ピアッシングのレビュー・感想・評価
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村上龍の原作衝撃の実写化!
原作は読んでおらず、完全に予備知識無しで観ましたが、何とも不思議な映画ですが、魅力的に感じてしまう病的な感覚をもった映画でした。
まず、鑑賞していて映画自体がヨーロッパ映画のレトロな作りの印象だなぁっと思いながら鑑賞していました。観終わった後に調べてみると、前述したように1970年代のイタリア映画を意識していると知って、やっぱり!って思った次第でありました。映像を2分割するようなカット割りといい、途中でこれ本当にハリウッド映画なの!?って疑ってしまったくらいで、見事に監督の描きたかった世界観が表れています。
作風だけでなく、音楽もレトロでとても映画に合っているのです。なんとも不思議な映画なのですが、音楽でさらにその異様さが引き立っています。あとエンドロールの音楽と映像が秀逸でした!
物語自体は、オカシイ男とオカシイ女が出会ったら!?を描いた作品と言った方が早いでしょう。なんとも理解しがたい状況が続いていきます。そして痛いシーンが多いですし、精神がおかしくなってしまいそうな映像も。そんな中でも、この映画コミカルに描かれているシーンも多いのです。病的なノリとちょっと笑ってしまうコミカル要素のギャップが印象的すぎる映画となっています。
そして、2人の不思議な関係が非常に面白いです。果たす目的が少しずつずれているのだが、なぜか惹かれあっている。でも決して愛し合う事なく付かず離れずな距離感を保ちつつ、お互いの目的を達成しようとするが、やっぱり噛み合わないといった具合です。なんでだろう、この二人のやり取りは正直きついシーンが多いのですが、もっと観ていたいって思う自分がいます。
そういう理由もあり、ラストの終わり方は非常にもったいなく感じます。恐らく観る人の大半は、「え!ここで終わるの!?」と感じるでしょう。この後の二人がどうなるかが気になってしょうがないです。
原作を読んでないため、疑問に思うところも多かったので、是非小説で読んで、この映画を補完したいと思います。
【イカレタ性的倒錯者男女のイカレタ関係を描く。村上龍さん、このレベルの作品で本当に120%満足なんですか!】
・リード(クリストファー・アボット)は自らの幼子にアイスピックを向けるが必死に制御し、代わりにSM嬢をアイスピックで殺害することで、欲望を満足させようとするが・・
ー現れたジャッキー(ミア・ワシコウスカ)は、彼以上の性的倒錯者だった・・。いきなり自分の足をアイスピックで突き刺し始めるは、リードにハルシオンを飲ませて、昏倒させるは・・。完全に主導権を握り、遣りたい放題である。彼女の自傷性も露わになる。-
その中でリードがアイスピックで人を刺したい欲求の源泉が垣間見えたりはするが、ストーリー展開が粗いので、ナカナカ付いていくのが難しい作品。
ー彼らの”SMごっこ”は、お互いの体を傷つけながら、続くのであった・・・。
”その前に、スープ飲まない?”-
<村上龍の作品の狂気性を映像化しようと、ニコラス・ペッシェ監督は頑張ったようだが、原作の雰囲気は出せたのかな?
村上龍さんのコメントは「原作者として120%満足しています」だったが、ジャッキーにハルシオンを飲まされたんじゃないのかと、勘ぐってしまった作品。
今作品で一番、強烈だったのは、ミア・ワシコウスカの演技。これは、強烈だったなあ。>
せっかくクロロホルムを自分で吸って練習したのに・・・
いやはや、リード氏、変態でしょ。まぁ、予行演習は必要なのだろうけど、あまり衝動的ではないよね。もう計画立てるという行為自体が変態的なわけで、実際に派遣SM嬢ジャッキーがやってきても戸惑ってばかり。この練習がとにかく笑えた。
ポケベルを使ってることから、時代は80年代かと思われるのですが、音楽がまた微妙に色んな時代を彷徨っていた。ゴブリン風だったり、キース・エマーソン風だったり、AORのようなBGMだったりと、70年代から80年代を行き来していた気がします。冒頭の制作会社ロゴもノイズが入っている映像だし、全体的にフィルムを意識したような古臭い色彩。赤い絨毯なんかはリンチ風だったりします。
実際、自傷癖の人はいるものだし、それを他人にまで実践するサイコキラーだっている。たまたま巡り合った男と娼婦が互いに欲望をぶつけ合うストーリーも確率0%ではないのだろう。しかし、リードの妻モナの心理描写が足りなくて理解に苦しみます。もしや、彼女も人を差す快感の持ち主なのか?そうなると「おまえモナー」という2chっぽいギャグに落ち着くのですが、本編もなかなかシュールなギャグで締めくくられてる。
妄想or回顧シーンもグロくて痛々しいのですが、最も印象に残るのは睡眠薬入れられてドカーンと衝撃音とともに倒れるシーン。あぁ、あの薬はそんなに強烈なのか!?と、試したくなくなること請け合いだ。
痛々しいシーンが多すぎて・・・
殺人衝動にかられた男性が、SM譲を殺害する目的で呼び出すが・・・というストーリー。
サイコスリラーとしては良く出来ているように感じました。
殺人を目的とする主人公、意図不明なSM譲。その展開が興味をそそり、ラストまで飽きさせません。
しかし、自傷シーンを始め、かなり酷いシーンが多く、私は目を背けたくなりました。サイコスリラーなので仕方がないのでしょうが、私的評価はやや低めです。
すべてがゲーム(遊戯)!
現実と幻覚、苦痛と快感、苦悶と笑顔、
すべてが綯交ぜでスリリングな展開。
死を意識させることで生きる喜びをより感じることができる 。
ちょっと風味付けの違うラストランゴインパリみたいな感じです。
ずれながら戯れ合う
村上龍の原作で見覚えのあるタイトルだったので気になった。鑑賞後、頭の整理がつかず謎めいたままだったので、珍しくパンフレットを購入。そして古い本棚にあった原作、15年以上前に買ったと思うが内容は全く覚えていない、を読んだ。おかげで謎だった部分は原作で補うことができた。
その上でだが、少ない言葉で、緊張感のあるやり取りを、原作に忠実でありながら謎めいたままに映像化できているのがいいのだと思った。映画では男性の心理や幻覚、幻聴は描かれるが、女性については隠されているのが原作とは違っていて、それがよりミステリアスであり、お互いの幻想の中でずれながら戯れ合う緊張感を醸し出している。架空の高層アパートの風景も謎を助長する。パンフレットの村上龍氏のインタビューにもあったように、原作の本質的なところをきちんと把握して撮られている。
ただもし原作も知らず解説もなく映画だけを見たとしたら、この謎すぎる何とも言えない気分はどうなっていたのだろうかと心配になる。
エンドロールに荒木経惟の名前があったので気になった。それは主人公のアパートに飾られていた〈若い芸者がスイカを食べている〉写真であった。
内面がズルズルと引き出されて行く、恥じらいを忘れる程。この感じがた...
内面がズルズルと引き出されて行く、恥じらいを忘れる程。この感じがたまらない。
誘導される様に扉が開かれて行く感覚。
突き抜けた先の恍惚って、もしかしたら…。
雰囲気だけで発した中身の無い安っぽい言葉、そんなのを思い出しながら、そんなのも悪くないって思う。
すれ違い小咄
村上龍のあの独特な世界観と毒々しい描写に魅了された青年時代、特に『愛と幻想のファシズム』は、日本にもこういう全体主義的流れが産まれる過程みたいなものを、まるで歴史小説のような史実の如くフィクションとして展開していくスペクタクルに恐怖と熱情を叩き付けられた思いを抱いたものだ。但し、今作の原作は未読で、オチも同様かは未確認。アンジャッシュのコント的ギミックは原作に近いらしいとのネット情報だが、落語の小咄的オチは分らない。或る意味、アメリカンジョークにも通ずるところもあるかも。というのも、映像の色彩設計や場面二分割、セット内のインテリア等、70年代風のアメリカのTVドラマを想起させるような造りに仕上がっている。現在ではないことはスマホが出てこないことからも明らかだ。自傷行為、殺人欲求を“ピアッシング”というキーワードに一括りにした洗練さとシンプルも原作者に寄り添った造りであろう。原作者がよく自書で登場させる奇天烈なクリーチャーも幻想パートで登場させているし、そういう細かいが全方位型のエンタメを端折らすに混入させている演出も原作リスペクトを窺える。思うに、もっとSM要素やトラウマをクローズアップさせ、過剰にデコレートすることが定石かと思うが、前述の通り、今作の喜劇性をフューチャーした面にキチンと向き合っているところが興味深い。あれだけの凶器で体に傷をつけられても、お互いそれ程痛みを表現しない所など、漫画的な構成もベースとして見受けられるし、多分、制作陣はこれもアニメと同じ、ジャパンクールの一環として捉えているのかもしれないと勘ぐる程である。ニプルピアスは相当痛いし、血もかなり出る。まぁ、あくまでもフィクションで、痛みを前面に出すと興醒めだろうし、こういう形での落ち着きどころなのであろう。作品中やエンドロール中も、強調されている高層ビルの無数の窓ガラスが何を意味しているのか、そのメタファーは読み解けなかったので、どなたかご教示頂けるとありがたいと思う今日この頃である。
二つの狂気が出会うとき
やるしかないだろ。殺せばいいだろ。
飲み込まれるような吸引力はないものの、予想外の連続で常に目が離せずドキドキしながら観られた。
目が回るほどドラッギーだけど抑えめでスマートで、洗練と混沌が入り混じったような表現が面白い。
初めての実行の前には必ず予行練習を。
稚拙で素人腕なパントマイムと、それに合わせた効果音の演出が巧い。
想像力が刺激され、その手の先に吹き出す血液や濁った目を持つ女の首が見えるようだった。
殺人衝動を持つリードと、自殺(自傷)衝動を持つジャッキー。
二人の欲望の形は合致するはずなのに、どうしてこうも上手くいかないのか。
反撃され逆にやられても、それはそれで悪くないかもしれないと言いつつ、想像に易い目先の苦しみからは咄嗟に逃げてしまうもの。
二つの狂気がマウントを取り合い押し引きし合う様、焦らし焦らしの感覚と秀逸なラストにニヤリとしてしまう。
双方のやりたいことを把握した上での先伸ばしや牽制、傷付け合いなんてそれはもうただのイチャイチャじゃないの。
ずっとそうしていればいい。
家で待つ妻子だとか仕事だとか警察だとか医者だとか、そういう現実的なあれこれは全部全部頭から放り出して。
小休止を挟みながら少しずつ身体を痛めつけ合ってジワジワと弱って息絶えればいい。
お似合いすぎる二人の今後に想いを馳せてキュンキュンしてしまう。
フラッシュバック的な幻覚から全てを読み解くのは難しい。何となく拾えるものはあれど。
おそらくリードは幼い頃母親から暴力を受けていて、それにより痛みを断つことが出来ているんだと思った。
「痛くないと思えば良い」と。
ウサギを刺していた少女は誰だろう。
ジャッキーに顔が似ている気がしたけど、彼女の過去ならそれをリードが知っているのは変なのか。
それとも幼い頃二人は知らずに遭遇していたとかだったら胸熱だな。
母親に重ねていたらしきモナの存在も謎。
「前に殺した」という言葉とあの映像での出来事をそのまま受け取っても良いものなのか。
母親も娼婦だったのかもしれない。
突然グロテスクなモノが出てくると興奮する。
触手ピロピロの虫、悪臭漂う汚水、謎の粘液、傷口に蠢く何か。もうそういうの大好き。
ただのサイコスリラーではなかなか味わえないグチャグチャモゾモゾした感覚がクセになる。
金髪ボブとスレンダーながらも下半身がムチッとしてるのがめちゃくちゃ可愛い娼婦ジャッキー。
彼女の心の内が全く読めないのが地味に恐怖。
眉を顰めたり含みすら感じる笑顔だったり、コロコロ変わる表情の奥に虚ろな穴があって、何がしたいのか何をしているのかわからない怖さがあった。
二人の会話がたまに全然噛み合っていないの面白い。
集合住宅のモチーフがとても好き。
無数に並ぶ住まいの部屋の内、それぞれとある一室で起きた物事。
普通に生きている人でも、奥底に抱える狂気や後ろ暗い欲望は誰しもが持つものでしょう。
明らかに異常事態の連続ではあるけど、どこか普遍的で当たり前のような印象も受ける。
現代的なのにレトロな雰囲気も流れていて、時代設定をぼやかしたようなモダンな見せ方も良かった。
肌を伝うアイスピックの針先の感覚はもっともっと欲しいところ。
物語は面白かったけど、期待していた痛みをもっと強くジワジワと慢性的に感じたかった。
爽やかなラスト
125.計画立案とその計画が脆くも崩れる様は、「バニシング 消失」を思い起こさせる。ピアッシングの映像と音楽は抜群。噛み合わない会話。主人公が抱える闇を映像のみで表現。81分間で描き切る
厨二vsメンヘラ
人をアイスピックで刺したい男がコールガールを殺すことを画策、出張と称して出掛けたホテルでSM嬢を呼んだらメンヘラ女がやってくる話。
サイコスリラーというよりも外してニヤケさせる感じがシュールなコメディだし、セットにBGMにSEに演出と古臭さくダサい感じは狙いだよね。
悪くはないのだけれどユーモアもスリルもサイコも闇も中途半端。
色々と物足りない中で、やっぱり物足りなさはあるものの締め方だけはなるほどねという感じもあったからまあ良いかな。
この二人の出会いは正にハッピーエンディング
激痛をともなうものの、異常な男女が織りなす予測不能の展開にゾクゾクした。
冒頭でいきなり自分の子供(赤ちゃん)にアイスピックを突きつける男(クリストファー・アボット)。美しい妻をもち真面目に暮らしてきたと思われるが、どうやら殺人衝動を抑えるのが難しくなってきたようだ。
殺人を実行すべく綿密な計画を立てホテルに呼び出したSM嬢(ミア・ワシコウスカ)は彼以上に壊れていた。自傷癖とともに他人を傷つけることに歓びを感じるようだ。主導権を握ったミアが醸し出す孤独と狂気が秀逸!
異常であるがゆえに満たされることがなかった二人の出会いこそがハッピーエンディングだと思った。
少々リスクのある映画
なんの準備もなく無防備に観てしまうと、呆気にとられて、なんだこれは‼️となり兼ねないちょっとリスクのある映画です。
ある理由から「きちんと計画的に殺さなければならない」真面目な男と、ある理由から「自分のところに留めておかなければならない」強迫観念を持つ女が絡み合うことで生じる行為が巧まざるユーモアとともに描かれています。
この男と女がなぜそういう背景を持つようになったのかは監督自身がストーリーで語らず、役者の演技で語らせた、というようなことを言ってるようなので、映画を見ただけでは分かりづらいのは仕方がないと思います。
聴覚
個人的にとても好きな作品。
音楽が特にいい。エンディングも最高だし、結構エグいシーンのバックに流れてるレコードがいい味出してる。
一番好きなシーンは冒頭の、殺すシュミレーションを行うところ。音がなんともリアルで見えないのにそこにあるのが伝わってくる。
このおじさんヤバイな〜って思ってたけど、途中から今だ!やれ!いけ!と応援してしまった。
またハルシオン入りスープ飲んで続きをしてください。
えぇ~ッ.....?×▲◇※!~.。o○
わたし、宣言します。恥ずかしかな、ノ~タリンです。そしたら☆1なんて評価するなと言われるかもしれないが.......
この映画、よくできたCG映像に加え、役者さんが、異常なシチュエーションにもかかわらず、見ていてそつがなく、また大げさでも過剰でもない、演技をしていて、嫌味をあまり感じさせないものなのだが......!?
しかし、そのシナリオときたら......???? 私の蒙昧な脳みそでは、すでにウニ状態で、能力の枠内を飛び出し、理解も制御も不能な状態になってしまっている。ある人が言っていた。有名な小説の映画化で不当たりとなった場合、その人は小説と映画は"別物”と考えるらしい。そんなことより、それ以前に理解不能な場合は、どうする。
イギリスの創刊から100年に迫ろうかという新聞社Guardianの記者がコメントをしている。「 彼らの世代の中で最も興味深く、微妙でリスクを愛するパフォーマーのうちの2人、アボットとワシコウスカの夢のチームのペアリングはお互いが、大きな欠点を埋め合わせをしている。」またNew York MagazineのVultureエンタメ情報サイト?の記者は「ピアッシングは、愛らしさと狂気の不変の組み合わせである。」Little White Liesという雑誌記者は「この映画は、ちょうどお互いの狂気をもって苦しめあう度合いを増したときに終わりを向かえるという、自分たちをよく見せようとしていて、とてもずるい。」
つい1時間ほど前にインド映画「パドマーワト 女神の誕生」、2時間40分を超える映画を観た後だったが、どちらもどっち⁉
ラストシーンは、本当にしていたら、狂気ものです。
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