劇場公開日 2021年4月23日

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「アクションは面白いが動機が弱すぎる」るろうに剣心 最終章 The Final 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0アクションは面白いが動機が弱すぎる

2021年4月26日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 主演の佐藤健がかつて言っていたように、本作品はアクションを楽しむ映画だと思う。実際にその通りで、剣劇にガトリングガンや迫撃砲を取り入れたアイデアも面白かった。しかしアクションは戦いがあってこそで、戦いのないアクションはただのショーになってしまう。では戦いをどこから持ってくるか。本作品はそこに苦労したフシがある。

 人間の怒りの源は被害者意識である。身体を傷つけられたり、大事なものを奪われたりすると、人は怒りを感じる。加害者の理由が理不尽で身勝手なものであれば尚更だ。加害者に悪意があれば、被害者は怒りが膨張して殺意さえ覚えるだろう。しかし逆に加害者に悪意がなくて偶然の事故だったり、不可抗力だったりしたことが判れば、怒りは急激に勢いが衰える。ときには怒りが消滅することもある。
 時が怒りを鎮めることもよくある。理不尽な被害に遭っても、何十年も過ぎてしまえば、怒りは薄れてしまう。世の中は理不尽なことで溢れているということを悟るのだ。賢い人は世の理不尽を上手に避けながら生きていく。自分は世渡りが下手だったか、運が悪かった。そう思うのである。
 学校で自分のことを虐めた先輩がいて、もし20年ぶりに再会したとしても、そいつのことを殴りたいと思う人はあまりいないだろう。戦うなら20年前に戦うべきだった。登山靴で登校して、虐められそうになったらとにかく登山靴で蹴って蹴って蹴りまくり、相手を再起不能にするとか、夜中にそいつの家に火をつけるとか、対抗手段はあったはずだ。戦わなかった自分が情けない。今更そいつを殴っても、情けなかった自分を救える訳じゃない。

 という訳で新田真剣佑が演じる縁の怒りの根拠があまりにも弱すぎることがわかる。つまり、たとえ大事な人を奪われても、その後相手に悪意がなく不可抗力であったことがわかり、その上歳月を経ている場合には、怒りは希薄になりその後霧散してしまう。本作品の縁の怒りの継続は不自然で無理矢理だとしか思えない。「シリーズ最強の敵・縁」と公式サイトにあっても白けるだけだ。
 無理な設定をするよりも、縁が子供の頃から悪意の塊であり、成長して悪のカリスマとなって虐殺と略奪の集団を組織し、その組織が巨大化してついには東京を襲撃するくらいの壮大な戦いにしてしまえば、縁の暴れぶりももっと容赦のない残虐なものになったであろうし、剣心のアクションをもっと自然に楽しめた気がする。
 とは言え、無理な設定の縁を演じきった新田真剣佑はとても見事であった。普段からハリウッド俳優みたいに身体を鍛えているのだろう。血管の浮き出た二の腕が恐ろしく強そうだった。対して佐藤健は少し細すぎる。剣術にパワーは不要だという説もあるが、それは違うと思う。高校のときに何度も優勝している剣道部員がいたが、彼はプロレスラーみたいにゴツくて、体育大会の100m走や走り高跳びはぶっちぎりで優勝していた。佐藤健も着物の肩のあたりが盛り上がる程度に鍛えていれば、新田真剣佑に対抗できそうな印象を持てたと思う。

耶馬英彦
maru21さんのコメント
2021年5月2日

実際真剣佑はレスリング空手に水球に、と昔から色々やっている。ただ、ここまでの役作りは誰も想像していなかった域だと思う。

maru21