主戦場のレビュー・感想・評価
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ネトウヨに絡まれた日系アメリカ人のユーチューバーが、ネトウヨリーダーの著名人にインタビューしていった結果?
きっかけは日系アメリカ人のYouTuberがネトウヨに絡まれた事がきっかけで、著名なネトウヨビジネスマンやリーディングリビジョン(歴史修正主義の指導者)と言われる人達を 慰安婦をテーマにしてインタビューして行った結果は?って話なんだが
ネトウヨの信じ込んでいるデマを検証のために著名人交えてこちらもインタビュー方式で聞いていく
オチは何年か前にバラされてる
ネトウヨを誘導する人達と日本政府 含めてその裏に?って話なんだが、これがフィクションではなく現実というのが 笑える構成になってるが全く笑えない
構成もテンポもよく、場内には時折 乾いた笑いが巻き起こっていた
世界観を試される
とにかく言葉、言葉、言葉。言葉が洪水のように押し寄せてくる作品である。立場で物を言う人、ハッタリをかます人、自己弁護に終始する人、事実を検証しようとする人、寄せ集めの情報で人を騙そうとする人など、様々である。この映画を理解するには映画と同じレベルで考えるのではなく、一段高いところから、世界と人類を考えなければならない。
ある種の教条を絶対として信じる人は、他人がそれを否定するのが我慢ならない。たとえば「親に向かってその口の利き方はなんだ!」と怒る人は、子供は親を敬い従わなければならないと思いこんでいる。「誰に向かって口を利いている」とか「俺を誰だと思っている」などと怒鳴る人も同じである。なべて封建主義的である。
スポーツの指導者にもそういうタイプが多い。スポーツの動機は大雑把に二つに分けられる。世界を目指す人と、楽しみや健康のためにやる人だ。前者にとっては熱血指導はありがたいだろうが、後者には迷惑極まりない。
人が熱血指導者になってしまうのは、一元論的な考え方に陥るからである。目的は金メダルだと勝手に決めてしまう。それ以外の行為はすべて無駄な行為だと切り捨てる。自分がこの分野である程度成功したから同じやり方をすべきだと強制する。個々の事情や個性など一顧だにしない。もはやファシズムである。
実はスポーツのそういった精神性は政治的な全体主義の精神性とまったく同じなのである。チーム一丸となって敵を倒す。多様性は認められず、個性は長所ではなく和を乱すとして排除される。熱血指導者の横暴もみんなが受け入れてしまえば暴力さえも許される。どうしてそうなるかと言えば、従うほうが楽だからである。
反対の声を上げて組織や共同体を非難し批判するのは美しくない行為だとされ、協調性がない、身勝手だと悪い評価を受ける。承認欲求は他者からの高評価を期待すると同時に低評価を避けたいものだから、人はパラダイムに従ってしまう傾向がある。村八分にされたくないから仲間についていく。サッカーファンでもないのに渋谷に集まって馬鹿騒ぎしている若者たちの中にも、やむを得ず参加し、やむを得ず楽しそうにしている人がいると思う。大抵の場合は中心になるのは知能レベルが低い暴力的な人物で、仲間にも馬鹿騒ぎを強制し、場合によってはノリが悪いと言って殴ったり仲間はずれにする。知能が高いほど弱気になるので、利口が馬鹿に従う図式になる。
そして軍隊という組織は、渋谷で馬鹿騒ぎする若者たちと同じような精神性の組織なのである。大戦時の日本では、日本中が同じような状態になった。例によって知能が低くて気が強いだけの暴力的な人物が日本を牽引し、ノリが悪い人間は非国民とされて迫害され、時には官憲に引っ張られて拷問を受け処刑された。戦時下のパラダイムは実に恐ろしい。それに反抗できなかったからといって責めるのは可哀想ではあるが、それでも日本人は軍部に反抗しなければならかなったと思う。
国家とは吉本隆明が言うように人々の共同幻想である。領土、領海、領空、国旗、国歌、そして国民などが国家とされる。民族は客観的な区別の対象だが、国民は他の国家との相関関係と手続きによって決められる。白人でも黒人でも日本国民はいるだろう。
我々が中国と言うときに、何を以て中国と呼ぶのかは実に様々である。しかし「中国人は」と言うときの中国人は話者独自のイメージの中国人であって、中国人全体を指すのではない。
「日本人は日本語を話す」は誰が聞いてもその通りだと思うが、「日本人は金の亡者だ」という言葉は正確ではない。たしかに金の亡者みたいな日本人もいるかも知れないが、日本人すべてが金の亡者ではない。
そんなことは解っていると思うかもしれないが、主語を変えて「中国人は金の亡者だ」と平気で言う人がいたとして、聞いた誰もが正しい反論ができるだろうか。中にはその通りだと思う人がいるかもしれない。そこに共同体に精神的に依存することの恐ろしさがある。
慰安婦も南京大虐殺も覆しようのない歴史の事実だ。アメリカ大統領がヒロシマ、ナガサキはなかったと言ったら日本の世論は確実に沸騰するだろう。戦争を仕掛けた日本ですらそうなのだ。勝手な侵略を受けた朝鮮が、慰安婦などなかったという日本の総理大臣の言葉に激怒するのは当然である。
韓国人が日本は謝罪しろというとき、謝罪する主体は誰なのだろうか。韓国国会の議長は天皇が謝罪すればいいと言って物議を醸した。平成天皇は昭和天皇の遺した負の遺産のために日本軍が被害を齎した地域を謝罪して回ったくらいだから、明仁上皇本人は韓国に行って謝罪することも辞さなかっただろう。今上天皇も同じ路線だから、謝罪するのは吝かではないはずだ。そうさせない勢力は慰安婦がなかったと主張している勢力にほぼ等しい。
ただ日本にいる朝鮮人や韓国人から直接、お前は謝罪しろと言われても困る。個人としては第二次大戦に加担してもいないし、そもそもそんな昔にこの世にいなかった。さらに言えば、日本という共同体にたまたま生を受けただけで、共同体の責任を個人が背負わなければならない義務はない。また、戦後生まれの朝鮮人や韓国人は、たまたまその共同体に生まれただけだから、共同体が過去に被った被害について日本に謝罪を要求することもできない。そのあたりの簡単な理屈が共同体に精神的に依存している人間にはどうしても理解できないのだ。そして共同体に精神的に依存している人間は、人類の多くの割合を占めると思われる。
我々はどれだけ共同体から自由になれるのか、パラダイムにとらわれることなく、孤立を恐れず孤独に耐えられるか、そしてその上で、どれだけ他人に対して寛容になれるのか。この地球上に生きるひとりの人間として、世界観と覚悟を試される作品であった。
見るべき点はあるが、内容は偏向的
この映画の最大の問題点は、「歴史」についての取り扱い方であろう。そもそも「歴史修正主義」という言葉自体が曲者だ。この言葉の背後には「正しい歴史観があって、その歴史を歪曲する営為がある」という考え方がある。しかし、「正しい歴史(観)」なるものはそもそも存在しない。そして、「歴史」はその都度「修正」されるべきことは、「歴史学」では「常識」である。なぜなら、新たなる歴史的資料や証言、考古学的な発見や自然科学的な研究方法を取り入れることにより、それまでの「歴史観」を改訂しなけらばならないことは多々あるからである。「歴史研究」を政治家や社会運動家にゆがめられてはならない。
この映画では、学者さんたちはいわゆる「左派」の系譜と思われる人たちしか登場しないこと自体が、偏向的ではある。私自身は、真実の歴史というものは、いわゆる「左派」と「右派」の歴史観を足して2で割ったところにあると思う。ナショナリズムに固執して歴史を構築することはもちろんのこと、「人権思想」の固執して、歴史を構築することもまた誤りである。歴史事象は様々な顔を持ち、複雑な様相を帯びている。「左派」が、被害の現実を針小棒大に語るのは、「右派」の偽りと同様に大いに糾弾すべきことであり、この映画の作者のように、「大目に見る」ような態度であってはならない。「人権思想家」には、こうしたことにおいて非誠実な人間が少なくない。また、歴史観から言えば、「推定」と「(ほぼ)確実」なる事実は厳密に分けられなければならない。忘れられているのは、「歴史学」も科学である、ということだ。自然科学における「捏造」ある意味発覚しやすいが、「歴史学」においては、そのチェックが緩いように思える、なぜなら、多くの自然科学と異なり、「歴史学」は実用性という点では有意味ではない。しかし、いわゆる「慰安婦」の問題でも、政治的に歪曲して用いられている。これは、「左派」であれ、「右派」であれ、同罪である。
この映画の作者は、明らかに、一つの政治的立場で語っている。そういう意味では、メッセージは明確だ。アメリカンデモクラシーの伝道者である、ということは間違いない。私自身は、無論のこと「全体主義」者ではないが、「人権思想」には大いに疑いを持っている立場ゆえ、この映画の主旨には賛同しない。「人権思想」は、その実、「暴力」の火種となりうる。「法的」は観点とは、実際には多様であって、結局のところ、各法学者のよって立つ立場に左右される。そういう意味では、この映画が提示する法的解決も、客観的な証拠ありき、ではなく、「人権思想」に濃く彩られている。
現実世界は「人権思想」だけで彩られているわけではなく、様々な様相を持っている。そうした現実の中で最大限の誠実、正義を体現するためには、「人権思想」がかえってその枷となりうる、ということは、よくよく心に留めておくべきと思う。この問題に対して、かつての日本国家の関与があったか否かは、目下のところ「分からない」のが実情であるが、実際に「苦しい目に合された」人たちが存在することも確かではある。そうした方々の救済法は、必ずしも国家賠償によるものではくとも良いように思える。そして、いわゆる「慰安婦」と言われている人たちの中でも、国家的な次元での賠償を求めに人たちも一定多数存在する、とも聞く。国家賠償固執すること自体が、「民族的怨念」あるいは、一定の「人権思想」に立った人たちの硬直的な思考によるのであって、それを絶対視すること自体が問題ではないか。というよりもむしろ、その背後に一定の硬直した(根拠が明確ではない)「歴史観」が問題なのである。くどいようだが、「歴史学」は科学である。一定の立場からそれをゆがめてはならない。
私自身、「右派」連中にも言いたいことは多々あるが、この映画ではほぼ一方的に「右派」(「右派」というよりは、超「右派」と表現した方が良い)の方を糾弾しているので、ここでは差し控えさせていただいた。
もう考えるのも
めんどくさくなりそうだったこの問題を、ストレートに取材の幅を広げて、対立点をどんどん炙り出しているのが痛快だった。
右派には詐欺師まがいのジャーナリストも暗躍している事や、政治との繋がりなど闇はまだまだ深い。
ただ、戦争、性暴力のない世界を望んでいる。
言論インフィニティウォー
従軍慰安婦問題を右と左と研究者に話を聞いたドキュメンタリー。
従軍慰安婦問題を本人達では無く論客だけで語る事で、今の日本の縮図が見られる。
重い話なのに間抜けな論客のおかげで笑えるけれど、それが国会議員だなんて。
自民党が左翼の息抜きに生贄として議員にしているとしか思えない。
最後の大ボスに笑っちゃうけど、笑えない今の現実を味わうために見るべき一本。
慰安婦問題に関心を持ったことすらなかった私でも面白い。
この映画のテーマに対して、そう簡単に是非を論じることはしたくないので点数としては3.5だが、慰安婦問題についてほとんど無知に等しい私にとっては、ストーリー展開は痛快で面白かった。それが恣意的なものであったり、プロパガンダだったとしても。
少なくとも「慰安婦」に対する理解の一助にはなる映画だったなと思う。
今世紀最高のドキュメンタリー
複数の視点から歴史問題を分析、考察した傑作。人々に娯楽や夢を届けるだけではない、映画のあるべき姿を体現した作品です。
慰安婦問題について真剣に向き合っている日本国民が果たしてどれほどいるんでしょうか。
自国の新聞やニュース、学校の教科書を見聞きするだけでは十分ではない。そんなことをわかっていながらも、実際に違った視点から問題を見つめ直すということをしなかった、我々の眠りつつあった頭を目覚めさせてくれます。
本作で描かれている事が全て正しいとは限りません。だって、どんなに客観的に描くという形を取っていても、映画として編集されている限り鵜呑みにはできませんよね。
映画の影響力は強大です。その強大な力を持っているが故に、プロパガンダや情報操作に使われる事もあります…
しかしながら本作はその強大なる力を、隠れた事実を届けるという形で体現してくれました。事実を見つめ直す、そんな姿勢が大切なんです。
この映画を観て認識を見つめ直す人が増えたら、とっても素晴らしいことですね。
主題は慰安婦問題だけではない。
アメリカの東アジア政策、特に対中国戦略において、慰安婦問題が関係しているとの主張があった。韓国と日本には、アメリカの同盟国として何としても連帯してもらう必要があるのだ。その意味においては、拉致問題と問題の本質が重なる。
主権国家間のきしみは、常にその国民の人生に不利益をもたらす。他方、人権という共通概念が、異なる国の人たちを連帯させる。
この映画の結末は確かに明るくない。でも、人類は間違いなく前進している。市民として何をすべきかを考えさせる優れた作品。
もー1回観てもわかるかな
日常で何気なくふれる言葉が無意識のうちに自分の中にはいりこんできて、自信満々に強気で語ってる人たちの言葉には信憑性がともなってみえてた。
メディアで発せられてる言葉のどこかには虚偽が含まれてる。でも本人たちはまるで自分が正しいんだと思い込んでて疑わない。
めんどくさくてややこしい世の中やなって思う。
この作品では実際の映像を使いながら検証してくれるので納得することが多かった。
ただ情報があまりにも多くて1回観ただけじゃ理解不能。笑
覚悟をもってメディアにでてきた被害者のかたが責められる世だから、自分自身本質を見極める力をつけなきゃと思った。
映画とネット情報を融合させてみました
このドキュメンタリー映画はかなりスゴイです。
ある程度政治を知っている方は知っている内容もあるかもしれませんし、自分もかなり知っているつもりでした。
しかし、私が知っていた人物は、パンフレットに載っている27名のうち、
杉田水脈(自民党議員)
ケント・ギルバート(弁護士、タレント)
櫻井よしこ(ジャーナリスト)
中野晃一(政治学者)
植村隆(元朝日新聞記者)
小林節(憲法学者)
のたった6名だけでしたw
団体として日本会議や新しい歴史教科書をつくる会は知っているのですが、その役員たちの顔を見ながらトンデモ発言を聴くことができたのは初めてでした。
それくらいInformativeなドキュメンタリー映画です。
中でも衝撃を受けたのが“元”歴史修正主義者で日系女性のH氏の告発です。
彼女自体、この映画のパンフレットに載っていないのでウヨク論客たちにも衝撃だったようで早速歴史修正主義者たちのネット上でのバッシングがすさまじい状況です。
しかしながら、H氏の告発はあまりにも生々しく、櫻井よしこ氏が「そのことに関しては話したくありません」と目が泳ぎまくってるのが印象的でした。
映画のネタバレ部分ではないので、このH氏を巻き込んでいた状況を調べてみました。
このH氏は過去に歴史修正主義者たちの“メンバー”であったため、この映画に出演する論客たちは彼女と接点がある人たちがほとんどです。
そして当然のこととして彼女を裏切り者としてバッシングを始めています。
(森友学園の籠池氏も同様ですが、右派グループの仲間割れがここでも起きておりました。)
スタートとして、歴史修正主義者たちはアメリカ人を味方に付けて慰安婦問題を否定しようと試みていたようです。
この右派グループ仲間割れ事件として登場する人物・団体は、
H氏(日系女子・元歴史修正主義者)
櫻井よしこ氏
マイケル・ヨン氏(アメリカのフリージャーナリスト)
谷山雄二朗氏(慰安婦否定ドキュメンタリー映画を作成した帰国子女)
花田紀凱氏(月刊Hanada編集長)
産経新聞
などです。(もっと絡んでる方々がいますが。)
映画ではマイケル・ヨン氏の名前は出てきませんが、歴史修正主義者たちは自分たちに都合の良いデータを出すよう、H氏と櫻井よしこ氏がこのマイケル・ヨン氏に法外な調査費を支払ったというものである。
そして、マイケル・ヨン氏が「調査の結果、日本軍の強制連行などという事実は全く存在しなかった」という予定通りの結果を産経新聞が大々的に掲載。
(いつもの右派と三流産経の茶番工作です。)
しかしながら、ここで仲間割れがスタート。
櫻井よしこ氏は更に谷山雄二朗氏という帰国子女を活用してアメリカに慰安婦問題否定論を広めようとした。
しかしながら、マイケル・ヨン氏はこの谷山雄二朗という帰国子女の青二才が大嫌いだった。
マイケル・ヨン氏「櫻井女史が自民党本部での会議を終えた後、私は自民党本部のそばのカフェに彼女を誘って、どんなことがあっても谷山雄二朗の映画をプロモートすべきでないと注意を促した。」
そしてこの谷山を宣伝しようとする櫻井、花田などと分裂が始まり、現在の泥沼に至り、「もうお前たちを手伝わない!」と決別しています。
(全てマイケル・ヨン氏のブログなどに全て書かれています。)
マイケル・ヨン氏の「手伝う」とは何を意味するのでしょうか?
「櫻井女史が自民党本部で会議を終えた後」???
この慰安婦問題は、自民党、櫻井女史、マイケル・ヨン氏、産経新聞、すべて繋がっていた工作だったということでしょうか?
要するに、汚れたカネを使って歴史修正主義者たちにとって都合の良い調査結果を流布するようにマイケル・ヨン氏に依頼したということですよね。
世界的世論を捏造・操作しようとしたのは歴史修正主義者たちだったというオチです。
吉田清治を調査するのが甘かった朝日新聞を散々叩いた歴史修正主義者と産経新聞と自民党。
その歴史修正主義者と産経新聞こそが汚れたカネ使って“意図的”に捏造し、世界を騙したという事実。
そして、第2次安倍政権後、学校教科書から慰安婦問題を一斉削除しました。
これこそ日本のメディアに大きく取り上げられるべきスキャンダルなのではないでしょうか。
ロジカルでミステリアスで面白い、必見のドキュメンタリー
構成にも編集にも懲りまくった渾身のドキュメンタリー。修正主義者やナショナリストたちが嬉々として語る事柄を知的にロジカルに論破していく痛快劇。しかし同時に、反知性で論理が通用しない者どもにとっては論破されることなど無意味で、すでに影響力の大きさでは知性やロジックでは太刀打ちできない現状の絶望までも描く。日本人全員必見。 https://www.movieboo.org/archives/27877/shusenjo
ニュートラルな論争を期待したが
前半は面白かった。後半で、この物語に直接関係ない、反アベ、反アベとなってきて、それに、クスクス笑って賛意を示す観客が増えてきて、これは共産党の支持者の方の見る映画だったのかと気がついた。私は安倍さんが好きでもないが、あの人が戦争をしたがっているとも、思っていないので、後半のトンデモ理論にはついていけない。右翼の人がでている左翼プロパガンダ映画だと思えばよいと思う
衝撃のスタッフロールを見逃すな
爆笑ポイントが2つ、1つはラスボスの正体、まさか、あのじいさんがあ。もう1つはスタッフロールに次々現れる朝鮮系と思われるローマ字の名前。これの実質はどこの国の映画?なんで米国人の映画みたいにしてるの?テーマは良いのだから、もっときちんと作ってほしいなあ
とんでもないものを見た
当初は言葉のボクシング的なものを想像していた。
慰安婦問題自体の知識の浅さもあり、日本も韓国もわーわー言ってるんだろうなあと面白半分で見に行った自分を反省した。
これからの生き方すらも考えさせられるとんでもない映画を私は見た気がする。
女性とは、日本人とは、、、
慰安婦問題と今、日本で問題になっている女性の性的な弱さについてもリンクして考えた。
そして政治。
とてつもなく怖くなる。
無知ということの恐ろしさ。
令和という新しい時代をどう生きていくか
ここから考えようと思いました。
「現代の日本」を記録したドキュメンタリー
各地のミニシアターで連日満員になっている話題作。
ゴールデンウィークということもあってか、名古屋シネマテークでも立ち見が出た。
歴史修正主義者側のインタビューに始まって、整理された論点を踏まえながら映画は進んでいく。
最後にミキ・デザキ監督が観客に問いかける問題に行きつく終盤の流れは、映画中盤までの流れに比して、やや性急な印象は受けるものの、日本人が真剣に考えなければならない「今」を暴き出している。
インタビューを受けた歴史修正主義者が「騙されてインタビューを受けた」などと泣き言を言っているが、この映画を見れば「騙された」などという逃げ口上が無意味であることは明らかである。
立場の左右を問わず、見るべき映画であろう。
もう一歩かな
議論のとっかかりとしては悪くないと思いました。
ただ膨大な情報量に対して、やはり約2時間という時間が足りない。
その結論はちょっと拙速じゃないの?というツッコミどころも
数多くありましたので、
ぜひ6時間くらいかけて、
要所要所で映像を止めながら、この映画を検証する
そんな討論番組を作っていただきたいと思いました。
この映画を踏まえた上で
出演者した皆さんもいろいろ言いたいことがあると思いますので…
個人の作った映画ですので
多少右や左に寄ってしまうのはしょうがないかもしれませんが、
比較的バランスは取れているのではないでしょうか。
内容的には日本人にも韓国人にもアメリカ人にも耳の痛い話が入っていてよかったです。
驚いたことに観客の半分は外人でした。アメリカ人に見せたくて作った映画なのかな、という感じです。
思ったこととして
・何が本当で何が後から作られた嘘なのかがはっきりしないと態度を決められないので、それぞれの項目についてもうちょっと深く調べてみたいという気にさせてもらいました。
・日韓請求権協定 以外の政府や個人が元慰安婦に支出した補償について一切触れられていなかったように思ったが気のせいかな
・前半での元慰安婦へのインタビューの時にセンチメンタルなBGMが流れて逆に安っぽさや偏向を感じました。
・最近の徴用工もそうですが、子孫とか親類とかが補償を請求してネズミ講的に広がり、ハードルを上げていくのは意味不明です。日本人収容所に対するアメリカの謝罪を引き合いに出してましたが、アメリカは親類縁者まで補償したのでしょうか。
・挺対協が出てきましたが、北朝鮮の話が一切出てこなかったのは意外でした。極東アジアの力学を語るのに大変な片手落ちではないかな?日韓の和解は困るのでわざわざハードルを上げたり、ゴールを動かしている人たちの話にあえて触れていないですね。中高生に行われている反日教育の話にも触れていないですね。なにか意図があるのでしょうか。日本対中国のフレームワークに持ち込みたいのかな
・朝鮮戦争の時の慰安所を日本の将兵が作ったというのは間違いだと思います。太平洋戦争は終わっていたのだから、元日本兵だったかもしれないけど韓国人が作った、ということになるかと。韓国人へのインタビューで「帝国の慰安婦」の内容は吐き気がして読めなかった、とか…日本側の恥部への切り込みは核心に触れる鋭いものでしたが、まだまだ韓国側への切り込みは甘い内容だと思いました。
・慰安婦像を普遍的な「平和の像」にしたいのなら、日本軍とか20万人とか、特定の団体や根拠不明なデータの碑文をつけることに疑問を感じます。彼女らは近代の朝鮮半島における貧困、女性の人権レベルの低さ、家長家族制度の被害者でもあり、碑文をつけるならそれも含めるべきです。今でも発展途上国ではありうる話だと思いますので。あと韓国側にも反省する力があるならサンフランシスコの3人の慰安婦像を4人にして一人はベトナム人にすべきかと。碑文にも記載すべきです。日本人が怒っているのは戦時女性への暴力被害反対のコンセプトでなく、碑文が不正確で一方的だからです。
・靖国参拝とアメリカ大統領によるアーリントン墓地参拝の違いがこじつけに感じました。あとの改憲までの論理展開が強引すぎかと、おかげさまで改憲支持者の話も聞いてみたくなりました。
・靖国のことを語るなら合祀のことも慰安婦問題と関連して切り込んでもらいたかったです。
・右派の人たちの不適切な発言を編集であえて切り取って際立たせている感じがしました。唐突に彼らがあのようなことを言うとは考えにくいので、インタビュアーが相当、鎌をかけた、つまり、あおったのでしょうか。一学生が卒業制作の映像だと言ってインタビューしたらしいので、公開されると知っていたら、もっと責任ある発言をしたでしょうね。勝手に公開された人たちは気の毒かな。韓国でインタビューするときにも一学生の卒業制作と言ったのでしょうか。
・といっても、韓国側の誤謬にもある程度深く切り込んでいただいたことで、慰安婦問題に対する理解が一気に深くなりました。ただ一つ一つの資料に対する結論が拙速すぎるので、さらにそれぞれの資料に対しての検証を行う必要性を感じました。このままで終わってはいけない問題だと思います。
・議論のとっかかりとしては、立場にかかわらず見る価値のある作品であるとは思いました。そもそもこれまでこういう、議論のとっかかりとなるプラットフォームさえ、なかったのだと思いますので。せっかく始まった議論の場ですから大事にしていただいて、
次はこの映画の内容に思うところある人たちが、その誤謬と思われるところをを突く番かと。
まあ、そんなところでしょうか。なかなか最後まで楽しませてもらいました。上映後外人がしきりに拍手してましたが、そんなんでいいんかい、まあ、当事者じゃないからな、と感じました。
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