サマーフィーリングのレビュー・感想・評価
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感想
彼女が突然亡くなる。
彼女の彼氏ロレンスと彼女の妹ゾエが、少しずつ悲しみから立ち直っていくまでの話。
悲しみは簡単には癒えない。
日常を静かに描いていて、それを見守る映画。
主演の表情がよかった。
ロレンスが亡くなった彼女の家族と親しく、その後も連絡取ってていい関係を続けてていい。
深い悲しみを同じように感じてる者同士でしか共有できないものがある。故人を偲んで思い出を話すことは大切なんだなと思った。
でも、明るいところに連れ出してくれるのは外からの力で、全然違うところから手を引っ張ってってもらうと気持ちを変える大きな手助けになる。
悲しみを共有できる人といると慰めになるけど、完全に癒えることはなくて、一緒にいると思い出す機会も多くてそこから離れるのは難しくなると思った。
ドイツ、フランス、アメリカと一年ごとに舞台が変わっていて、年や国を跨いでいても二人は会う。
夏になると思い出して、まだ深く悲しんでるから共有できる人に会いたくなるのかもしれない。
日常的、国際的、そして世界から取り残された心がやがて・・・
とても不思議な感覚に陥る映画でもあった。30歳の恋人サシャが突然亡くなったベルリンから始まるのですが、主人公ローレンスは作家でもあり傍らで翻訳業で生計を立てていて、彼女はアートセンターで日々作品を作っていた。しかしローレンスは英仏そしてイタリア語を使うがドイツ語は無理っぽい。父親が外交官だったらしく、国際的でバイリンガルに育つものの地に足がついてない雰囲気がある。サシャの死によるものかもしれないけど・・・そして小説が書けなくなった。
ベルリンでサシャの両親、妹ゾエの夫婦や友人たちも葬儀に集まった。喪失感から次のパートナーを見つける気さえ起きないローレンス。キンクスのTシャツを着たジューンがその相手になるのかなと思ってもみたけど、何も進展がない。
1年後のパリ。ゾエとダビッドの夫婦には7歳になる息子ニルスがいたけど、夫婦にはどこか亀裂が入り、ほぼ別居中。小さなホテルに勤務するゾエはニルスを連れて両親の住むアヌシー湖畔で夏を過ごすが、姉サシャを失った喪失感は増大するばかり。風光明媚なアヌシー湖がとにかく眩しいくらいなのが対照的だ。
そのまた1年後のニューヨーク。ローレンスは実家に住み姉のニナの手伝いをしたり、旧友とパーティに出かけたりしてようやく立ち直り、遊びに来たゾエと再会するが・・・
3つの都市、3度の夏。この構成がとても心落ち着くのですが、フランス語と英語を駆使するローレンスの空に浮いたような存在感がまた不思議な気分にしてくれる。どのパートにおいても大きな公園が日常生活を醸し出すのに、彼らの居場所がとても小さなものに思えてくる。
立ち直ったローレンスは義妹でもあるゾエを“友だち”だと紹介する。「離婚することに決めた」とは言うが、さすがに彼女と付き合うわけにはいかない。励ましの言葉も特にないのだけど、心が通じ合ってる雰囲気も伝わってくる。ただし、サシャの写真だけは手放すことはない。故人を偲びながら、緩やかではあるがそれぞれの道を進んでいく姿がとても爽やかだった。
喪失感と悲しみが深く心に突き刺さる。
突然途切れる日常。
停滞する気持ちを無視をして、それぞれの時間は平等に進んでいく様がなんとも切ない。
なんて事ないやりとりも日常も妙にリアルで、喪失感を掻き立てる。
エリックロメールみたいなゆったりした夏を楽しむ習慣には馴染みがないけど、特別な事をしない時間が自分を取り戻したりするのかもしれない。
タイトルの元になった曲、THAT SUMMER FEELING はピンと来なかった。
だって、なんとなく間が抜けてるから。
凡庸
これと言って盛り上がるでもなく、かと言って全編を通して退屈でもなく、まぁ平凡な作品でした。単に「アマンダと僕」が東京国際映画祭でグランプリを獲ったから、過去の作品を掘り出して上映したんでしょうね。だって2015年作品ですから。
故人を「忘れる事」と 「忘れない事」の はざまで
思い出したもう1つの映画は
「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」(2011.米)。
これは、同時多発テロで父親を失った少年が、その父の存在を記憶し続ける自分の力の漸減を恐れて、時の経過による思い出の消滅と闘う、
― そういう骨子だった。息子は思い出に100%固執する。息子は自閉症スペクトラム。哲学的だ。
トム・ハンクス共演の素晴らしい作品。
(レビュー未投稿)
そして今夜の
「サマー・フィーリング」は、
恋人を失った男性と、その家族・友人たちが3つの夏を経ながら、安否を問い合い、心の生傷をゆっくり癒していく物語だ。かつてのアパートを引き払う準備もするし、新しい恋人との出会いもある。新しい人生が開始していく光景だ。
この二つの映画、
どちらが正しいということはない。どちらの願いも私たちは実感として体験してきているからだ。
そしてそれは悩ましい問題だ。故人の思い出と私たちの新しい生活の関係は
〔保存〕だろうか、
〔上書き〕か、
あるいは〔消去〕なのだろうか・・
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劇中、サシャの死の直後のバタバタの中で、両親や姉夫婦が遺品の処分についててきぱきと指示し合う。と、突然遺族みんなが吹き出してしまい何故だか笑いが止まらなくなるシーンがある。急性ストレスだと言い訳をしながら。あそこはとても印象に残った。
みんなで食事をし、歩き、酒を飲み、家族を失った窮地を一緒に支え合う。遺族を独りぼっちにしない。
⇒フランス人も“精進落とし”をするのだな。
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僕は?
お盆も命日も、故人を偲んで、その思い出や何ということもない小さなエピソードを、残った者たちと時々は言葉にして分かち合いたいなと、思った。
きっとそれは新しい人生と矛盾しないと思う。
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夏になるとふとサシャを想う彼ら。
思い出は遠くなっても夏は巡ってくる。
その人と共に生きた事実は、あの陽光と 肌に残った日焼けの跡のように、忘れていても私たちと共にある。
サマーブルー
フィルムがとても美しくて、大好きなフランソワ・オゾンの「スイミング・プール」を思い出してしまいました(内容は似てません)。喪失は、ドラマチックに訪れるものではなく、何気ない日常の中に訪れるもの。
食事の時、海に行く時、寝る時に居たはずの人がいないことが日常になるには、沢山の日常が必要なのかもしれません。私もあと何回夏を過ごせるのだろう。
あの夏の記憶。的な。
アマンダへの流れは、確かに感じられる。 監督のミカエル・アースは「職業監督」じゃ無くて、撮りたいものを撮っている感じがして、幸せだと思ったりして。
大切な人を失った喪失感から立ち直る話はアマンダと同じ。特に大きなイベントも事件も無く、淡々とした生活の中で、徐々に哀しみから解放されて行くローレンス。時間が全てを癒してくれる。っぽい展開を、こっちも淡々と眺めてるだけの映画、なんだけど。不思議なくらいに、退屈感は無くて。
まるで、自分がベルリンやパリやニューヨークで生活してる気分にさせられた。なんなんだろうね、このタッチ。好き。
淡々としてた。おフランスものの中でも。極めて。
【愛する人を突然失った喪失感を、3年の月日の中で少しずつ癒していく男の姿をアコースティックミュージックに乗せて優しく描き出した作品。】
- 突然、恋人サシャを亡くしたロレンスとサシャの家族達の呆然とした姿から映画は始まる。ロレンスはショックでゾエ(サシャの妹)の風貌がサシャを思わせると言い、目をきちんと見れない。
同じ思いはサシャの家族も同様であるが、夫々日々の生活に戻っていく。-
・物語はロレンスとサシャが住んでいたベルリン、サシャの家族が住むパリ、そしてロレンスが新たな一歩を踏む出すために移住したニューヨークの3都市の風景の中、サシャと所縁のあった人々が徐々に再生していく姿を3度の夏の陽光とともに16ミリフィルムで柔らかく写し出している。
・フランスのアヌシー湖でサマーバケーションを楽しむ人々の姿、アヌシー湖で一人泳ぎながら遠くの山々の風景を見るゾエの表情、三都市の公園で憩う人々の姿が美しく、印象的である。
<深い悲しみは直ぐには癒えない。ゆっくりと時間をかけて市井の生活を送るなかで徐々に薄めていくしかない>
・ミカエル・アース監督の長編3作目「アマンダと僕」では気が付かなかったが、この監督の音楽センスは素晴らしい。
・静かなシーンではアコースティックギターの音色を微かに奏で、クラブやバーで流れる音楽は ”The La's” ”Pixies" そして”Felt”の”PENELOPE TREE”など、懐かしくも美しい80年代アコースティックミュージックである。
・エンドロールで”ben watt” の名曲”north marine drive"が流れた時、その思いは確信に変わった。
<今作品は、アコースティックの調べの中、ジワリと人の優しさが心に染み入る素敵な作品である。>
ー この作品をかけてくれた、地元のミニシアターには感謝の言葉しかない。 ー
<2019年10月22日 刈谷日劇にて鑑賞>
恋人の死を乗り越えられないロレンス
「アマンダと僕」に時間の流れが合う人にはオススメ。じれったい人には向かない。さらにじれったいから。傷心のロレンスに寄り添えるかどうかが、この映画の肝。たった二時間、そっと三年間のロレンスの心に付き合えってみては?
陽だまりのような映画
あったかい映画だった。
失くしたものは到底乗り越えることが想像などできないくらい大きなもの。
でも日々が少しずつ少しずつ、あたたかく包み込むように歩き出せる自身へ変えていってくれる。何も起こらないけどそれを自然に伝えてくれる。
音楽と映像もしゃれているし、サントラほしくなりました。
習作みたい
前日に観た「アマンダと僕」がとてもいい出来栄えだったので、同じ監督の本作品はかなり期待して観た。同じような喪失と再生の物語だが、こちらは小さな子供を背負い込むこともなく、時事問題を絡ませることもない。
突然の病死で恋人を失った男が主人公だが、死んだ恋人の描き方が薄くて、主人公の恋人に対する精神的あるいは経済的な依存度がどれほどだったのかがよく解らず、観客は主人公の喪失感を共有できない。そこが残念な点である。
恋人の家族はみんないい人で、他人である主人公に気を遣う。それがまたつらい。事後の処理はすべてやってくれるから、主人公の出番はなく、気を紛らすこともできない。結局何も変わらないまま住んでいる場所だけが変わり、次の夏を迎える。その夏も無為に過ぎて、更に次の夏を迎える。その間に少しずつ変わっていく気持ちを描いた作品である。
原題の「Ce sentiment de l'ete」は作品にふさわしい日本語にするのが難しいから英訳の「サマーフィーリング」を邦題にしてしまったのだろうが、映画を見る限りフランス語の「Sentiment」は「フィーリング」よりも「感傷」に近い気がする。
雰囲気だけの映画だが、同じ監督が同じテーマで制作した「アマンダと僕」が傑作だったので、本作品は所謂習作のような位置づけでいいと思う。感動は薄かったが、それなりの才能を感じる作品ではあった。
こっちの方がすき。
『アマンダと僕』よりもこっちの方がすきだ。
乗り越えられない=乗り越えたい
だから乗り越えられるんだろうな…
なんて思ったりしながら、ロレンスの顔がストライク過ぎて映画が3割増で良く感じた。
少しずつ少しずつ
同棲している彼女が突然死んでしまった彼氏と彼女の妹、及び、家族達の話。
数日後、1年後、更に1年間と時間の経過と共に変化をみせて行く流れで大きな出来事や波がある訳ではないけれど再生の物語。
彼女の存在がなくなった中でも交流していく家族や友人達というとても良い関係だったり、決して亡くなった人を忘れる訳ではないけれど、これからに向かって行く姿が優しく温かく力強かった。
登場人物が多いし、会話の中でちょこっと説明されることはあるけれど基本名前で呼び合うからどういう関係性か頭に入って来難かったりちょっと戸惑った。
「Amanda(2018)」の監督
個人的考えとして、「Amanda(2018)」という映画が2018年・第31回東京国際映画祭で最高賞の東京グランプリを受賞したものだから、同じ監督の2015年制作の本作が日本でも日の目を見ることとなったのか?邪推です。
突然の身内の死をどのように乗り越えるのかをじっくりと丁寧に映像に収める方法は、いくら同じ監督が作ったにしろ、少しはテーマを変えたらと思うのだが、だから、そんなところも批評家の受けの割には、一般視聴者の反応がイマイチなのがわかる。しかし、上記の「Amanda(2018)」は、子供も絡んでくるので批評家からも視聴者からも高い支持を受けている。今作でも、子供さんが登場するのだけれども、すごく自然に演技をしているのか、それとも何も知らされずにしているのかわからないほどのもので、この監督の子供の使い方が、ずば抜けてうまいところがわかる映画となっている。制作年もこの映画が古く、また日本での公開も遅く公開される。
この映画については、一緒に暮らしていた彼女が、染織工房で働いた帰り、突然倒れ、そのまま帰らない人となる。実際にそんな突然、予期なんてできないことが起きたらどう自分では、物事をソシャクし、精神的に昇華することができるのか?ローレンスの感情失禁なんてとんでもない、むしろ一時期は涙した彼だったが、ある意味冷静さを見せている彼の心の動きを丁寧に映像化しているようにも見えるが、ただ、この映画、バックで流れる音楽が一部、画面と不釣り合いなものが散見した、あくまでも個人の意見として.......。
あまりにも起伏のない映画と言えば、素気がないかもしれないが、彼がニューヨークにいたのを気が付かず、そのままでいると途中からマンハッタンとブルックリンを結ぶウィリアムズバーグ橋が目の前に見ることのできるアパートが出てきて気が付いたのだが、その絶景?のアパートを借りたりどうしてできるのか、映画とは言え、ねたんでしまいたい欲求が湧いてくる。
個人的に、謎の部分というか理解できない部分が多く、この稚拙な脳みそでは、到底理解のできない分野の映画なのかもしれない。そしたら評価なんかするなと言われそうだが、しかも☆2です⁉
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