「大人の“セカイ系”。」世界の涯ての鼓動 ウシダトモユキ(無人島キネマ)さんの映画レビュー(感想・評価)
大人の“セカイ系”。
『世界の涯ての鼓動』っていう邦題がとっても良くて、それに印象が引っ張られてるのかもしれないけど、“世界の果て”感の両極の対比がとっても沁みる映画だったなー。
“世界の果て”というのは、“極地”というニュアンスよりは“人生が終わる場所”という感じ。
良い方の“世界の果て”は、前半にしっとりと描かれるリゾートホテルの日々。狂人でも超人でもない普通のジェームズ・マカヴォイと、アンドロイドでも冒険家でもない普通のアリシア・ビカンダーが普通に出会って、普通の恋をするの。
物語的には特に面白みはないんだけど、それがむしろ大事で、「帰りたいところ」として観客の心に浸透する。
「海辺」という水際も、“世界の果て”の舞台装置になっていて、そこで話す「人間の体の大部分は水でできている」っていうのも、「そもそも人間は“水際”な存在」という暗示もあるのかな。
物語の後半はそれぞれに、“悪い方の世界の果て”でお互いの存在を心の糧に、生き延びようと強く思う。
マカヴォイは、テロ最前線とソマリアの海の水際で、
アリシア・ビカンダーは、深海と海底の水際で。
世界に対して自分の成すべきことを、それぞれの世界の果てで、限界を超えて成し遂げようとしてる。でもその勇気の源泉になっているのは、「生きてまた愛する人に会いたい」という私的な意志だ。
『天気の子』が語ることに近い、大人の“セカイ系”の話だったように思えるのは、やっぱり観たばかりの印象に引っ張られているのかな・・・。
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