慶州(キョンジュ) ヒョンとユニのレビュー・感想・評価
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人はなぜ動くのか 行動原理についてのお話
この映画に通底するテーマ
それは、人間(登場人物)の行動原理について、だと思う
主人公の男の行動原理は極めて希薄である
昔の女を呼び出したシーンでは、別に計略や下心を持っていたわけではない。わざわざソウルから出て来ている女に対して、とりあえず飯に行き、とりあえず酒を勧める。ガツガツもしてなければ、飄々ともしているわけだ。女は酒と彼の過去に対して深い行動原理があるのとは対照的に。
権威的な立場にある、自身の学問分野に対してもクソだと云い捨てる。田舎の大学から出世したい、地元の大学教授の行動原理とは対照的に。
お茶屋の娘の行動原理は、死んだ夫と似た耳をした主人公に対する、失ったものを求める情愛から。なんの行動原理もなくただ家について来たから、彼女を求めることもしないのとは対照的に。そして、彼女がその耳に触れた時、夫のそれとの違いに気づいた彼女は彼を求める行動原理を失うのだ。
そんな彼の行動原理は何か。それは、ただ気になったお茶屋の春画であり、昔の女友達に会うことである。目の前で起きた交通事故とその怪我人よりも、観光案内所の女に否定された、自分があると信じた川の音が彼を突き動かすのだ。
自分の妻への疑いから自殺を遂げた友人の苦悩が、わかろうはずもない。彼はただ妻の歌声を聴くのみである。
生気のないような出で立ちと、立ち振る舞いになるのも当然と言える。
これはそんな、人にとっての行動原理のお話なのかなと思いました。
これぞ映画の醍醐味
チャンリュル監督の『春の夢』が大好きなので観に行きました。
パンフレットに載っている暉峻創三の評が素晴らしいので、それ以上いうことはないですが、感じたことを少し書きます。(パンフレットは内容が濃いのでお買い得だと思います。)
すべての登場人物が味わい深い。
監督はインタビューで、すべての人生は悲しみが土台となっていると語っていますが、その人生観が映画にも反映されています。
映画では登場人物たちの感情が吐露される場面は少ないですが、誰もがそれぞれ何かしらの物語を抱いて生きていることが伝わってきます。それは主要人物だけでなく、酒の席で隣の部屋にいたチョイ役の客ですら、この人にも何かしらの物語があることがわかり、映画のすみずみにまで行き届いています。
ただ、映画では悲しさだけではなく、主人公の飄々としたおもしろさであったり、ユニと心を通わせることの美しさであったりも描かれます。
こういう人生の悲しみであったり、おかしみや美しさを描けるのが映画の素晴らしさであり醍醐味だと思います。
自分にとっては、どストライクの映画でした。
脈絡のない登場人物???
映画の舞台は、韓国の古都、慶州(キョンジュ)。韓国南東部に位置し、紀元前1世紀から10世紀に渡って新羅王朝の首都として栄えた土地で歴史的遺産やそのたたずまいから“屋根のない博物館”と称されることもある土地柄を少し記憶にとどめていると、この何とも言えない雰囲気の映画が、分かりやすくなるかもしれない。個人的には、約30年前、ある国から日本に帰る途中で、韓国の知り合いから、あくまでも彼女が言うには、京都と似ている慶州に立ち寄ったほうがいいと言われたのだが、時間の都合と、あまり歴史に興味がなく、そのままソウルからプサンまでバスで直行してしまった。大きな理由は、韓国の旅行案内の本を韓国で調達すればいいと勝手に思っていて、その当時、日本語の本が、発禁になっていることは、知らなかったのと韓国の人が簡単な英語なら誰でもできると早合点してしまっていたから、顛末として旅行気分になれなかったのである。
個人的なことは聞き流してもらってもよいが、この映画、シナリオ自体、丁寧というか時間の経過が映画とあまり関係していないと言っていいのか、上映時間が、2時間半近い映画に個人的には、参ってしまっている。しかも、主な登場人物が全員といっていいほど“生きているのか?”それとも“死んでしまっているのか?”訳が分からなくなる演出の仕方で、最後に至っては???の連続になる。それもこれも監督が意図的に見ているものを混乱させるような映画作りをしているように思える。
途中、あからさまに脈絡のない二人の日本人のおばちゃん観光客が登場し、それもセリフが棒読みでどう考えても、そこら辺にいた観光客をそのまま連れてきたような人たちで、しかも主人公のヒョンを映画俳優と勘違いし、厚かましくも写真を撮ってもらうよう茶店の女主人に頼み、その女主人も嘘の通訳をするシーンが出てくるのはいいが、一度帰った日本人観光客が、もう一度戻ってきて、「韓国の方にお詫びしたかったことがあるんです。過去の日本の過ちをどうぞ許してくださいね。」と答えたのにヒョンは「わたし、納豆が好き。」とだけ答えていたのに女主人は「痛ましい過去は当然忘れてはいけませんが、これからは一緒に前に進むほうが大切です」と嘘の通訳をする場面が出てくるのは、何の意味があるのか?政治的意味合いがあるのでこの映画の不思議な部分が消し飛び、しらけさせてしまっている。冒頭に出てくる、ヒョンの友達との食事のシーンで“クチャクチャ”と音を立てて食べたりする文化的、伝統的、通称:"クチャラー"やヒョンが毎回、タバコを鼻に近づけて嗅ぐシーンを我慢してみていたのに、脚本が朝鮮系中国人のチャン・リュルによる個人的な思惑は控えてもらえればありがたかったのだが.......。
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