フリーソロのレビュー・感想・評価
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『長寿と繁栄を』彼はバルカン人じゃなくて地球人ダネッ
goodbyeじゃなくてsee you♥️
彼が途中で止めた理由。
『ズルしたよ』と暗い中、彼は降りてくる。ハーケン(ピトン)を触ったのだと思う。映画ではそれに触れずに、『怖気づいて撤退した』としている。なんか切実だよね。
元々、フリークライミングはクラック(割れ目)にハーケンを打つと『自然破壊に繋がる』と言う理念から始まっている。だから、エル・キャピタンと
言えど、残留ハーケンが沢山ある。それに触るだけでもこの偉業は達成された事にはならない。そこが物凄くシビアーなのだ。
彼はこのスポーツを侍に例えているが、それは剣道と侍の違いと見るべきだ。と思う。つまり、真剣で剣道は出来ない。たぶん、西洋人には侍をそう見えるのだと思う。つまり、達成感が一瞬で終わり持続しないって事かなぁ。しかも、二律背反の過酷さは背中合わせ。そして、目標を常に持とうとすると、その目標は右肩上がり。だから、長い事生きて、こんな事を出来てしまう者がいたら、それが一番凄いと思う。でも、エキセントリック過ぎるよね。
88セントで毎日食事が出来るって良いなぁ。親父さんの保険金でキャンピングカー買えて。良い親父さん持って羨ましい。
追記
この映画の題名の主旨としての映像は15分位。それでも飽きる事なく見られたのは演出家の力だと思う。それを大いに評価したい。
追追記
オーストラリアのエアーズロックへ我が亡父は行った事があるので僕も行きたいと思っていた。しかし、世界遺産なんとかで破壊に繋がるから今は登れない様である。
山岳ドキュメンタリーここに極まれり
ザイルなしのフリーソロは登山界でも異端だとされ、名だたるクライマーでさえ彼らには一目置いている。
そりゃあそうですよね。だって一回のミスで即死しちゃうんだもん。
ビレイをとった高所のクライミング映像でも心臓が縮み上がるというのに、この映画を見ている間は落ち着いて座っていることができず、見終わった後は疲労困憊。
究極の恐怖をどうして克服できるのか。万人が思う疑問に答えるかのように、劇中でも主役のアレックス・オノルドの脳の反応を調べる場面がある。彼の脳は「異常ではないが恐怖を感じる部位が常人よりも活発化しない」状態だった。それはトレーニングのたまものなのか、それとも先天性なのか。
彼の生い立ちやエピソードからは両方だと思われた。
一流のクライマーになれた理由は、最適の特性をもった人が、最良の道を選んだ結果なんだろう。
知られざるフリーソロの世界を垣間見ることのできる貴重な映像のオンパレード。
私はクライミング技術もないただのテント泊縦走1週間レベルのものですが、それでさえ大変な準備を要する。「季節と山域・各ルートのコースタイム・登山口選び・バスの時刻表・テント場の選択・宿泊のタイミング・登山ルートの最新情報・食料の内容と補充・ウェア選択・道具の動作確認とメンテナンス」、仕事しながらだとこれに2週間は要する。天気が悪く季節がずれるとさらに練り直し、休みの兼ね合いでなかなか行けなくなることもある。
フリーソロは基本空身で上るため、一日で登れる岸壁にアタックする。その準備のため、ビレイを取りつつ細かく岩の状態を調べ、丹念にメモを取り、何日も何日もシュミレーションする。一流のクライマーがルート選びをサポートする。一流の山岳カメラマンがアングルを決める。誰もが、アレックスに最高難度で難攻不落の壁に成功してもらいたいと思っている。
数ヶ月たって準備が整っても、アレックスはいつ登攀するかを決めない。告知してから登ると気が散るため、集中度が最大限に高まったときに好きなタイミングでひっそりと始める。そのため、撮影隊は野生動物を待ち受けるように彼が動き出すのをひたすら待つ。
そこには無言の命のやりとりがあり、まるでその一帯が静謐な精神世界に変容したようだった。
失敗したら、アレックスは自分の死をさらけだすことになる。撮る側は彼の死を目撃することになる。双方とも相当な覚悟が必要だ。本当にこの人たちおかしい。
でもひっそり初めてひっそり終わるフリーソロの偉業を、一流のクライマーでもある監督たち以外に、一体誰が収められるというのだろう。
ゴールに誰も待っていない。広く世間から喝采も賞賛も浴びることはない。記録がなければ誰も知ることがない。誰にも伝えてなければ、死んだことすら暫く気づかれないかも知れない。アレックスは望まないだろうが、登山に興味あろうとなかろうと、あまりにも孤独で極限の挑戦を続けている人がいることを、もっと世間に知ってもらいたいと思った。
それにしても登山に取り付かれた人って皆が住所不定になりがちですね。
彼に安定と安心をもたらす女性は、結果、彼の集中を削いでしまう。愛は獣性を殺いでしまうのか。
恋人ができたとたん怪我を重ねるアレックスの姿を見て、悲しいかな、彼にとって家族を持つことは向いていないのであって、冒険者としての生き方の難しさも感じた。
求道者を取り巻くひとびとの葛藤も見どころのひとつ
アレックス・オノルドは、フリーソロの若き第一人者。
フリーソロとは、安全装置を使用せずに、自分の手と足だけで岩壁を登るクライミング・スタイルのこと。
命綱もない。落ちれば、確実に死ぬ。
アレックスは、永年目標にしていたカリフォルニア州ヨセミテ国立公園の絶壁エル・キャピタンにトライすることを決意する・・・
というところから始まる映画で、フリーソロの求道者アレックスの行動を丁寧にキャメラがとらえていきます。
フリーソロに至るまでは、随伴者とともに安全装備をつけて予行演習をしていく。
随伴者もフリーソロの第一人者、トミー・コールドウェルというひと。
ルートの各場所にはナンバリングと名前がつけられており、小さな窪みや出っ張り、それぞれの距離を確認して、どのような動きであれば攻略できるかを確認し、訓練する。
当然だ。
フリーソロでは、ひとつの動作の誤りは即、死を意味しているからだ。
そんなアレックスにも彼女がいる。
サンニ・マッカンドレスという女性で、アレックスと知り合ってから、クライミングをはじめたという。
個人的に、この映画でもっとも興味深いのが、彼女を捉えていることで、彼女の存在そのものが、アレックスのフリーソロに影響を及ぼすかもしれない。
サンニにすれば、愛するひとを喪いたくない、という想いは当然あるが、アレックスのフリーソロへの情熱を邪魔することはしたくない。
フリーソロを失ったアレックスは、もうそれはアレックスではない、と知っているから。
この葛藤。
これが映画に撮られている。
サンニには、死も含めて、それがアレックスだと受け容れているのだろう。
アレックスのフリーソロに影響を及ぼすものにはもうひとつあり、それは映画を撮っているクルーそのもの。
安全装置もなく、自分の手と足だけで登るフリーソロでは、技術もそうだが、精神を通常に保つことだが、やはり他者に見られることで、メンタルに影響を及ぼしてしまう。
撮る側の葛藤も描かれている。
終盤のエル・キャピタンのフリーソロは、本当にスゴイ。
息をのむとはこのこと。
くりかえすが、本当にスゴイ。
惜しい!
趣味でボルダリングをやってるので、前から楽しみにしていた映画。
長期に渡って密着していて、とてもよく撮れてるんですが、クライマックスというべき、フリーソロのシーンが短い!
ぶっちゃけ、本編の8割クライミングシーンでもいいくらいなのに…
撮影自体の難しさとか、本人の負担にならないように、とか色々事情はあるとは思うんですが…
ただ、この挑戦をカメラに収めた、ということ自体が素晴らしい!
見て後悔はしないと思います。
素晴らしい登山家ジミーチンによるドキュメンタリー
ナショナルジェオグラフィック ドキュメンタリフイルム
2019年 アカデミー長編ドキュメンタリー映画賞受賞作
監督で、撮影者のジミー チンと、妻のエリザベス チャイ ヴァサルヘリは、ともに登山家で写真家だが、二人してこの映画を監督している。ジミー チンは中国系アメリカ人2世で、妻のエリザベスは母親が香港人。二人には一男一女の子供たちが居る。
「フリーソロ」は二人にとって第2作目の山岳フイルムで、第1作目は、2013年の作品「MERU・メル―」。
「MERU メル―」はヒマラヤ山脈の中国側、メル―中央峰の難攻不落の岩壁「シャークス フィン」とよばれる岩を、ジミー チンを含めた3人の登山家が世界初登坂に成功したときの記録フイルムだ。3人とも有名な登山家で、コンラッド アンカー、レナン オズダークとジミー チン。3人は、2008年に頂上まであと100メートルのところで、登頂を断念して下山している。総重量90キロの荷物を担ぎ、2台のカメラと機材を持ち、8日間の食糧をもって、「シャークス フィン」を17日間登り続け、悪天候と雪崩とで動けず、岩肌にビバーグしていたテントが壊れ、食糧と燃料がなくなり、登頂寸前のところで諦めて下山した。このときの失望が大きすぎて3人とも2度と同じ山に再び戻ることはないだろうと思っていたという。その後、ジミー チンは雪崩に合い600メートル落下、時速130キロのスピードで山から落ちるが、奇跡的に生還した。
またレオン オズタークは、スピードボードの撮影をしていて事故に合い、頚椎骨折で、再起不能、一生車椅子生活と診断されるが、執念のリハビリで、登山家として、これまた奇跡的な復帰をする。3人の内、残りのコンラッド アンカーは、山岳史で最も有名な登山家ジョージ マロ―二―の遺体を見つけた人だ。登山の長年のパートナーだったアレックスを、ザイルでつながりながら死なせたことで、自分を責め、のちに彼の妻と結婚して彼の3人の息子たちを育てている。3人3様の2008年メル―世界初登頂失敗後の、苦渋と失望を乗り越えて2011年 3人は再び申し合わせたようにヒマラヤに集まり、「シャークス フィン」の初登坂を成功させる。メル―はそのときの記録映画だ。
第2作目の「フリー ソロ」は、登山家はアレックス オニルドただ一人。フリー ソロとは、ザイルもハーケンもカラビナも一切使わずに、たった一人でロッククライミングするスタイルのことを言う。山は、カルフォルニア、ヨセミテ国立公園の中にある「エル カピタン」と呼ばれる1000メートル近い絶壁。ここをザイルパートナーなしで単独登頂する姿を数台のカメラで追ったドキュメンタリーフイルムだ。
ジミー チンは「この仕事を引き受けるかどうか迷った。アッレックスは山仲間で友達だ。誰も成功したことのない単独登頂の撮影中、滑落の瞬間をカメラがとらえることもあるだろう。それはアレックスの死の瞬間でもあるのだから。」と語っている。
1インチに満たない岩の尖がりに足をかけ、指3本でつかんだ岩のくぼみに全体重をかけて登っていく。ハングオーバーがあり、トラバースを幾度もしなければならない。滑りやすく全く何のとっかかりもない所が2か所もある。体重のバランスをかけて、伸ばした見えない指の先で、くぼみを掴めなかったら、そのまま落下するしかない。何度ザイルを使ってリハーサルしてみても失敗につぐ失敗。ザイルで身を確保して、すこし離れた岩壁で撮影する4人のカメラクルー。望遠レンズで下から撮影する別のカメラマン。
リハーサルの繰り返しで、すっかり煮詰まってしまったアレックス オノルドは、とうとう一人怒って下山してしまう。もうやめだ。こんな岩壁をフリー ソロで登れるわけがない。
アレックス オノルドは、1985年カルフォルニア州 サクラメント生まれ。山が好きで、19歳で大学をドロップして10年あまり車で生活しながら山から山に移動し、登山を繰り返し山岳会で華々しくデビューする。20代で、難所ばかりのロッククライミングをフリー ソロで成功させ、その世界ではスーパースターとなった。今まで誰もチャレンジできなかった「エル カピタン」をフリーソロで世界で初めて成功させることは、彼にとって自分を越えるための最大のチャレンジだった。その彼にも恋人ができる。車で生活することが普通だったアレックスが 恋人と家を買うことになる。2016年恋人とザイルを組み、登山して落下、足首を骨折する。そこでアレックスは、一念発起、自分がやらなければならない課題に直面する。今やらずにいて諦念だけでこの先、生きていくことはできない。激しいリハビリと自主訓練で、再起したアレックスは「エル カピタン」に戻る。
ジミー チンははじめ半信半疑だった。いったんアレックスは逃げ出したじゃないか。
しかしアレックスは本気だ。朝、暗いうちから登り始め、フリー ソロで登頂成功させる。
というおはなし。
山の話だ。
ジミー チンは山のすばらしさをフイルムを通して体験させてくれる。子供の頃はスキー少年、16歳で山に魅せられて登山を開始し、23歳で写真に取り憑かれ、自分で登りながら撮影するという独自の山岳ドキュメンタリーを製作するようになる。素晴らしい登山家だ。ナショナルジェオグラフィックと契約して、いつも未知の世界を見せてくれるだけでなく山の空気を連れて来てくれる。ロッククライミングでは両手両足のうち、3点は確保して固定していなければ登れない。登りながらフイルム撮影するには、ただ登る人よりも高度な技術がなければならない。6000メートル級の岩壁で、1点1点手足を確保しながら、岩を這い、強風に飛ばされながら、登山のすばらしさをフイルムに納めてくれる撮影者は、文字通りのヒーローだ。アカデミー賞受賞のあと、「フイルム撮影中一番スリリングだったのは、どんなときだった?」と聞かれて、岩壁で「ザイルを扱いながら、カメラをバッグから取り出して、そのカメラからチップを抜き出した時だったかな。」と言って笑わせてくれた。それは怖い。
デヴィッド リーンの映画「アラビアのロレンス」(1961)で、ジャーナリストがロレンスに、「どうして こんな砂漠に居られるのか?」と問われて彼は「砂漠は清潔だから。」と答える。山は清潔だ。若いころ、取り憑かれたように山に登ってばかりいた。山の吹き下ろす風に身を任せ、岩に取り憑いていると、山に浄化されるようだった。2000メートル級の山で太陽の直下にいると顔ばかり山焼けして、顔の皮が2枚も3枚もむけてきて、腫れあがり埴輪のような顔だったと思う。けれど下山して人の多い地上のもどってみると、自分の体が腐ってくるようで、またすぐに山に戻りたくなる。北アルプス、南アルプス、丹沢の山々、山はどんな教師よりも多くのことを教えてくれた。
人生というものが、単なる自己満足だとするならば、登山は最高の自己満足だ。登山は何も生産しないし、お金にも名誉にも、業績にもならない。ただ自分を満足させてくれるだけだ。誰のためでもない。それだけ贅沢な行為だということもできる。
映画のエンデイングに、テイム マツグローが、「GRAVITY」という歌を歌っている。渋い。
たくましい男が荷物を背負って、がっしりと山に取り憑いている。厳しい自然の中で、突風やがけ崩れにもてあそばれながら、岩肌を尺取り虫のように進んでいく。孤独な山男の背に、低い男の歌が語り掛けるようで、映画にみごとにマッチしている。
山が好きな人も、好きでない人も、この映画、自然描写が素晴らしい。見て損のない映画だ。
素晴らしいとしか言葉がない。
オープニングのクレジットが終わるや否や、主人公のアレックス・オノルドがフリーソロクライミングをしているシーンから始まり、途中にインタビューに答えるシーンが差し込まれる亜流の"Nonlinear narrative"がとられている。
MC: Our next guest is a free soloing phenomenon,
please welcome Alex Honnold.
Here is what I don't understand.
One little mistake, one little slip, and you fall and die.
ALEX: Yeah, I mean, uh, you seem to understand it well........
And I feel like anybody could conceived die on any given day.
Soloing makes it feel far more immediate and much present.
というフリーソロクライミングと無縁の者にとっては、1番に聞きたいことをこのドキュメンタリー映画では、まず最初にとりあげ、彼がフリーソロクライミングで初めてとなる”EL CAP”の単独登頂を準備の段階から彼の私生活や家族のことや菜食主義でいつも車のバンに住んでいるストイックさを彼の独特な早口でしかも楽しそうに詳細と思えるほど何も隠さないかのようにアレックスが説明していて、それを追いかけるようにドキュメントとして映像化している。何といっても、映像が迫力があり、プロのクライマーたちが登頂をするだけでなく、大胆な構図から撮影をしているので、ある意味、クライミイングの映像には圧倒される。
このドキュメンタリー映画に出演している中でもこの"EL CAP"何度もフリー登頂をしているよき理解者であり、今回フリーソロクライミングのサポート役に回ったトミー・コールドウェルの言葉が印象に残る。
I understand why Alex is obsessed.
EL Cap has obsessed generations of climbers.
amazon.comでは、この映画はレンタル配信されているけれども個人的には映画館で見たほうが良い映画かもしれない。
amazon.comでは主演のアレックス・オノルドが同じフリーソロクライマーの1人、ブラッド・ゴブライト主演のドキュメンタリー映画「Safety Third(2017)」にもカメオ出演している。 彼が、フリークライミング映画というジャンルを確立したと言ってもよいかもしれない。
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