「何故か? タイ人の死生観との共時性を感じる。」アトランティックス Paula Smithyさんの映画レビュー(感想・評価)
何故か? タイ人の死生観との共時性を感じる。
‘Atlantics’ Director Mati Diop Says “It’s Sad & Still Hard To Believe
” She’s The First Black Woman In Competition— Cannes Ones To
Watch. (2019年5月15日のDeadline.comの記事より)
この作品の製作者であるマティ・ディオップ監督がカンヌ映画祭でパルマドールに次ぐグランプリを獲得したのは黒人女性として初めての快挙と言える。 それと2009年に同じ題名の16分ほどのショート・ドキュメンタリーも製作していることが彼女のフィルモグラフィーに載っていた。
『Weaker than a Woman(女より弱きもの)』をコピーした尾崎紅葉の『金色夜叉』やエミリー・ブロンテの『嵐が丘』のような富と愛情を天秤にかけたような階級社会のエゴを描いていると思っているとスレッドは意外な方向に進み、何故か?タイ人の生活にも見られるアニミズム・ワールドの世界観を描いた極端なマイナーな映画『三眼ノ村 輪廻の章』のような霊魂の捉え方が東南アジアとアフリカの西部に位置する遠く離れた二国間なのに死後の世界の在り方だけを捉えればどこかしら似ているものを感じる。
都市開発が進むなんて解説に載っていても本作を見ればそんな事は遠く及ばないし、自動車がやたらめったら壊れて路上に放置していて、馬車が今でも市内を闊歩するって、この国は経済的に破綻していることが直ぐに分かってしまう。
セネガルの多くの人がイスラム教を信じているので富める女性は結婚式には肌の露出の少ない儀礼的な服装を身にまとい、またその真逆なのがイスラム教では禁じている酒を提供するバーに働く貧困層出身であるエイダも含めて彼女の友達のように肌の露出の多い派手ではあるけどチープ観は否めない服装では、嫌がらせのように富める者から"sluts" なんて影口もたたかれてしまっている。
完璧主義者のワイラーの『嵐が丘』の映画の中でも、ラストにヒース・クリフがキャサリンの亡霊に惹かれるように雪の降りしきる夜中にさまよってしまうあたり、霊魂の扱い方は似ているようで本作とは似てない代表のようにも感じる。
それにしてもセネガルの女性蔑視的な極端なミソジニー表現の象徴として "Virginity test" なんてのもを見せるあたり、そんなバカげたテストを今だにやっているお粗末な国がまだあるなんて、このセネガルという国は石器時代なのか? そんなことしても"Virginity"なんて分からないし無意味な暴力に近いものを強く感じてしまい、映画を見る気を失せさせる。あまりにも酷すぎる行為として仮に監督がわざとウーマン・アビューズのメタファーとして描いていてもそれを否定する... それと区別するのに目に白いコンタクトってこの映画には美術監督は存在しないらしい。野暮ったすぎるようにも映ってしまっているし、いつの時代のオカルト映画なのか?
エイダを演じたママ・サネって女優さんはとてもキュートな方なんだけれどもそのキュートな割には自然の演技というか、映像媒体に初めて出演していることもあり、彼女の演技には表現のし難いものとなっていた。