「痛みを共有しよう。共に生きよう。」風の電話 bloodtrailさんの映画レビュー(感想・評価)
痛みを共有しよう。共に生きよう。
小学4年の時に津波で家を流され家族を喪い、一人生き残った少女が、8年後に故郷を訪れ家族に別れを告げ「生きるよ」と呟く物語。
立ち直ってもいない。吹っ切れてもいない。立ち上がるには程遠い。一人生き残ってしまった事の哀しさとか申し訳なさとか。家族に会いたい思いに捕らわれ、前に進めない少女。もう、ネガネガネガネガの一色ベタ塗り。最初の場面から「死んだ様に生きる少女」は濃淡無しの黒塗り一色心理。浅いとまでは言いませんが、多少の濃淡はあっても、内心描写に、ってのが、ものすごく気になってしまって。これも一種の過剰演出。いや、ネガ振り切りの過剰演出は苦手なもんで。
一緒に生活する叔母役の渡辺真起子さんをはじめとして、ロードムービーを彩る役者さん達の、長回し一本勝負の演技には拍手しか無いです。皆さん、素晴らしいと思いました。
トルコ国内のクルド人は弾圧と差別の対象となっており、メメットさんは実在の人物。でも、ぶっこみ過ぎだよ。これは個人的な意見ですけど、トルコ国籍クルド人の難民申請は「妥当」だと思います。でも、このエピソードはぶっ込み過ぎ。
個人的には「風の電話」を肯定的に考えています。必要だ、とも思わないけど。「誰かに会えない悲しさ」を打ち明ける場所、ってのもあるけど、「非業のうちに死んで行った者のつらさや恐怖感やら悲しさ」を、一時期だけでも共有する場所にもなってると思うから。
ちょっと話はそれますが。
「あやしいお米」事件が、メディアの下衆っぷりを教えてくれた2011年。正しい知識はそっちのけで、皆の不安を煽る、クソええ加減な報道を繰り返す体質は、今も続いとります。メディアが、福島・東北への偏見と差別を煽ったもんなぁ。未だに真に受けてる人、居るでしょ。可哀想に。
彼等に、復興を語る資格は無いと思う。
その前に、人ですらない。
思うんです。復興、復興ってうるさいけど。色んな立場にある方々が、色んな意見を言う時に、復興って言うけど。その前に私達、同じ日本人が最初にしなければならなかった事は痛みを共有する事だったんじゃないかと。あの時、政府もメディアも私達も、何をしてしまったのか、何をしなかったのか、考えなければならないでしょ、と思ってしまう映画でした。
痛みを共有し、共に前に進もう。
痛みの共有って言っても、一緒に泣くくらいしかできないと思いますけどね。ヒトは、二足歩行を行うにあたり、特別なスキルを要しません。ひとしきり泣いた後、立ち上がる事さえ手助けしてあげれば、歩き出せると思うんですよね。西島秀俊がしたみたいに。
微妙な感じの映画で、ほぼ泣けず。
普通だった。
少女春香の演出に、ちょっとだけ濃淡があれば、全く違う印象の映画になってたのに、と思いました。