「音楽の神様に愛された男」ロケットマン 野々原 ポコタさんの映画レビュー(感想・評価)
音楽の神様に愛された男
たとえ神から“ギフト”を与えられた者がいたとして
その者が音楽という“祝福”を皆に与え
愛されていたとしても
必ずしもその者が愛に満たさているとは限らない…
いつの世も【天才】は理解されず
孤独がつきまとうもの…
そんなイメージはあらゆる史実からも
かつての偉人たちが味わってきたものだと
我々には共通認識があると思うのです。
人気に後押しされ、時代の寵児にかつがされた
結果、エルトンは“道化”を演じざる得なかったのか…
〈どこまでがノンフィクションなのか?〉
彼の音楽には、ピアノと歌唱には
“祈り”にも似たまっすぐな気持ちが込められていた…
〈それすらもフィクションなのか? いや…〉
自信が製作に携わったエルトンが煽情的に
鑑賞者に「そう思わせたい、だけ」かもしれません…
彼の今までの過激な言動、行動
すべてを理解しろとは言わない。
擁護しようとは思わない。
しかし、子供の頃の自分を
抱きしめる事ができるようになった、今の彼に…
心を惹かれ、心を寄せて観ることができたなら
せめてもの救いではありましょう。
孤独だった彼は、もういない。
皆がエルトンの音楽を愛していることと同じように…
本作『ロケットマン』を、どうしても
『ボヘミアンラプソディ』と比較しがちですし
制作者側も当然、念頭にあって意図したことでしょう。
そこで相違点をわたしなりに考えてみました。
【ボヘミアン】 【ロケットマン】
主人公がもう故人 まだ存命
オリジナル音源 演者歌唱のミュージカル仕様
忠実な再現 映画的な表現
マイノリティの強調 道化の強調
孤独<更に孤独
同じ調理人が、同じ料理を作っても
味加減が違うぐらいのレベルで
どちらも作品として優れていることは間違いないので
あとは鑑賞者の好みだと思います!
「この料理嫌い! この素材食べられない!」って方は
もう仕方がないですね。 ごめんあそばせ。
わたしはサブカルチャー作品に触れると
いつも畑違いな発想をしてしまうんですが
今回は「音楽って宗教に似ているな」と思いました…
アーティストは音楽の神様の媒介者であり
孤独な修験者…
祈りにも似た演奏や歌唱にヒトは酔いしれ
アーティストを崇め奉る…
考え過ぎなのは承知の上でもうひとつ!
そう思いついたら、ひとりの画家を想起して
エルトンとを結びつけて鑑賞していました…
宗教と道化師をモティーフにし
厚塗りの筆緻に祈りを込めながら
孤独な生涯を歩み続けた画家、
「ジョルジュ・ルオー」を…
嗚呼、わたしの感性もそろそろ末期かな…
「月曜日の美術館さん」ありがとうございます♪
いつも自意識ダダ漏れ状態でお送りしていると思うので
独特な例えだったり内容や言葉の表現のさじ加減が
皆さんにどう伝わっているか?
いつも気になっていたのです…
ですが温かいお言葉をかけて頂いて何よりの励みになりました♪
どうも、ありがとうございました♪
毎回、楽しく拝見させて頂いております!
いつも発想の引き出しが多くて
切り込む角度が独特で面白くてサイコーっす!!
多くのレビューがある中、こんな語り口も全然アリだと思いますよ!
またの投稿楽しみに待ってますネ!