「あかねの〝しなやかで強い自己実現の過程〟をこそ見届けるべき」空の青さを知る人よ 琥珀さんの映画レビュー(感想・評価)
あかねの〝しなやかで強い自己実現の過程〟をこそ見届けるべき
あかねは〝夢を諦めた〟わけでもなく、妹のために何かを〝犠牲にした〟わけでもない。
あおい、というあかねにとって、たぶん自分の命以上に大切に思う存在を守り育てるという違う生き方を〝選択〟しただけなのです。
あの時、東京に行くこと(バンド活動のようなものでひと旗あげるというかなり漠然としたもの)より、あおいを守ることは遥かにリアルに自分がやりたいこととして明確に姿を現していたのです。
〝夢〟というとスポーツとか起業するとか芸能・芸術などの分野での成功をイメージしてしまいがちですが、〝この子(妹)を守り育てる〟ことだって立派な夢なのです。あの時、慎之介について行くことより遥かに具体的で身近な夢がそこにあれば、慎之介でなくあおいを選ぶのはあかねにとっては当然の帰結だったのです。『誰かが引き受けなければならない役割』を選ぶことは何かを犠牲にしてやらされていることと決めつけてはいけないし、そこに自分の存在意義を感じることを夢の実現と呼ぶことに違和感を覚える必要はありません。あかねにとっては、あおいが自分の足で立てるようになること(映画のストーリーに沿って言えば精神的な成長を踏まえての卒業のタイミングがそれにあたるのでしょう)がひとつの夢の達成であり、区切りということになります。
あかねはいつも淡々としており、殊更に強がったり、見栄を張ったりしないので周りの人が勝手に勘違いをして、偉いわね、などと言われてしまいますが、あかねはあおいが真っ直ぐに育っている姿を見ているだけで、心は満たされていたと思います。もし、こんなはずじゃなかった、とか、あなたさえいなければ、という悔恨のような負の感情を引きずっていたら、あおいがあんなに清々しく育つことはありません。
正確に再現できませんが、確か正道に「(今までの私の人生は)誰かに振り回されてるわけではなく自分で選んできた」と言い、なぜ皆んな分かってくれないのだろうという思いやそこはかとなく滲み出る自信を漂わせていたように記憶しています。31歳までの年月はあおいを育てるという自分の夢の実現の軌跡だからこそ、楚々としながらも芯の強さが溢れ出てくるのです。
あおいの成長を見届けた後も区切りをつけることなく、いつまでもあおいに干渉を続けるようなことがあれば、それは毒親・毒姉に変じてしまいますが、今度は慎之介と新たな道を歩いていくことをあかねは〝選択〟しました。これもまたあかねの素晴らしさのひとつです。
以前に比べれば、制度や社会の理解が進んできたとはいえ、女性にとって「子育て」と「夢や仕事の実現」とのバランスをどうとるかは、いまだに難しい問題ですが、あかねの「状況やタイミングに応じたしなやかな決断力、それを実現していく強さ(夢を実現するための献身的な努力)」は見方によっては、男性には味わうことのできないリアルな達成感をもたらすことのヒントになるのではないでしょうか。あおいをここまで育て上げた〝リアル〟と比べた時、慎之介の卑屈な内面のグダグダ感は同じ男として身につまされるような痛みを覚えました。
この映画は、涙無しでは観ていられない感動作のくせして、知らぬ間に女性の『現実に対するリアルな対応力としなやかな強さ』を刷り込まれてしまう、一筋縄ではいかない優れものだと思います。
黒糖さん、コメントありがとうございます。
自分の達成した、或いはしつつあることを誇らしげに人に語れるのですから、堂々と夢の実現といってもいいと思います。
そうかもしれませんね。
確かに自分が高校生くらいの時には、目立たないけど世の中を下支えしてる地味な仕事とかには気がつきもしませんでした。
少し話がそれるようですが、今回のラグビーワールドカップからチームの中のサポート役、運営に携わる裏方さんたちのこと(台風通過後の迅速な会場整備などが無かったら、スコットランド戦の感動は味わえませんでした)などが学べたのはとても意義があると思います。