利便性と効率化を突き詰めた先に一体何があるのか。「このままで良いのか!」とケン・ローチ監督は、この人間性を失いつつある社会の構図に、怒りをこめながらも、労働者たちに取材した上で繰り広げられ、淡々と見せつける、この現実に即した物語が、魅力的な役者たちの身体を通して私たち観客の胸に迫ってくる。
ケン・ローチ監督は、前述したNHKでの是枝裕和監督との対談番組で、労働者階級の問題を捉えた作品には、労働者階級の出自までにも拘ってキャスティングするというだけあって、主人公のリッキー役は、元配管工の労働者で、40歳を機に俳優業に挑んだというクリス・ヒッチェンを起用するなど、あまり知らない俳優陣でしたが、俳優業のプロ、アマを問わずにその役柄の雰囲気を醸し出すキャスティングに徹したそうで、半ばドキュメンタリー映画っぽく見えるのもそのせいかも知れないですね。
そしてまた、映画化に当たっては、徹底的なリサーチにより、ドライバー達がトイレに行く時間がないのでペットボトルに済ませるとか、盗難保険に入っていない品物はドライバーが弁償するなど、業界の裏側が具体的に描き込まれてもいました。
先に挙げた様な新自由主義的な経済政策や行き過ぎた個人主義がいったい何をもたらしたか。
凝視をいざなう人間ドラマの力は、どんな文章を連ねるよりも雄弁とも言えるでしょう。
また、原題の『Sorry we missed you』には2つの意味を有する、所謂、ダブルミーニングなタイトルですが、1つは、映画の中にも出てきますが、宅配の不在票に書かれた「お届けにうかがいましたがご不在でした。」という慣例表現。もう1つは「あなた方を見逃していてごめんなさい。」という文字通りの意味で、ここにケン・ローチ監督自身の気持ちが顕著に表れていると私は思いました。
スキャナというちっぽけな機械端末に押し込められた宅配ドライバー達。或いは、置き去りにされた老人達。利益を生まなければ無駄として切り捨てられる現代社会。何かが少しずつ歪み、噛み合わなくなっていき、この物語のリッキー一家も、両親が家族との時間を取れないがために、非行に走る高校生の息子セブに振り回されて、急遽、休みを取ったがために配送サービスでの収入が入らない上に、罰金が科せられるシステムから負の連鎖が始まり、映画の中での妻アビーの台詞ではないですが、「蟻地獄へ足を取られてズブズブと沈んでいくのを止められなくなっているのが怖い。」状態へと突き進む。
そして、家族崩壊の危機に直面し、小学生の娘が採ってしまった行動には思わず泣かされてしまいました。
また後半に、雇用主でもある上司に妻アビーが電話口で怒鳴ってしまうシーンでは、いくら雇用主と取り交わした契約に基づくルールとは言え、私もあまりにもの理不尽な要求に怒りが込み上げると同時に、このシーンでも泣けてきました。
1936年生まれの御年83歳のケン・ローチ監督は、前作『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016年)にて、今の社会への痛烈な異議申し立て的な社会派ドラマにより、カンヌ国際映画祭にて自身二度目の最高賞のパルムドールを受賞したこともあってか、年齢的なこともあり、次回作を作るかどうか明言を避けていました。
でも今回も撮った。現代社会の片隅で苦しむ人々に心を寄せて、彼ら彼女らを取り巻く理不尽な現状への怒りを全カットから静かに滴らせる映画を。
従いまして、私的な評価としましては、
ラストシーンがちょっと気懸かりな終わり方ではありましたが、概ね、現代社会における人間性の欠如を捉えた、今の社会への痛烈な異議申し立て的な社会派ドラマとして充分にガツンと来る作品として強烈な訴求力を発揮した映画でしたので、五つ星評価的には、ほぼ満点の★★★★☆(4.5点)の評価も相応しい作品かと思いました次第です。
今年(2019年)のベスト10圏内にも相当する映画かとも思いました。
ニューカッスルのマンUファン
観た映画のチラシを保存することにしたのは昨年からです。だって、何を見たのか、それがいつの映画だったのか、誰が出てたのか等々。全然、記憶できなくなってしまったから。尚、パンフは滅多に買いません。数えてみると、今年は5冊です。でも、取ってるだけで、どちらもあまり見ないw
でね。珍しく、今、この映画のチラシを眺めてるんですけど。
「家族を守るはずの仕事が、家族を引き裂いてゆく」
まぁ、確かに。でも、仕事が引き裂く訳じゃない。しかめっ面で遅く帰って来て、カリカリして怒り声を上げてる、お父さんの態度が問題なんですけど。
「それでも負けない 気高く力強い絆を描く感動作」
確かに、母子三人については、そんな感じでしたけど。でもでも、負けてるでしょ。判って無いでしょ。お父さん一人が。
「今を生きる私たちを吹き飛ばそうとする嵐に、名匠ケン・ローチ監督が正面から立ち向かう」
いや、この作品を「立ち向かう」って言うのか?それはぁ、ちょっとぉ、違うと思うぅ。
「いったい何と闘えば、家族を幸せにできるの?」
そんなん、オノレ自身や無いの。「吹き飛ばそうとする何か」に負けないココロで家族と向き合えば良いのであって。
マンチェスター・ユナイテッドがマンチェスター・シティに優勝をかっさらわれた、と言うか、逆転優勝を逃したのは2011-2012シーズン。イングランド・プレミアリーグの最終戦。アウェーでサンダーランドを下したマンUは、ホームでQPRに1点差で負けていたマンCの試合終了を待っていました。このままシティが負けるか引き分けなら、マンUの優勝。ところが。シティはロスタイムの4分間で2点を奪い逆転し優勝します。同点弾を叩きこんだのはセルビアモンテネグロのエースだったジェコ。逆転弾を奪ったのが、アルゼンチン代表FWのアグエロ。
ニューカッスル・ファンの男は、このゲームのことでマンUファンであるリッキーをからかいます。でもね、「ルーニーの増毛問題」や「サー・ファーガソンの後任であるデイヴィッド・モイーズやルイ・ファン・ハールがグダグダなサッカーをさせた事」などなど。もっともっと、マンUファンの血を逆流させるネタは、他にもたくさんあるんだけど。ちなみに、今ニューカッスルには武藤嘉紀が所属しています。フーリガンの国、イギリス。サッカーの話で、顧客とマジで言い合いをする場面は、リッキーが労働者階級の典型である事の描写です。
最近、救われる気分にしてくれる映画が好き。逆がダメ。丹念に撮られた、リアリズムに満ちる「ある一家庭」の物語は、恐ろしく長さを感じる100分の物語。救いのないラストに、薄暗いモノだけが、心の中に沈んで行きます。奴隷契約のオーナーフランチャイズ制は、英国内の労働問題、雇用問題の厳しさの象徴なのでしょうね。
手に入りそうだったマイホームを、金融ショックのあおりであきらめざるを得なかったリッキーは、焦りで自分を見失っている。ただ昔の父親に戻って欲しい、自分を大切にして欲しいと言う家族の想いは、全く届かず。家族の為だと言いながら、VANを運転し仕事に向かうリッキー。
救いが無い。ほんのちょっと、何かを示唆するだけでも良いので、明るい気持ちにさせてくれるモンが欲しかった。
私たちは闘っている。社会的な成功は無くとも、幸せを感じられるモノを持っていれば良い。それを守るために闘っている。そんなんを、暗に期待してたので、かなり寂しい終わり方でした。
いずれにしても。ケン・ローチ、って言うか、脚本書いた人は、マンUファンの気持ちが全然分ってない人だと思いますだ!
「悪」は所長…なのか?
胸苦しさを感じながら劇場を出た。
世界中で深刻化する貧困・格差・高齢者問題を労働者家族の視点でかなりストレートに描いた作品。
『Sorry. We missed you.』のタイトルも、振り返るとまたよくできている。
【以下、若干ネタバレ含みます】
あのバカ息子でさえ、家族を想う気持ちは同じ。それなのにそれぞれの立場で感じる、「今の生活をなんとかしたい」・「昔のあの頃に戻りたい」といった思いが、結果として自らをさらに苦しめていく。
小さな「救い」は作中にいくつも散りばめられてある。
家族で介護先に向かった車内での束の間の時間。
介護先の老人「私もまだ役に立っているの?」「私はいつもあなたから教えを頂いているわ。」
しかし、現実の地獄は残念ながら解消されない。あくまで貧困に喘ぐ者同士の傷の舐め合いにも近い。
この物語では、所長のマロニーが象徴的な「搾取する側」としてヒール役を請け負っているが、「マロニー憎し」でこの物語を観るのはやはり浅薄な気がする。
あの事業所が、もし万一に備えて余剰人員を抱えたり、機器の保証金を整備したり、保障制度を準備すれば、当然それは料金にシワ寄せがいき、業者間の戦いに負け、結果主人公たちの仕事も失われる。
そのためのフランチャイズ契約なのだ。
「資本主義とはそういうもの」
しかし、いわゆる『神の見えざる手』はこの現代経済においては機能を失い、暴走の一途をたどっているのは明らか。
そして、彼らをそうさせているのは、我々顧客でもある。
そこでハッとする。
劇中で描かれた届け先の客の姿。
大半は横柄で、自分勝手で、ルールを守らない。
突然、監督の銃口はこちらにも向いていることに気づく。
この異常な価格競争を後押ししているのが世界中の人々の「貧困」であることを考えると、結果的に主人公一家を苦しめる負の連鎖は、この世界そのもの、さらには我々自身の姿でもあるとも感じる。
この家族が大きく躓くきっかけになったのはあの「(イギリス版)サブプライムローン」であったことも含め、やはり憎むべきは個別の強欲業者でない。
個々の消耗戦は既に限界を超えている。
暴走し続ける格差に社会制度がどう歯止めをかけられるのか。
気の遠くなる様な課題、もう日本国民は政治の傍若無人とメディアの怠慢に呆れ、いつの間にか「諦め」さえ感じているこの命題を、あえて気休めに救済される話ではなく厳しい現実として突き付けてくる。
決して観客を幸せにさせてくれる映画ではないが、こういう「ザ・映画体験」という作品の存在も大事。
全158件中、81~100件目を表示