「本当のことしか言わないと決めたら、人は必ず寡黙になる」風の電話 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
本当のことしか言わないと決めたら、人は必ず寡黙になる
現代の映画においては、女子高生は最強であると常々思っている。撮影場所がどんな場所でも、膝丈のプリーツスカートをお尻から裏腿にさっとつけてふわっと座れば、そこは彼女の場所になる。言葉数が少ないのがいい。黙ってハラハラと涙を流せば、それだけで絵になる。何を考えているのかわからないから、想像は膨らむ一方だ。女子高生がひとり、黙って立っていたり黙って座っていたりするだけで、その場面はすべて彼女に持っていかれる。故に女子高生は最強である。
モトーラ世理奈の沈黙の演技が凄い。演じたハルには、そもそも自分を理解してもらおうという意思がない。それはひとつの強さである。一方で他者との関わりを大切にする。家を出る前に広子さんを呼んで抱き合うシーンを見てハッとした。この子は、日常的な別れが時として今生の別れになることを知っているのだ。
ハルの無口の理由はふたつあると思う。ひとつは他人との関わりが深くなると別れが辛くなるためだ。そしてもうひとつは、本当のことしか言わないと決めているからだ。本当のことしか言わないと決めたら、人は必ず寡黙になる。
映画は所謂ロードムービーだが、主人公が黙って何も言わないから、関わった人々はあれこれと心配し、行き先を案じて世話を焼く。寡黙なハルのために、人々は本当のことを話す。最初に助けてくれた三浦友和演じる公平は、生きているから食わねばならない、食って、出す、それが生きることだと言う。シングルマザーになる43歳の女性からは、お腹の中で赤ん坊が暴れているという話を聞き、そのお腹に触らせてもらう。子宮はひとつの小宇宙だと彼女は語る。再会したアスカちゃんの母はありがとねと涙する。
別れ際の「ありがと」しか言わないハルだが、アスカちゃんの母には苦しかった胸の内を語る。許してほしい訳ではない。本当のことを伝えなければならないからだ。そして最も長く一緒にいた西島秀俊の森尾は、さようならの代わりに、大丈夫!と力強く手を握る。
震災の被害者は、津波で失った家族について、亡くなったではなく、見つかっていないと表現する。家族は亡くなったのかと問うて、まだ見つかっていないと答えられた森尾は、返す言葉を失っていた。
生きることは食べることと言う公平の言葉の通り、食べるシーンの多い作品だ。食べながら喋る。喋りながら食べる。会話は日常的でリアルだが、現実の日常会話と一線を画し、誰の言葉も率直で嘘がない。
時の流れは思い出を浄化する。嫌なこと、悪いことを洗い落として、楽しかったこと、嬉しかったことばかりが残る。ハルの心の中にいる家族は、優しくて楽しい家族だ。受話器の向こうにいる家族に向かって、17年の人生の全量をかけて言葉を選び、ぽつぽつと語る。このシーンが本作品のハイライトであり、モトーラ世理奈の渾身の演技が胸に迫る。
西田敏行の味わいのある歌とともに、東日本大震災をきちんと扱った作品のひとつとして心に残る映画だった。