「80年代作品へのノスタルジー」サマー・オブ・84 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)
80年代作品へのノスタルジー
「連続殺人鬼も誰かの隣人だ」
1984年6月。新聞記者の父を持つ15歳の少年デイビーは、オカルトや陰謀論が大好きで、しばしば仲間内からも空想家として揶揄われている。彼の最近の興味は、巷を騒がせている青少年を狙った“ケープメイの殺人鬼”について。
ある日、向かいに住む警察官マッキーの家の窓に、行方不明の少年の姿を目撃する。彼こそがその殺人鬼なのではないかと疑いの目を持ったデイビーは、仲間のウッディ、イーツ、ファラディと共に、4人でマッキーを監視し、殺人の証拠を掴もうとする。
こうして、少年達の一夏の危険な冒険の幕が上がったーー。
随所に80年代映画へのオマージュが溢れ、少年達の一夏の危険なスパイ活動は、『スタンド・バイ・ミー』や『グーニーズ』を彷彿とさせる。また、作中にも『未知との遭遇』『グレムリン』のタイトルや、『スター・ウォーズ/ジェタイの復讐』に登場するイウォークの名前が登場する。
序盤の語り口のテンポの良さも素晴らしい。また、4人組が密かに憧れるマドンナのニッキーの話題や思春期特有の下ネタ、ノリの良い軽快な音楽等、80年代映画的な緩い雰囲気も感じさせてくれ、あの時代の映画が好きな人ならば間違いなく引き込まれる導入だろう。
そんな80年代へのノスタルジーに満ちた本作を鑑賞する上で、多くの人は「最後に少年達の正しさが勝つ」事を期待するだろう。しかし、本作は“少年達の一夏の冒険”という、正に80年代的な青春映画としての“お約束”を、最悪の後味の悪さで裏切ってくる。また、ラストの後味の悪さを演出する為に、80年代映画的な世界観を用いている点もタチが悪い。
デイビー達の活躍によって犯行を暴かれたマッキーは、自らの人生を破滅させられたとして、彼に「必ず殺す」と理不尽極まりない復讐を誓う。以前にデイビーの自宅の屋根裏の修繕を手伝った経験から、夜中まで屋根裏で身を潜め、デイビーとウッディを被害者達を処理していた森の湖畔に拉致する。デイビー達が夜な夜な行っていた”鬼ごっこ”に準えて、彼らを森に放ち、ウッディを殺害する。
しかし、デイビーだけは殺さない。復讐を違うも「それは今ではない」と、すぐには彼を殺さない。彼にウッディという最高の親友を失うという最悪の経験をさせた上で、「俺が戻ってくる恐怖に怯えながら生きろ」と告げ、姿を消す。
保護されたデイビーは、治療を受けて退院するが、恐怖と後悔で塞ぎ込んでしまう。親友のウッディが犠牲になった事に対する後悔の念が、背後にあるボードゲームのタイトル『SORRY!』に現れている演出が切ない。
やがて、日常生活に復帰したデイビーは、再び新聞配達の仕事を始める。そこに書かれた“ケープメイの殺人鬼、未だ逃亡中”の記事を映して本作は幕を閉じる。
【予想を裏切れ。但し、期待は裏切るな】とは、本作に相応しい言葉だろう。さらに付け加えるなら、【期待を裏切るくらいなら、予想通りでいい】とも言いたい。
デイビーの好奇心が手痛い報いを受けるという構図は理解出来る。彼の台詞にあるように「誰もが本性を隠して生きている」という事も分かる。しかし、純粋な少年達が吐き気を催す邪悪に敗北するというのは、あまりにも理不尽が過ぎる気がするのだ。せめて、マッキーが逮捕されるか、中盤でデイビーが包丁を隠し持ってマッキーと接したように、何らかの反撃の手段を用いて彼を倒すというのならば納得出来たのだが。唯一の救いは、彼のおかげで助かった命がある事か。
度々盛り上がりを見せたデイビーとニッキーのロマンスも、結局はニッキーは家族で引っ越してしまう。最後に作戦から離脱してしまったイーツ(とファラディ)は、両親の喧嘩の後片付けをしており、デイビーの復帰を喜ぶどうこうという状態ではなく、それが更に後味の悪さを加速させている。
中盤辺りまでは本当に楽しめた。登場人物達は陰謀論好きのオタク、心優しい臆病者、背伸びしがちな下ネタ好き、勉強家の知識人だったりとステレオタイプばかりだが、それぞれに活躍の場も設けられており、素材を活かせていた。だからこそ、最後までそれを貫いてほしかった。
また、80年代的な緩さがウリの本作であるが、マッキーの犯行動機やデイビー達の潜入作戦等、肝心な部分も中盤以降途端に雑に、駆け足気味になる。マッキーの犯行動機はまだしも、潜入作戦はもっと盛り上がりがほしかったし、イーツらにも最後まで参加してほしかった。
犯人の意外性もなく、素直にマッキーが犯人ですというのも物足りなく感じた。てっきり、デイビーとニッキーのロマンスが度々あるのは、ニッキーの父親が真犯人(マッキーは釣り友達と語られていた)といった展開を期待していたので。
80年代的な世界観ならば、ラストはやはりデイビー達の正しさが証明されてほしかった。例えば、真犯人はニッキーの父親だと見せかけて一度は事件を解決。しかし、晴れて4人で祝勝会をした夜、眠りにつく直前、デイビーだけはマッキーの自宅の違和感に気付き(もしくは思い出し)、一抹の不安を過らせる。寝静まった所を屋根裏からマッキーが襲撃(マッキーもニッキーの共犯者だった為、気付かれる前にデイビー達を始末しようとした)。
しかし、背伸びしがちなイーツ辺りが、スパイ作戦の開始時に、もしもの時のために小型ナイフを皆に携帯させる等の伏線を張っておき、それを使って間一髪の所で逆転等の展開が理想的だったように思う。
少年達の余計な好奇心による報いという演出も、こうした恐怖の一夜の経験があれば演出出来たはずだし、それでも尚仲間達となら乗り越えられるといった救いがほしかった。
最高の素材を揃えつつ、調理の仕方を間違えた作品といった印象。如何様にも名作に出来るはずだったのに、実に勿体無い作品だった。