ペイン・アンド・グローリーのレビュー・感想・評価
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痛みを知っているからこそ描ける世界もある
心身共に痛みを伴う疲れによるブランクの後、
優れた半自伝的映画を作った
ゲイの映画監督の話
主人公サルバドールはいろいろな
痛みを抱えていて、
嚥下困難な為、沢山の薬を粉々にして水に
溶かして飲んでいる
これは彼の生き方にも通じるものがある
かつての恋人との再会
ヘロインに逃げた後の断ち切り
喉の障害を手術で直せることを知る
過去を作品(演劇・映画)化する、など
「痛み」を昇華させる事で克服しようとする
痛みを知っているからこそ描ける世界もある
回想シーンとラストでびっくり!な
自伝的映画とをリンクさせていた作りが
面白かった
スペインには、独特の暗さと秘めた情熱、
貧しいけれど芸術には誇りを持っている国、
のイメージがある
これもそんな作品のひとつでした
してやられた。
回想シーンを見てると、いくつになっても、世界中で知られ巨匠と呼ばれるようになっても、親子は親子なのかなと。元恋人との距離感がよかった。きちんと折り合いつけられたからこその…。それで最後はまんまと。
観てる途中よりも、あとからじっくり考えた時の方が、よい映画に思えた。
ほんとうは◯◯◯◯◯◯◯映画
タイトルのpain(痛み、原題スペイン語ではdolor)とは何か?
物語のほとんどで、観る者はそれを、主人公サルバドールの持病による身体的な「痛み」だと“思わされる”。
その痛みを紛らわせるため彼はドラッグに手を出す。それほど、彼の身体の痛みはキツい。
そして物語の終盤、彼はドラッグを断ち、病気に向き合うために嫌いだった病院に行くことを決断する。
検査の結果、病名も分かり、手術が始まろうとしている。物語の全編にわたって描かれていたサルバドールの身体の「痛み」が、ラストで解決に向かう。
なるほど、「痛み」とは、このことか。
しかし、これは「引っかけ」だ。
なぜなら、本作には、サルバドールの生い立ちに関わるエピソードが大量に挟まれるが、これらは彼の身体的痛みとは関係がないのだ。
では、「痛み」とは何を指すのか?
それは、主人公の同性愛に関する母親との確執だろう。
物語の中盤、サルバドールは、かつて男性の恋人と同棲していたことを描いた脚本について、自分の名前で上演されることを拒んだ。
しかしラストでは、同性愛に目覚めたきっかけを描く自伝的映画を撮っている。
なぜか?
そう、これは主人公が、自分が同性愛者であることをカミングアウトしていく映画なのだ。
かつて故郷に住む母親は、サルバドールとの同居を望んだが、彼はこれを拒んだ。そして母親は死の直前までも、そのことを根に持っていた。
同居をすれば、彼の私生活は母親の知るところとなる。
サルバドールは、自身が同性愛であることを母親に打ち明けることはなかった。
年老いた母親がサルバドールのために祈りを捧げていた聖アントニオは、結婚に関する聖人である。
かつてカトリックでは同性愛を禁じていたし、差別的な見方は残っているだろう。
母親は村の熱心なカトリック信者と親しく、そのつながりから母親はサルバドールを神学校に進学させている。
サルバドールは幼い頃から、母親の期待を受けて育った。だが、彼女の希望である同居も受け入れず、また結婚もしなかった。
そう、ずっと彼は、自分が同性愛者であることを母への負い目にしていたのだ。
これが「痛み」ではないか?
しかし、サルバドールは自分のセクシャリティをあらためて受け入れ、生きる自信を取り戻していく。
そのきっかけとなったのが、昔の恋人との再会だ。サルバドールは、尋ねてきた昔の恋人に、「君を疎ましいと思ったことはない」と明言する。それが母親との確執を生んだとしても、かつての愛は揺るぎないものだったと捉え直すシーン。
こうして彼は、徐々に「痛み」を氷解させていく。だからラスト、サルバドール自身の同性愛の目覚めを描く映画の撮影シーンには、母親も登場するのである。
さて、タイトルのもう一つの単語「グローリー(栄光)」は何を指すのか?
それはラストでサルバドールが再びメガホンを取り、映画を作っていることではないか。
繰り返すが、この劇中劇の映画は、サルバドールにとって、ついに母親に言えなかった自身のセクシャリティについてカミングアウトする作品になるはずである。
このように、映画監督は自身の「痛み」すらも作品(栄光)に昇華させる。アルモドバル監督は、これが映画作りであることを、訴えたかったのではないか。
過去の回想シーンが、実はサルバドールが現在、撮影している映画だった、という“仕掛け”も楽しく、映画的な技巧が生かされている作品。
身体的な痛みと精神的な痛みを二重写しのように描く構造や、ドラッグという小道具が何重にも効いているなど、脚本も凝っている(ドラッグはサルバドールの代表作の主演俳優アルベルドとの対立の原因でもあり、かつての恋人との別れのきっかけにもなっている)。
老いを演じるアントニオ・バンデラスも渋く、ペネロベ・クルスは相変わらず魅力的と、見どころが多い。
最後に。
本作を「ニュー・シネマ・パラダイス」になぞらえる、この映画の宣伝文句は、この作品のメッセージをひどく歪めてしまっていると思う。
サツゲキを応援したいが、申し訳ないが、アントニオバンデラス主演というだけの、監督の自己満足的な映画
同監督の「オールアバウトマイマザー」は当時赴任していたU河のD黒座で観ました。本当に面白かった。諸事情で2回観ましたが、2回ともお客は僕一人でした。おすぎさんが絶賛した映画でしたが、そういうことを除いても、ノンケの僕でも楽しめる本当に良い映画でした。当時色々と仕事に思い悩み、U河の海の上を飛ぶカモメを眺めていた僕にとって、人生を応援してくれる良い映画で、不覚にも落涙してしまう映画でした。
ひるがえって、本作はどうかというと、これはちょっと・・・・復活したサツゲキを応援する意味も含めて観にいきましたが・・・・自伝的といえばそうですが、同監督の自分の人生に言い訳ばかりしている映画に感じました。身体の痛みを理由にヘロイン中毒になるものどうかと思うし、生理的にひげずらのおじさんのディープキスは受け入れがたく、回想シーンでは、幼少期の主人公が読み書きを無学な青年に教えるという良い話なのに、最後に無学の青年の裸の洗体シーンを延々を流して、これを幼少期の主人公が見て発熱するし。うーん。フォレスター病の骨棘切除もそんなに容易な手術ではないし。
最近観た映画ではドクタードリトルのアントニオバンデラスの方がずっと良かった。ごめんね。
よかった。
pain&glory まずタイトルがよい。
痛みと恵み、苦痛と栄誉。
描かれた内容はとても個人的なことだけど、普遍的。
あと、字幕翻訳が松浦美奈さん。うれしい。
アルモドバルは全部見たわけではないけれども好きな監督です。
アントニオバンデラスがケガと病気に苦しむ初老の巨匠監督に扮しております。
このバンデラスがめちゃくちゃかわいい。いたいけという言葉がぴったりです。
老母に相対する時の瞳が、もう、ちっさいころのサルバドールと重なって、私は泣きました。
前半は正直ハマれなかったのですが、ヘロイン友になった役者がサルバドールの原作で一人芝居をやる当たりから急によくなりました。
活力を失ってうじうじしているサルバドールを見ているのがつらかったのかなって後で思いました。
また、この映画に限らず、コカインはまだましだけどヘロインはやばいみたいな、ドラッグがらみの話がぜんぜんぴんとこなくて。どっちもだいぶあかんのと違うか?って思いました。
過去も現在も、アルモドバルらしく色鮮やかな映像で、その点は例のごとく見ほれます。
特に、過去の洞窟の家の光がとても美しく、ペネロペママは洞窟なんて!ってゆってましたが、めちゃくちゃいいやんって思いました。
洞窟の家に行く前の晩、どこか(駅?)のベンチで眠るときの毛布の模様・色、サルバドールが文字を教える彼が貼ったタイル、現在のサルバドールの自宅のインテリア、サルバドールの通う病院のド派手な壁!どれも素敵で、印象的で、うっとりしました。
川で洗濯して、シーツを背の高い草に広げてってゆう牧歌的風景と、女たちの張りのある歌声の冒頭もよかったです。
後半の話を思いつくままに書き記しますと以下のようになります。
前述のヘロイン役者の一人芝居を、サルバドールの元カレが見に来ていて、その元カレとの思い出が描かれた話だったので、元カレがサルバドールに会いに来て、いい感じの再会をします。彼は今は女性と付き合っているので、サルバドールとどうのこうのはなさそうですが、別れ際にあつい接吻をして別れます。今でも反応してくれてうれしいって、ゆわれてました。密着した腰のあたりの話ですよね。再会によって活力がよみがえったサルバドールは、病院通いを復活させます。そうこうしていると、個展のお知らせが届き、その案内には幼いサルバドールを描いた絵が載っています。
回想にてタイル貼りの彼がタイルを貼っているシーンに切り替わります。サルバドールは天窓からの光の下、本を読んでいます。タイル貼りの彼が、そんなサルバドールを段ボールか何かの袋に描きます。線画を見て何か言葉を交わして、サルバドールはベッドにダイブします。なんかほっべが赤い?タイル貼りの彼にタオルをと言われ、持っていくと、まあみごとな肢体が!全裸の美しい男性がスローモーションの中、身体を清めています。少年サルバドールの性の目覚めでしょうか。熱射病と興奮とでサルバドールは倒れてしまいます。
現在のサルバドールはそのことを思い出し、彼の描いた絵を目の当たりにし、さらに活力がよみがえった模様。また、老母の最期の願いを叶えられなかったとかもゆってました。死期せまる母との暮らしも描写されます。
老母は、私の眼にはけして良い母には移りませんでした。カトリックの教義からは外れた息子を、どこかで認めていない風で、そんな母に愛を乞うサルバドールが哀れに思えました。
ともかく後悔を口にすることができ、性=生への喜びを思い出し、生気を取り戻したサルバドールは、自伝的映画を撮ったのです。それがこのpain&glory。やだもー、ラストシーン鳥肌立った。
ペネロペママとちびサルバの隣になんか立ってる女の人いるけど、泥棒?って思ったよ!マイクでほっとしたー。
ということで、私の好みにずどんと来た映画でした。前半はちょっとあれだったけどね。
プライベートな奇蹟が重なってめでたく Forestier disease(DISH)を克服して復活できた幸せな映画監督のお話し
ペインアンドグローリーのペインのほうの身体的痛みや飲み込み難さ、喘息様発作については最初は原因不明のようで、精神的なものと思われましたが、最後、CTスキャンを撮り、原因がはっきりします。頸椎の前方の靭帯にトゲのような骨の出っ張りが出来て、食道を後ろから圧迫することで症状が出ていたのでした。頸椎後縦靭帯骨化症もみとめられました。フォレスティエール病と字幕には書いてありました。Forestier disease だと思います。フランスの医学者の名前が由来で、現在ではDISH(Diffuse Ideopathic Systemic Hyperostosis)びまん性特発性骨増殖症という症候群名で呼ばれることが一般的になってきたようです。CT装置は東芝製のAquillionという機種でした。東芝は医療部門をCanonに売却してしまったので、こうゆうかたちで、映画に残るのは技術者の人にとっては誇らしいことではないかと思われます。
原因がわかって、手術で良くなる希望が出てきて、同時に若い頃の恋人に再会でき、マドリッドの古美術商で初恋の左官職人がセメント袋に描いてくれたの自分の幼かった頃のスケッチを手にすることが出来て、ぐっと前向きになれたせいか、実際、手術のあとに復活して、自伝的な新作映画を撮るシーンで終わります。我々もまた、あの可愛い子役君とペネロペ・クルスに会えて、見終わることが出来ました。もう少し伸ばして、左官職人役の若い役者と監督が付き合い始めるみたいなエンディングにしちゃったら、ただのゲス映画になるところでした。くわばらくわばら。
実に羨ましい結末でした。実際はいがみ合ったり、嫌いなやつとは、一生実を結ぶことはないんですけどね。夢物語だったとしても、いい映画でした。
よかった
アルモドバル監督作品はそこそこ追いかけている感じなので、なるほど~と思ったのだけど、あまり興味のない人にはどうなのだろう。アントニオ・バンデラスがかつてないほどかっこよくない、すっかりおじいさん。おじいさん同士の濃厚なキスシーンは苦手な部分。
監督としておじいさんになっても求められ、断るくらいの巨匠の立場はうらやましい。子ども時代の穴蔵での暮らしは楽しそう。しかし煙突がある感じがしなくて調理で、肺を傷めてしまいそうだ。
記憶が実体となり、それが生命力となっていく
世界的名監督サルバドール・マヨ(アントニオ・バンデラス)。
4年前に最愛の母親を喪い、自身は全身に強い痛みがあって、創作意欲も衰えている。
そんな中、32年前に撮った映画『風味』がシネマテークで上映されることになり、上映後のティーチインを依頼される。
からだの痛みもあり、普段は引き受けないのだけれども、ふとした予感めいたことがあって引き受けることにした。
撮影時ひと悶着があって、それ以来絶縁状態だった主演俳優のアルベルト(アシエル・エチェアンディア)を訪問し、痛みを避けるためからか、アルベルトが吸引しているヘロインをサルバドールは吸う。
落ちていく意識の中でみたのは、幼い頃の自分と母(ペネロペ・クルス)の姿だった・・・
といったところからはじまる物語で、かなり自伝的要素が強い作品で、観終わってすぐの感想は「アルモドバルも枯淡の境地なのだなぁ」ということ。
アルモドバルといえば、強烈な色彩とある種の変態性、生々しいセクシャリティが特色だが、今回はかなり抑えられています。
部屋の色彩や衣装などには、明るさや派手さはあるものの、強烈というところまではいかない。
唯一、強烈な眩暈を覚えるような色彩とデザインは、神学校で聖歌隊に入ったが故に、他の教科を学習しなかった・・・が、映画監督として成功するに連れて様々なことを知り、特に身体的痛みについては種々様々であると紹介するシーンぐらいかしらん。
なので、アルモドバル監督らしくないのかというと、そうではなく、冒頭のプールの全身を沈めて椅子に腰かけているサルバドールの姿は、あたかも羊水に浮かぶ胎児のようであるし、この母親に抱かれる感覚というのは、幼少期に暮らした洞穴住宅も同じようなイメージ。
暗いながらも、一部、天井がなく、陽光が差し込んでくる至福のイメージ。
そういう実体のない、思いだけの中にある過去が、少しずつ、実体を伴って現在のサルバドールの前に現れてきます。
32年前に絶縁した主演俳優の次は、監督として出始めた時に同棲していた恋人の記憶が私小説的な戯曲として、そして、こともあろうか、件の恋人フェデリコ(レオナルド・スバラーリャ)が姿を現す・・・
若い頃のふたりがどのような風貌だったのかはうかがい知れないのですが、歳を経たふたりは非常によく似ており、鏡像といってもいいくらい。
面長の輪郭に、口ひげ、頬ひげ、顎ひげ、それも胡麻塩で、天然パーマらしいところも。
この再会が映画中盤の「記憶の実体化」ならば、クライマックスに現れる幼い頃の自分が描かれた絵は「記憶の実体化」から更に進んで「再生へのスイッチ」かもしれません。
漆喰を半ば塗りつけた段ボール紙に描かれた自身の姿、それは、初めてリビドーを感じた日のこと・・・
そして、ラストカットは、記憶が映画として実体化するのです。
自身の過去を描くと、どこかしら甘美になり、その余情に浸りきってしまうだけになったりもするのですが(この映画もその傾向がなくはない)、このラストカットには、そんな甘美さだけでない生命力も感じることができました。
聖なる力
オープニングのマーブルのように、人はぐちゃぐちゃに混ざった思いの中でもがいている。
何不自由なく暮らしているように見える人だって、誰だって心の中では悲鳴が漏れている。
なりたい自分。なれない自分。それを罰する自分。後悔する自分。消えてしまいたい自分。それは全部エゴ。エゴは分析したり、変えたり、正したりできない。薬も効かない。
対抗できるの聖なる力だけだ。
聖なる力(グローリー、観音様)は見えているのに見えない。
貧乏だけど愛情いっぱいに世話をしてくれた両親も、洗濯女たちも、絵の上手い青年の肉体美も、かつての恋人を引き寄せてくれた俳優の仕事熱も、世話を焼いてくれる女友達も、すべて聖なる力を内包している。
自分の中のエゴを満足させることをやめて、聖なる力にアクセスすれば、全てはうまくいく。50年前の自分に届いた手紙で、主人公はやっとアクセスできた。
映像(映画)は、不確実な記憶でありながらも、それが確定的な記録・真実であると思わせる。ずいぶん美化された記憶だなと不思議に思ったが、ラストで謎が解ける。美化ではなく、再起した監督が聖なる力を撮っていたのだ。
見事に裏切られ、同時にしみじみと感動した。
洞窟の住居から・・
贅沢な住まいと絵画に散財出来る程の成功を手には出来たが
病の総合デパートかと思う程、心身共に傷み疲れ世界的映画監督の名誉も薄れ引退同然の日々を送る主人公を情感たっぷりに演じるアントニオ・バンデラス・・カンヌでの主演男優賞も納得👏
時に人は過去の記憶を後悔しつつも愛しく丸ごと抱きしめて再び生き直す・・
未来が輝く様に・・
そして自らが封印し続けていたテーマに取り組み始めた彼の柔らかな笑顔で締める結末に静かな感動を覚えました
この先、私達も変わり行く生活環境の中であろうと
自身の人生をゆっくり創りあげて行ければと・・
美しく強くたくましい主人公の母親の若かりし日を演じるペネロペ・クルスの存在感は流石!
昔の恋人 アンド 昔の絵
ヘロインに逃げる主人公に共感はできないですし、ひたすら昔の回想に主人公が感傷的に浸る映画で全体的にはちょっと退屈な時間もありましたが、ふたつのシーンがとても良かったです。
・主人公が書いた脚本の舞台に偶然観にきていた昔の恋人との再会シーン。
・主人公がこどもの時にモデルとなって描かれた絵を50年ぶりに偶然見つけその絵の裏にメッセージが書いてあったシーン。
アントニオ・バンテランスって、こういう抑えた演技も上手いのですね。特にこのふたつのシーンの演技は素晴らしかったです。
何が何なのか?
とても単調で前半は多分ほとんど寝ていました。なので正確なレビューではないですが覚えている範囲で感想を書きたいと思います。
言ってしまえばおじさんが人生を振り返りつつ、自分に人生に未来を見出す、だけです。本当にずっとダラダラで、全く説明なく細かいエピソードを重ねる感じです。その中で言えば、お母さんの晩年のエピソードはちょっと心を痛める物がありました。
ストーリーに起伏がないというか、こうなっている現状をずっと説明されているような気分です。つまりだから何だよ、という感情が否応もなく沸いてきます。
最後の、回想映像が実は最新作の撮影だったというのは驚きでしたが、それもだからなんだって話です。
演技も別に大した見所があるとは思えませんでした。
観に行って良かったと思えた映画。磁味溢れる演出、磁味溢れる脚本、磁味あふれる演技。
①もっと重たい映画かと思っていたら、軽みのある、でも何とも言えない豊かさのある映画でした。②アントニオ・バンデラスももっと重くてエキセントリックな演技をする俳優かと思っていたけれど、満身創痍で鬱なのに何処と無く可笑しい主人公を飄々と演じていてチャーミング。③少年時代(過去)と初老時代(近過去と現在)とが交錯しつつ(と言っても過去も現在も時系列通りに描かれるわけではない)最後に過去の部分は映画でした、という脚本は如何にも映画的。④冒頭の幼いサルバドール役の子役がとても可愛いし、女たちが洗濯しながら唱和していくシーンも微笑ましい。どのシーンも印象的だが、やはり昔の恋人と30年ぶりに再会するシーンが白眉であろう。亡くなる直前の母親とのシーンも良い。⑤『依存』の脚本を昔大喧嘩した主演男優に渡したことが結局かっての恋人に再会する契機となったり、偶々目に触れたのが少年時代にモデルとなった絵であり、そこから初めて(同)性愛に目覚めたエピソードにもっていく脚本が心憎い。⑥何とも豊かな気持ちになって映画館を後にしました。
喪っていくつらさ
歳を取って、健康を損ねた自分には、つらいくらい染みる作品。
一番やりたい仕事が老化や病気、痛みで何もできない悔しさとか。
心残りはないと自棄な強い言葉で反発しながらも、死ぬかもしれない病気であることを知るのが怖くて病院に行けないとか。
過去の自分を超えられない惨めさとか。
それでも、仕事(脚本を書く)を辞めたくないと悩み、心身不安定で不眠症になっていくので薬が増えるとか。
ことごとく身に覚えのある事象が展開して、面白いけどつらい。
つらいけど面白い。
逃げ場のない劇場だから最後まで観られたけど、自宅なら間違いなく10分以内に再生を止めます。
あと、(逆に年齢というより、健康が大きなファクターですが)若くて健康な人が本作を観ても、「またホモ(LGBT)のヤク中ネタかよ」「共感できず、つまんない」とばっさり斬られて終わりだと思います。
繊細な老監督の役を、アントニオ・バンデラスが熱演。
多分、本作の監督の自伝的要素も入っているのではないか、と思うくらいに、生々しい表現があちこちに。
生きる源泉は映画
今作はアルモドバルの半自伝作品ということで、アルモドバルが大好きな私は、サルバドールが痛みに苦しんでいるのとヘロインにハマっていく様子を複雑な気持ちで観ていました。いつだったか、何年か前にインタビューで、鬱になっていたと話していたのを思い出したので。
現代のサルバドールを映すパートのフィルムのトーンが妙に落ち着いていたのに対して、サルバドールの幼少期を映すパートのフィルムが色彩に溢れ生き生きしている様に感じたのですが、ラストで理解しました。
サルバドールが映画を撮っている幼少期のパートのシーンは、アルモドバルが人生を再生した内面を映しだしているのでしょう。母親との暮らし、眩しい太陽に当たり性に目覚めた原体験。アルモドバルにとって、映画は生きる全てであり、映画を創造する源泉が性であり生なのです。そして、創造の源泉を再び思い出させてくれた家族や友人、芸術への敬意と感謝。
サルバドールが『映画』を撮影しているラストシーンに、私は人生の再生は必ずできるのだと涙しました。歳を重ねて人生を見失いそうな時に、改めて鑑賞したいと思います。その時は私も、アルモドバルと同じく映画によって再生されていることでしょう。
【ある映画監督が、深い心身の痛みと憂鬱を乗り越えるきっかけになったモノ】
-今作品は派手なアクション等は一切ない。老年期に手が係った男の緩やかな魂の再生の物語である。-
■今作品の魅力
・映画監督サルバドールの、現在と少年時代の映像の風合。明るいトーンで描く少年時代と現在の洗練されてはいるが、やや暗めのトーンの違い。
-そして、これがラストシーンに効いて来る。上手いなあ、ペドロ・アルモドバル監督。
・サルバの少年時代のスペインの美しい風景と快活な女性達の姿。とりわけ、ペネロペ・クルスの姿は際立っている。
・と比較して、現在のサルバの裕福だが、精気のない姿。そして、その理由がゆっくりと分かって来る過程の描き方。サルバを演じたアントニオ・パンデラスの沈鬱な表情。背中の手術痕。
・が、ある日サルバの32年前の過去作品が、レストアされ、再上映されるところから物語は動き出す。
かつて、その演技について不仲になり疎遠になっていた主演男優との再会。それが縁でかつて、三年共に暮らした男性との再会・・。
・徐々に、生きる事に前向きになっていくサルバの姿をアントニオ・パンデラスが抑制した演技で魅せる。
・又、少年サルバが文盲だが、絵の得意な職人エドゥアルドに字を教えるシーンからの、50年後エドゥアルドからサルバが”手紙”を受け取り、涙を滲ませながら読むシーン。
ーこのシーンは、ぐっときたなあ・・。-
〈それにしても、あのラストには見事に一本取られた。
今の自分があるのは、
・美しい母や村人達との濃密な関係があったから。
・そして、確執はあったが、かつて一瞬に映画を作った仲間達である
という事をゆっくりと時間をかけて思い出し、もう一度前向きに生きる選択をした男の物語。
ペドロ・アルモドバル監督が創出した50年に亘る豊饒な世界感にじっくりと浸れる作品。〉
■蛇足 睡眠はしっかりとってから、鑑賞する事をお勧めしたい。
ストーリーオブマイライフ
主人公のサルバドールの人生のいわゆる悲劇の部分を軸として淡々と描いていく為見ていてどんよりした気持ちになるが、それでもサルバドールの人生を共感しながらある程度楽しみながら鑑賞することはできた。
この作品で描かれているように社会的に成功者でもどこか満たされない部分というのはあるのであろう。
もちろんそれは成功者とまではいかなくてもそうだ。
一見幸せそうになに不自由なく生活を送ってるものでも、何もかもが幸せである者は早々いないではないか。
欲を満たされない部分を悲劇と捉えていいかは分からないが、そういったマイナス部分も人生という物語の一部であり、それは第三者にとっては魅力的なストーリーであったりもする。
サルバドールの悲劇もまたちょっとした掛け違いから生まれたものであったりもする。それが第三者からみると自分に置き換えたて共感したり、はたまた教訓にすることで悲劇を喜劇に変えたりする事で楽しめたり、魅力的に感じる事ができたりもする。
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