「“家族”の中に自分をカウントし忘れちゃダメ。」家族を想うとき ウシダトモユキ(無人島キネマ)さんの映画レビュー(感想・評価)
“家族”の中に自分をカウントし忘れちゃダメ。
娘たちがそれぞれ十代になって、クリスマスにサンタクロースが来なくなった頃から、ウシダ家では忘年会が催されるようになった。
いつもの食卓ではいつもの家族だけど、たまの非日常には腹を割った話になるのも恒例になりつつある。娘たちからの話題や相談も、進路や恋愛など深い話になってきた。僕には娘たちに残すような財産はないので、こういう機会に経験知を教え伝えることが、親としてできることの最大だと常々思ってる。
10時間説教しても100回怒鳴っても通じない話が、こういう時に1つの経験談として話せば伝わることが多々ある。これも経験知のひとつだ。
あとどれくらいこういう時間を過ごせるかわからないけど、たぶん漠然とイメージしているよりはずっと少ないんだろうとも思う。
2019年の“映画納め”として観に行った。ハートウォーミングなホームドラマを期待してケン・ローチの映画を観ることはさすがにないけれど、「しがない自営業、4人家族のお父さん」といえば、全くもって他人事じゃあないし、そこに描かれる家族や仕事のゴタゴタは心にドスドス刺さって痛かった。
この主人公とその家族は、不遇で不運が続く。でもこの物語のおよそ最後まで、主人公たち家族は不幸ではなかったと僕は思う。不遇や不運は別に主人公のせいではないけれど、映画の最後に、またはエンドロールの後に、この家族が不幸になるんだとしたら、それは雇用者や格差社会の問題ではなく、主人公の責任だ。このへんがこの作品のミソなんじゃないかという気がする。
確かに今の世の中は政治、行政や労働問題ひとつ取ってみても、どう考えても何かが間違っているし、真面目に生きててもどうにも上手く行かないことが多々ある。この映画の主人公も、続く不運に真面目に向き合ってなんとかしようと頑張ってたし何も悪いこともしていない。でも、だからこそ思考を停止してしまっていた。しかし立ち止まる機会は何度かあった。家族を守るのは男の役割ではあるけれど、そういう価値観で生きる男はその守る家族の中に、自分をカウントするのを忘れて自己犠牲のワナに陥りがちだ。
この映画は天下国家に向けて社会的強者や社会そのものを糾弾するような物語ではなく、そんな社会に生きるひとびとに、大切なものを見失うなというケン・ローチからのメッセージのような気がする。
2020年代、今よりちょっとはマシな時代になるといいね。頑張りましょうお互いに。