「ヒッチハイクをするハルを拾ったのが、自分だったら……」風の電話 琥珀さんの映画レビュー(感想・評価)
ヒッチハイクをするハルを拾ったのが、自分だったら……
この映画のように、とても悲劇的で絶対に忘れてはいけないことをテーマにした映画を見た後、いつも覚える無力感があります。
意図したわけではないと思いますが、この映画でも、ハルの心を溶かした人たちは、いずれもハルに劣らず、様々な苦境にある、もしくは経験している人たちなのです。自然災害から危うく助かったけど妻子には逃げられた人、事情は不明だが夫のいない高齢出産の母子家庭見込みの女性、自身も妻子をツナミで失いながら原発事故に必要以上に責任を感じている人。
それらの人たちが寄り添っている時、絶望の淵にいるハルの心にも何かが届くのです。
ホームで出会った少年の風の電話へ向かう動機が、不幸の影を感じない天寿を全うした大好きな祖父の声を聞きたくて、とかだったら、ハルはどう感じたのだろうか。
不運や不幸の重石を背負っていない人間でも、ハルの心を前に向かせる役割を担えるのだろうか。
もし私がヒッチハイクをしているハルを拾ったとしたら、後部座席で寝かせてあげること以外に何ができるだろうか。
何か言えるとしたら、こんなことくらいしかないと思います。
自分が経験したことの無い大きな喪失感について、どんなに想像しても同じ傷みを感じることはできない。だけど、人には想像もできないほど大きな悲しみや傷みを抱えた人がいることについて理解する努力はする。
kossyさん、本当にそうですね。
自然災害に苦しむ人だけでなく、犯罪被害者やその家族など。面識がないだけで、周囲には必ず存在するはずのさまざまな想いについて考え、想像力を働かせることはとても大切なことだと思います。
ヒッチハイクやってる若者はまだまだいるようです。この前乗せた若者が「京都までだったら無料で行けるぜ」と自慢してました。
喪失感の共有がなければ彼女の成長もなかったのかもしれませんが、こうした映画によって皆が考えられればいいですよね。
俺が拾ったなら、車の通りが多いところで降ろしちゃいそうで自分がこわい。