「スルメのような映画(そして素晴らしい演技)」さくら abcさんの映画レビュー(感想・評価)
スルメのような映画(そして素晴らしい演技)
見終わった瞬間は、感想は、
「主役3人の演技は素晴らしい。でも映画としては少し焦点がぼやせていて、原作小説のオムニバスのような感じがする。倍の長さで観たかった感じ。」
だった。一つ一つの場面を掘り下げ足りないような感じがして、原作は読んでいないけれど、原作へのリスペクト故に捨て所が決められなくて、色々限られた時間に詰め込んだからなんだろうな、と思った。
ところが。
夜になってもずっと、各場面を反芻し続けている自分を発見した。
それぞれのシーンの前や後ろを考えたくなる。例えば、ハジメが彼女との関係を豊かにしてきた頃の庭のシーン。あの一シーンだけから、その二人がそれまで過ごしてきた時間、二人が思い描いている未来が見える。頼りにされて輝いているハジメ、肩が光って見える。
お兄ちゃんがいなくなって、ミキがくるみに触ってもらうシーン。その切なさが、あとから込み上げてくる。
そういえば、観ている最中も、普通泣きそうなシーンじゃないところが泣けた。お葬式のシーンより、冒頭の方の、ただ薫が歩いているシーンとかの方で、なぜか勝手に涙が出てきた。その涙は、「なんの変哲もなさそうでちっともありたきりじゃない、この一回性のある日常という人生を生きるということ」への涙のような気がする。
結構エッジィなテーマが含まれているのに、最後まで「ほのぼの家族ムービー」感のあるタッチを崩さずに描こうとした監督の意図も考えた。
そう、やっぱりそう。私たちはみんな特殊で、なんか変で、でもそれこそが結局凡庸な当たり前な生きるということなんだと感じさせられた。
自慰のシーンもあるし性的な描写もあるから、作ろうと思えばいくらでも前衛的な雰囲気に作ることができたように思うけど、それをしなかった。
それが、この映画の面白いところだと思った。
そのために、やや長すぎるようにも思える冒頭の性教育シーンは必要なんだと思った。
そうじゃないと、「若い人がなんか性的なことをやってるのを出せば芸術になったような気になってかっこつけて作った映画」になりかねない。
そう思うと、ますます味わい深く感じられてきて、夜もふけた今、まだ反芻が終わらない。
そして、レビューでも沢山賞賛されていたが、やはり主役3人の演技のことにも触れておきたい。
吉沢亮の、とことん自然なのに究極に存在感のある演技が、本当によかった。演技が、と書いたが、演技とすら感じられないレベルだった。観終わったあと、長谷川一本人出演のドキュメンタリー映画を観たような気持ちになった。
吉沢亮としても、過去作品のような、サイコパスな日常離れした表情でもなく、漫画特有の現実離れしたセリフでもなく、本当の日常の、本当の青年の役がやれて、本当に嬉しかったのではないだろうか。
ドンピシャ恋愛ものの主人公になるのをなるべく避けて、トモダチゲーム、猫を抱くもの、GIVERなどの作品を積極的に選び、恋愛ものを引き受ける時もマーマレードボーイのように暗い過去のある役を選んで来た吉沢亮は、「美貌というレッテルに負けない役者でありたいんだろうなぁ」という感想を抱かせる俳優である。
今回、メイクも薄く、セリフも自然なもので、これでこそ本当に芝居が生きてくる感じで、本当によかった。顔の半分が崩れてからの演技も、圧巻。というか、崩れたおかげで美貌に邪魔されずに演技が光るようになった。(美貌の持ち主は大変だなぁと思う。)死を選ぶシーンの、気の抜けるほどのスローさ、本当に圧巻だった。
作品ごとに全く異なる表情を見せる役者さんで、来年の大河ドラマも楽しみである。
小松菜奈は、ファムファタールをファムファタールにしなかったところがよかった。この役、もっと線を太く、もっとサイコパスな人間にすることも可能だったと思う。それをあえてしなかったのがよかった。フラットで自由な人というだけで、あとは自然だった。描きこみ過ぎない演技。「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」でも見せた、「佇んでいるだけでミステリアスなオーラ」はそのままに、自由で闊達な心を備えた美貴の格好良さがよく伝わる演技だった。
手紙のことがなければ、ハジメは、恋を支えに事故後も前向きに生き抜いたと思うから、正直なところ、私は美貴が憎くなる。でも、美貴がとても魅力的な女性として同級生に恋されるのは、すごくわかる。…ああでも、ハジメは事故で死んだんじゃなくて恋で死んだんだと思うよ…。ああ美貴…。自分が苦しむだけでがんばってほしかったよ。
北村匠海のナレーション。監督に言われたという通り、声がとてもきれい。今後、ナレーションだけの仕事とかもしてほしくなる。
薄く薄く、演技をとことん薄めていった感じの演技。物語全体の、静謐な感じをつくってる。
目撃者としての役柄が似合う。「君の膵臓をたべたい」も、目撃者としての立ち位置だったと思う。
初め、「色々詰まっていて焦点がぼやけている」と思った感想は、一日反芻しているうちに「誰もが生きているこの凡庸で特殊な生とは、ここからここまでを含みます」というメッセージのように感じるようになった。そう思うと、なおさらこの映画が味わい深い。
ワンシーン、ワンシーンを、舌の上で転がすように、また観たい。
スルメ。また観たくなる。