「東京に潜む階級の壁『あのこは貴族』」あのこは貴族 山のトンネルさんの映画レビュー(感想・評価)
東京に潜む階級の壁『あのこは貴族』
今日何があったかを話せる相手がいるだけで幸せなのかもしれない。それが旦那なのか、友達なのかはわからないけれど…。
日本の社会には見えない階級が存在している。政治家の息子は政治家に、医者の息子は医者に。貧困が連鎖すると言われるように、その逆の立場の人間も連鎖的に親から脈々と受け継いでいるものがある。富、お金、名声、土地、趣味など…。『ディスタンクシオン』の著者ピエール・ブルデューはこれを文化的資本と呼び、文化的資本による階級差の存在をデータから導き出した。この映画『あのこは貴族』では、それぞれの立場における「普通」を描くことで対比的に格差を描き出している。
例えば、アフタヌーンティーを「お茶」と称して気軽に行く階層、電車など乗ったこともなくタクシー移動が当たり前の階層、居酒屋のトイレなど使ったこともない階層、東京を自転車で移動する階層。これらの描写は、社会の中での階層の違いを鮮明に浮かび上がらせる。世界は繋がっているとはいえ、人々の間には大きな分断が存在しているような気がしてならない。
東京は住む場所によってさまざまな顔を見せる。そして、場所によって似通った価値観を持った人々が集まる。似通った価値観の人間同士は群れを成し、固有の常識を共有していく。それが階層の固定観念となる。確かに、マッチングアプリは地理的に形成されたネットワークの垣根を越える秀逸なツールだが、家柄や人柄といった垣根を越えることは少ない。これは近年パワーカップルが増えていることからも言えるだろう。つまり、地理的な要因を克服できても、階級差からなる関心や価値観までを埋めるには至らないのだ。
結局、皆、井の中の蛙なのかもしれない。同じような価値観の人と付き合ってばかりなのだ。自分が優秀だと思っていた場所も、一歩外に出てみれば全く違う環境があるというのは、外の世界を知らなければ分からないことである。映画『あのこは貴族』では、本来であれば交わらない階級を持つ二人が、ひとりの男性を通じて出会い、互いの世界に触れることで新たな視点や価値観を得る様子が描かれている。
しかし、私は思う。果たして違う世界に触れる必要はあるのか?違う世界で生きていくためにはどうすれば良いのだろうか?
この映画の門脇麦の演技は、まさにその問いに対する一つの答えを提示しているように感じる。彼女が演じる華子は、都会に生まれ育ち、何不自由なく過ごしてきた。しかし、結婚を考えていた恋人に振られ、初めて人生の岐路に立たされる。彼女はあらゆる手段でお相手探しに奔走し、ハンサムで家柄も良い弁護士・幸一郎との結婚が決まるが、そこから彼女の人生は大きく変わっていく。
一方、富山から上京し東京で働く美紀は、恋人もおらず仕事にやりがいもなく、都会にしがみつく意味を見いだせずにいた。そんな彼女が華子と出会うことで、それぞれに思いも寄らない世界がひらけていく。美紀を演じる水原希子の演技もまた、異なる階層の人々が交わることで生まれる新たな視点や価値観を見事に表現している。
この映画は、単なる階層の違いを描くだけでなく、その違いが人々の生き方や価値観にどのような影響を与えるのかを深く掘り下げている。例えば、華子が自分の幸せを結婚に見出そうとする一方で、美紀は自分の力で生き抜くことに価値を見出している。この対比が、映画全体を通じて強調されている。
また、映画の中で描かれる東京の風景も非常に印象的だ。華やかな都会の一面と、その裏に隠された現実の厳しさが対照的に描かれている。特に、華子がタクシーで移動するシーンと、美紀が自転車で移動するシーンの対比は、階層の違いを視覚的に強調している。
この映画を観て感じたのは、私たちが普段見過ごしている社会の中の「見えない壁」の存在だ。私たちは日常生活の中で、無意識のうちに自分と似た価値観を持つ人々とだけ関わりを持ち、異なる価値観を持つ人々との接触を避けているのかもしれない。しかし、この映画はその壁を越えて、異なる価値観を持つ人々と関わること、自分自身で決断することの重要性を教えてくれる。
例えば、華子は結婚に固執することなく、自分自身の幸せを見つけるためにバイオリニストである逸子のマネージャーになる決断をする。また、美紀は自分の力で生き抜くために努力を惜しまず、大学の同級生である理英と起業するという選択をしたように。これらのキャラクターの行動は、異なる世界で生きるためのヒントを与えてくれる。
私たちは皆、井の中の蛙であり、自分の世界だけを見て生きている。しかし、外の世界に目を向けることで、新たな視点や価値観を得ることができる。それが、自分自身の成長や新たな可能性を見出すための第一歩なのだと思う。
●まとめ
『あのこは貴族』は、異なる階層の人々が交わることで生まれる新たな視点や価値観を描くことで、凝り固まった価値観や、自分自身を見直すきっかけになる作品だ。この映画を観ることで、私たちもまた、自分の世界を広げ、新たな可能性を見出すことができるのではないだろうか。門脇麦と水原希子の演技が光るこの作品は、ぜひ多くの人に観てほしいと思う。
●参考
・『ディスタンクシオン〈普及版〉』I 〔社会的判断力批判〕 (ブルデュー・ライブラリー)
コメントありがとうございます。
自分の階層の世界だけで生きるのは楽ではあるんですが、その世界で行き詰まった時に打開の糸口がなくなるのかもしれません。
外の世界や違う価値観を知ることは、自分の人生を違う角度から捉えて希望を見出すためにも必要なのだと思います。
いいレポートを読ませてもらいました。
> 同じような価値観の人と付き合ってばかりなのだ
言われてみれば、ホントにそうですね。
そこから新たな世界へ出て行く話…たしかに。
格差の壁を完全になくすことは難しいかもしれませんが、その壁に縛られず自分らしく生きていく勇気と努力は大切だと思いました。返信を読みながら、壁を厚い壁としているのは実は自分自身なのかもしれないのではと考えていました。
コメントありがとうございます。久しぶりのコメントなので、舞い上がってしまいました。
価値観が異なる人との接点自体が少ないという指摘、最もだと思いました。私自身、痛感しているところです。これをどう乗り越えるかというのは本作を見た上で話し合えるテーマなのかもしれないと思いました。
この観点について、中高校生の道徳の授業で「あのこは貴族」を取り扱うのもアリなのかなと思いました。
力作レビューですね。
論理的で着実に論点を積み重ねて結論づける。
素晴らしいです。
仰っている結論にも同感です。
でも私も小さい居心地のいい世界で暮らしていまして、
違う価値観や階層の人と接する機会が全くないです。
でも映画.comの皆さんは、色んな意見を持っているので、
その意味では広い世界かもしれませんね。