「この映画が米国の1971年だということがひっかかった。なぜかという...」ベスト・オブ・エネミーズ 価値ある闘い Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)

この映画が米国の1971年だということがひっかかった。なぜかという...

2020年12月31日
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鑑賞方法:DVD/BD

この映画が米国の1971年だということがひっかかった。なぜかというと、1964年に公民権法が成立しているし、ブラウン対教育委員会裁判はとうに可決されているし。。。。。しかし、ノースキャロライナは名前は北キャロライナというが、実際はアメリカの南部の州なのである。最高裁で可決して、人種隔離が廃止されたといっても州法が生きているから、南部はまだまだ人種差別制度が残っている。

実は、ノースキャロライナ州で、いつ公立学校においての人種隔離が廃止されたのか映画の後調べて観た。
私の検索が正しければだが、1971年とでた。ある記事では、ノースキャロライナのダーハム(Durham)ではある家族の1959年の訴えで(MaKissick Family)公立学校は人種隔離ではなくなったと。でも、ダーハム市全体はこれから十年以上もかかって人種隔離が廃止されたとあった。

この映画は1971年の夏、夏休みにシュレーット(Charrette)が始まった。このビル レドリック(Babou Ceesay)はマネージャーで彼の役割に興味があった。10日間で、黒白の敵同士の人の心を動かしていくんだから。それも、KKKのリーダーのC.P.(サム ロックウェル)の心を動かしたわけだから。
ビルはNAACPかと思ったけど、いや、そうなると、C.P. が受け入れるわけないと思った。
映画の後、調べたことによると、1971年ごろ、ビルは自営でコンサルタントの仕事を始めたらしい。ダーハムのWilbur Hobbyという労働組合のリーダーがビルをシュレーット(Charrette)としてダーハムに招いたと。このミーティングはThe American Federation of Labor and Congress of Industrial Organizations (AFL –CIO)主催で国が金を出している。ということはこのシュレーット(Charrette)の出席者は幾らかのお金を貰っていることだと思う。

シュレーット(Charrette) という形は、真っ向から対立する意見をまとめるだけでなく、このような形式は会議で使われる。特に、教員の会議(PD)で学校の問題点を解決方向に持って行ったり、教員がまとまって、問題解決の方向に進めるようにする。個人的にはこれほと、分断しているトピック会議に出たことがないので、『change』における達成感、または失望感を経験したことがない。米国は分断の時代にあるが、このような映画は人々に『change』という心を与える。Charretteでもう一度、課題をテーブルの上に全部出して、人と人が交わり、課題以外の話題で繋がり、お互いを見直していけるのではないかと思う。

この映画はかなり多くの人に感銘を与えたようだ。ハリウッドの監督や俳優がでている。ストーリーは『誰でも馴染がある』とは言えないかもしれないが、グローバル的に分断が広がった社会にこの作品は人々に『人間はいつでも変われる』という深い意味をもたらす。

この映画で一番好きなシーンを書いておきたい。シュレーット(Charrette)が行われた会場の廊下にはKKKの勧誘パンフレットとユニフォームが飾られている。ここに、3−4人の黒人の男性とがきて、パンフレットを破ったり、マスクを取ったりする。その時、
アン(タラジ・P・ヘンソン)が『パンフレットを読め』と。これはとても大事な概念なんだよ。分断の時は相手を知る/相手の気持ちを理解することが大事になってくる。これは、教員が生徒によくいうことなんだよ。相手を知ることで、そこに、相手の立場で物事が理解できるようになり、心が動き、分断に歩み寄りが出てくるんだ。この映画でも、このシーンをC.P.が部屋から見ていたんだよ。(気づいた?)彼の心をうったんだよ。

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