「ラストシーンの理由」僕の好きな女の子 つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
ラストシーンの理由
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主人公加藤を見て、これは自分だと感じた人が結構いることを目にした。
自分はこのタイプではないので本当の意味で理解出来るとは言えないが、自分の身近にも似たような人はいるので、彼らの気持ちは分からなくもない。
告白をして玉砕してしまうほうがマシだと考えるほうが、いわゆる「正しい」とされてしまっている世の中で、加藤タイプの人はひっそりとしている。
自分は彼女のことが好きだけど、今のままの関係で良いのだと胸を張って言えるのならばいいのだけれど、残念ながらそうなれる人は少ないだろう。
つまり、加藤の状態は恥ずかしいと自身も考えているということだ。
もう過去のことにでもなればまた話は変わってくるだろうが。
ラストシーンで、この作品の中で描かれていることが加藤の妄想であることが分かる。
妄想していた加藤が、作中の加藤と同じタイプであったかは分からない。
普通に美帆のことを乗り越えて新しい出会いに進む終わり方でも良かったのに、一体なぜ、このようなエンディングになったのか。
思うに、恥ずかしかったのではないかと。
これは映画であるから虚構だ。実際に加藤が存在しているわけではない。
虚構の加藤に妄想させることで、虚構の虚構にまで落とし込まないと、「加藤の状態」が恥ずかしくて表現できなかったのではないかと推測する。それは本作の原作者である又吉直樹氏のことだ。
加藤の状態の人がどれだけ「恥ずかしい」と思っているか分からないけれど、少なくとも
又吉直樹氏は本当にシャイなんだと考えずにはいられない。
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