マティアス&マキシムのレビュー・感想・評価
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空気感とか雰囲気がたまらなく好きです
原点回帰のような、マイ・マザーから続いているような作品に感じる。
とはいえ、正直、ストーリーはあまり・・・といった個人的な印象。
それでも、冒頭の音楽からして物凄い吸引力。
冒頭のイヤーな印象が強かっただけに、余計にラストのシーンが感動的だった。その感動や雰囲気を味わうために、音楽や愛に満ち溢れたこの映画を鑑賞し続けた!といった気持ちよさがありました。
わたしはロランスやマミーを見終わって音楽をソッコーダウンロードした如く、恐らくこの映画の音楽もかなり聴きまくることになりそうです。
完全にコメディ。
幼なじみのマティアスとマキシムがある日友達の妹の映画の撮影でキスシーンを演じる羽目に。そこからお互いを何となく意識してしまう2人の様子を描いた話。
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いやこれは、キスをしたあとのマティアスの動揺加減がひたすら面白い映画だった。まず撮影したその次の早朝、心がザワザワして湖に1人で泳ぎに行って必死になりすぎてめっちゃ遠いとこまで泳いできてしまって、全体力を使い果たして戻ってきたところを仲間に見られてドン引きされるっていう。
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そしてその後も奥さんに聞かれてもないのに勝手に言い訳し始めるし、マキシムが女とイチャイチャしてるのに嫉妬して急にキレ始めるし。
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「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」っていうチャップリン大先生の言葉のように、マティアス本人は大真面目なんだけど、客観的に見ると考えてることが丸わかりで馬鹿みたいに見える。
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で、この言葉をまさに体感出来るシーンが車内で爆音をかけてワイワイしてるシーン。車内の映像だとめっちゃ楽しそうで良いシーンなんだけど、それを引きで車を撮ると何もない住宅街で爆音流してるおかしな車でしかない。
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まぁでもそんなコメディっぽく見えてしまう話でもグザヴィエ・ドランの技術でオシャレに見えてしまうから不思議。あのキスシーンは私の映画史に残るぐらいのめちゃくちゃキレイで感動的なシーンだったよ。
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二人の不器用な距離感と、それを表現した映像が興味深い作品。
日本では『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』が公開されたばかりのグザビエ・ドラン監督の作品。登場人物がフランス語を話しているので、ヨーロッパが舞台…?と思ってしまうのですが、フランス語圏のカナダ・ケベック州が舞台だから、だったんですね(ドラン監督の出身地も同地)。それもあってかオーストラリアの会社との電話でのやり取りが、言葉やちょっとした習慣の違いのために実際以上に距離感を感じるところが不思議。
幼なじみの二人が、成長してから互いの思いに気付くものの、取り巻く状況がくびきとなって…、という展開は、『ロニートとエスティ』を彷彿とさせますが、本作のマティアスらが身を置く友人達の関係性は、そもそもブロマンス的な色彩が強いため、もし二人の関係が明らかになっても、「おー、良かったじゃん」と祝福しそうな雰囲気なんですよね。それでも二人が思いを伝えられないのは、マティアスの婚約者の存在があるからなんですが、この心理的な距離感はちょっと分かりづらいため、この点に不満を感じる人がいるのも理解できます。
中盤から終盤にかけて、ある重大な事態が発生してしまいます。これまでの経緯からみても、この展開は予期できなくもないのですが、それでも観ている側の誰もが「それをしちゃダメだろ…」と頭を抱えたくなること必定です。それに加えて、登場人物が話している言葉がフランス語と言うこともあって、個人的にこの下りで映画『クライ(えへんえへん)』を連想してしまって、これから大変な惨劇が起きるんじゃないだろうか…、と勝手に動揺してしまいました。さすがにそこまではなくて、杞憂で済んだんですが。
本作のカメラは、主人公二人の不安定な心理を反映しているのか、常に不規則に動き、時に神経質さすら感じます。この意図の読み取りにくいカメラワークが、画面に緊張感を与えています。多くの商業映画がきちんとした作画文法を守ってカメラワークを決定していることを踏まえると、本作の表現は非常に個性的で、興味深いものです。これもまた、ドラン監督の作家性なのでしょう。
青年2人の戸惑いと葛藤と、2人を取り巻く友情の話し
87本目
友達の妹が撮る短編映画でキスシーンを演じることになったマティアスとマキシムの幼馴染2人が、そのキスをきっかけに互いの秘めた気持ちに気付いてしまうラブロマンス。
正にグザヴィエドランの撮る青春映画って感じだった。
(青春というのには大人過ぎるかもしれないけど、青春に歳は関係無いよね)
大人になっても仲の良い男友達同士で集まって子供の頃のように過ごすの、めちゃくちゃわかる〜!と思ったし、その長年の友情の中に「恋」という異質な、でもあまりにもピュアな感情が芽生えてしまったことへの戸惑いと葛藤がめちゃくちゃ伝わってきて切なかった。
そりゃあ拗らせちゃうよね。
自分だったらどうするだろうか、マティアスのように遠ざけようとするだろうか。マキシムのように自分が遠ざかろうとするだろうか。どちらにも共感できちゃうから辛い。
この作品、青年2人の恋模様もそうだけど、そこに寄り添う「友情」もテーマの一つだったように思える。
2人の友情と、それを取り巻く友人たちとの友情。
「友達は頼りになるけど、友達と一緒でも時には迷子になってしまう。仲間はお互いを頼りに出来るけど、それが出来ない時もある。決断を受け入れる時だ、受け入れなければいけないのは「変化」。でも、友達は側にいる。」
※パンフレットからの抜粋
まさにそういう事だなと強く感じたのは、友達とハメを外すシーンや喧嘩して仲直りするシーン、みんなで歌うシーン等、とにかく「みんな」一緒のシーンが多かったところ。
思えば20代後半〜30代くらいの絶妙な年代の友情を描いた映画ってあんまり観たことないかもしれないな。
10代の若者が主役ではないけど、現代の問題を扱ってるっていうのが説得力があって良かった。
自分の年代と重なるから余計に刺さるだけかもしれないけど、まだまだ友達と馬鹿やってたい気持ちと「大人」になりきれてないことへの焦りがないまぜになって、それがジェンダーの問題とも重なることで感情がぐちゃぐちゃになっちゃう感じが上手く描かれていたように思う。
分かりづらいし抽象的な描き方が多いけど、直接描いてない部分を音楽とドランらしい美しい映像で魅せてくるのは流石でした。
ドランは音楽に気持ちを乗せるのがめちゃくちゃ上手いな。
65mmフィルムの質感も良かった。
本当に、どの瞬間を切り取っても絵になるよね。
最後はきっと清々しい気持ちでオーストラリアへと送り出せたし、旅立てたんだろうなと思わせてくれる余韻の残るラストが最高でした。
まぁ唐突に終わった感も少しあったけど。。笑
そんな感じかな。
あと、これは映画とは直接関係は無いけど、同性のカップルが仲良さそうに観に来てたのがとても良かった。
こうやってジェンダーの問題に世の中がもっと順応していくと良いなと思う。
セクシャルマイノリティという言葉がなくなるかもしれない予感
お馴染みの爽快な画面と音楽のバランスで、グイッと世界に引き込まる感じは心地よい。
これだから新作は絶対に欠かせない、それが一番の理由になるくらい好きな瞬間。
相変わらずの言葉の羅列攻めにちょっと退屈したりするけど、ちゃんと2人の距離感でグッとまた画面に惹きつける。
男性同士の恋愛って感じじゃなく、親友ってより近い人。セクシャルは関係ない、これからの恋愛が描かれはじめたかもしれない。
ママの影から抜け出せないのも、らしくて愛おしい。
【”幼き日に二人で描いた「Mたちの農場」” 男同士の友情が”ある事がきっかけで”恋愛感情に変容していく様を、困惑しながらも、その感情を受け入れていく姿を描き出した美しき作品。】
ーマティアス(ガブリエル・ダルメイダ・フレイタス)とマキシム(グザヴィエ・ドラン)は30歳になっても、気の合う仲間たちと一緒に過ごす機会が多い。
問題のある母親と同居するマキシムはオーストラリアで働く決意をし、マティアスを通じてアメリカで弁護士をしている彼の父に紹介状を頼んでいるが・・、何故かいつまでも紹介状が届かない・・。-
■グザヴィエ・ドラン作品の魅力、幾つか
1.映し出されるシーンの色彩の美しさ、とりわけ刺激的なシーン。
-今作品では、ストリップバーのシーンであろう。-
2.劇中に流れる音楽のセンスの良さ。(含むタイミング、ボリューム)
3.カメラアングルやフォーカスの上手さ。
4.役者の微妙な表情の変化の撮り方とそれを彩る衣装、意匠。
5.何より、作品から醸し出されるグザヴィエ・ドラン独特の雰囲気、世界観。
ー難解なようで、キチンと観れば問題ない。ー
■印象的なシーン
・マティアスとマキシムの現在のそれぞれの境遇の違い。マキシムは朝から煙草をふかしビールを飲むだらしない母親(息子の顔に唾を吐きかけるのか!)と荒れた家で同居している。一方、マティアスは弁護士として高級そうなスーツを着こなしている。
が、二人は仲間たちと会うときは対等に、楽しそうに言いたいことを言っていたが・・。
・友人リヴェットのちょっと生意気な自主映画製作をしている妹、エリカから映画への出演を依頼される二人。マキシムは承知するが、マティアスは強く拒む。だが”ゲーム”に負けて嫌々ながら出演することに。
シーンの内容は二人が秘めていたお互いへの想いを、抑えきれないものにしてしまうには十分な程だった・・。
ー 二人のシーン前の”準備する姿”が良い。又、そのシーンの撮り方・・。そして、あのシーンをゲームに負けたとはいえ、マティアスが受け入れたという事は・・。-
・嵐の夜の、張り出し窓での二人のシーン。ここはコメントしない・・。
・中々届かない紹介状の状況を確認するマキシムが真実を知った時の表情。そして、引き出しの中で見つけた幼き時に、マティアスと書いた色彩豊かな農園の絵を見つけた時の表情。
ーマティアスの想いを、全て理解するマキシム。ー
<青年期の終盤、人生の岐路に立つマティアスとマキシムが、各々の心に封印していた筈のお互いへの想いが再び沸き上がり・・。
マティアスとマキシムが、”たった一度だけ”お互いへの想いを確かめるシーン。
グザヴィエ・ドランの作品の幅が更に広まり、深みを持った事を素直に喜びたい。>
愛らしい、こじらせ男子
エキセントリックな母親(マイ・マザーのお母さんと被る)との暮らしに決別し、オーストラリアに長期滞在して職に就こうとするマキシム。出発までの2週間のああだこうだのお話だ。すごい事件は特に起こらない。小さな出来事がきっかけで、感情を小爆発させる青年たち。親子共々顔馴染み味だったりするケベックの街。マットは仲間の中ではすでに一番エリート(本人曰く、知的レベルが違う)で職場でも期待されている。だから今さら新天地を求
めない。だが、だからこそマティアスが発つあたっての彼自身制御不能な言動の数々は一番屈折したこじらせ男子っぷり全開で、最後までめんどくさく愛らしかった。終始映像美とマットの顔に見惚れた。
それにしてもこの映画だけじゃないけど、若者がパーティーで濃厚接触の画を見ると、「過去」な感じというか、欧米での感染者数が桁違いなのもうなづける。(蛇足)
或る出来事をきっかけに互いへの感情に気付く二人・・・友愛それとも恋心?
主演の一人マキシムを演じたグザヴィエ・ドラン、監督もされていた事を鑑賞後に知りました。
もう一人の主演マティアスを演じたガブリエル・ダルメイダ・フレイタス、苦悩するクールな青年を繊細な演技で熱演。
わ・・・なシーンも有りましたが( ○○を吸っているシーンもモンダイですね。。)、青春を共に過ごした仲間達とのワサワサとした様子( ホームビデオで撮ったような温かい雰囲気がいい。)、母親が息子の友人達を我が子のように心配し愛情を注ぐ描写にノスタルジーを感じました。
「 君が居なくなると淋しくなるよ。」
私が鑑賞した時は、女性の方が多めでした。女性の皆さん、そして男性の方も、是非映画館でご鑑賞下さい。
映画館にて鑑賞
ドラン作品
天才ドランの作品は余韻が残る。
心のザワザワ相手を思う気持ち、ドランならではの繊細さが丁寧に描かれていた。
マティアス役の俳優の巧さがひかるね。
ただドランの役が中途半端な印象、元々ドランは相手役を耀かせる巧さは凄いよね。
とても良い映画
グザビエ・ドラン監督作品。
この監督の作品は、鑑賞後、今ひとつピンと来ない印象がある…。
ラスト・シーン…
オーストラリアへ向かうため、空港へ出発しようとするマキシムを、マティアスが彼の家の玄関へ迎えに来たところで映画は終わる…
このシーン、この2人のカットだけでも良さそうなものの、迎えに来た他の友人のシーンも挿入される(例えば、フランク君…金髪モジャモジャ頭)…何か新しい展開でもあるのかと、意味有り気に映しだされるが、何も起こらない…しかも、アップで…笑。でも何も起こらない…何のためにフランク君の顔を大写しにし、そのカットのために時間を割いたのか?意味があったのか?もうラスト・シーンなのに…なんでや?笑
観てる側は、正直落ち着かない(笑)…とにかく、感情移入しようにも、なんか裏切られて、半ば置いてきぼり…。
そんな場面…思い返せば、他にもあったかも知れない…笑
人の心の中で芽生えた"いけない純愛"がたとえ進行中でも、第三者には異なる日常があるわけだから、そうしたものも含め、対比しながらリアルさを表現しようとした?…わからん(笑)
テーマは、セクシャル・マイノリティについてなんだろうけど…。スクリーンに提示される"情報"が多過ぎて、頭がついて行かなかった…もう一回観ても良いけど、多分観ない(笑)
ドランらしい作品
最初のパーティーから始まる心情描写にはグッと引きつけられたのだがそこから同じような展開が最後まで続くため個人的には途中で飽きてしまった。
春先に上映されたドノヴァンの様にドランらしい作品といえる。
決して好きになる事が過ちではないのだが、その葛藤を時には相手に強く当たる事で自分自身の心を落ち着かせ、時には相手を傷つける事で相手を離そうとするなど恋愛映画にはよく見るシーンがある多いため個人的にはもう少し目新しさなんかも勝手ながら期待してしまった。
推薦状を意図的に渡さなかった事が分かり、最後は笑顔のマティアスがマキシムを待っているところで終わる。
最近は立て続けにこのような最後は匂わす形で終わる作品に個人的には当たることも多く、この辺りも若干消化不良であった。
タイミングが違えば自分とマッチしていたのかもしれない。決して悪い作品でないが今回鑑賞するにあたってはあまり自分と合わなかった作品ではあった。
これもBL
最近BL作品を観る機会が多くて、これもか、って感じ。
やたらタバコを吸うシーンが多く、また喫煙者も多いのが印象的。
オーストラリアへ行かせたくなかったから推薦状を渡さなかったみたい。
ダラダラとパーティで酒飲んでタバコ吸って・・・って感じの作品で合わなかった。
アザは、誰もが持った心の傷
マックスの顔の痣は、誰もが抱えた心の傷や劣等感などを表しているのではないでしょうか。友だちは誰も触れてこない部分。触れてほしくないけど、でももう一歩踏み込んできてほしい、という気持ちもマックスにはあったのでは。
そこに踏み込んできたのが幼なじみのマット。映画の撮影でキスシーンを演じたことがきっかけになって、はからずも強い感情が溢れ出す。
エリート弁護士で、婚約者もいるマットが、マックスに父の推薦状を渡さなかったのは、オーストラリアに行ってほしくないと思ったから。
途中で二人の衣裳の赤と青が入れ替わります。
これは格差を描いた作品でもありますね。
30歳になり仲間たちと楽しく過ごしたバーテンダーのマックスが家に帰ると、あんな母(アンヌ・ドルバル)がいて。
母子の関係が「Mommy/マミー」とはまるで逆なのが興味深い。
ケベックなまりのフランス語は、ドランの特に初期の作品をほうふつさせます。
オーストラリアに旅立つマックスに、「ジョン・F・ドノヴァンの死と生」で初英語監督作品に挑戦したドラン自身の姿を重ねて見ました。
追記
二回目見に行ったので、つけたします。
一回目より良かったです。話の流れが分かっているので、字幕はあまり見ないで映像と音に集中できました。
マットのオフィスにあった植木鉢が次にはなくなっているのは、今までそばにいた人がいなくなってしまう寂しさを表してるのね。
とか、
マックスは母とは別に住んでいる。出発前夜、母を訪れようとしたら弟が来てて、結局二人には会わない。出発の日、掃除しているマックスは、冷蔵庫に貼ってあった母と弟と三人で写っている写真をゴミ箱に捨てます。
恋の映画というよりも。
なんかドラン監督の個人的な決意を描いた作品かと。
もう母ものは撮らない、とか。
人が新しい世界に旅立つときに、心の支えってやっぱり必要ですよね。
彼は若くして注目されたので、もちろんそれだけの才能があるわけですが、プレッシャーも半端ないと思う。
こんな仲間たちに囲まれて過ごした日々を撮っておきたかったのかな。
コロナで映画製作がこれからどうなるか分かりませんが、私はずっとドラン監督を応援していきたいな、と思っています。
やっぱりドランの世界
ドラン監督の鮮やかな映像と音楽使い、全体を包む切ない雰囲気が独特で好きです!
室内で繰り広げられる会話多めのシーンが多く、舞台演劇のような緊張感が印象的でした。恋愛がテーマとはいえ、甘めではないところも素敵です。
タイトルなし
グザヴィエ・ドラン監督最新作
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「自分自身を探って見つけようとするのが20代前半ならば、20代後半になれば自分自身のことをもっと理解できているはず。
強く同性に惹かれたときどうするか…
ということを ───」
20代後半になってからできた本当の仲間たちと作りあげた本作
そこにどんな意味が込められているのか…
ドランの言葉から探ってみてください。
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素直な自分を描きたかったというドラン
30才だからこそ描いた
人生の一時
ドランがマキシムを演じています
濃い友情と愛情の狭間で揺れ動く感情
彼らの表情からは切なさが感じられます
それぞれの視線から愛情が感じられます
切なくて官能的。予想以上に良かった・・
ドラン作品で一番の共感。描かれるのは誰もが経験したことのある感情。予告に一瞬映るラブシーンは、めちゃくちゃ官能的で美しい。
ハリウッド進出を図ったであろう前作では色々思うところもあったが、、、今作では初期作品のような繊細さとセリフに頼りすぎない演出に魅せられ、とにかく切なかった。加えてドラン作品で初めて描かれるであろう青春(爽やか!)とど直球なロマンス(胸キュン!)。
『君の名前で僕を呼んで』に強く影響うけているらしいが、なるほど。あちらがギリシャ彫刻ならば、マティアス&マキシムは等身大なリアルな恋物語といったところか。
『マミー』も『わたしはロランス』も上回りドラン作品で一番好き。最高。
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