エンテベ空港の7日間のレビュー・感想・評価
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憎しみの負の連鎖…
パレスチナ、イスラエル和平交渉は行われていないというのが監督の意図。ハイジャク犯をモンスターとして描いておらず、人質の命は守る、恋人を想うなど、普通の人間として描いているのも意図するところ。しかし、あまりにもこの史実に残る人質救出作戦を淡々と描いているため、淡白だった。
(イスラエルは)ナチズムを受け継ぐ国だ
映画「エンテベ空港の7日間」(ジョゼ・パジーリャ監督)から。
何度も映画化されたハイジャック事件なのだろうが、
私にはどうもピンととこないまま、事件が解決してしまった。
どうして「イスラエル」がこうも標的にされるのか、
その理由が知りたくて、ヒントを探しているのだが、
ちょっとだけ、見つかった気がする。
「(イスラエルは)ナチズムを受け継ぐ国だ」
こう洗脳された革命家たちの、イスラエル憎しが増長され、
戦闘モードに入るのかもしれない。
それにしても、毎回感じるのは、ハイジャックをしてまで、
達成したいことなのか、ということ。
こればかりは、平和な日本人の私たちには、
たぶん理解できないし、上っ面だけかじったところで、
その精神的なことまでは、腑に落ちないに違いない。
今も現実に世界のあちこちで紛争が起きているけれど、
申し訳ない・・やっばり理解できない。
ただ「3度映画化されたハイジャック事件」って、
世界の人々を魅了する何かがあるんだろうなぁ。
アメリカとイギリス合作で、なんで「エンテベ」?
バットシェバ舞踊団「エハッド・ミ・ヨデア」というダンスで始まる本篇。「俺、間違ったシアターに入っちゃった?」なんて、一瞬不安になりましたが、「あぁ、この訳わからん具合がイスラエル映画だわ」なんて一人で納得。でも、これ、アメリカと英国の合作ですからw
このコンテンポラリー・ダンスは「イスラエルとパレスチナが互いに傷つけ合っていること」の比喩的表現であるそうな。ごめんなさい、解説されても、やっぱりよく判らない....
1970年代はマルクス・レーニン主義の中の、極左過激派によるテロやハイジャック「も」繰り返された時代。この1976年のハイジャック犯が要求した解放者リストの中には、1972年にテルアビブ空港でチェコスロバキアのチェスカー・ズブロヨフカ国営会社で開発されたアサルトライフル、Vz 58を乱射し26人を殺害した「日本赤軍」の岡本公三の名前をあったとされています。つまりは、私たち日本人にとっても、全く縁の無い話では無いってこと。
1972年5月、ベルギーのブリュッセル発、テルアビブ行きのボーイング707を4人のテロリストがハイジャック。イスラエル政府に逮捕されている仲間317人の解放を要求しましたが、イスラエルはこれを拒否。ハイジャック犯を制圧し93人の人質の解放(乗客1人が銃撃戦で死亡)に成功した履歴が、「エンテベ」の背景にあります。
奇襲作戦の代名詞とも言える「サンダーボルト作戦」の場面には、コンテンポラリー・ダンスの公演が重ねられます。が、ダンスを称える観衆の拍手とサンダーボルト作戦の成功が重なる所で、ちょっと気分複雑。
リアルなサンダーボルト作戦では、102人の乗員・乗客が救出され、3人の人質が、突入部隊の誤射によって命を落としています。かなり後に、突入部隊が叫んだ「伏せろ」の言葉がヘブライ語であったため、これを理解できなかった者の行動が遅れ、誤射されたとの証言がありましたが、映画の中では描写されていません。映画の中では、ドイツの過激派組織RZのメンバーが「伏せろ」と叫んでいました。また、テロリスト制圧後も、イスラエルの部隊はウガンダ軍と交戦を続けていますが、そこも描かれていませんでした。
言って良いかなぁ。
確かに、一般人を巻き込んだテロはダメです。悪です。いかなる理由があろうとも。でもね。パレスチナ問題はパレスチナ問題なのであって。このサンダーボルト作戦が、さもイスラエルの勝利、正義の勝利と言わんばかりの演出には、ちょっとだけ違和感を感じました。あ。RZメンバーには同情無用ですけどね。
この日は、プライベート・ウォーとエンテベのハシゴ。ロザムンド・パイクの連荘。今年、パイク5本目です。「社会性のあるテーマでアクティブな女性役のパイク」のイメージが固定化してしまいそうでw
ちなみに、どうでも良いけど一応突っ込んどくと、アミン大統領車はメルセデス・ベンツ600のリムジン。Eクラスじゃないから....
迷いの見えたテロリスト
史実に基づいた作品のため、面白い面白くないというより、知識を養うような作品として鑑賞。
作品を通して総じて思ったのはテロリスト側にも迷いがあったのかな。テロリストとして徹し切れてなかったところが彼らの描いていた通りにはいかなかったのではないか。
まぁどんな理由であれテロリスト、テロ行為を許すことはできないため、作品内では罪なきものの死を最小限で描かれていたところは気分は悪くない。史実である以上罪なきものの死はあまりみたくないものだ。
ただ上記にも書いた通りテロリストがテロリストとして徹してきれてないが故、人質に絶対的な恐怖を与え切れてないため作品内でもあまり緊張感がなくみえた。
人質に騙されるわ、反論されるわ、子供たちは普通に遊んでたりとあまり死の恐怖が作品から感じられなかった。
そのため鑑賞する側としても良くも悪くも、死者は出ないのかなという安心感が途中から芽生えて観てしまった。
それから作品絡みで一つ理解ができなかったのがダンスシーン。あれはなにを意味して表現してるのか、僕の未熟な創造力では創造が追いつかなかった。あのシーンを深く考えてしまうと本編への集中が若干切れてしまった。
変な映画⁉
-Don't try and break the undercarriage.
-If you do, we'll die together.
Don't worry.
I'll do a kiss landing.
はっきり言って、意味が分からない。単純な映画なのだが、ところどころに散見する。まず第一に、オープニングロールが終わるや否や何かを表しているのだろけれど、一体全体この踊りは何だ?神智学(スピリチュアリティ)を唱える日本でも同じような人間がいるが、エドガーケイシーの言葉"あらゆる物事は理由があって起こる"からするとこれも何かの意味があるのか? 人として意味を分からないほうがこの映画にはいいかもしれない。ユダヤ人の幻想的踊り.........
第二に、乗客のフランス人は、フランス語をアメリカ人はアメリカ語をそして、ユダヤ人はヘブライ語をパレスチナ人はアラビア語を話しているのにイスラエルの首相を含め軍人、政府関係者、すべてがヘブライ語でなく、変な発音の英語(ユダヤ人が話すとしたら?)を話している。
この映画が中途半端な作り方がわかるもので、冒頭に“この映画は、事実から発想を得ているが、会話や出来事などは、ドラマ性を持たせるために虚構がある”なんだこれは、言い訳か?だから中途半端なエセドキュメンタリー風な作りで時折、実写の映像もブッコンでいるのか?
I'm not a Nazi ‼
イスラエル政府内でも強硬派・国防相で後の首相のシモン・ペレスと首相で後に暗殺される穏健派というか優柔不断というか、イツハク・ラビンの対立とかドイツの過激派の男女の間でも理想が食い違う部分は見るものがあるが......
Thunderbolt is a go.
この映画、批評家からも視聴者からも支持を得ていないということは、自ずとわかるもので、アメリカの日刊紙San Francisco Chronicleのコメント「映画製作者に自信を与えなさい。だって彼らは、今まで誰もしなかったことをやり遂げたのだから、だだ彼らがわからないでいるのは、事実にはある理由があるということを......つまりそれを知らないことのほうが恐ろしい。」世界規模で買える週刊誌、またウェブサイトのLittle White Liesは、「ハイジャックそのもののようなものだけれども、すべて何にもなかったように感じるのは仕方がない。」
ところで、重箱の隅をつつくようだが、茶色のベンツを黒く塗り替えるのに刷毛では、必ずムラが出来るのにピッカピカに仕上がっている。この美術担当は何をしている?
ドイツ人テロリストの一人、ロザムンド・パイクは流暢にドイツ語を話しているのは、彼女の幼い時の経験からきていて、そのたぐいまれな才能が、活かされている。
-Congratulations on your success.Prime Minister.
...................
-And we should be proud of that.
But if we cannot negotiate, Shimon,
this war will never end.
ユダヤ人の身代金が約5億円、この映画は“Congratulations”とはいかず、身代金の額にも届かないある意味、A box-office bombとなっている。
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