「手紙と固定電話だけが、恋のツールだった時代の話」さくら レモンブルーさんの映画レビュー(感想・評価)
手紙と固定電話だけが、恋のツールだった時代の話
美貴が好きだったのは…兄の一だったのだ!と分かった時、初めて美貴が、手紙を隠した動機が分かった。解った(共感した)訳ではない!だから、一が、不自由な身となった時、自分から一が離れる事がないと思ったから嬉しそうだったのか……
一の手紙を待つ心情を考えると美貴の行為は許せないと思った。結局、一は優子の気持ちも知らずに命を断ってしまう。兄の真剣な想いを知ってた薫が、美貴を殴ったが、美貴も辛かった。絶対に叶う事のない相手に恋してしまった…。
薫が一の弱音に腹を立てたのは…兄に元のような諦めず強い存在に立ち直って欲しかったから…そして…家族の愛を信じて欲しかったから…!
でも…一はgive upしてしまった…。家族は ある意味一に裏切りに近い感情を抱いたのかもしれないと思った。自分達を信じて貰えなかったという…失望と喪失感の中で一の事をどう捉えたらいいのか迷っていたのかもしれない…。
だから、さくらを大切に思う事でひとつになった車の中で、美貴が「お兄ちゃんを好き」だと言い
「お兄ちゃんは死んでしまったけど…皆んな思うやろ?生まれて来てくれて ありがとうって…」という言葉にやっと気持ちの整理がついたのだろう。一が、生まれて来た意味はある!
薫は一のまぼろしに「兄ちゃん違うよ!打ち返せないボールなんてないよ」と言う…。僕達はこれからも諦めずにずっと生きて行くよ。と…
この映画には?と思う事が、たくさんあった。
先ず「フェラーリ」の存在。必要でしたか?その後 何か意味があるのかと思ったのに…特になかった。幼い美貴を演じた子の目が素晴らしくて惹き込まれた!けど…。一の惨めな気持ちを喩えるだけの存在なら別に他の表現でも良かったのに…。
サキコさん。これは、如何に母が父を愛しているかを描くのに必要だったし、父がオネエ?(トランスジェンダー?)になった同級生に対し偏見を持たない、それどころか頼りにされる存在だったということを表していた。サキコは一の相談相手にもなり、葬式で美貴を気遣い、父の代わり?に長谷川家を見守っていた…。この役の加藤雅也さん 本当に素晴らしい!とても自然にオネエだったし、抱擁力も優しさもサキコそのもの。
ただ、サキコの「親に嘘をつく時は愛のある嘘をつきなさい」という言葉。美貴だけが その言葉に共感?していたようだったけど…この言葉 回収されましたか?
薫の独白で美貴の誕生の日の両親を描くシーン。その場に居ない薫が何処で知ったのか?母から聞かされたのかもしれない…が、赤ちゃんが、産まれる時の表現を母が「スロン」と表現した事に大いに賛同していた(出産経験ある私は良く分かりますよ!)のは、男の独身である薫が言うのは おかしいと思う。母の出産に立ち会える訳もないし…?さくらも 子を産んだ様子もないのに。
一に手紙が来なくなって元気がないと言ってたシーンの後に 美貴がポストの郵便物を見てて矢島からの手紙が来てない事を知ってさくらを散歩しに行くシーンで薫の独白で「毎日のように来ていた手紙や電話がぱったり来なくなった」とあるが?あれ?少し前のシーンでなかなか手紙が来ないと言っていたのに、あの後 また手紙や電話あったの?と…どういう事?
薫の童貞喪失シーン。これは まぁ兄の影響もあり、男子高校生のあるある?なのかもしれないけど…あんなに何回も描く必要有りました?結局 薫の人生に影響あったとは思えなかったし…もし意味が有るなら
愛=Sexは有るが、Sex=愛には必ずしもならないという事を知ったという事か…
一と優子の別れのシーンで薫が兄達の真剣な気持ちに息が詰まる思いだったと語るけど…それ程 兄達の愛の深さを感じるシーンが描かれてないので 薫の口から聞かされても「へ?」と肩透かしを食ってしまった…。薫のLoveシーンを削っても描くべきだったのではないでしょうか?
一が死んだ後 思い出の品を燃やしていたけど…なんで?と思った。もし愛しい子の物だったら私なら焼かないし、捨てない!何故、母は一の思い出を焼いてしまうのか?もう新しい思い出は生まれないのだからこそ遺品を遺して置きたいのが親の心情なのに…?もう思い出したくないくらい傷ついてしまったからなのか…家族の愛を信じて貰えず先立った息子への怒り?だったのか?…
何故父はランドセルを背負って家出してしまったのか?ラストの車の中で「美貴 あのランドセルは棄てたぞ」と言うシーンで、一亡き後、父は美貴の一への気持ちを知ってしまい、それに気づかなかった自分への情けなさや一を傷つけた美貴への怒り?そして何より まだ20歳の息子を救えなかった事に対する居た堪れなさに家出したのかな?と思った。でも、美貴にそう言う事で美貴を赦し、美貴を丸ごと受け入れ愛してると言いたかったのだと思った。
疑問はまだ有りますが、他にもいろいろ書きたい事があるのでこのくらいにして(笑)
小松版美貴の最初の登場シーン 美貴は中学二年生!!なんだけど…だからか、ずっと何故かショートパンツ姿でいる。その為、小松さんのスラリと伸びた美脚が、艶めかしくて…しょっちゅう、あれ?美貴って今いくつ?と脳内変換(笑)しながら見てたので、ちょっと疲れてしまった(笑)ラストシーンでさえ まだ17歳。色っぽ過ぎる。でも…美貴が出来るのは彼女しかいないと思えた。兄を慕う異常な心理や悲しすぎて笑顔のような表情になってしまう芝居など、監督さんも仰ったけど、小松さん天才!だと思いました!
初日に甲府の映画館(TOHOシネマズ)で矢崎監督の舞台挨拶を見て来て、その話の中で印象的だったのは
「愛が、動機なら何をやっても良いというテーマがいつも僕の中にある」
という言葉だった。美貴のした事を指すのだろうか?…
私は共感しかねるが。
この映画にはサキコの他にカオルという同性愛者が登場する。彼女は美貴を卒業式の壇上で自分を否定しなかった素敵な人間で「好き」だと公言する。美貴の偏見の無さは長谷川の両親の教育の賜物だと思った。
この物語の時代は まだLGBTQという言葉の概念もアヤフヤで偏見が強い頃だった。今もさして変わらないかもしれないけど…
教師らを倒したり突き飛ばすのは どうかと思うが、カオルの言葉は立派だと思った。
カオルも全く偏見のない人間だったから美貴の兄である一がどんな姿でも普通に接していた。だから、一も少し前を向けて「暖かくなったら散歩に行く」と言えたのだろう。
この映画は たくさんのテーマが詰まった難しい映画だと思う。様々な愛やSexや普通に生きる事の難しさなど…
役者の皆さんは それぞれ素敵な芝居で時に笑いを誘い、時に泣かされた。
北村匠海さんの飄々とした いかにも弟な感じが上手く 美貴の兄を思う気持ちを察しながらも 一の優子への愛の強さを知る薫の複雑な思いから流れる涙と妹を殴る芝居に薫の辛さを感じた…。
吉沢亮さんは人気者で強く、優しい兄という薫のイメージから…事故で半身の自由を失い顔まで半分損傷してしまうという難しく、辛い役だったが、一が、壊れて行く様を繊細に演じていた。泣きながら「打たれへん…」という姿は本当に痛々しく 合わせた手の表情が一の心細さを感じさせた。
そして…死にゆくのに 明るく さくらと出掛け、自分の首に鎖を巻く姿が、切なく怖くもあった……耐え難い苦しさから解放されるという気持ちになるのだとしたら…リアルなのかもしれない…。
両親を演じたお二人も見事だった!特に寺島しのぶさんは若い頃の演技は本当に若さを感じたし、あのお母さんなら夫との性もあっけらかんと子供達に話して聞かせるだろうなと納得できるキャラを好演していたと思う。
永瀬さんは薫が、言ってた通りの長谷川家を支えていたのは 秋の日差しの光のような父だったと言うセリフの通りの妻や家族思いの人物を好演していた。
小松さん、加藤さんは前述の通り!
少年期の二人の子役さんが良く似てて本当に兄弟のようだった。
でも…評価するのがとても難しい。
私が共感出来たのは…一くらいかな。
初日に時間とお金をかけて甲府まで行ったので3回見てみたが、一に対しての不憫で哀れで複雑な想いが、一番残る。長谷川家の人々の心にずっと住み続けるであろうけど、辛い。
薫が言うように一はいつかボールを打ち返せたのかな…生きていれば。
長々と取り留めもないレビューを読んで下さりありがとうございます。
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レモンブルー様コメントありがとうございます😸
ふー コメントまで含めて全部読みました。皆さま真摯に映画を受け止めていて素晴らしい。私は西加奈子のファンなんでかなり甘い評価です。リリースされたんですね?また観てみます。アニメですが漁港の肉子ちゃん 楽しみです。
おはようございます。
読了されたのですね。
”「綺麗な子だったのに…」”
確かに、美貴の”気がふれたような行動に対して”への言葉とも思えますね。
只、私は、薫は、”一を手の届かないヒーローとして観ていた事”と、祭壇に置かれた”綺麗な顔の”一の遺影を写していた後の”あの言葉”だったので、薫は”一に対しての憐憫の言葉”と受け取り、”初めて人を殺したい・・”と言う気持ちになったと解釈しました。
では、又。
kossyさん 早速お返事ありがとうございますm(__)m! そうなんですか。では 特に意味は無いのですね?私は 単に一が自分の心を受け止めてくれるのはさくらだけという思いがあり、最期の「甘え」としてさくらに見守られて逝きたかったのかなと思ったのですが、「酷い」行為と言われると「あ、確かに…」と思いました。でもkossyさんが 仰っる通りなら、それほどはダメージは大きくなかったって事ですね?
美貴は一があのような身体になった事で「誰にも取られない」存在になったのが嬉しくて明るくはしゃいだりしてたんですよね…だけど死なれてしまった時は葬式でも崩壊寸前になったりしましたが、最後まで 自分のした事が 一の死を招いたかもしれないという事には思い至らなかったようで、反省したのは、生きてる間に 兄に「好きだ」と言えなかった事だけだったのには驚きました!確かに他人の気持ちを思いやる事が出来ない(あの時点で17歳くらいで本当にまだ幼く自己中心的)子でしたね。
レモンブルーさん、コメントありがとうございます!
犬というのは案外“死”を理解していない動物だと思います。特に老犬となれば、自分を養ってくれる主人さえいればいいので・・・死んだとわかってもすぐ元通りになっちゃいます。
美貴も犬タイプで“死”を受け入れらないタイプなのかな?
顔が“おばけ”みたいだと笑っていたし、あとには引きずらないし、下手すれば相手の気持ちを考えるのが下手というか・・・まぁ、独占欲も強かったんでしょうねぇ。ランドセルはショックでした。
私は やはり映画に足りなかったものは一が亡くなった後の 母親の痛みの描き方だと思いました。小説ではアンコール依存や過食 化粧をしなくなって 太り変貌して行く様が語られていて 壊れて行ったんだなと納得出来たのですが、流石に寺島さんが太る芝居は無理でしょうから せめて化粧っ気無しでやつれた雰囲気を演出して欲しかったです。遺品を焼くことで壊れる事を描いたのかな?でも それって一時的な感情な気がして…薫が帰省した時も以前と変わらず綺麗で元気そうで…壊れたの?という感じでした。だから 再生というテーマも何だかボンヤリしていた気がしました。
でも…美貴と一の関係を上手く纏めて情緒的に描かれた映画だと分かりました。give upのシーンも丁寧な描写で衝撃は大きかったですね。
小説より映像で説明出来るはずの映画なのに、薫が言葉で説明してしまうシーンが多かった気がして、映画ならではの表現で描けたのでは?と思いました。これも監督さんが西加奈子さんのファンだという事で、小説の名台詞はそのまま 生かしたかったということなんでしょう…。残念です。
返事になってるか 分からないですけど、感じたことを書かせていただきました。
NOBUさん 返信遅くなりました。NOBUさんのコメントが どういう意図で書かれたのか よく分からないままで とりあえず原作を読みました。それで、私は 主人公が物語を主観的に語って行く形式の小説が苦手であることを実感しました(笑)「さくら」しか西加奈子さんの作品は知りませんが、とても繊細で独特な比喩表現が散りばめられていて 想像力を刺激されるのですが、これをまだ若干21歳?の薫がまさに文学者のように回顧したり表現しているのが違和感でしかなくて…薫が文学青年で小説家を目指している設定なら…まだ納得出来るんですが…。そして父の家出シーンとか一がどれだけ矢嶋を大切に扱ったかなど 本人しか分かりようのない部分までも 薫が見たように書かれていて…主観なのか客観的なのか 入り乱れていて 私は疲れました。
そして…色んな事が映画とは 違うのに驚きました!年齢と出来事の設定の違いや 手紙事件と一の事故との関係や 母親の壊れ方などなど…え〜?そうだったの?! という事が多々ありました!小説は性の経験が映画より3年ばかり早く?なんて早熟なんだろうとか思いましたが、もしかして リアル?なのかも?と思ったりもしました(笑)サキコさんの「優しい嘘」の意味も分かりました。
NOBUさんは お嫌いかと思いますが、私は やはり映画と比べてしまいます。長くなりましたので 続きは下に書かせていただきます。
コメントありがとうございます。
たしかに小松菜奈では艶かしすぎますよね。でも惹きつけられてしまう。すごい女優です。
これから原作を読んでその違いを楽しみたいと思います。
皆さんのコメント、原作、映画、全てに共感できる、この映画は素晴らしい、そう思うわけです。西加奈子と伊坂幸太郎には、同時代に生きていることに感謝する自分ですから。皆さんのコメント読むと、私の他のレビューにも忌憚のないご意見をいただきたく存じ上げます。よろしくお願いします、では。
今晩は。そして、初めまして。
まず、私は、映画と原作は似て非なるモノである、と言うスタンスで映画を観ています。
私事ですが、今作の原作となった西加奈子さんの「さくら」は、2007年に文庫になった際に読みました。この方の育った環境にもよるのだろうと”勝手に”思いながら、容易に日本的情緒に流されない文体に引き込まれました。その最たる部分が、”皆のヒーローであった”一の”ギブ・アップ”の描写でした。
そして、この映画。
原作の事は”敢えて、忘れて”鑑賞しました。ちなみに、私は映画のレビューで”原作の世界感が表現されていない”と言うのが、大嫌いでして・・。”だったら、本だけ読んでれば良いだろう!”と思うので・・・。
私は、この映画は、美貴を演じた、小松菜奈さんと、一を演じた吉沢亮さんの演者としての姿が素晴しいと思いました。
-この辺は、レビューに記載したつもりです。-
そして、一の意思を受け継いだ愛犬”サクラ”が、壊れかけた、深い哀しみを乗り越えようとする家族の喪失から再生していく過程を支える姿を丁寧に描いた作品だと思いました。見応えがある作品だとも思いました。
3度もこの映画を鑑賞されたという事と、素敵なレビューに敬意を表して。
長くなりました。
では、又。
アサシン5さん コメントありがとうございます。アサシン5さんのレビューの方にコメントさせていただきました。が、今 一度 コメントを読み …
それって 映画が 作者が作った世界よりも 情緒に訴える作りになっているという事なんですか?
コメント失礼します。原作者のファンなのですが、自己中な愛が悲劇を招く寓話的な話が多いので、この話の続編が有れば、全ての家族が長男と同じ末路になるでしょう。サクラは対局の象徴で有り、この家族の中での孤高の存在でもあるのです。原作者は登場人物に愛情は感じてはいないと思うので、登場人物に共感されて戸惑っていると思います、でも、映画はそんなつくりですが。
コメントありがとうございます。
ハジメの顔面をみたとき、レース中の事故で顔面に大やけどしたF1レーサーのニキ・ラウダのことが脳裏によぎりました。ニキ・ラウダは、身体は無事だったため奇跡の復活を遂げましたが、ハジメの場合は下半身不随と顔面崩壊です。神様からの悪送球でなくてビーンボールなので、ギブアップしたことはしょうがないと思います。
ストーリーには、のれませんでしたが、それぞれの俳優がいい演技をしていたので、その点に関しては満足してます。
溢れて収まりきれないほどの恋情。でも 伝えられない。辛かっただろうな…って、あれ?めっちゃ美貴に共感しちゃってますな 私😅
呪いを解くための家出…だったかもしれませんね。何があったんでしょうね?
それにしても、この映画は 色々な事に思いを巡らせられるなぁと思います。それって、良い映画という事?でしょうか、、、
自慢ではなく、溢れて収まりきれないほどの恋情。いいですね、そのほうが。
身体は成長しても心の容量や風合はランドセルのまま封印されていたので、父親はその呪いを解くために家出?
そう考えると、父親は『ロード・オブ・ザ・リング』のフロドが指輪を溶岩の川に投げ込んだような何か大きな出来事があって戻ってきたみたいですね。
できれば、ホラーよりはファンタジーのような展開をして欲しいです。ちょっとダーク系であったとしても。
グレシャムの法則さん 私は「さくら」のレビューを2回もコピペしそこなったので…3回目を書くのに疲れてしまい、いくつか書き落としてました。それがグレシャムの法則さんがお書きになった 美貴が 矢嶋からの手紙を隠し読んでいた意味についてです。私も あれは美貴が矢嶋の一への気持ちに同化するためだったと思います。美貴は手紙を暗唱してました…狂おしい程、何回も何回も読んだに違いない…。
でも 自慢したかったというのは違って、自分の隠し切れなくなって溢れそうな恋心を薫に知って欲しくて
あのような事を…だから…美貴は泣き出し、自分が兄の字を真似て矢嶋に嘘の手紙を書いた事まで告白した
それ程 どうしようもなく兄を好きだったと!
私は 美貴にはいつか自分の罪の深さに気付いて欲しいです!そして…兄の代わりに矢嶋を探し出し、自分の罪を告白し、謝罪し、兄がどんなに矢嶋の事を思っていたかを伝える義務があると思っています。そうしなければ、美貴は救われないのではないでしょうか?あのラストでは 綺麗事過ぎて 納得出来ません。
それに…家族を纏めたさくらだって あと数年後には亡くなってしまうのです!そうなった時、長谷川家は 美貴は どうなるんだろう?と映画のラストシーンを観て思いました…本当に…ホラー…ですよね。
でも、美貴はこれからの人生のそう遠くない未来で、ある日突然自分のしたことの罪深さに気が付き、本当に発狂することになりそうで怖くなってきました。
レモンブルーさんの共感できない部分の多くが、いつまでも澱として残り、美貴の内面を蝕んでいくような…
原作読んでないのですが、美貴のこれからについては、読者に委ねているのだとしたら、西加奈子さん、なかなかホラーな作家さんですね😨
ご返答いただきありがとうございます。
誰から見ても可愛い子ではなく、綺麗な子=否応なく妹も女性であることを突きつけられた。ただのお兄ちゃんっ子ではなく〝恋〟であることを再認識。それに気付かない、或いは気付かないフリをしてきた自分への腹立ちと後悔。
美貴は、ランドセルの中の手紙が溜まるにつれ、相手の女性が自分と同化して、一とやり取りしているのが、自分だと思い込んでいた、だから薫に自慢げに披露した。
以上の解釈で何となく腹に落ちました。
小松菜奈さんの時々みせるサイコかのようなニヤッとした顔が印象的でした。
元々可愛らしというより綺麗な方なので、やはり中学生にはどうしても見えなくて、難しいですけど私的にはそれが違和感になってしまいました。
小松菜奈はとても良かったですね。
シリアスなシーンでニヤニヤしていたり、とても子供っぽい仕草と、性的な魅力や思春期危うさみたいなものがとても良かったです。
個人的にはランドセル失踪は泣きポイントでした。一瞬、頭おかしくなった?と思ったですが、自分への罪悪感はもちろんですが、娘の秘密と罪悪感を持ち去ったのだと、正しいかどうかは別として、単に逃げただけではないのだと。
よろしければ、レモンブルーさんの解釈を教えていただきたいのですが、葬儀会場でサキコが失禁した美貴を連れ出す時の第三者の囁き(キレイな子ねぇ、キレイな子なのに…そんな感じの発言)に対して、薫が殺したいと思った、と言ってましたよね⁈あれは、何も知らない外野の人間から自分たち家族に対しての憐れみや外見で判断されること(もちろん一のことも合わせて)への生理的衝動的な怒りの発露だったのでしょうか。
確かに疑問なところはありますが、小松菜奈さんを中心に鑑賞することにしたら割りと馴染めました。理屈で考えたらまったく説得力はないのですが、美貴が一に向けた無限の愛は、それだけで一が生まれてきた意味があったという一種の救いにも似た感情を家族にもたらしたような気もしてます。愛は美しいだけでなく残酷でもあるけれど、誰にもそれは裁けないし、自分たちが、怪我をしてからの一に対して何かしらの屈託を抱えてる一方で、美貴の愛だけは変わらず純粋で本物だった。うまく言えないのですが。