歎異抄をひらくのレビュー・感想・評価
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唯物論者の素人の感想
親鸞聖人の話ですね
昔、知的レベルが低く、生活が苦しかった時代の話です
わかりやすいように、南無阿弥陀仏と唱えれば極楽に行けると間口を広げて信者を獲得したんですね
普通に考えれば、死んだら終わりなんですが、思い込むことによって死の恐怖は無くなるし、現生の暮らしも我慢できるようになる
これはこれで人々を救っているのでいいんじゃないでしよつか
実際、この時代の農民なんて虫けら同然で、なんの力もなかったんだから、仏様という絶対者の加護に頼るのも安心できたでしょうね
価値観が全く相容れないのは、人間は煩悩から逃れられなくて、全員悪人であるという考え方
性悪説ですか
これは、違うなあ
性善説も違う
生物の基本は生存競争です
弱肉強食が自然です
ライオンの家族はオスが交代すると、子供はみんな殺されます
自分の遺伝子を残すためです
ヒトは社会という形態をつくり、ルールを作りました
殺人や窃盗を禁じました
おかげで安心して生活できるようになり、技術が発達し商売が成立しました
つまり、殺人や窃盗は悪ではなく、禁じるのは社会のルールだからです
性善説や性悪説はヒトを特別な生き物と考える所から来ているんですね
そして、なにより生への未練まで悪と言ってしまうのはどうでしょうか
万人にそれを強いるのは酷というものです
「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」が有名な歎異抄ですが、なんで?って思わせといて、実は、自分で仏の域までたどり着けると思い上がった人を善人た言っているだけで、なんの不思議もない話なんですよね
人は死を恐れます
だから、まだわかっていないもの、不可思議なものに頼ります
これは願望です
人は生体コンピュータのようなもの
電池が切れたら機械は止まります
でも、電源が入ればまた動き出します
それは、器が金属やプラスチックだったりして劣化が遅いからです
ヒトは死んだ瞬間から腐り始めます
なので、もしまた動くエネルギーがチャージされようと、短い時間で生命活動に必要な部分が腐ってしまうので、生き返らない
ヒトは脳という器から、けっして逃れられないんです
残念ながらこれが事実です
自分自身、心臓が止まっている間は、ただの空白でしたし、映画好きなら、”レナードの朝”という事実に基づく作品を観ればよくわかると思います
どうやら浄土真宗親鸞会という新興宗教が作った映画のようですが偏見はありません
でも個人的には何も響かなかったなあ
何か感じるものがあれば書物で勉強してみても損は無いでしょう
本山お東
の高校に通っており、今でも同級生は本山に勤めている。
そんな中、高校の仏教の時間でも学ぶことなく、成人してから概要を知った歎異抄を映画で見た。
正直経典だから、映画での盛り上がりや劇的なシーンがあるわけなく
始終、落ち着いた調子でジワーっとストーリーが展開していく。
しかし、親鸞は教団を設立し教えを広めよ。とは言ってないんだけどな。
とそれを言いかけた◎
結局は親鸞の教えとは別の現世利益追求映画w
石坂浩二さんは信者さんなの?
家の近所の研修センターでこれを上映するというチラシを見て、歎異抄に若干興味があったので申し込んで観に行ってみました。
浄土真宗親鸞会とかいう新興宗教団体が作った映画のようで‥、、
まあ作品さえ良ければ、これで歎異抄の何たるか⁉︎だけでも学ばせてもらえたらなと思って挑みましたが、なんだか観ていてとても退屈な内容だったので、前半を終えた休憩中に中座せてもらいましたん🪑
ちなみに他のお客さん男女の高齢者率は100%でした(配られてたアンケート用紙に個人情報を書いて面倒な宗教勧誘をされないでね〜)。
興味深い視点
最近親戚が若くして亡くなったのだが、みんなしてその親戚が天国へ行ったこと前提で話しているのに違和感があった。はたして自分は死んだらそういう良い世界にいけるのか?みんなも同じように行けるのか?と考えると、とてもじゃないけど自分も含めみんなロクでもない人間なんだから無理に決まってると思った。真面目に働いてるといったって、動物を殺して食べたり無数の悪を無意識に作っているのが我々人間だ。そこで今回この映画で心の悪人について学んだ時、やっぱりそうだよな、と妙に納得がいった。この時代に、こういう視点をもった僧侶がいたということも興味深い。歎異鈔に凄く興味が湧いた。
心の悪か…
煩悩の塊ゆえ人間すべてが悪人で、南無阿弥陀仏の本願を極めれば救われるというのはもっともらしいけど、そもそも救われたいと思ってない人間には無縁な世界だし、罰当たりかもしれないけど自己満足の世界だわ。
例えば生きるために人間は動物を殺生するし、人間の所業は悪人的なことが多い。それが人間たる所以だから、善行なんてのは後からとってつけたもののようにも思えるし。
救われたいと思う人が信仰して心安らかになるのはいいけど、信仰よりも煩悩のままに生きたい自分には、違う世界の話ですね。ただ、田園風景は遠い昔を思い出させ、懐かしさに浸ることが出来たので良かったかな。
最後のシーンに痺れた
実在した親鸞の弟子唯円が、長年親鸞を慕ってきて、仏教のために身を注ぎ、その親鸞の教えを誤解なく伝えるために書かれたのが歎異鈔だったんですね。最後、映画のオープニングのシーンに戻って唯年が歎異鈔を書いているシーンがなかなか痺れました。
怖い
単純な映画作品の感想としては星2くらいですかね。
ストーリーに魅力を感じるかは個人差があるとして、作画がイマイチでした。
キャラクターの動きにも作り込みの甘さと低予算なのかなと思わせる部分がありました。
高評価つけてる方々がこの作品しかレビューしてないってのはちょっとあれですね。怖いです。
出家とその弟子
「歎異抄をひらく」という書籍が映画化されたということでしたが、何ら関係のないストーリーでした。歴史考証も雑でした。おそらく、倉田百三の「出家とその弟子」をもとに脚本を構成したようにおもわれます。京都で唯円が、遊女「アサ」(「出家とその弟子」では「浅香」)とあって煩悶するあたりも前述の小説から拾ってきたものとおもいます。堂々と、”ストーリー参照「出家とその弟子」”などと記載すべきと思います。
このような素性のよくわからない映画が歎異抄の解説として浄土真宗の歴史に残ることは残念ながらないとおもわれます。
難しいからこそ、誤解を招かないようにされている
歎異鈔自体は、ハイデガーも讃えている程の書物だから、素晴らしいものであることに間違いは無いのだが、その人の仏教に対する知識の深さによっていろんな解釈が出来てしまうところが危険なところ。
いろんな解説書が出てる中で、この映画の原作「歎異鈔をひらく」は歎異鈔や浄土真宗のジャンルでも圧倒的一位になっているので信頼して観ることができた。
宗教団体が関わっているとか関係無しに、本当に親鸞の教えに忠実に、正しく、出来るだけ誤解を招かないように作られているのが伝わった。
解釈も論理的だし納得がいくと素人目にも思えた。歎異鈔に少しでも興味があるなら迷わず観るべきだと思います。
勉強になる
鎌倉時代の話で、残されているデータが手書きの書物だけだから、親鸞という人のイメージも歎異鈔のこともいまいち想像出来なかったが、こうやって映画化してくれるとどっちもイメージがはっきりした。歎異鈔も、親鸞の直接書いたものではなかったと初めて知った。古典の名著の歎異鈔がお弟子によって書かれたものだと思うと、いかに親鸞が慕われていたか分かる。
挑戦的なものを感じた
歎異鈔に「親鸞は両親のために一度の念仏も唱えたことがない」という言葉が実際にあるのですが、今の浄土真宗では長い念仏で葬式をあげるのがメインというのが一般的になり過ぎてるので、この映画で「最も大事な“教え”を聞かないで、形ばかりの葬式をあげるのが親不孝なんのだ」というセリフが出てきた時、こりゃ他の宗派から相当叩かれるなだろうな、、と思いました。予想通り、のようです。
仏教の宗派は捉え方によって無数に枝分かれしていて、その中に違うものも正しく伝えられてるものもあると思います。しかしながら、”釈迦が実際に説かれたもの“がある以上、正しく知らないと意味がないし、色んな捉え方があって良いんだ、というものでは決して無いと思います。少数派が正しいこともあるだろうし、多数の人が求めてるから正しいとも限りません。
最終的には自己判断にならざるを得ないのですがそこの選択を間違ってはいけないというのが最も仏教の難しいところであり重要なことだと思います。
私は、実際に歎異鈔に書かれている通りの解説をされているこの映画を支持します!
“親鸞は父母(ぶも)の孝養(きょうよう)のためとて、一辺にても念仏申したること、いまだ候はず。” 歎異鈔第5章
“わが力にて励む善にても候わばこそ、念仏を廻向して父母をも 助け候わめ”
(それが自分の力で励む善なのであれば、念仏をさしむけて父母を 助けることもできましょう。しかし、善などできる私ではなかっ たのです。)
親鸞にとても興味を持った
想像してたよりずっと良い作品でした。意外とこういう浄土真宗の教えをしっかりと聞けるものって無いと思います。映画は本当に、初めての人でも分かるように作られている感じでしたが、原作の解説本などはもっと深く、詳細に書かれていました。
なんかよくある、これを買ったら金運が上がるとか拝んだら病気とかが治って幸せになれるとか、人が食い付きやすい手軽で胡散臭いものとは、比べものにならないくらい論理的で一貫してるものがあると思います。
注意!これは新興宗教団体の作った映画です。
仏教に関する映画で、宗派は真宗の亜種である浄土真宗。
ですがそのさらに亜種の「浄土真宗親鸞会」という新興宗教に関係しています。
この映画で親鸞や仏教、真宗などに興味を持ってもくれぐれもバックに控えるこの団体に関わらないようにしてください。
法話をする大抵のお寺は、昔から伝わる仏教の知恵や教えを分かり易く現代の人に合わせて教えるものですが
親鸞会は高森教祖の教えが全てです、間違っていようが高森さんの話を否定する者は批難されます。
高森さんの話が合えば聞いていればいいでしょうが
私は彼になんの魅力も感じないし恩義も感じない、凄いとも素晴らしいとも思わない。
個人的に法話も下手くそだと思います。
時代錯誤な例え話をバカの一つ覚えのように繰り返して、自分の趣味や考え方に合わせようとするつまんない授業です。
私は二度と聞きたくないし、縁者にしつこく勧められる度うんざりするのでむしろ彼が大嫌いで鬱陶しくなっていきます。
しかし私は真宗や浄土真宗、親鸞の言っていることが間違っているとか意味がないとは思わないので
もっと別のお寺や団体を探して教えを聞いてみようと思います。
みなさんもこの内容やこの団体の教えが全てだとは思わないでください。
ちなみに映画の出来は最悪です。
脚本に教祖が口出しし過ぎたせいで起承転結になっていないです。
辻褄が合わないと思う点はおそらく教祖が口出しして変えさせたのでしょう。
しかしこの映画の親鸞の言っていることに疑問を持つ台詞や、
最後の晩年親鸞と壮年の唯円の会話などは良かったです。
これらは映画製作に関わった専門的センスのある方のおかげでしょう。これに敬意を表して星2です。
こういう映画がもっと観たい
自分の家柄、なんとなくずっと浄土真宗の教えに興味があった。こういう初心者にも分かりやすい映画は気軽に内容が学べるので有り難い。
親鸞の生い立ちとか、どんな人生を送ってきたかとか、教えの内容ももっと知りたいと思えたので、こういう映画が増えてほしいと思う。
平板で底の浅いドラマ
アニメの作り込みは今ひとつ。しゃべるのに鼻から上がまったく動かないで口だけ動くのは昭和のアニメのレベルである。最近のアニメはもう少し細かく出来ている気がする。声優陣は熱演で、アニメの不備を補っていた。
親鸞といえば悪人正機説が有名だ。本作品では善人が救われるならそれ以上に悪人が救われるという悪人正機の考え方を中心に、善とは何か悪とは何か、善人とはどんな人か、悪人とはどんな人かを説いていく。
しかしその説法に違和感があった。浄土真宗の開祖にしては言葉が浅いのだ。宗教を興すのはそれまでの宗教とは違った考え方を持っているからであり、つまり思索の人が新しく宗教を興す。にもかかわらず本作品の親鸞は一方的に浄土宗から引き継いだ悪人正機を説くだけだ。とても思索の人とは思えない。実際の親鸞は全然違うと思う。
深みのない言葉に子供が納得するわけがないのに、いきなり説法を聞いた子供がその言葉に驚いて感心するのはリアリティに欠けると言わざるを得ない。ご都合主義的な臭いを感じた。
平次郎たちの成長物語としてもいまひとつ。波乱万丈とまでは行かなくても、人生には紆余曲折があるはずだ。うわべは坦々と過ぎていったにしても、内面には苦悩や葛藤があって当然である。しかしそれが感じられなかった。ただ親鸞の言葉に感心し従うだけの若者というのは真実味に乏しい。おかげで物語に立体感も深みもなく、平板で底の浅いドラマになってしまった。親鸞という人物を掘り下げた物語が観られると思っていただけに、少しがっかりした。
しかしこの作品のおかげで親鸞という人がどういう人だったのか興味が湧いた。五木寛之さんの「親鸞」を読んでみることにする。
声優のチョイス!
石坂浩二さんは俳優のイメージが強いのであまり声を気にしたことはなかったのですが、親鸞さまのイメージにぴったりで聞いてて落ち着くというか安心感があってとても素晴らしかったです。内容も、初めての人の視点でとても分かりやすかったです
親鸞会のカルト映画です。
かつて、親鸞会の会員でしたから、ハッキリと申します。この映画は親鸞会が作った映画です。あの団体はカルト以外の何者でもありません。浄土真宗の教えは話されませんし、邪教かつ異安心以外の何者でもありません。この映画でも同様でした。
また、会員から布施という名の大量の献金がされています。布施などの善をしなさい、しなければ地獄にまっ逆さまだぞと、脅迫するかのように布施を勧めてきます。皆さん、気をつけてください。
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