主戦場のレビュー・感想・評価
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韓国も慰安婦問題で一枚岩ではなかった
慰安婦問題とはなんだったのか
ということを解きほぐしていく映画
情報量が多いのでなかなかついていくのが難しい
本作は日系アメリカ人によってつくられた映画だが
日本人に対してのインタビューが多い
テキサス親父(トニーマラーノ)、櫻井よしこ、ケントギルバート、杉田水脈など
多数の右派論客がでてくるが最近は忘れ去られている人もいる気がする
2020年代くらいから
もう慰安婦のことは右派にとっては関心がなくなっているのだろうか?
日本、韓国、そしてアメリカと
慰安婦問題の関係を描写している
アメリカに慰安婦像が作られていることに右派が拒否反応をしめして、
それを「バックに中国がいるので、カネをもらって慰安婦像をつくらせた」
という発言があるがそれは事実ではない
歴史修正主義者と呼ばれる右派論壇と左派論壇の意見を対比させている
基本的には「従軍慰安婦はあった」と受け止められる映画だと思う
「慰安婦は人数20万人」
「強制連行があった」
「慰安婦は性奴隷か」
という問いに対しては
20万人という数は別にして、ほかは肯定しているようように見えた
本作を観ると
韓国も戦後当初は慰安婦問題について積極的ではなく
元慰安婦は韓国でも沈黙させられていた
儒教、家父長制が理由としているが政治的な理由もあるらしい
2015年の日韓合意は元慰安婦当事者を無視して決められたというのは驚いた
挺対協の人が
強制連行されていないとされる慰安婦もいるという意見に拒否反応を見せるのは
かなり政治性を感じたし
韓国もこの問題に関しても一枚岩ではない
一方日本人は
自分も含めて慰安婦問題に対してはそもそも知らない人が多い
日本の若者をインタビューするが慰安婦問題を若者はみんなしらない
河野談話では従軍慰安婦問題で謝罪を認め
そこから義務教育などで啓蒙されると思ったが
「つくる会」などがその反動で結成され
2007年ごろの第一次安倍政権下では教育に政治が介入できることにより
教科書に慰安婦の記述はなくなったというのは
日本人の自分でも知らなかった
右派が慰安婦問題に固執するのは
慰安婦を認めてしまうと天皇の責任を追及され
戦前を肯定することができなくなってしまうかららしい
日本会議が右派を主導しており
そのボスが保守論客の加瀬英明氏とされる
加瀬氏は慰安婦問題で
他の歴史家の本などは読んでいないという発言は驚いた
ネトウヨは本は読まないとされているが
それは保守論客のボスにも当てはまるのか?
では、韓国に対してはどう考えているのかというと
「韓国は中国が没落したら日本に泣きついてくる」と言うが
そう思っているのなら、『中国が攻めてくるから軍事増強』という
右派がよくしている主張とどう整合性をつけるのかわからなかった
元ナショナリストの女性にもインタビューをしているが
南京大虐殺の証拠を突き付けられて右派論客から転向したという
彼女は6万ドルを櫻井よしこ氏と関係があるジャーナリストに寄付をしていたらしいだが、それは詐欺にしか見えなかった
右派論客は寄付金チューチューもしていたのか?
ラストに監督から
「日本人はアメリカの戦争で戦うつもりなのか?」という問いがあるが
少数のネット右翼は「日本のために志願兵として戦うぜ!」となるかもしれないが
自分を含めて大半の日本人は深く考えていないと思うので猛省をしないといけない
この映画を2024年に見ると安倍晋三元首相も杉田水脈議員も自民党が旧統一教会と関係があったのに
嫌韓なのは意味不明だよな
この映画を見る価値は、元日本兵の言葉だけだ。1時間45分頃登場する。
この映画で煽られてはいけない。
歴史修正主義者との会話は時間の無駄だ。この映画を見てそう思った。
さて、
『自由と民主主義の美しい日本を望む』事に異論は無いが、未だに日本人の叡智は『PLAN75』を容認する様な程度だから、まだまだその実現には程遠いと思う。(俯瞰した言い方で申し訳ありません)
また、この歴史修正主義の考え方は『PLAN75』の考え方と共通する所がある。それが分かる方は、この映画を見る必要はない。
慰安所があった?虐殺があった?食べた?と議論する事自体無駄。全てあった!とすれば、この映画の価値は無い。寧ろ、この映画を見て、真面目に検証しようとする方が問題。つまり『PLAN75』があった方が良いか?悪いか?と同じ。『良いわけが無い』で、話は終わり。
追記
この映画見るよりも、この映画のレビューの方が為になる。
上智大学の倫理観の没落が見てとれる作品
産経新聞のみが去年の映画について忘れずに注目している模様。なにやら、学者の会が上智大学の倫理規程に完全に違反していながら、当該大学の卒業テーマとして本映画をつくりあげた監督が公開を強行採択したことに対して強く批判しているようだ。
SNSでも、本ニュースを受けて上智大学を擁護する人々は、口を揃えて学者の会を「極右」などと表記している点も、映画監督が一方の論客を「歴史修正主義者」とレッテル貼りした行為と似ており、面白い。
要はそんなやつらしか観てなかったし、この映画をよく評価してくれてなかったのだろう。
そんな中でのこのニュースである。もちろんリベラルな新聞社は全て報道しない権利を選んだ。恥ずべき態度である。
さて、そのニュース記事を見て、上智大学のどん底を見ることができる機会かもしれないと思い至り、レンタルショップに足を運んだ。
なるほど、劣悪なマスコミ関係者の常套手段をふんだんに使った印象操作の塊のような映画であり、大学が認可したものというよりは、ありし日のシールズが編集したイメージビデオのような出来だった。
知性のかけらもない。これを高く評価できる連中はコロナにやられる前から脳がなにかに侵されているに違いない。
上手く臭いものを並べたとは思うが残るのは虚しさ
ひとことで言うと慰安婦について、ああだこうだ言う主な論壇の人物を並べました所、非常に香ばしい事になりました。と言った処でしょうか。
慰安婦問題について、取り敢えず何だかわからんと思っている人には参考になる映画かと思います。
でも結局、どういう立場の言論人であってもほぼ政治なんですよね。
自らを保守、右派だと思っている人は、左派のプロパガンダ映画だとレッテル張りをするだろう。そもそもそういう奴らの思想は自分で思っているだけで、本来の保守でも右翼的でもない。困った事にこの保守、右派を自称するナラズモノでしかないエセ右派の奴らが世間一般的に保守派、右派などと認識されてるんだから困る。靖国で民兵的なコスプレで行進する映像も出て来るが、エセ右派の本質とはこのコスプレ右翼と同じである。想像の中にある輝かしい過去の栄光の大日本帝国を勝手に着飾って同化し、自分の足りない隙間を偉大な国家イメージで補完しているに過ぎない。そして自分と同化した輝かしい国家にキズは許せないのだ。国のキズは勝手に自分のキズと認識するバカなナラズモノである。勝手に国家をお前のモノにするなと言いたい。
そして恐らく、自分が左派だ、リベラルだと思いこんでいる人たちの殆どは、憎き右派が顔を表し、本性の一端を出したか!この野郎。って盛り上がった感じだろうが、そんな感想では浅い。エセ右派に怒るインチキ左派に偽リベラルとしか言いようがない。
なお、出演している一般的に左翼レッテル貼られそうな学者先生一同は論理的で、冷静で、誇張もなく、極めてマトモである。南京大虐殺についての件では中国の誇大な人数を肯定する人もいない。
エセ右派の奴らは人種、性別に差別的である。映画で徐々にその部分が滲み出てくる。インタビューと言うのは恐ろしいモノだ。運動家に女性が多いと言うのが気にかかるが、以前国連か何かのレポートでも日本の女性は自分たちの存在を否定するような保守派を支持し、それは抑圧的な日本社会が逆にそういう女性を育てるのだと結論付けていた様に覚えている。
私の目から見ると、元慰安婦は置き去り。
映画にも出てくる一部の慰安婦の傍にいる挺対協でさえも、本当に慰安婦の事を想って傍にいるのか私は懐疑的だ。元慰安婦の傍には、ほぼ彼女らの事を思っている人など誰もいないのだ。でも頼る人も、取り返せない時間も、酷い過去も消えない、寿命が目の前に迫っているだけ。
見る人にも依るとは思うが、私にはそういう救いようの無さが見えた。
偉そうな上から目線的な感想としては、
よくまあ学生がこんだけ丁寧にインタビューを集めたなという事。
そしてまたしても、こういう日本の問題を描いたのが日本人では無かったと言う映画が一つ増えて悔しく思った。
とはいえ日系米国人という微妙な距離と怖さを感じない知識の薄さが功を奏しているのかもしれない。いずれにしてもどういう立場でも日本人にはこうは描けない。
あえて苦言を言うと、卑怯にも過去から逃げるクソ野郎を右派とか保守と言うのをやめてもらいたいし、先の戦の失敗を失敗とも思わず全肯定とする者を国士と持ち上げ、先の戦で事実上軍の公報紙だった朝日を、戦後の謝罪広告一つとその後のペンを向きを左っぽくしたことで左翼の親玉みたいに持ち上げ、紙相撲の双方の力士に仕立てた状態を土俵の基本とするのはやめてもらいたい。
この映画でも右派という言葉は出て来るし、朝日があたかも良心のような感じであり、その右派とか言う奴らに対する好敵手の役者として当たり前に存在している。
この構図にはうんざりだが、仕方がない部分もある。
登場人物がこの土俵で戦う事の前提の頭しかないので、このまま話が続くしかないし、多分見ている観客がこの土俵で認識するので、この土俵のままで進めざるを得ない。
事を単純化して一見分かりやすくなっているんだろうが、レッテルとスローガンだけがビラビラ中に舞い、思想の中身がどこかに行ってしまっており、知らないうちに八百長相撲を取らされているようなものだ。
私は概ね反米主義者だと思うが、あの国民が自国の問題を自ら暴き、告発する姿勢には敬意を表したいし、「Born in the U.S.A.」の曲を代表とするその姿勢は何しろかっこいいと思うし、日本にはその姿勢が感じられず、悔しく、情けないと思っている。
反省と言えば萎れる事であり、過去を全否定し、黒く塗りつぶして、軍に全責任を背負わせて決別し、生まれ変わる事であり、それが生き辛くなったら、拗らせて今度は過去を全肯定で劣化コピーだ。結局本来あるべき前向きな反省は誰もしていない。
しかし国士面した奴らはやたらと武士道精神や美しい日本を取り出すが、何処が武士道精神で美しいのだろうか?
心やさしく、言い訳をせず、人のせいにせず、常に自らの行動を心に問いかけ顧みて、知識を増やして更に自らの行動に照らして工夫と改善の目を養い、常に自らを厳しく律し、例え刀を鍬に持ち替えても変わらずに平時より自らを磨き、心から足の裏から明日へ備え整えるのが武士の姿なのでは無かったのか?
それにしても、描かない事が悔しいのに増して、ケツを自分で拭かずに人のせいにする事を良しとする自称国士さまは何とかならんのか。国賊以外の何物でもない。
映画でも語られるが、なんだか慰安婦について、その言葉が最近生み出されたとか、その反論も何だかマニアックな話になって、更に韓国に利用されてあたかも日本に対する韓国の問題に特化してしまい、そこしか話が広がらず、エセ右派論壇もそれに対する抵抗というか、単に嫌韓のツールでしかない。なんだかおかしいことになっている。
昔は慰安所、慰安婦について、その中身の問題意識についての認識は薄いが、その存在自体の事実は普通に語られていた。
私は50歳手前ですが、子供の頃に慰安所、慰安婦の話は普通にその頃の映画の中でも描かれており、単に戦場の悲しい話の一つであり、連行とか匂わせ程度しか描いてはいないが、その存在は普通だった。皇軍の規律を守るためのツールであり、暴行を防ぐ皇軍ならではの画期的な福利厚生システムだと言われていた。TVで中曽根元総理が海軍主計時代に行った慰安所の設置予算割り当ての自らの手腕・実行力を自慢していた。元総理が言わなくとも中曽根主計官の慰安所の予算を割く為の要望書も残っている。
なぜ今になって無いとか嘘を言うのだ?
嘘だと本当に思っていないのであれば思考能力低下を心配した方が良い。
証拠がない?
軍が出入り業者に任せて最初から証拠つもりが無いと思うのが普通だと思うんだが、間違っているだろうか。桜の会も名簿が無い事になっているのにさ。
慰安所・慰安婦に関しての証言は個人的に実際の当事者でもあったが、それを否定する人たちが結構居て、彼らの証言が結果的にその事実を語っている事が多く、結局「軍による強制」という意味が実際に命令し、軍が徴用を実行した事のみを言うか、出入り業者に口約束でやらせている事を含めるかとか、言葉遊びでしかない。
性奴隷と言う使い方に関しても、金銭が発生したから、息抜きの時間があったから奴隷では無いとか、映画でも語られるが、私から言わせれば「女郎」「くるわ」の言葉をはじめとする公娼制度や人身売買システム自体が恥ずべき行為で、性奴隷で、慰安婦だけに収める問題ではない。
更に昔は仕方がなかった。では明らかにダメで、今は全部犯罪である事が出発点でなくてはならないのに何でであろうか。
慰安婦問題が韓国発の政治問題化された事も全てはこの部分の初期認識、行動が間違っているから、収まる訳がない。ましては日本政府と皇軍は与り知らぬなどとシラを切り、逃げるなんぞは恥知らずの売国野郎だ。
映画では語られないが、そもそも慰安婦の半分弱は日本人なんだぜ?
ところが日本人の慰安婦の語り部がいると言う話は余り聞かない。
映画では韓国社会の構造的差別が慰安婦の供出に結果的に協力した様や、戦後なかなか言い出せなかった原因、証言内容がなかなか定まらない原因として語られる。
では日本は何であろうか?
全員本心で立候補した稼ぎ手だから?強制されていないから?そんなの有る訳ない。
最近になってやっと満州引揚前のソ連兵の性の防波堤に村から供出させられた婦女の証言が少しづつ出始めた。
日本人は慎ましいから。とか言う奴までいる。どっかのレイプ問題で炙り出てくるクソ野郎どもと同じ土壌がそこに見える。その土壌は深すぎる。
誰も考えないし、日本人は日本人自らをバカにしている。
この問題自体を韓国から言われてあたかも韓国に対する問題だと思っている。
情けないことだ。
映画は最終的に香ばしさの原因の解明と分析に入る、この辺はドキュメンタリーと言うよりはレポートになるかも知れないが、概ね正しい内容かと思う。安倍、麻生を筆頭とした日本会議との繋がりが影響力を発揮し国家が妄言を発するバカげた世の中。
自民党の河野さんが公式に語った河野談話に否定的なんぞは、もはや自民党でもないのに党名も変えずイケシャアシャアと国会でふんぞり返っている。
最後に映画で出てくる日本会議の幹部の香ばしさと言ったら堪りません。だれの目にもイッちゃってます。かなりの収穫でしょう。
日本政府は今後、慰安婦を含めた公娼制度、人身売買システムとその社会を許しません。日本の過去・現在だけでなく、世界の何処に存在するものでも許しません。それを撲滅するためには日本政府は汗と援助を惜しみません。の一言でも言えんものだろうか。
慰安婦問題は日本の糧に宝に出来るはずなのに、勿体ない。長期的には世界的な支持も得られるだろう。
と、自分も政治問題化しようとしている。。。
あらかた映画の内容は自分にとっては知っている内容であったが、あまり知らなかったのは朴裕河さんの内容と韓国内の評価とその構造である。なんか韓国の裁判になっているな、挺対協が批判の中心らしい、やたら産経が取り上げ、その割には朴さんを助けているのは日本の左派陣営で話の構造が変だなとは思っていたが、これまた深刻な話だった。戦中の外地時代の朝鮮が元々持つ差別構造を利用して朝鮮の社会が日本の女郎作成システムや慰安婦募集システムに組み込まれていく様を冷静に説明し、慰安婦の問題を正しく広く知ってもらおうとする事が、日本の右派に協力したと言うような感じで非難されるのだ。
慰安婦問題は抗日パルチザンとしてヒステリックに叫ばないとダメなのだ。恐らく元慰安婦が隠れずに自尊心を持って韓国社会で生きるにはこの方法しか選択肢が残されていないのではないだろうか。また挺対協とは左派の面を被った韓国に措けるエセ右派ともはや同じだ。これまた日本のエセ右派の喜びそうな餌である。
またしても元慰安婦の心は置き去りである。
被害者、弱者は利用し尽くされて、市井の人々の娯楽に、生き甲斐に消費されていく。
むなしいばかり。
「ディベート」を映画にした訳では無い。
最初から『歴史修正主義者』となってて「ん?」と思ったが、あれだけ差別発言、二重規範、妄言を浴びせられたら「そうせざるを得ないのかな」と監督に同情した。とにかくマラーノ氏、藤木氏、杉田氏、加瀬氏の差別発言、差別的態度は酷かった(編集方法とは無関係だと思う)。
『差別にはとことん反対する』
とにかく両者を握手させる前に監督が云いたかったのは、こういうことだろう。
日本会議の目指すもの、「慰安婦」、「南京大虐殺」を否定する先にあるのは明治憲法の復活ではなく、国民の怒りを煽り、思想的分断を顕著にしたあげく天皇制を利用した特権階級もどきの確立なのか?現政権のクロをシロにしようとする様子から、そんな妄想をしてしまった。
簡単に「怒り」に煽られることがないように気を付けよう。
そして勿論、差別にはとことん反対する。
調べる気概もない人間が見ると洗脳されて終わる駄作
監督自身のコメントを和訳して以下にまとめます。
目的:差別の糾弾を通して憎悪犯罪を抑制すること
きっかけ:アメリカの知識階層にはネトウヨが多い。あいつらは自らの汚点を省みない!日本も慰安婦問題をみてると同じ構造のようだ!俺があぶり出してみせる!だそうだ。
この時点でなんかおかしいと気付いてほしい。
慰安婦問題はダシに使われているのだ。
後半からはもはや論客よりも監督のナレーションによる持論の吐き散らしが主体となる。
ちなみにリベラルのみなさんがよく使う手だが、ネトウヨのことをリヴィジョナリスト(歴史修正主義者)としてナレーションして、開幕から印象操作をおこなっている。この映画を観て思い出されたのは、A市の市長に対して行われた「切り取り」による貶め行為である。熱い意見交換の場を差別の現場のように観せるやり方は評価できない。はっきり言うが、差別者として映ったのは監督であり、リベラルであった。悪態をつきまくったネトウヨのみなさんは、被害者としてしか映らなかった。
課題でコピペしてんなよ・・・
よくこれを修論のテーマに出来るよなぁ、これで卒業させてくれる大学院チョロすぎない?
文系はよく知らないが、論理性が感じられない。あの題材で政治批判は無理がある。司会進行が誘導してるんだから世話ないよね。
結論、ゼロ点。
ただ、それだと評価に影響しないからやむを得ず0.5点出すよ。
嘲笑した”自称”歴史研究家が一番正しいという不思議
出演者はYouTubeをメインに探したんだろうなと思いました。ずっと誰か一人のインタビュアーが話し続け、正直中盤から飽きていました。観てから知りましたが、出演者の良心を利用した映画であり、監督以前に、人として疑いがあります。2019/9/1の時点では、監督が作中で、”自称”歴史研究家、と嘲笑していた人が言った通りのことが今、日韓関係で起きています。どうやら、監督よりも、監督が嘲笑した人物の方が、先見の明があったようです。いわゆる炎上商法映画で、なんら公平な視点ではありません。右翼という単語が出たりするところからそう思います。中央に位置する人は、右も左もなにも、その文言自体出ないからです。
炙り出されたのは、右か左か。
この映画は大学在学中にテザキ監督が収集したディベートの切り抜き動画である。
「切り抜き」という言葉を用いた通り、本来のディベートの流れを書き換える試みが行われ、結論はディベートとは全く無関係のところにたどり着かせようとしている。
ナレーションで、テザキ監督は保守=右の論客に対してはじめから「リビジョナリスト(歴史修正主義者)」という単語を使う。これは、右の論客に対する明確な敵意であり、無礼であり、差別的である。
そして、ディベートでは全力で左の論客の肩を持つ。右の論客が繰り出したであろう手厳しい反論は、すべて無かったことにしてしまったということが、いとも簡単に見抜けてしまう。
水田議員の発言など、なにも問題のない当たり前の発言だというのに、まるで悪の親玉みたいに聞こえる。印象操作がものすごいのだ。
右の論客は終始呆れたようにモノを言う。なぜか?簡単だ。
要は慰安婦問題について語り尽くされたことすらロクに知らずに、左の論客が攻めてくるのだ。人数こそ多いが、簡単に反撃が出来る。彼ら左の論客たちの学の無さに呆れているのだ。
そこを撮り、いかに右の論客が人をバカにしたかをアピールし、「リビジョナリストどもの本質を炙り出した!」などと騒いでいるのがこの映画だ。
呆れてモノもいえない。炙り出そうとして、自らの愚かさ、差別的な行為を余すことなく晒しているのだ。
誰のために?左の論客のために、である。
何でこんなバカなことをするのか?その答えは映画の後半にある。
日本はこんな差別的な右の論客たちと同じ思想に国家ぐるみで操られているのだ!!!というのが、テザキ監督が本当に伝えたかったことのようだ。
あ、慰安婦問題の話、どっかいったね。
結局なにを扱いたかったのか?慰安婦は自分の主張したいことを引っ張り出すための、召還用のいけにえカードみたいに使うのね?
監督を最低な差別主義者だと感じた。慰安婦の皆さんをダシにつかったのだから。
しかし左の思想の人はこれに気づかない。右の思想を暴いた!やった!と騒いで、慰安婦問題なんてほったらかしている。
こいつら全員本当に人権問題を扱ってるという自覚はあるのだろうか。
こういう相手を打ち負かすためだけのプロパガンダを展開して、人から認めてもらえると勘違いしているのだろう。
私に言わせればそれですごい!といってくれるのは「ヒトデナシ」だ。
YouTuberらしい勘違いである。右の論客を貶めるに足る「撮れ高」を確保できたと勘違いしたまま、いそいそと編集にはげみ、この映画は作られたのだろう。ものすごく気持ち悪かった。差別のにおいが満ち満ちている。
女性のことを本当に大切に思うならば...
この映画の大筋は別にあるが、ここでは女性の戦場における人権問題の際たるところである、慰安婦問題について、この映画の稚拙な点を述べていきたいと思う。
戦場と性の人権問題だとするには、あまりに日本だけの批判に集中し過ぎてる。慰安婦制度は、元々、強かんや性病の抑制を目的として作られた制度であるという説明がほぼなかった。慰安所はそういった対策施設なので、そもそも戦場と性の人権問題を代表するものとは言えない。
戦場と性の人権問題については、秦氏の分類によるとレイプ型、慰安所型、自由恋愛型があるそうだ。ならば、レイプ型(旧ソと一部の暴走した韓国軍の例など)こそ、戦場と性の人権問題の花形であるはずだ。強かんを抑制しようとした日本の制度を集中的に批判するのはバランスがおかしい。自由恋愛型(英米など)も実質的には民間売春利用であり、女衒の騙しなど慰安所型の問題と違いがないので同列に扱うべき。同じ慰安所型(独など)について全く調べていない、批判されていないのも違和感を禁じ得ない。
杉田氏が「慰安婦とホロコーストを同列に批判するのはおかしい」と述べてたけれど、全く持ってその通りだ。同列に批判したいのならば、日本と同様の制度を持ち、同規模展開していた独の制度との比較でないとおかしい。
独の制度は世界中どこの国でも日本のようには批判されてないし、日本と違って実質的な謝罪と賠償もない。また、米は吉見氏が著書で書いてるように慰安所を何度も計画したり閉鎖したりしてる。それに日韓の用意した慰安所を利用もしてる。日本だけ集中して叩くとスケープゴートのようになってしまう。
しかし、そもそもこの映画では慰安婦問題を主体として掲げているが、そこにスポットは当てられていない。監督はもっと別のところに話を持っていきたいのだ。見てみればわかる。彼らはダシに使われただけだ。結局は深く論じる気もなく印象操作だけできれば、どんな題材でもよかったのだろう。ハッキリ言って、これこそが女性差別だと私は思う。
ニュートラルな視点で描かれるものではない。
自分は特に嫌韓で偏った見方をするものではないリベラルな保守なので
行く前にどのような映画であってもニュートラルな姿勢を貫こうと決めて見たけど
結局それが覆る事は無かった。
まず初めに日本の保守論陣に対して
歴史修正主義者と決めつけ呼びかけられる。
もうその段階で最初からこの映画は偏った歴史観で描かれたものである事が分かる。
以後従軍慰安婦の歴史検証が行われるのだが
検証の流れとして…
性奴隷は存在した→証拠が見つかっていない。
→生き証人が沢山いる→証言がコロコロ変わるので信頼性が無い→おばあさん達の証言を嘘だと言うのか!
という流れに貫かれている。
いやそれでは証拠にならないんだよと言っても聞かなさそうである。
とにかく性奴隷は有ったんだ!の一点張りな訳である。
あとはネタバレになるから言わないが
殆どが言い尽くされた感のある話ばかり。
もう一つ酷いのが此方の論拠の反論として
筋違いの論点や話のすり替えで説明される。
たとえば慰安婦の話なのに安倍政権の批判になっていたり
日本の再軍備に対して反対の立場をとったりする。
それ全然慰安婦問題とは関係無い話じゃんと言っても
伝わらないので此方は苦笑するばかり。
始終こんな調子(^^;;
あと仕方ないと言えば仕方ないのだが
日本の保守論陣の撮影の仕方もわざと悪人顔に撮れるように印象操作が酷かった。
特に櫻井よしこ女史は保守論陣の中でも
わりと韓国側に理解がある方だと思うけど
ふんわりとした上品な美しさを持つ人が
まるで老婆のような撮り方をされている。
いや確かにそれなりのお年なので仕方ない面はあるにしても
印象操作をするためにあの様な撮影の仕方は無いと思う。
はっきり彼女が気の毒である。
何か新しい論点が出てきてそれに説得力がありさえすれば
自分は日本の保守論陣が展開する論拠を捨てる事も出来た。
ところが出てくる話題は全て手垢がついたものばかりで
尚且つ全て日本の保守論陣から切り崩されたものばかり。
これでは信じろと言われても信じられないばかりか
かえって何故この映画が作られたのか?という疑問しか出てこない。
ただこの映画で思ったのは韓国の慰安婦問題を取り上げる人々は殆どが女性であって
女性の人権を声高に主張する人々で
慰安婦問題と言うのは結局韓国のウーマンリブ運動と
かなり連携していると言う事実を確認できた。
だとしたら結構厄介で
「日本は今だに女性の人権を弾圧する性産業がある」と言う話になるので
いくら日本が仮に何度も謝罪してもこの問題自体が無くならない事を意味している。
またそれは生理的な嫌悪感に根ざしていると考えられるので
恐らくこれはエンドレスに燻る問題であり続ける事を意味する。
本当に厄介であると思う。
はっきり言うが所謂ネトウヨ傾向のある人物は見ない方がよい。
見るだけストレスになるしまた新しい話題が提供される事も無い。
わりとリベラル傾向の強い自分でさえ強いストレスを感じた。
オススメしない。
致命的
偏った思想に論拠無く与する致命的な編集を加えている。これはとてもドキュメンタリーとは呼べない。
世界中の先進諸国の中学生程度の生徒たちが見たって、マトモなディベートには映らないだろう。日本人は学生ですら議論の仕方がわかっていない者が多く、この映画はその点を悪用したような恣意的な構成になっている。
これが公平・対等かつ理論的な議論に見えた人は、真っ当なディベートを見たことがない未就学な人か、思想が左に振り切れすぎてもう手遅れの人なんだろう。
根拠のない妄言を全て真実だと信じさせようとすると、詭弁と煽動、論点のすり替え、印象操作と陰謀論の展開に画策する羽目になる。この映画は、それらがふんだんに盛り込まれている。
程度の低い詐欺師が無理すると、こういう構成になるといういいサンプルにはなるだろう。
差別的なリベラルの特性がにじみ出ている
はじめから相手に悪い印象を与えるような編集や進行が多く見受けられる。これは、ディベートを称したイジメの現場だ。圧倒的多数で戦いにのぞみ、反撃をなかったことにして、相手を歴史修正主義者と呼びつける。
修正主義者はどっちなんだろうね。
ものすごく恥ずかしい行為が続いた後、陰謀論に突入する。
呆れるしかなかった。リベラルはもうちょっと考えた方がいい。優しさが感じられない。
あと、エンドロールww
どんだけ韓国人混じり込んでるんだ?監督のお友達はみんな韓国系じゃないか。これ「日系アメリカ人の映画」ってふれこみは偽装なんじゃない?
このようなことはあってはならない
ものすごく腹が立った。
こんなのディベートじゃないです。あんなキリトリを露骨にされて、「いいぞ!ネトウヨを完膚無きまでに論破だ!勝利だ!」と騒ぎ立てて気持ちよくなれる人種とはおつき合いしたくないものですね。
まぁ、当該国はとうとうホワイト国から除外されるワケですし(それも、圧倒的多数の応援により)、これで多少静かになることを祈るばかりです。
憎悪犯罪の抑止のため
テザキ監督はこの映画を作る目的として、「憎悪犯罪の抑止」を掲げているが、これは致命的な世迷い言である。なぜなら、この映画は憎悪犯罪の抑止のために、何の役割も果たせておらず、むしろ持論の展開のために彼が行った情報の取捨選択および誘導は、憎悪を助長させる可能性すら抱えているからだ。
テザキ監督は「慰安婦問題を論じる右派団体、ひいては日本の政党は、アメリカの国粋主義者と同じように自国の汚点となる過去の行いについて認めたがらない傾向がある」という認識を持っている。彼がアメリカを愛していて、本気でその点が不服なのならば、彼は自国の国粋主義者どもに対して米軍の検証可能な過去の汚点を悉く暴露して、目を覚まさせる事を優先すべきだろう。
自国の恥ずべき、解決すべき課題は導入でさらっと棚上げして日本の慰安婦問題について論じ始めるという点に、彼のアメリカに対する愛国心の薄さと日本の粗探しへの執念を感じた。その点では、もはや彼をアメリカ人としても日本人としても尊敬できない。
アメリカには戦勝国として覆い隠してしまった様々な戦争犯罪がごまんと眠っている。フィリピンでの無差別爆撃など、米軍が被害者に対して責任の追求を禁じ、風化を促進させたような悪魔めいた事例は探せばいくらでも出てくる。なぜアメリカ人に差別的な扱いをうけて育った経験を持つ彼が、アメリカの国粋主義者どもではなく日本を相手取ったのか?答えは至極簡単だ。シーシェパードと同じ理屈である。日本ならそこまで手痛く報復されないからだ。結局は弱い者を叩きたいだけなのだ。ただし、ここでいうところの弱い者いじめとは、強い者ではなく臆病者のする行為だ。テザキ監督のご先祖様たちは、彼を勇敢なアメリカ人として賞賛するだろうか?
テザキ監督は映画の公開に際し、詳しくもないのに慰安婦についてYouTubeで論じて炎上した過去を語っているが、トニー・マラーノ氏もその点は全く同じ経歴を持つ。彼らの大きな違いは、マラーノ氏は敵対論者の言い分に反証しようと努力するうちに様々な気づきを得た点に対し、テザキ監督は「感情的なネトウヨに襲われた被害者」として自らの未熟な点に対する指摘に耳を傾けず、敵対論者にレッテルを貼って情報を遮断し、持論に固執した点だ。テザキ監督は対話のために来訪してくれた一方の論客をはじめから「歴史修正主義者」として扱った。対等な立場に立とうとするならば、そんな無礼で愚かなことはしないだろう。彼は、はじめから対話する気など無いのだ。テザキ監督はYouTubeで炎上した過去の地点から、なにひとつ成長していない。同じような考え方をするお友達が増えて持論に酔っているだけだ。
もしもこの映画が監督の宣言とは別に、慰安婦問題に詳しくない者への簡単な導入を目的としていたと仮定しよう。これにも問題がある。なにより、情報不足であった。なにせ軍が性奴隷にしたという第一次資料が、証言主体という体たらく。あれはすでにヤカラのいちゃもんと変わらない。また、インタビューやディベートの編集が、そのあと予定してある「日本の政党もアメリカの国粋主義者と同じなんだ!」という持論の展開に持って行くためにかなり意図的に誘導させている。日本軍の強制連行を論じたいなら、日本軍の命令指示書または米軍の偵察報告書などの第一次資料をもって論じるべき話題を、戦時中の被害者の証言主体に、それも戦時中の彼女たちのインタビューは隠し、戦後70年程度たって180度変わってしまった彼女たちのインタビューばかり引っ張り出して、韓国の主張にばかり与する切り貼りを行った。敵対論者の反証は映画に載せなかった。これはドキュメンタリーとは認められない。それどころか、韓国に利するプロパガンダと呼ぶほかない。
「確かに公平性を欠くかも知れない。だがしかし・・・」といった旨の、朝日新聞が好んで多用する擁護方法を使うレビューをよく目にするが、「公平性を欠いた」時点で対話は成立しないと言うことを理解願いたい。不公平を認めたなら、この映画はその時点でダメだろう。
レッテル貼るしか出来んのか
レッテル貼るしか出来んのか
慰安婦に関連する話題を軽く議論させる。左派は冷静だが、右派は感情的に映る。その後、『こう言った乱暴な右派が日本の中枢を占めてる』と言った話に持って行く。直接的に繋がってるようで繋がっていない。
まるで生徒が先生を煽って激高させ、自らが殴られたところを隠し撮ってSNSにアップした上で、教育委員会全体を悪者とする論を展開するような、いわば被害者を騙って立ち回る手法であるように感じる。「論敵の背後組織(妄想の域)を断罪するためにも、論敵を悪者として撮ってやろう!」とする悪意と、「私たちは善良なんです!」というアピールが強すぎてまるわかりなんだ。うん。これね、気づくとすごい不愉快だよ。調べたらほら、当たりも当たり、出てくるわ出てくるわ。右派は加害者として撮られてるけど、契約書うんぬんの騒動を見れば彼らが被害者だということは容易に見て取れる。
撮る側がこんなに一方に偏っていては、マトモに議論なんて出来るはずもなく、極めて一方的かつ乱暴に話はそれていった。右派は余裕のしたり顔が多かったが、きっと反論もごっそり切り取られているんだろう。可愛そうに。同情を禁じ得ない。
パンフレットがとても勉強になった!
従軍慰安婦問題の議論の検証なのだけど、見ているうちに、天皇って自分にとってどんな存在なのかな?とか、日本人としての愛国心ってどんなものかな?とか、ナショナリズムって?憲法って?とかとか、自分の中にきちんと理解して「ある」ものと、何だかわかんないけどぼんやりと「ある」ものと、そこにそれが「ある」のはなんでかな?という問いについて考えを巡らせている私がいて、いつのまにか自分と向き合ってた。
安倍首相が頭を下げる姿は見たいと思うのに天皇陛下が頭を下げる姿は見たくないと思ってたり、裁判官が天皇の罪を明言するシーンに心ザワザワしちゃうのって、昭和生まれだからでしょうか。別に天皇は神様だなんて思ったことないのに。
「日本が悪い」という言葉は、過去の日本政府や日本軍の罪のことを話しているのであって今の自分のことを言われてるのではないのに、「罪を憎んで人を憎まず」と言っているのに自分が責められているように感じてしまうのは、なぜなのでしょうか。
普段考えもしないことに映画を見ながら気付きました。
あと、戦前は女は人間扱いされてなかったって話す日本人のおじいさんの話は衝撃的だったなぁ。
今の時代の日本に生まれることができて良かった。
渋谷ハチ公前の女子高生が慰安婦問題って何知らないって笑顔で答えてるの見て腹が立つけどそれは彼女たちにではなくそういう風になっちゃってる日本にだ
#パンフレットがとても勉強になった
#日本会議 ってなんなん?
#ラスボス目がやばかったな
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