風の電話のレビュー・感想・評価
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重たいロードムービー
8歳の時、3.11の津波で家族、友人を失い、広島の叔母に引き取られるも、高校生になった今もなお寂しさとトラウマを抱えて生気を失ったかに見える寡黙な少女春香、叔母の入院をきっかけに放浪の旅にでる・・。
いつしか故郷の大槌町に向かうのだが、辿りつけたのは善意の人々の助けがあってこそ、助けてくれる人たちもまた、心の傷を負った人たちが多い、金八先生の唄ではないが「人は悲しみが多い程~、人には優しく出来るのだから~♪」を地で行くような人ばかり・・。
主人公が新人だから脇はベテランが固めているが友和さん西島さんは主人公に優しく寄り添う抑えた演技が光っています、福島出身の西田さんは全面アドリブ、地のままのような福島弁丸出しで美声まで聞かせてくれました。
復興の現実、震災の被害者や難民に対しての応じ方に物申すシーンもありましたが総じてメッセージ性より悲運の少女に寄り添うことが主題だったのでしょう。
諏訪監督は震災直後では撮れなかったと語っていましたが、ニュースで遺族にインタービューするような破廉恥な真似はできなかったと言うことでしょう、時が経って風化してしまう前に今一度、地震や火山の国、日本に暮らすと言うリスク、束の間の平穏であることの尊さ、家族を想うことの意義を問いかけたかったのでしょう。個人的には震災後の高校野球大会での「生かされている命に感謝し・・・」の選手宣誓が心に残りました。
陸前高田市で震災遺児や孤児の支援活動をしている「あしなが育英会東北事務所」の西田正弘さんは東日本大震災では多くの人が突然亡くなってしまい遺族側に「ちゃんとお別れしてない」という心残りの意識が高いと語っていました、「風の電話」でお別れを言うことは心の区切り目に役立っているのかも知れませんね。
本作を正視するのが生き残った者の義務のような使命感もよぎり耐えましたが、正直、2時間を超える長帳場、重たいロードムービーでした。
痛みを共有しよう。共に生きよう。
小学4年の時に津波で家を流され家族を喪い、一人生き残った少女が、8年後に故郷を訪れ家族に別れを告げ「生きるよ」と呟く物語。
立ち直ってもいない。吹っ切れてもいない。立ち上がるには程遠い。一人生き残ってしまった事の哀しさとか申し訳なさとか。家族に会いたい思いに捕らわれ、前に進めない少女。もう、ネガネガネガネガの一色ベタ塗り。最初の場面から「死んだ様に生きる少女」は濃淡無しの黒塗り一色心理。浅いとまでは言いませんが、多少の濃淡はあっても、内心描写に、ってのが、ものすごく気になってしまって。これも一種の過剰演出。いや、ネガ振り切りの過剰演出は苦手なもんで。
一緒に生活する叔母役の渡辺真起子さんをはじめとして、ロードムービーを彩る役者さん達の、長回し一本勝負の演技には拍手しか無いです。皆さん、素晴らしいと思いました。
トルコ国内のクルド人は弾圧と差別の対象となっており、メメットさんは実在の人物。でも、ぶっこみ過ぎだよ。これは個人的な意見ですけど、トルコ国籍クルド人の難民申請は「妥当」だと思います。でも、このエピソードはぶっ込み過ぎ。
個人的には「風の電話」を肯定的に考えています。必要だ、とも思わないけど。「誰かに会えない悲しさ」を打ち明ける場所、ってのもあるけど、「非業のうちに死んで行った者のつらさや恐怖感やら悲しさ」を、一時期だけでも共有する場所にもなってると思うから。
ちょっと話はそれますが。
「あやしいお米」事件が、メディアの下衆っぷりを教えてくれた2011年。正しい知識はそっちのけで、皆の不安を煽る、クソええ加減な報道を繰り返す体質は、今も続いとります。メディアが、福島・東北への偏見と差別を煽ったもんなぁ。未だに真に受けてる人、居るでしょ。可哀想に。
彼等に、復興を語る資格は無いと思う。
その前に、人ですらない。
思うんです。復興、復興ってうるさいけど。色んな立場にある方々が、色んな意見を言う時に、復興って言うけど。その前に私達、同じ日本人が最初にしなければならなかった事は痛みを共有する事だったんじゃないかと。あの時、政府もメディアも私達も、何をしてしまったのか、何をしなかったのか、考えなければならないでしょ、と思ってしまう映画でした。
痛みを共有し、共に前に進もう。
痛みの共有って言っても、一緒に泣くくらいしかできないと思いますけどね。ヒトは、二足歩行を行うにあたり、特別なスキルを要しません。ひとしきり泣いた後、立ち上がる事さえ手助けしてあげれば、歩き出せると思うんですよね。西島秀俊がしたみたいに。
微妙な感じの映画で、ほぼ泣けず。
普通だった。
少女春香の演出に、ちょっとだけ濃淡があれば、全く違う印象の映画になってたのに、と思いました。
こういう映画なんだから。もうそれでよい!
後から知ったんだけど、
ほとんどアドリブの映画なんだそうな。
だから、ほとんど演技という演出がないんだ。
役者さんの感性が試されてる映画。
だったら、ものすごい映画だと思う。
西島、西田などベテランを相手にして、
モトーラの、自然体の、ハルになり切ってのやり取り、
ちゃんと成立してる。凄い事だと思う。
俗にいわれる、憑依系の役者さんなんだね。
日本の過去から、現在までの、戦争、災害、社会問題
が絡みあい、クドイほどだけど、それもまたよし。
人間が生きる意味って、なんなの?
生きたくても、災害の前には無力。
自分が災害から逃れたのは、単なる偶然。
なぜ自分なのか?
生きるためには、食べる。寝る。風呂に入る。
着替える。だす。
普通に生活したいだけなのに、産まれた国によっては、
それすらできない。
日本に生まれただけで、チョーラッキー。
だけど、地震、津波、噴火とか自然災害も頻繁にあって、
そのせいで、死んだり、たまたま生き残ったり。
そして、新しい命も、また生まれ、家族が出来たりして、
喜んだり、悲しんだり。
あの、クルド人の少女?との会話の場面が
なんか好き。
映画の本筋には要らないようだけど、あそこのモトーラが
自然な笑顔で、本当に、これからの生き方について
考えている感じがする。
あそこのだけドキュメンタリー?
映画見ながら、頭グルグル、もし自分が、
あの年齢で、あの境遇だったらどうなってたとか、
車乗ってて、女子高生のヒッチハイク見かけたら?
助け求めてられたら?
モトーラの存在、姿を通して、心が揺り動かされる、
そんな映画。だから、モトーラじゃ無ければ
もうこの映画じゃない!と思う。
追伸
日本だから、ご飯たべさせてくれたり、
財布にお金入れて、ちゃんと返せ!って言って
連絡してくるように仕向けたり、
悪いヤツだって、あの程度の悪さなんだよ。
多分、他の国なら、高い確率で、誘拐され、
犯罪に巻き込まれ、死ぬより辛い、
これ以上の不幸な人生になっちゃうんだよ。
現実にはさー。
だって、夜一人で外歩ける国なんて、日本ぐらいみたいじゃん。
またいうけど、日本に生まれただけで、チョーラッキー
。そのラッキーをどう活かすかも、自分次第なんだけどね。
だから、甘いって事もあるけど、国内ならそれでもいいじゃない。
でも、政治家とか、外交は、性悪説で考えてくれないと、困るぞ。国際政治なんて、まだ無法地帯で、結局軍事力が背景に無いと無力なんだよ。
ちなみに、国連っていうのは、ユナイテッドネイションで、
これ、いわゆる連合国のことなんだから!
単に訳し方を変えただけなんだってよ!
もう、初めて知ったとき、ビックリしたぜ!
スゲー長くなった。つまり、それくらいよい映画だって事だよ。
友達母との再会は辛かった
「生きているのは偶然なのかもしれない」この言葉は重かったです。
人間いつどこで自分の命が終わるか分からない。予期せぬ病気や事故、自殺。そして天災。
昨日まで当たり前のように「おかえり」と言ってくれた家族が、ある日突然、津波に奪われてしまう。自宅跡地でのハルの叫びに悲しみ、怒り、悔しさ、苦しみが伝わってきた。
駐車場で友達の母親と再会したハル。一緒に避難していた途中に、友達の手を離してしまったがために、友達は津波によって亡くなってしまった。ハルが友達の母親に「自分だけ大きくなってごめんなさい」というセリフには、胸を締め付けられた。
劇中の森尾(西島秀俊)とクルド人とのエピソードは必要だったのかな?
予想より三浦友和の出番が少なかったけど、重要な登場人物であることに間違いは無い。
ハルを中心にもっと話を深く掘り下げてもらえたら良かった。
お前が死んだら誰が家族の事を思い出すんだ。
震災で生き残った少女が、
世話になっている叔母の
事故をきっかけに、
広島の叔母の家から
被災した故郷の岩手まで
ヒッチハイクする過程で
人生に向き合うお話しでした。
天災は、大地の命を踏み荒らし
世界を変えていきます。
コンクリートでおおわれた
埃の無い世界と対極にある
世界観がまだ記憶にあります。
ハルは制服にローファーの靴を
はいているんですが、
本作で彼女は、
何度も水溜まりに浸かり、
革靴は泥で汚れていました。
水害の現場を経験したら
わすれられないのが
泥と臭い。
無力感の象徴として
胸が痛い。
冒頭シーンで、
ハルが叔母と玄関での抱擁シーンや
ヒッチハイク中、
世話になった家のおばあちゃんに
手を握らせてあげたままにするように
触れ合うことで安心する彼女が
痛々しい。
ふれたら壊れそうで透明な
雰囲気から
旅の出会いによって
少しずつ色彩を取り戻す様に
惹き付けられます。
そして、
ハルは、駅のホームで
会話した少年から聞いて知る、
「風の電話」を。
あなたは誰と話しますか。
風の電話は心でします。
風を聞いたなら
想い
伝えてください。
想いはきっと伝わるでしょう。
実際にこの施設を設立、開放した
佐々木格・祐子ご夫妻の
亡くなられたいとこの男性が
書かれた詞。
震災の1年4ヶ月前に、
この男性のご家族のために
建てられた電話ボックスは
震災後、
佐々木夫妻の思いで
周辺をメモリアルガーデンとして
整備して今にいたるそうです。
ここでの、
ハルの言葉は涙なしでは
とても見られない。
「…今度逢う時は、
私はおばあちゃんだよ。…じゃあ。」
電話ボックスから出て、
歩きだすために
風にのせた言葉。
でも、
一番心に響いたのは
森尾が車でハルに
家族を亡くした時、
何故後を追わなかったのかを
問われた時に話した言葉かな。
「死ななかった。何でかなあ。
ハル お前が死んだら誰が家族の事を
思い出すんだ。」
亡くなった方を忘れない事が
供養になるということか。
おすすめ。
忘れなくては先に進めない。けれど、忘れてはいけない事もある。 そんな想いのこもった作品です。
東日本大震災で被害に会った方たちへの鎮魂歌。
そのような作品なのかなと思い鑑賞しました。
震災後もうすぐ9年経ちます。
私も当時被災はしましたが、幸いに周りの人たちは無事でした。
そうではなかった方のことを思うと心が痛みます。
作品タイトルの「風の電話」。
この作品を通し、初めてその存在を知りました。
「岩手県大槌町」
「吉里吉里国」
これらの地名は知っていましたが、その中に実在したとは。
☆
東日本大震災で心に傷を負ったヒロイン。
身を寄せる叔母の家(広島)から岩手まで旅をする物語。
途中旅先で関わる人たちがみな親切。
( …悪いのも居たけど…)
三浦友和 ← なんか久しぶりに見た気が
西田敏行 ← 福島といえばやはりこのひと
西島秀俊 ← 二人揃って阿岐本組・組長&若頭
旅の途中で出会った人たちとのエピソードが語られますが
特に派手なイベントが発生するわけでもありません。
自宅のあった場所に帰り着き、ため込んだ感情を吐き出す場面。
心情が伝わってきました。
そして、広島に戻ろうとした駅のホーム
出会った少年から「風の電話」の話を聞き…
で
ラスト近くの↑の場面、気がついたらエンディング…
(1~2分? 寝てしまってました… がーん)
小説のラスト数ページ
読まずに終わったような気分です。。
何か大事な場面を見逃してないかなぁ…
☆
ヒロインの女子高生を演じたモトーラ世理奈ちゃん。
すごく自然に普通の女子高生を演じていました。
感情表現が上手い女優さんですね。
これまで作品を観る機会がありませんでしたが、今後が楽しみです。
(つい「モトローラ」と読んでしまうのはナイショ)
余談
三浦友和の母親役
認知症で、ヒロインを自分の娘と間違うのですが
次の瞬間 「あんた誰?」
周りの観客(シニア層)から自嘲気味の笑いが起こってました。
「高齢者あるある」
なのでしょうね。 ( … 誰でも「明日は我が身」です)
上映時間
自分がつい寝てしまったから言うワケではないですが
もう少し時間短めでもいいかも。 です。
寝る方が悪いんですけどね はい… でも
でもじゃありません はい しくしく
これから他の方のレビュー拝見しようと思います。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
生きているんだから食わなくちゃ!
食って出し、食って出し・・・当たり前の生活に慣れ切ってる者としては、こんな言葉にも共感してしまう。また、映画を観るまでは東日本大震災のことだけを扱ってるのかと思っていたのに、こうも現代日本が抱える問題点を抉りだしている内容には驚いてしまいました。
まずは土砂と瓦礫が残る広島豪雨災害の傷跡。民家が多く立ち並んでるのに、未だに土砂が放置されている現状。激しい雨が断続的に降り続いてる最中であっても、赤坂自民亭で宴会を続けていたというニュースも思い出しながら、災害復興とはインフラ整備だけでいいのか?という疑問さえ浮かび上がってきます。
そこで世話になった公平(三浦友和)は認知症の母親と二人暮らし。母親は6歳の時に原爆が落とされた地を訪れていた話を聞かせてくれる。もう災害(戦争を含む)はコリゴリなのだが、生かせてくれてるんだからとご飯を食べるのだ。徐々に生きることとは何かをハルに芽生えさせてゆくのです。そんな災害続きの広島では河井某議員が自民党から1億5千万もの寄付を貰い、公選法違反が疑われても堂々としている。この1億以上の金があればどれだけ復興できるのやら。
そして暴漢から助けてくれた森尾(西島秀俊)とともに福島まで向かうことになったが、埼玉に立ち寄った際にはクルド人問題、移民の問題が大きく投げかけられ、福島では森尾の友人・西田敏行が「福島から転校していった生徒がイジメに遭う」とアドリブで訴えかけてくるのです。もう、日本が抱えている暗黒面がこれでもか、これでもかと押し寄せてくる内容。泣かせる話とともに憤りさえ覚えてしまう映画でした。
さすがにハルの故郷大槌町では泣かせる話がいっぱい。明日香ちゃんのママとの再会も泣けるし、自宅跡の基礎が虚しさを煽る。そして“風の電話”。3万人もの人が利用したという天国への呼びかけ電話。風に乗ってあたかも声が届きそうで、幻想的でもある絵には涙を禁じ得ない。あらためて災害王国日本のあり方を考えなければと襟を正す思いでいっぱいになった。また、ハル役のモトーラ世理奈の演技力も驚きでした。
ヒッチハイクをするハルを拾ったのが、自分だったら……
この映画のように、とても悲劇的で絶対に忘れてはいけないことをテーマにした映画を見た後、いつも覚える無力感があります。
意図したわけではないと思いますが、この映画でも、ハルの心を溶かした人たちは、いずれもハルに劣らず、様々な苦境にある、もしくは経験している人たちなのです。自然災害から危うく助かったけど妻子には逃げられた人、事情は不明だが夫のいない高齢出産の母子家庭見込みの女性、自身も妻子をツナミで失いながら原発事故に必要以上に責任を感じている人。
それらの人たちが寄り添っている時、絶望の淵にいるハルの心にも何かが届くのです。
ホームで出会った少年の風の電話へ向かう動機が、不幸の影を感じない天寿を全うした大好きな祖父の声を聞きたくて、とかだったら、ハルはどう感じたのだろうか。
不運や不幸の重石を背負っていない人間でも、ハルの心を前に向かせる役割を担えるのだろうか。
もし私がヒッチハイクをしているハルを拾ったとしたら、後部座席で寝かせてあげること以外に何ができるだろうか。
何か言えるとしたら、こんなことくらいしかないと思います。
自分が経験したことの無い大きな喪失感について、どんなに想像しても同じ傷みを感じることはできない。だけど、人には想像もできないほど大きな悲しみや傷みを抱えた人がいることについて理解する努力はする。
こころを旅する少女
帰郷する旅の途中で出会う様々な人々との交流と励ましから、ふと気づいた風の電話で、家族と会うときはお婆ちゃんになってるねと、自分の心の中に生きている家族との対話、それは自分との対話であろうが、生きる決意をしていくモトーラ演じるハルの姿に涙を誘われた。
心の再生の旅での出会いの構想は、無数に練られたはずであろう。果たして選択として、これほど幾つもの災害や事故による不幸の中を通過させなければ風の電話にたどり着ける物語を描けなかったのであろうか。ましてやクルド問題や入管の問題までの挿入はハルの心の動きを追う物語にとっては余計な雑音のように感じてしまった。
【悲しき天災と愚かな人災により故郷を離れた少女が、人の情けに助けられ再び、故郷を目指す。被災地域復興の現状を踏まえ、行政機関への激しい怒りを静かなトーンで描いた作品でもある。】
岩手県大槌町で被災し、広島の叔母の家で暮らすハル(モトローラ世理奈)がある出来事をきっかけに故郷を目指す、魂再生のロードムービー。
様々な人達の情けにより、少しずつ身も心も故郷に向かうハルの姿。
情けある人達は新たな生命をハルに紹介する人であったり、
天災・人災により家族を喪った人モリオ(西島秀俊)であったり。
又、かつて福島県の復興支援をしたが、何故か入国管理局に一年以上勾留されているクルド人の家族、友人であったり。
ハルは多くの人の情けに触れ、徐々に表情が豊かになっていく。
(モトローラ世理奈の表情、姿に釘付けになる。)
そして、あの素晴らしきシーンに繋がる・・。
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東京オリンピック開催は、国家機運の高揚、経済発展の後押し(主に儲けているのは大手ゼネコンなどではあるが・・)喜ばしい事である。
が、その前にあの日が来る。東京オリンピックは次にいつ来るか分からないが、あの日は毎年来る。
だから、私たちはあの日及びその後に起こった事
(劇中でも、西田敏行さんが”福島弁で”雄弁に語っている。あのセリフは全て、福島県人としての怒りが込められた西田さんのアドリブだそうである。) を忘れたフリをせずに、いつまでも覚えていなければいけないと思う。
〈東北沿岸三県に縁のある者として、観る事を躊躇していた作品だったが、観て良かった。
エンタメ作品としては静かなトーンの映画であるし、レビューで普段はこの様なコメントは書かないのだが、東北の復興は政府が言っているような状況ではない事を知って欲しく(関係者の方々の頑張りには本当に頭が下がる思いだが・・・。私は毎年進捗を現認している。)、多くの方々に観て頂きたいと思った作品である。〉
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