「「見えない」貧困。国同士の序列。」パラサイト 半地下の家族 movie mammaさんの映画レビュー(感想・評価)
「見えない」貧困。国同士の序列。
この話には、世界の多くの観客が当てはまるであろう、中流層は出てこない。極めて上流と極めて下流の話。
のように見えるが?
半地下は最底辺ではなく更に地下がいた。
半地下は地上に近いと思っていたが、地上から見れば半地下も地下と同じ臭い人達だった。
川が氾濫するほどの大雨の日、この世からあぶり出されるかのように地上へ出てくるドブネズミのような半地下の民達。食べる物にも苦労する暮らし、雨が降れば家を追われ、頭が良くても夢があってもお金で諦める人生。
「お金はアイロン」この言葉通りなのか?
染み付いた地下の匂いはそうそう消えない。
たとえお金を手にしても、失った倫理観や根本的に異なる価値観は埋まらない。
友達から富裕層一家の家庭教師を1年間頼まれたことをきっかけに、半地下から家族で脱出すべく、計画を目論む主人公とその家族。でも、友達から打ち明けられていたにも関わらず、抵抗もなく教え子を略奪する。
妹を美術の先生として一家に紹介し、妹は元々いた運転手と家政婦を排除し、代わりに父と母もこの一家に送り込む。
賢いようで、友達、運転手、家政婦を不幸に突き落として手に入れた幸せがサクセスストーリーなはずはなく、幸せがずっと続くはずもない。
一家がキャンプで家を留守にした初日。運転手、家政婦、家庭教師、アートセラピストという普段の役割を忘れ、父母兄妹として家族で一家の豪邸で勝手に食べ物を漁り祝杯をあげる主人公家族。これが最初で最後の豪華な1日。
まさか、元家政婦が現れるとは。
まさか、家政婦が地下に忘れたのは夫だったとは。
まさか、雇い主一家が大雨で急遽帰宅するとは。
計画が次々と狂い出す。
なんとか豪邸から抜け出した父兄妹だが、たどり着いた家は浸水でぐちゃぐちゃで。家すら追われて体育館で雑魚寝で夜を明かし、なんとか生きている状態だというのに、かたや中止になったキャンプのかわりに誕生日パーティーを余裕でウッキウキで催し、知り合いに招集をかけ、着飾って完璧に集まれる状態。
呼ばれたらどうにか支度を済ませるしかなく、再び豪邸に集まる父、兄、妹。
よほど嗅覚も洞察力も鈍いのか、何も感じない一家の妻と、地下特有の匂いには気付くが嫌悪感を表すだけで何も考えてはいない一家の主。
何かとストレスに晒される社長宅だからこそ、家政婦さんでもプライベートに必要以上に踏み込まれたくないという気持ちがあるのは当然。普通の家庭でもそうである。
でもその根底には、富裕層に貧困層が入り込んでくるのを忌み嫌う、差別意識と排他的思想がある。表面上は平等かのように接していても。
社長が地下の匂いを感じ鼻を摘む仕草は、本当に臭いのも確かだが、言葉にせずとも貧困層は「鼻つまみ者」だと言っているのに等しい。
実際、家庭教師の若い女の子が刺されて瀕死だと言うのに、救助よりも自分達が助かるよう避難が優先で、救助にあたる運転手に早く運転しろと言う神経。
父親は直情的に社長を刺してしまったのだろう。
でも。仕事がなくお金がなくて、倫理観を貫けば命を繋げない暮らしだったのは確かだが、父親として、詐欺まがいの息子や娘を一度も叱ったり嗜めなかったのも事実。例え富裕層相手でなくても簡単に他人の物との境界線、善悪の境界線を超えてしまうのは悪いこと。
計画的な行動は息子にも娘にも受け継がれているが、計画は立てた時点で必ず狂うから、無計画が1番だと話す姿が印象的だった。上に行くことを諦めた父親。
豪邸の地下に隠れ住んだ元家政婦の夫に刺されて娘を失い、子供達が桃で傷つけ妻が蹴り飛ばして亡くなった元家政婦の始末をし、自身は社長を刺し逃亡の身で、ひとり、豪邸の地下に隠れ棲む事を選んだ父親。半地下家族が元家政婦を引きずり下ろしてやっと得た暮らしを、引きずり下ろされてなるものか!という気持ちでやってしまった間違い。
家族を幸せにしてこれなかった分、ここで選ぶ道が父親らしい唯一の選択だと無計画ながら悟ったのだろうか?
地下の匂いに加えて、ろくに風呂にも入れないし、前に住んでいた元家政婦の夫や、元家政婦の遺体の匂い付き。
正直、捕まって刑務所の方がマシではないか?
そう思わざるを得なかった。
韓国作品や韓国政府の人事には、成り上がる=人を引き摺り下ろすのが当然の光景が多いが、それではいつか下ろされる側に回り気が休まらない。見ている側はドロドロは面白いけれど、本物の成功は、何も気にしなくて良い潔白と清廉の中で掴んでこそ。どんなに辛く遠回りでも、全うに成り上がる以外、富裕層になる道はない。
国策でも他国から資金調達を行う方針の韓国で、良い仕事は国外にあるから、国民もできるだけ他国に出る。出る事が難しい層には国も目を向けていない。韓国で成り上がるのは茨の道だが、貧困の世襲が嫌ならどこかの代で上がるしかないと息子はよくわかっていたはず。
学歴詐称だけで住むうちに、家庭教師として結果を出し、友人の帰国まで必死に勉強し、宣言通り翌年本物の学生になるべく努力を続けていれば、また別の結果になっていたはず。自分だけでなく家族もと考えた優しさからだと思うが、最短でと欲をかくからこんなことに。
刺されてもなお、社長一家が貧困家族が感じてきた劣等感や、背に腹は変えられない暮らしの辛さ、それでも富裕層より多くに気がつくと邪険にされる心境を想像や理解し、動機に納得することはないだろう。
充分にお金も渡してきたのに、騙されて裏切られて寄生されて散々な目に遭った、人を刺すなんてなんておぞましい、やっぱりお金がないと卑しくて嫌、でおしまいなのだろう。
その韓国富裕層一家ですら、事業はNYにベースがあるようだし、なにかとアメリカ製の物を褒める描写から、思考もアメリカに牛耳られていることがわかる。
世界における、国ごとのカースト。国ごとの、国内でのカースト。どの世界にも、程度の差はあれ共通する貧富の差とそれぞれの層の意識の違い、思想の違い。
欧米なら肌色にその違いが表れていることが多いので、色で分けられてしまう。色ならまだ、可視化できる。
韓国には地続きの北朝鮮からの攻撃に備える国として半地下に防空壕や、地下シェルター構造があるがために、低層民は文字通り低いところに住むようだ。
低層民からは上層を見上げられるが、逆は視界にすら入らなくなる。可視化されないが、強いて言えば嗅覚を使って分ける、というのが新鮮な視点だった。韓国内ではパラサイトして暮らす最地下民でも、マウントを取れるのは北朝鮮のようだ。
では日本は?
アメリカの作った憲法のもと、軍事的にもアメリカにパラサイト。貧困層は韓国街と密接に結びついているし、経済が創価か韓国資金に繋がっていることばかり。
日本の高技術高品質な物、丁寧に育てられた国産のお肉お魚お米、自然から得る豊かな水、これらがどんどん価格を釣り上げられ、国民ですら他国製の輸入物を日常的に買うよう仕向けられているというのに、安い物を買っても、高い物を買っても創価か他国にお金が落ちる仕組みに気付いている国民は少ないように思う。
強いていえば、何を味わうかの、舌で分けられているのかな?成長ホルモン剤たっぷりのOGビーフやブラジル産鶏肉、殺虫剤まみれのサーモンを食べますか?と。
作品内では、家に寄生するパラサイト暮らしをパラサイトと呼んでいるように見えるが、実際は、自分より下とみなされる国、下とみなされる層を、パラサイトと表現しているような気がしてならない。
欧米からしたら、アメリカの下に韓国や日本がパラサイトしているというベースの見方があるのだろう。
結局は、作品を通してアメリカ万歳に繋がるし、「アジア人のパラサイト映画?!やっぱりアジア人っていやね」の共通差別意識をベースに世界では評価されたのではないか?と感じる作品。
でも結局、権力を手にしたかに思える層にパラサイトしているかのような「先住民」こそが、その国の本質だったりする。外食には困らない豊かな富裕層でも、求めるのは地下の人が作るカルビ煮込みやチャパグリだったりと。
それぞれの国の中ではどの国にも貧富の差があって、見た人が自分とは違う層の感じ方にも理解を示せるようになれば、もっと平和になるのかもしれないと思うが、観る人の多くは中流層。
作品内で表現された、言動は正しくもない貧困側の観点や気持ちに、どれだけの人が目を向けて理解したのだろう?と考えてしまった。