家族を想うときのレビュー・感想・評価
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ケンローチ監督の作品だったので
観てみたいと思いました。私はダニエルブレイクも大変見応えがあったから。出だしからよく似ているなぁと思ったけど、両作品とも手に汗握るタイプ。この作品は胃まで痛くなりそうだった。病院で待たせられる時間が今のイギリスを表しているのか?病院へ行ってもなかなか診断されるまで忍耐がいる。因みにこの様な場合、日本なら救急扱いですぐ見てもらえそうな気がする。息子が問題ばかり起こし荒れているのか?この両親を見ながら育ってこの息子はないなと思った。家族を思えば、どんな苦労も厭わない、そんな素敵な両親。いつも声を荒げない母親に感心した。鍵が無くなる事件も真相に驚いた。娘はとても親想いだったから。父親が交通事故でも起こしたのではないかと不安にさせられる終わり方だった。そうでない事を祈りたい。
責任なき世界
最近良く耳にする『ギグエコノミー』のシステムの本質が、今作を鑑賞して良く理解できました。単純に企業が社会的責任を負わず、個人に全ての責任やリスクを負わせる働き方なんですね。
Amazon、Uber、セブンイレブン、便利です。コロナが流行していると、特にそう思います。しかし、この便利さが安価で提供されるのは『何か』がおかしいのではないか?その『何か』を今作は分かりやすくリッキー一家で表現しているのだと思います。
労働で疲れている人が増えれば、事故や病気、暴力が増えます。賃金が少ない人が増えれば、娯楽が減ります。食べる物がなくなれば、泥棒や犯罪が増えます。この様な人達が増えれば、安全にお金がかかり、医療費が上がり、映画館やレストランが潰れます。自分自身も失業や貧困とは無縁でいられません。つまり新自由主義は、倫理的に考えても経済的に考えても99%の人にとっては、非常にリスキーなシステムではないでしょうか。
労働者の象徴であるリッキー一家の結末は、一体どうなるのか。この状態でまともに子供達を育て上げて老後を安心して過ごせるのか。新自由主義社会の答えはもう既に出ていると思います。自己責任?馬鹿言うなと言いたいです。
こういう話の場合、大抵最後に好転して終わるものだけど、この作品の場...
こういう話の場合、大抵最後に好転して終わるものだけど、この作品の場合良くも悪くもならない。漕ぎ続けなければ沈んでしまう船の如く。同じ監督の「私はダニエルブレイク」ではそれでもどこかしら希望のかけらが見出せるような終わり方だったけど、こっちはリアルの追求。より切迫した問題提起の形になっていると感じた。
わたしはダニエルブレイクと合わせて見るべき1本
イギリス行ったことないけどなんとなくイギリスのリアルな空気感を味わえる。
あとは人間のアンコトロールというか抑えられない溢れ出てくる感情を表現するのがとても上手な監督だと思います。
「わたしは…」には及ばずだが、ありがとう、ケン・ローチ監督!
私の映画人生の中では
「わたしは、ダニエル・ブレイク」
は大変な名作で、大いなる期待の中で、
ケン・ローチ監督のこの次回作を観た。
しかし、「わたしは…」に続くテーマ自体の
社会的価値は別にして、
映画自体の出来は残念ながら
「わたしは…」のレベルに及んでいない
ように思えた。
原因はこの家族にもたらされる困難が
家族自体に起因する要素のウエイトが
高過ぎたり、突発的事件を絡め過ぎ、
社会的観点性が薄まってしまったため
と思う。
例えば、長男の暴力事件で
警察官からのせっかくの貴重な諭(さとし)
にも係わらず、
彼がまだ親に反抗するのは、
実は妹が家族の時間を得ようと
車の鍵を隠したエピソードを作るため
のように思えてしまうし、
主人公が仕事中に強奪犯に襲われるシーンは、
都合良くストーリーを繋ぐためと見えてしまい不自然だ。
また、ラストシーンでの骨折しているかも
知れない中で仕事に向かおうとする主人公、
問題提起にとどめを刺そうとする
ためだろうが、
やはりそれもリアリティを欠いてしまった。
逆に「わたしは…」のような、
主人公が蒔いたヒューマンな種を
感じられたように、
例えば主人公の妻からの怒りの電話を受けた
宅配の責任者が、
主人公家族に理解と救いの連絡をしてくる
などのシーンが欲しかった。
彼もある意味、非人間的システムの被害者
な訳で、
その彼が最後まで効率論だけの人間のまま
全く変わらないのでは
数多く登場する意味が薄くなって
しまわないだろうか?
結果、
社会構造の矛盾に対抗出来るのは
家族の絆
だけしか無いような展開は
「ダニエル…」からは後退してしまった
ようなイメージだ。
子供達の将来に希望の伏線は設けたものの、
「わたしは…」で感じられた社会的な希望
には繋がらず、
ストーリーのリアリティ不足からも
感動が薄くなってしまった。
この作品では社会への怒りが
少し空回りしてしまったような
ケン・ローチ監督だが、
「わたしは…」を体験出来ただけでも
私の映画人生の記憶の中に
名監督として刻むことが出来た。
労働者の悲哀と家族の想いを届ける
見ていて自分と重ね合わせ、身につまされる点が多々あった。
主人公は、宅配ドライバーの男。
と言うのも私、某大手宅配会社で同様の仕事をしているからである。
宅配の仕事って、大変なんです。
その日自分が受け持つコースのほとんどは午前中指定。多ければ個数で言うと100個以上。それを確実に届けなければならないし、遅れは勿論ダメ。
午後は残りの荷物は配達しつつ、今度は顧客先から出す荷物のお預かり。こちらも確実にお預かりしなければならないし、預かり漏れは絶対ダメ。特に会社などから出す重要書類は預かり忘れたら、ドエラい事になる。
配達地域も隅々まで覚えなきゃいけないし、どう効率よく回るか自分でルートを組まなければならない。
劇中で出てきたああいう機器、本当に使ってる。一年ほど前に支給された今使ってる新機種はなかなか使い易いんだけど、その前の機種、メチャクチャ使い難かったんだよね~。会社の現場に対する嫌がらせか!?…と思ったくらい。
お客さんは十人十色。劇中での客はちとステレオタイプだと思った。勿論ムカつく客、面倒な客、ワガママな客は居るが、全員がそうではない。会社もほぼ毎日行く所が多く、個人宅も常連さんが多いので、「どうもです~」「いつもご苦労様~」…と、こんな感じ。お国柄の違いかな…?
さすがに劇中で主人公を“襲った”ような事は無いが…。これもお国柄の違い…?
お客さん以上に面倒なのは寧ろ、会社そのものの方かもしれない。会社は“数字”しか見てない。数字を上げ、数字さえ良ければそれで良し。数字が全て。実際の集配の現場は、数字なんかで表せないほど大変。劇中同様の機器で管理され、イライラするほどの細かいルールも。年に一回、監査も入る。って言うか、コイツら、何が偉いんだ!?
さすがに劇中ほど過酷ではない。劇中では、毎日14時間、週6日、中には14日も休みナシ…あれはブラック企業レベルだ。あの上司も心を鬼にした鋼の精神の持ち主である傍ら、パワハラレベルだ。
一応我が会社も働き方改革でより現場を改善しようとしている、その真っ只中。
去年の超大型台風列島縦断の時一度だけ営業中止になったが、豪雨の日も強風の日も雪の日も。毎夏毎夏炎天下でも。(よく熱中症にならないもんだと自分でも驚き)
会社やそのお偉いさんの言い分も分かる。会社の社会への信頼、社員やその家族、生活の為。
でも、まだまだ現場の声がしっかり届いているとは言い難い。
何も劇中の宅配業のみならず、会社と働く側、働き、家族を養う人皆に響く。
誰もが共感するだろう。
前置きが長くなってしまったが、別に本作は、宅配業の知られざる裏側を描いた作品ではない。
厳しい生活と労働のある家族の物語。
家長のリッキーはマイホーム購入の為、個人事業を始める。それが、フランチャイズの宅配ドライバー。
はたらけば働くほど稼げる理想的な契約に思えたが…、実際は厳しいノルマや罰金などで借金は膨らみ、ろくに休めない日も続く。
妻のアビーもマイカーを売り払い、訪問介護で夫を支える。が、こちらの仕事も過酷で、突然の呼び出しなど時間外労働は当たり前。
忙しい両親に子供たちは不満を募らせる。まだ子供の長女ライザは寂しく、特に問題なのが思春期の長男セブ。何かと父に反発。事ある事に問題を起こす…。
久し振りの家族4人揃っての夕食。
談笑弾むも束の間、アビーが呼び出し。
父も母も出勤が早かったり、帰宅が遅かったり。家族が集う時間は稀。
そうなると当然、家族にすれ違いが…。
思春期の長男はその鬱憤を晴らすかのように、近所に“広告”と自称する落書きをし、学校で喧嘩、さらには万引きで警察にご厄介…。
学校や警察から呼び出されるも、仕事してる身としてはなかなか抜け出せない。
何とか抜け出すも、それは仕事やその日の稼ぎを放り出して。
家で説教してもセブはスマホいじってばかりで反省の色ナシ。それ所か父親に楯突く。
つい、手が出てしまう…。
いや、別に殴ってもいい。生意気で反抗してばかりで口だけのガキは一発殴るのも教育の一つ。それでDVだの体罰だのあーだこーだ言う輩や社会こそヤワ。
だけどそれは、あくまで覚悟の上で。それで分かってくれるか、それとも…。
この家族の場合、後者だった。
仕事も家庭も、何もかも上手くいかない。
何が悪いのだろう…?
何処で間違った…?
父親としては家族の為、家族を犠牲にしてまで働いている。だが、その想いが届かない。
子供としては親に親らしく出でる欲しい。なのに…。その想いが届かない。
一番身近なのに、このもどかしさ。
父親と長男の亀裂は決定的なものに。
支え、間に入る母親も疲れて果て…。
長女は寂しさと哀しさを募らせ…。
この家族は、もう…。
家族が再び絆を取り戻すには、きっかけが必要。
それは、痛々しい事態で。
父が仕事中、暴漢に襲われ大怪我を負う。
病院で診察を待っている時に会社から電話があり、盗まれた荷物と壊された機器と仕事に穴を開けた分として更なる罰金。リッキーが家族の為に有給を取ろうとした時も一蹴し、あのクソ上司、マジでムカつく!
その時、妻が汚い言葉でクソ上司に言い返す。妻はすぐ後悔したが、いら~胸がスカッとした! この時待合室で皆が同じ表情を浮かべ、妻の言葉は労働者たちの心底からの代弁なのだろう。
父親が怪我をした事で、家出していた長男が戻り、父を心配。あれだけ大喧嘩した後なので何だかこっ恥ずかしいけど、これが父親と息子なのだ。
翌朝、父親は怪我をした痛々しい姿のままでこっそり仕事に行く。それを止めようとする長男。続いて妻も。
それでも父は仕事に向かう。
働けど働けど。
ラストシーンの涙は胸打った。
厳しい社会、仕事、生活。しかしそんな中でも、家族の想いは誤配する事無く届いていた。
父親は無事、仕事を終えて家族が待つ家に帰れたろうか。ただただ、そう願う。
名匠ケン・ローチが、前作『わたしは、ダニエル・ブレイク』後の引退を撤回してまで撮った意欲作。
イギリスのみならず世界中の労働者の悲哀がある限り、社会へ問題や疑問を投げ掛け続ける。
ギグ経済で人間生活の歪みがより酷くなってる
この映画で伝えたいことは、今の現在社会で、無視され置き去りにされがちな人々を『miss』(英題は Sorry We Missed You )してはいけないと言ってると思う。うまく言えないけど、この新しいギグ経済の仕組みの中で動いているが、社会の歪みのなかで、もがきながら懸命に生きている市民を見(miss)逃さず直視しろ ということだと思う。そして、人々がまず気づかなければ(意識化しなければ)、または無視してしまえば、社会は良い方に変わらないよと、言ってると想う。
現在、ギグ経済(Gig Economy)の時代で独立採算のフランチャイズの傘下に入ったが、働き手のリッキーは会社(PDF)
から保証されるものははっきり言ってなにもない。会社はリッキーの雇用で発生する人件費、福利厚生、人材育成にかかる時間やコストの削減。でも、リッキーの負担は一日休んだだけで発生する。
リッキーの家族は怠けていないし、必死に生きていても負債が増える。この映画を観て、ジェフ ベゾスのアマゾンとオーバーラップしたのは私だけだろうか。アマゾンがファランチャイズかどうか全く知らない。それに、アマゾンは一軒、一軒、認めのサインを貰わず、荷物を入り口に置いていく。トラッキングシステムがあるから、オンラインで買った人のスマホにいつ何時に荷物がつくかわかるらしい。個人的にアマゾンをボイコットしているので、システムはよく知らない。これを契機にアマゾンのドライバー募集を読んでみたが、詳細は連絡して聞くか面接したときでないとわからないようだ。他にも、タクシーのような働きをするウーバーがギグ経済の旗頭かもしれないが、一度も利用したことがない。
フリーランスの仕事もそうだ。私は個人的にフリーランスで、先生をしたことがある。先生が必要なときには声をかけてくるが、他は一切何も言ってこない。そして、声をかけられても、教えにいく場所は80k離れていたりして、ガソリン代も車に関すること事故は一切払ってくれないし、一件につき70%が私の収入になり、そこから州税、国税を払うし、必要な経費はすべて私持ちで、割りの合わない仕事だった。私は、他の仕事を持って収入があったから、フランチャイズの仕事を選り好みした。しかし、先生業でも定職がなかったら、リッキーのように、全てを犠牲にして稼がなければならない。果たして、近代社会の落とし子ギグ経済は弱いものの(所得が少なかったり、安定した仕事を持っていない)見方ではない。
映画ではフランチャイズといいながら、自分の車に娘を乗せたら、批判される。全てが雇用者の都合のいいようにできている。特に労働者階級のフランチャイズは自分や家族を犠牲にしても、生活していくため、働き続けなければならない。ここが問題なんだ。この映画の最後の恐ろしいシーンがこれを証明している。
コロナ感染のなかで、選択肢がなく感染しても収入がなければ家族を養えないから働きにいく人たちがいる。それに、落雷後の山火事で、空気資質が165もあって、危険だからなるべく中にいるようにと通達があっても、外で働かなければならない人たちがいる。不正なことだが、こういう人たちを犠牲にして、社会は成り立っている。
ケン ローチ監督とポール ラヴァティ脚本家、レベッカ オブライアン製作.
ポールは弁護士だし、ケンも多分弁護士になる勉強をした監督だと思う。この3人の社会の草の根運動の社会正義感にはあっぱれと声をかけたくなる。この宅配の現実ををこれだけリアルに追えるポールの洞察力や脚本力はすごいし、素人の俳優たちの(リッキーはちがう)演技もうまい。この演技から家族一人一人の優しさが伝わってくる。お互いに欠けていてもなにか助けあって、家族をうまく繋げていこうとしている。
{8/20/20}
ケンローチの映画はかなり観ているし、社会派の監督は大好きだ。でも、この映画は怖くて観ていられない。だから一時中断している。なぜかというと、家族の父親が日本流のアマゾンの配達員をフランチャイズで始めるから、車がいるので伴侶を犠牲にして、仕事を始める。これが、もう問題に思えるので怖くなった。その次に配達の会社で、荷物をスキャンする小型機械はとても高いもので、なくしたら自腹で弁償だと言われた。これがまた私に恐怖を与える。絶対にこういうものを壊したり、なくしたりする問題がおきる。交通渋滞で、配達先も見つかり難かったりして、なにか起きそう。恐怖感が襲ってきて、一時中断している。(8/14/20)
懸命にもがけばもがくほど大きな穴の中に沈んでいく
映画「家族を想うとき」(ケン・ローチ監督)から。
原題「Sorry We Missed You」は、字幕では「不在連絡票」と訳され
邦題「家族を想うとき」となかなかうまくつながらなかったが、
日本「万引き家族」「韓国「パラサイト 半地下の家族」に近い感覚を
持ちながら、観終わった。
共通しているのは、どの国の家族も「ハッピーエンド」ではなく、
「辛い、切ない」想いが最後まで残った。
「どこかで思い切らなきゃ一生賃貸暮らしだ」と、家族のために
フランチャイズの宅配ドライバーとして独立したものの、
「こんなに苦労するとはな」「何もかもうまくいかない」と嘆く父。
息子の非行で学校に呼び出されたが、夫は仕事だとわかっていても、
「なぜ父親は来ない?と怒られた」とイライラし、
「面談にも来ないで今さら何言うのよ? もう、うんざり」と、
仲の良かったはずの夫へ、怒りをぶつけてしまう妻は、
「怖い夢を見るの。砂の中へ沈んでいって、子供たちが棒で引っ張る。
でも、懸命にもがけばもがくほど大きな穴の中に沈んでいく」と
夫に打ち明けるシーンは、胸が締め付けらてしまった。
家族が家族のことを想ってしたことが裏目に出てしまう時の気持ちは、
言葉に言い表せないくらい辛い。
それでも、我慢して家族の幸せのために・・と行動するが、
それでも結果が出ない・・答えが見つからないまま、作品が終わる。
どの作品も、その後の家族が気になってしまうなぁ。
重い想い
重く暗い気持ちになりますが、大切な時間だったと思います。
人の人生は明るく華やかではないことが現実だよね、という映画です。
現代でも何かが足りないと奴隷的な暮らしになってしまいます。
現代奴隷の家族の話しです。
多くの人の現実でもあると思います。
格差社会は、なぜ成り立つのか?
主人公と同じ、フリーランスとして働いている人には、ぜひ見てもらいたい映画。
格差社会と聞くと、一部の富める人達が、まじめに働いている人達から搾取している、ピラミッド構造を思い浮かべる。
この映画を見ると、格差問題の本質は、ピラミッドのような構造ではないことが分かる。
問題の本質は、社会的無関心。
タイトルの原文は、宅配の不在票に掛けてあると、解説して下さった方のコメントを読むと、社会に対して、埋没してしまった人の声を代弁したタイトルに聞こえる。
「確かに私はここにいたんですが・・」と。
そんな映画にも希望を感じる。
息子のセブは、両親が大変な思いをして働いているのに、問題ばかり起こす。
落書きで捕まり、喧嘩で停学になり、万引きで捕まる。
全てわざと。
お父さん、大事なことを忘れているよ。と伝えるために。
やりきれないラストだけど、この家族なら大丈夫と思いたい。
この映画には描かれていないけど、今はYouTubeなどで、質の良い情報を誰でも手にすることができる。
情報を手にすることが、とても大事であり、希望でもあると思う。
質の良い情報をシェアすること、シェアしてくれる人を有料コンテンツなどに入会して、応援すること。
今はとても良い時代だと思う。
二本立て二本目。どこにでも普通にありそうで胸が痛い。家族はみんない...
二本立て二本目。どこにでも普通にありそうで胸が痛い。家族はみんないい奴なのに。
宅配運送に介護、今やハードワークの代名詞。毎日誠実に働く夫婦に頭が下がる。しかし、ドラ息子の為に家族に幸せはやっては来ない。この息子も根はいい奴ってのが辛すぎる。妹はもうひたすらいい子、ゆえに悲しい。
世の中、やはり金なのか。悲しい現実。
働くって何なのかな?懸命に働いて、ご苦労様って時には棺桶に片足突っ込み、老人ホームに蓄えの全てを捧げる。悲しくないか?
みんな働き過ぎ。おかげでどんどん年金支給は先延ばし。まさに政府の思う壺。
今、1番考えなければならないのは少子化対策。年寄りばかりの国に未来はない。
レビューが思わぬ愚痴となりました。申し訳ありません(笑)
失われた日々。
現在は5月4日。この映画を観たのが3月6日。当然のことながら、今現在、殆どすべての映画館は閉館しています。恰も現実の世界に起きる出来事全てが、SF不条理劇に起きる出来事のようです。まさに悪夢です。まるでスタンリー・クレイマーの往年の傑作「渚にて」の再現のようです。通常であれば、レビューを書くとき、「父親は何処へ行った」などと題して、この映画の抱える問題点をあげつらって、あれこれ批判していたのでしょうが、今はとても批判する気になれません。映画館で映画を観るのはカネがかかりますが、当たり前のように映画館に行けるということ自体が幸せな行為であったのだなぁ、と思い返しています。
さて、コロナが収束した後、そのとき、一体、どのような社会になっているのでしょうか。もしかして、映画館は漸減して、ネット配信が主流になっているのかもしれません。まぁ、仮にそうなったとしても映画自体が消滅するわけではないのですが、しかし・・・。
ケン・ローチがまた怒りだした・・・
ケン・ローチがまた怒り出した。
ずっと怒っていたケン・ローチ、
ここ10年くらいは、
比較的穏やかな作品が続いていた。
前作も怒っていたが、
今回は往年の怒りが戻ってきた。
ケン・ローチが怒る理由は、
2006年あたりの拙ログをどうぞご覧ください。
以下は2013年の『天使の分け前』の時の拙ログ。
マーガレット・サッチャーは、現代において、もっとも<分断>と<破壊>を引き起こした首相でした。
大規模な失業、工場群の閉鎖、破壊された地域社会などが、
彼女の残した遺産です。
彼女は闘士でしたが、その敵はイギリスの労働者階級でした。
彼女は、政治的に腐敗した労働党の指導者たちや、
多くの労働組合の幹部たちに助けられて勝利を得ました。
今日、私たちが置かれている悲惨な状態は、
彼女が始めた政策によるものです。
私たちは、どのように彼女を弔うべきなのでしょうか?
彼女の葬儀を民営化しましょう。
競争入札にかけて、最安値を提示した業者に落札させるのです。
きっと彼女も、それを望んでいたことでしょう。
ケン・ローチ監督のサッチャー元首相への言葉
いかにも労働党より更に左派の社会活動家、ケン・ローチらしいコメントである。
そんな活動家の作品に込めたメッセージ、
いつもながらのmy解釈はこちら。
この<分断>や<破壊>を取り戻す為に、ちょっとした配慮、気遣いをみんなで思い起こそうぜ!
それを天使の分け前→Angels' Shareというタイトルにするよ!
ストーリーは本物のウイスキーの熟成の成り立ちをベースに、
人として熟成したものを周りの仲間へシェアする。
主人公から息子、嫁さん、どうしようもない仲間へ、
そして主人公へは周りの大人が温かい気持ちをシェアするそんな素敵な作品。
こんな映画をシェアし続けてくれるケン・ローチに感謝!
長いので、続きは拙ログでどうぞ。
本作に戻る。
ひと減らして株価上がり、
国破れて山河あり。
親切で優しい母親にあんな事を言わせる事になってるシステムに、もっと怒りを。
ひとりひとりができることを。
誰も悪くない
負のスパイラルとはこのようなことを言うのか?
家族誰もが問題を抱えている。誰もがそこを解決しよいと努力している。しかし何一つ改善されない。誰も悪くない。こんな社会の現実をストレートに静かに描いているのがケンローチ監督だ。
年末にずしっと重い硬派な作品。
現代の「自転車泥棒」、悲しすぎて絶句
「たまには家で眠りたい」とフロントガラスの下に大書したトラックを見た。
「不在配達」ばかりで心が折れて荷物を叩きつける配達員の動画も記憶に新しい。
泣けてくる光景だ。
人生の一発逆転に賭けて個人事業主となり、坂道を転がり落ちる夫と家族の物語。
自分も、いま現在トラックに乗っているのです、あまりにもリアルで居たたまれない映画でした。
すべてをつぎ込んで後戻りが出来ない彼ら。
僕の職場でも睡眠不足と、不況と、リストラ脅迫と、家庭崩壊で、とうとう生きるのをやめてしまう人も、幾人もいました。
心が、呆気なく折れて。
不況の時代に不況の映画とか流行りますが、悲しいです「ティエリー・トグルドーの憂鬱」とか、「サンドラの休日」とか。
先日、久しぶりに雪でしたねー、
夜勤明けで寝ていましたが、玄関のドアを叩く音。ドアを開けると雪まみれでびしょびしょの若い郵便屋さんが立っています。
二言三言ことばを交わし、
ちょっと待っててねとコーヒー代200円を握らせました。
せめて、絶対に不在通知・再配達にしないのが僕の目標です
玄関には張り紙をしてあります
【荷物、郵便、受け取ります。ドアをノックして下さい。起きない時はワン切りお願いします。〇〇】
《ルール》雁字搦め、これでいいのか。最愛の家族のために働いてる筈が...
《ルール》雁字搦め、これでいいのか。最愛の家族のために働いてる筈が、家族に会えないなんて、家族のための時間も取れないなんて本末転倒。こんな救い無く忙しない世の中に誰がしたんだ。英国発社会派監督ケン・ローチ作品は救いない程追い込んだ上でやたらめったらエモーショナルにしたがる傾向がある気がしていたけど、本作のそれは個人的に鼻につく(←本作鑑賞が遅くなった一因)ことなく素直に刺さった。流石は一度は表明した監督引退を延ばしてまで本作を作ったという本気・熱量が感じられる。不在連絡票を意味する原題が最高すぎるのに加えてリッキー、アビー、セブそしてライザ・ジェーン、この家族が本当に愛おしく想え、応援したくなる --- 「昔の家族」。愛ゆえのもどかしさ歯がゆさたるや。鑑賞中は本当に憤りすぎて映画であることも忘れて握り拳を頑として作るところだった。これもまたある意味で『万引き家族』とも共鳴するし、恐ろしいほど地に足着いている。一歩間違えれば明日は我が身だし、こんなの間違っている。マロニーが体現する正論だけでは片付けられない。今の時代を生きる人々が広く見るべき"いい"映画だった。
DON'T BE ANGRY ☻
今年映画館9本目
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