「有名アーティストの伝記映画としてはすっかり手垢のついた内容」ロケットマン 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
有名アーティストの伝記映画としてはすっかり手垢のついた内容
「こういう映画も、いい加減ほとほと見飽きたな」というのが正直な印象だった。それは別に前年の「ボヘミアン・ラブソディー」と比較して言っているわけではなく、著名アーティストがスターダムにのし上がり、金と名声を手に入れる中で酒やドラッグやセックスに溺れて堕落し、そこから再起をかけてもう一度栄光のステージへ・・・!みたいな話は、もう様々なアーティストの姿で飽きるほど観てきたし、だからフレディ・マーキュリーの時点でも私は既に見飽きていた。ましてやその作品のクリエイティヴィティやら精神的な脆さの原因が幼少期の不遇の生い立ちだなんて話、手垢が付き過ぎて今更何も心は動かされないし、たぶん私はそういうWikipediaを読めば知るようなトリヴィアを繋いだだけの物語にまったく興味がないのだと思う。Wikipediaがなかった時代ならまだしも。
そうだとして、私はエルトン・ジョンの人生の何に興味を抱くだろうか?と考えた時、それはエルトン・ジョンとバーニー・トーピンの関係ではないか、と思った。エルトン・ジョンがゲイであることはよく知られているが、彼とバーニー・トーピンの友情には、同性愛も異性愛も介入しない絆が確かに存在しているように見受けられた。バーニー・トーピンはきっとエルトン・ジョンがゲイだろうがストレートだろうが関係なく、彼の人間性や音楽的才能に惚れ込んでいただろうと信じることが出来たし、エルトン・ジョンの方もバーニー・トーピンには恋愛の対象として愛される必要がなかった、という二人の友情の形は、LGBTQなどあらゆるジェンダーのアイデンティティと絆の在り様が語られるようになった現代に描かれる意味のある物語のような気がしたし、エルトン・ジョンの半生と共に、バーニーとの友情に焦点を絞った内容だったら、私は興味を持っただろうと思う(似たような理由で、この映画が一瞬で描き飛ばしたレネーテ・ブリューエルとの結婚についても、物語としては実に興味深い要素を持っていると思う)。
想像するにエルトン・ジョンは、自分の死後に勝手な憶測で伝記映画を作られるのが心底嫌だったのではないか?と思う。この映画は彼自身が製作総指揮として携わっている。彼ほどのスターであれば、恐らくいつの時代かに必ず伝記映画は作られていただろう。それがもし彼の死後ならば、語られたくない過去を炙り出されるかもしれないし、勝手な憶測で無関係な点と点を線にされてしまうかもしれない。彼としては自分の伝記映画を自分でプロデュースして、自分の人生はこういうものだった、ということにしておきたかったのでは?と、これまた勝手な憶測で思う。でもその気持ちは人間として分からないではない。彼がそれを望むなら、この映画が彼の半生なのだと思ってあげたい気持ちになる。
とは言えタロン・エガートンの演技は素晴らしかったと思う。エルトン・ジョンが放つチャーミングさとエキセントリックさを体現していたし、歌声の良さも含めて(ちょっと頭が大きくてずんぐりした感じも含めて)彼がエルトン・ジョンだというのが納得できる演技だった。