ペトラは静かに対峙するのレビュー・感想・評価
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章が変わるたびに驚きが迸る。静かな中に激情が貫く力作
田舎の村を訪れる女性。どうやら彼女は絵描きのようで、とある大物芸術家のもとで創作活動をしようとしているらしい。映画は穏やかに、かつ静かに展開し、その先に何か起こるとしたらせいぜい芸術論をぶつけ合うくらいしかないのではないかというほどだ。が、これが一つの事件をきっかけに、時代や記憶、繰り返される悲劇などを絡めた、小さくとも深くて激しい、うねりのある叙事詩へと転じていく。 物語をそのまま時系列に並べると、古典的な文芸作のように仕上がったはず。ところが作り手はそうはしない。あえて時系列を操作することで、観客がスクリーンを見ながら抱いていた「違和感」の答えらしきものを後付けで提示し、さらにチャプターが変わるたびに「えっ!」と言うスリリングな心境をもたらしてくれる。静けさは激情の裏返し。観客は何が起ころうともこの結末を見届けずにいられない。結果的に、強靭かつ骨太な人間ドラマがそこには出現していた。
【時間軸を巧妙に入れ替えた作品構成が、不思議なサスペンスの迷宮に誘い込もうとする作品。】
ー ハイメ・ロサレス監督は、7章立てで物語を進める。だが、時間軸通りではない。ー ◆感想<Caution! 内容に触れています。> ・著名な彫刻家ジャウメ(ジョアン・ボティ:77歳にして、本作で演技デビュー)の、傲岸不遜で権威を振り翳す、人間性の欠片もない振る舞い。こんな人間がいるのか・・。 ・彼の過去、現在の行いのために、ペトラ(バルバラ・レニー)始め妻マリサ(マリサ・パレデス)や”息子”ルカスは、振り回されていく。人生を狂わされていく・・。 ・ジャウメは、実はルカスが自分の子ではないと知っていたのではないか。出なければ、”お前の偽りの幸せを邪魔するためだった・・”などと言う言葉は出て来ないだろう。 <ジャウメは、自分で身を立て、名を上げながらも実は中身のない空虚な人間だったのではないか? 出なければ、あのような最期はを遂げる事はなかったであろう。 何とも、切ない物語。 第7章のペトラが全てを理解したうえで、マリサに対して行ったラストシーンに救われた作品。> <2019年7-8月頃 京都シネマにて鑑賞> <2021年8月11日 別媒体にて再鑑賞>
パウでかした
ジャウメがクソすぎて引き込まれました。奥さん役がオールアバウトマイマザーの女優さんだそうですが、この映画のタイトルこそオールアバウトマイマザーだったかも。奥さんは夫は気づいていないと言ってたけど気づいてたからあんな仕打ちだったんじゃないのかな。まあ誰にでもあの態度の生まれついての精神的サディストなのか。ペトラが奥さんのことをあそこまで嫌うのはよく分かんなかったけど、夫婦まとめてきらいってことだったのかしら?
嫌な奴だが仕事はできて金はある
ジャウメはとにかく性格が悪い。「人の不幸が三度の飯より好き」というような男。それを象徴するのが、メイドと寝た後、「夫にいわないで」というメイドに「言わないが息子には言う」と言い放ったシーン。さらに「屈辱を与えながらのセックスは最高」と、このセリフからも権力を誇示したい欲求が垣間見れる。しかし、仕事はでき金はある。このことが嫌な性格を差し引いても余りある魅力のある人物に映ってしまう。
静かなざわめき
静かな作品なんだけどある見方をすれば救いようが無いかも。スペインの年寄りは何やってんだよというか。カメラがじっくり動く視点は覗き見しているようで誰の視点でもない。だから客観的に見れるのかな?まだ、映画祭グランプリなど、突き抜けるほど迄には至らないけど必ず注目される監督になるでしょう。
懐の深い世界観
一筋縄ではいかない映画である。タイトルからして、スペインの家族の物語が淡々と映されるのかと思っていたが、まったく違っていた。映画の紹介ページに書かれていたとおり、最初に起こる事件は家政婦の自殺だが、映画を見ている限りまさかこの人がという人が自殺する。 そこから先はこの映画では何が起きるか解らないと身構えて観ることになる。そして確かにいろいろなことが起きる。しかし事件の瞬間やその後の愁嘆場のシーンは殆どない。必ずいくばくかの時間が経過したシーンにジャンプする。そしてそのシーンではペトラは起きたことを静かに受け止めて次に進んでいく。 強すぎる自意識は得てして悲劇を生む。本作品のジャウメのように強気な人間なら尚更だ。何事も自分が世界の中心でなければ気が済まないから、他人を信じないし、他人の成功や幸福が許せない。こういうタイプは珍しくなくそこら中にいる。ある飲食チェーンの創業社長は、社員のひとりが料理長のことを「大将」と呼んだことに激怒して、その社員をボコボコにした。自分以外に「大将」がいるのが許せないらしい。文字通りお山の大将である。社員の全員がこの社長を軽蔑していたが、身の振り方は三通りに分かれていた。呆れて辞めていく者、給料と同僚のために我慢して残る者、そして社長に取り入って得しようとするイエスマンたちである。社長はいつもイエスマンに囲まれて悦に入っていた。その会社はいまでも、長時間労働と薄給に耐えて頑張る社員たちの犠牲の上に成り立っている。 日本では大金を手にしている体制側の人間は殆どこのタイプだ。言うなれば世の中は自意識過剰の人格破綻者によって支配されているということである。暗愚の宰相アベはその筆頭だ。他人の成功や幸福が許せない総理大臣をいただいた国民ほど不幸な国民はない。 それでもまともに生きていく人はいる。主人公ペトラである。度重なる死を受け入れ、自暴自棄にもならず、インセストの問題も克服して、母から受け継いだ命を母と同じ名前(?)の娘に繋いでいく。生命のリレーはいつも女たちに委ねられるのだ。 物語の描き方はユニークである。モザイクのようなシーンを嵌めていくと、全体像が浮かび上がる。観客はその作業のために頭が休まる暇がない。ペトラの絵はジャウメによって息の根を止められるが、ペトラの人格にまでは影響を与えられない。ジャウメの苛立ちはペトラに対する不快感でもあっただろう。 人格破綻者のジャウメは周囲の人々の人格を蹂躙し、まともな男たちは弱くて、悲劇の犠牲者となる。一方で女たちは彼を鳥瞰するかのように、はるかな高みから見下ろす。人間の不条理をこれでもかと見せ続ける作品だが、女たちの強さの物語でもある。不思議に暗い気持ちにならないのはカタルシスの効果でもあるが、子宮に包まれているかのような懐の深い世界観のせいでもあるだろう。奥行きのあるいい作品である。
対峙しないカメラ、対峙するペトラ
話の内容は、かなり濃い目ではあるが王道のサスペンス。 一つの家族とその周辺人物が、嘘や秘密により運命を絡ませ、悲劇的な結末を迎えていく、ごく狭い範囲の愛憎劇。 神話や悲劇の典型とも言える人間の業罪をモチーフに含む所など、古典の雰囲気もある。 物語は7つの章から成り、しかし順番に語られる物ではない。2、3章が先に語られ、その後1章に遡ったりする。 難しい内容ではないが、キャラクターの顔や名前、役割を把握するまでの間は、少し混乱した。 カメラワークやサウンドなどから受ける感覚が、一種独特。 展開の殆どが、二人の人物の会話からなる。何故かカメラは、会話する二人を同時に捉える事を殆どせず、周囲の風景から一人の人物へとゆっくり視点を合わせていき、その人ををフレームアウトして会話の相手へ、そしてまた最初の人物へ…と、留まる事なく、ゆるゆると動き続けるのだ。 会話や出来事の中心人物が写らず、カメラが風景や部屋を嘗めるように移動し、会話だけが聞こえているという時間も多い。 また、起こった出来事の結果を写さず場面が転換し、どうなったのかという不安を引きずったまま、後になって経緯が明かされる事もある。 BGMは殆どなく、ただ効果音のように、不安や哀しみを示唆するサウンドが時折流れ、それも場面転換や会話の開始でプツリと絶ち切られる。 会話と出来事だけが、ただ淡々と語られていく。 提示されるのは各人の語り言葉だけなので、その真偽や本当の心情までは、観客には計り知れない。行為の理由も、観客が自ら推し量るしかない。 カメラは特定の人物や出来事に注視する事をしない。 意図的に感情移入を阻まれ、傍観者としてただ運命の成り行きを見守るしかないような、奇妙な疎外感と不安を感じた。 古典悲劇では度々、親の因果が子に報い、過去の出来事が現在を形作る因果応報的公式に縛られ、登場人物達は大方その定めから逃れられないが、ラストのペトラの行為は、その悲劇の糸から抜け出し、大切な物を守ろうという強い意志の表れではないかと感じた。 人間の罪、業、悪意、運命。ペトラが対峙したものとは、何だったのだろうか。
いきなり二章!?
画家ペトラが彫刻家ジャウメの元を訪れて巻き起こっていく話。 あらすじに書かれている通り時系列がいじられていていきなり二章からという不思議な始まり方をする。 基本的には会話劇の様な感じで緊張感みたいなものはあるけれど、一つ一つのシーンが長くてダレてくる。 終盤話が見えてくるとなかなか面白くはあるけれど、ダレた気持ちを完全払拭してくれるものはないし、そこからまたタラタラ。 意外性もあったけど、刺さる程ではなかったかな
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