主戦場のレビュー・感想・評価
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sexist
作品を鑑賞して真っ先に思った事は「右派はどうしてそんなに日本を美化するのだろうか?(したいのだろうか?)」という本当に素朴な疑問です。そして更に疑問なのは、美しい日本を訴えているにも関わらず右派が一様に軍隊を持って戦争をしたがっているところです。戦争は人が殺し殺され、侵し侵され、略奪し略奪され、国が廃墟になります。人間は手足がなくなり、頭が吹っ飛び、大火傷を負います。つまり、軍隊や戦争は「美しさ」とは正反対です。特攻隊などを美しく描いた本や映画がありますが、あれは妄想あるいは嘘です。
慰安婦や南京大虐殺がなかったという歴史であれば、これから先に戦争を始めて日本人の身体が吹っ飛びまくっても日本は美しいのか。戦後74年間戦争を一度もしていない日本とはみっともない国なのか。ただ単に彼らは過去の戦争を美化して戦争中は言うほど酷くなかったとして、これから先戦争を簡単にできるようにしたいだけなのだと思います。今作に登場した右派の中で戦争を経験した人間はどれだけいるのでしょうか?
私は戦争がいかに残酷かは分かりますが、慰安婦についての知識が今作を鑑賞するまでほとんどありませんでした。「慰安」とは「心を慰め、労を労うこと。また、そのような事柄」。曖昧な言葉で表現されていますが、慰安婦とは要するに軍人を慰める為にセックスをする女性のことか。言葉が慰めてくれる女性というところもピンとこない理由かも。慰めてくれる、か。
官憲が家に押し入って、人さらいのごとく連れて行ってないから強制連行はなかった(安倍晋三)。彼女達は性奴隷ではなく売春婦だった。監禁されたわけじゃない(ケント・ギルバート)。女性達を無理矢理連れてきた訳でもないし、むしろ彼女達は売春でお金を得て貯金もしていた。彼女達のブローカーは朝鮮人だった。 国際法上の奴隷の定義なんて知らない。元慰安婦が騒ぎすぎてるだけなのだから、日本と日本軍に罪はない。右派の意見をまとめるとこんな感じだと思います。
どこかで聞いた事がある言い草だなあと思ったら、現代の日本女性に対する扱いや発言とそっくりではないですか!娘をレイプした父親が無罪判決になる社会。痴漢が多いから女性専用車両を作らざるを得ない社会。その女性専用車両は男性差別であるとのたまう奴等。派手な服装をしている彼女が悪い、ブスは痴漢されないetc...
「フェミニズムを始めたのはブサイクな人たちなんですよ。ようするに誰にも相手されないような女性。心も汚い、見た目も汚い。こういう人たちなんですよ」作品の中の藤木俊一氏の発言は、驚愕の妄想に満ちていました。彼らの寝底に巣食うのは、女性蔑視と女性に対する一方的な妄想です。この人が女性の外見を上から目線で批評できる側にいると思ってるのも笑ってしまいますが、彼に女性を語る資格はありません。こんな女性蔑視な人なんて、現代女性は絶対に嫌うと思いますよ。
主戦場を鑑賞して一番に思った事は、あらゆる差別の根本に女性差別があるということです。そしてハルモニだけではなく、あらゆる国で差別に対して声を上げている女性を支持しない理由は私にはありません。
最後に、どうして杉田水脈みたいなレイシストが増えてきたのでしょう。もちろん、戦争体験者が居なくなってきている事も要因の一つだと思います。しかし、日本が経済的にも社会的にも余裕をなくし、その一つの現象として炭鉱のカナリアさながら、レイシストが増えてきていることも考えられるのではないでしょうか。また、セクシストに男性が多いのは男性が女性を脅威だと感じているからなのではないでしょうか。経済的に落ち目の日本ですが、それよりもレイシストやセクシストが主張していることを聞いている時の方が日本の凋落を強く感じてしまいます。しかも日本のトップはネトウヨです。世界は変化してきているのに日本の取り残され感がハンパなくて、それに他文化や他者を理解しようとせずにいるところ、国連の人権理事会から人権状況を勧告されるまでに落ちぶれてしまったところ、私はそれが凄く悲しいです。
ネトウヨに絡まれた日系アメリカ人のユーチューバーが、ネトウヨリーダーの著名人にインタビューしていった結果?
きっかけは日系アメリカ人のYouTuberがネトウヨに絡まれた事がきっかけで、著名なネトウヨビジネスマンやリーディングリビジョン(歴史修正主義の指導者)と言われる人達を 慰安婦をテーマにしてインタビューして行った結果は?って話なんだが
ネトウヨの信じ込んでいるデマを検証のために著名人交えてこちらもインタビュー方式で聞いていく
オチは何年か前にバラされてる
ネトウヨを誘導する人達と日本政府 含めてその裏に?って話なんだが、これがフィクションではなく現実というのが 笑える構成になってるが全く笑えない
構成もテンポもよく、場内には時折 乾いた笑いが巻き起こっていた
世界観を試される
とにかく言葉、言葉、言葉。言葉が洪水のように押し寄せてくる作品である。立場で物を言う人、ハッタリをかます人、自己弁護に終始する人、事実を検証しようとする人、寄せ集めの情報で人を騙そうとする人など、様々である。この映画を理解するには映画と同じレベルで考えるのではなく、一段高いところから、世界と人類を考えなければならない。
ある種の教条を絶対として信じる人は、他人がそれを否定するのが我慢ならない。たとえば「親に向かってその口の利き方はなんだ!」と怒る人は、子供は親を敬い従わなければならないと思いこんでいる。「誰に向かって口を利いている」とか「俺を誰だと思っている」などと怒鳴る人も同じである。なべて封建主義的である。
スポーツの指導者にもそういうタイプが多い。スポーツの動機は大雑把に二つに分けられる。世界を目指す人と、楽しみや健康のためにやる人だ。前者にとっては熱血指導はありがたいだろうが、後者には迷惑極まりない。
人が熱血指導者になってしまうのは、一元論的な考え方に陥るからである。目的は金メダルだと勝手に決めてしまう。それ以外の行為はすべて無駄な行為だと切り捨てる。自分がこの分野である程度成功したから同じやり方をすべきだと強制する。個々の事情や個性など一顧だにしない。もはやファシズムである。
実はスポーツのそういった精神性は政治的な全体主義の精神性とまったく同じなのである。チーム一丸となって敵を倒す。多様性は認められず、個性は長所ではなく和を乱すとして排除される。熱血指導者の横暴もみんなが受け入れてしまえば暴力さえも許される。どうしてそうなるかと言えば、従うほうが楽だからである。
反対の声を上げて組織や共同体を非難し批判するのは美しくない行為だとされ、協調性がない、身勝手だと悪い評価を受ける。承認欲求は他者からの高評価を期待すると同時に低評価を避けたいものだから、人はパラダイムに従ってしまう傾向がある。村八分にされたくないから仲間についていく。サッカーファンでもないのに渋谷に集まって馬鹿騒ぎしている若者たちの中にも、やむを得ず参加し、やむを得ず楽しそうにしている人がいると思う。大抵の場合は中心になるのは知能レベルが低い暴力的な人物で、仲間にも馬鹿騒ぎを強制し、場合によってはノリが悪いと言って殴ったり仲間はずれにする。知能が高いほど弱気になるので、利口が馬鹿に従う図式になる。
そして軍隊という組織は、渋谷で馬鹿騒ぎする若者たちと同じような精神性の組織なのである。大戦時の日本では、日本中が同じような状態になった。例によって知能が低くて気が強いだけの暴力的な人物が日本を牽引し、ノリが悪い人間は非国民とされて迫害され、時には官憲に引っ張られて拷問を受け処刑された。戦時下のパラダイムは実に恐ろしい。それに反抗できなかったからといって責めるのは可哀想ではあるが、それでも日本人は軍部に反抗しなければならかなったと思う。
国家とは吉本隆明が言うように人々の共同幻想である。領土、領海、領空、国旗、国歌、そして国民などが国家とされる。民族は客観的な区別の対象だが、国民は他の国家との相関関係と手続きによって決められる。白人でも黒人でも日本国民はいるだろう。
我々が中国と言うときに、何を以て中国と呼ぶのかは実に様々である。しかし「中国人は」と言うときの中国人は話者独自のイメージの中国人であって、中国人全体を指すのではない。
「日本人は日本語を話す」は誰が聞いてもその通りだと思うが、「日本人は金の亡者だ」という言葉は正確ではない。たしかに金の亡者みたいな日本人もいるかも知れないが、日本人すべてが金の亡者ではない。
そんなことは解っていると思うかもしれないが、主語を変えて「中国人は金の亡者だ」と平気で言う人がいたとして、聞いた誰もが正しい反論ができるだろうか。中にはその通りだと思う人がいるかもしれない。そこに共同体に精神的に依存することの恐ろしさがある。
慰安婦も南京大虐殺も覆しようのない歴史の事実だ。アメリカ大統領がヒロシマ、ナガサキはなかったと言ったら日本の世論は確実に沸騰するだろう。戦争を仕掛けた日本ですらそうなのだ。勝手な侵略を受けた朝鮮が、慰安婦などなかったという日本の総理大臣の言葉に激怒するのは当然である。
韓国人が日本は謝罪しろというとき、謝罪する主体は誰なのだろうか。韓国国会の議長は天皇が謝罪すればいいと言って物議を醸した。平成天皇は昭和天皇の遺した負の遺産のために日本軍が被害を齎した地域を謝罪して回ったくらいだから、明仁上皇本人は韓国に行って謝罪することも辞さなかっただろう。今上天皇も同じ路線だから、謝罪するのは吝かではないはずだ。そうさせない勢力は慰安婦がなかったと主張している勢力にほぼ等しい。
ただ日本にいる朝鮮人や韓国人から直接、お前は謝罪しろと言われても困る。個人としては第二次大戦に加担してもいないし、そもそもそんな昔にこの世にいなかった。さらに言えば、日本という共同体にたまたま生を受けただけで、共同体の責任を個人が背負わなければならない義務はない。また、戦後生まれの朝鮮人や韓国人は、たまたまその共同体に生まれただけだから、共同体が過去に被った被害について日本に謝罪を要求することもできない。そのあたりの簡単な理屈が共同体に精神的に依存している人間にはどうしても理解できないのだ。そして共同体に精神的に依存している人間は、人類の多くの割合を占めると思われる。
我々はどれだけ共同体から自由になれるのか、パラダイムにとらわれることなく、孤立を恐れず孤独に耐えられるか、そしてその上で、どれだけ他人に対して寛容になれるのか。この地球上に生きるひとりの人間として、世界観と覚悟を試される作品であった。
見るべき点はあるが、内容は偏向的
この映画の最大の問題点は、「歴史」についての取り扱い方であろう。そもそも「歴史修正主義」という言葉自体が曲者だ。この言葉の背後には「正しい歴史観があって、その歴史を歪曲する営為がある」という考え方がある。しかし、「正しい歴史(観)」なるものはそもそも存在しない。そして、「歴史」はその都度「修正」されるべきことは、「歴史学」では「常識」である。なぜなら、新たなる歴史的資料や証言、考古学的な発見や自然科学的な研究方法を取り入れることにより、それまでの「歴史観」を改訂しなけらばならないことは多々あるからである。「歴史研究」を政治家や社会運動家にゆがめられてはならない。
この映画では、学者さんたちはいわゆる「左派」の系譜と思われる人たちしか登場しないこと自体が、偏向的ではある。私自身は、真実の歴史というものは、いわゆる「左派」と「右派」の歴史観を足して2で割ったところにあると思う。ナショナリズムに固執して歴史を構築することはもちろんのこと、「人権思想」の固執して、歴史を構築することもまた誤りである。歴史事象は様々な顔を持ち、複雑な様相を帯びている。「左派」が、被害の現実を針小棒大に語るのは、「右派」の偽りと同様に大いに糾弾すべきことであり、この映画の作者のように、「大目に見る」ような態度であってはならない。「人権思想家」には、こうしたことにおいて非誠実な人間が少なくない。また、歴史観から言えば、「推定」と「(ほぼ)確実」なる事実は厳密に分けられなければならない。忘れられているのは、「歴史学」も科学である、ということだ。自然科学における「捏造」ある意味発覚しやすいが、「歴史学」においては、そのチェックが緩いように思える、なぜなら、多くの自然科学と異なり、「歴史学」は実用性という点では有意味ではない。しかし、いわゆる「慰安婦」の問題でも、政治的に歪曲して用いられている。これは、「左派」であれ、「右派」であれ、同罪である。
この映画の作者は、明らかに、一つの政治的立場で語っている。そういう意味では、メッセージは明確だ。アメリカンデモクラシーの伝道者である、ということは間違いない。私自身は、無論のこと「全体主義」者ではないが、「人権思想」には大いに疑いを持っている立場ゆえ、この映画の主旨には賛同しない。「人権思想」は、その実、「暴力」の火種となりうる。「法的」は観点とは、実際には多様であって、結局のところ、各法学者のよって立つ立場に左右される。そういう意味では、この映画が提示する法的解決も、客観的な証拠ありき、ではなく、「人権思想」に濃く彩られている。
現実世界は「人権思想」だけで彩られているわけではなく、様々な様相を持っている。そうした現実の中で最大限の誠実、正義を体現するためには、「人権思想」がかえってその枷となりうる、ということは、よくよく心に留めておくべきと思う。この問題に対して、かつての日本国家の関与があったか否かは、目下のところ「分からない」のが実情であるが、実際に「苦しい目に合された」人たちが存在することも確かではある。そうした方々の救済法は、必ずしも国家賠償によるものではくとも良いように思える。そして、いわゆる「慰安婦」と言われている人たちの中でも、国家的な次元での賠償を求めに人たちも一定多数存在する、とも聞く。国家賠償固執すること自体が、「民族的怨念」あるいは、一定の「人権思想」に立った人たちの硬直的な思考によるのであって、それを絶対視すること自体が問題ではないか。というよりもむしろ、その背後に一定の硬直した(根拠が明確ではない)「歴史観」が問題なのである。くどいようだが、「歴史学」は科学である。一定の立場からそれをゆがめてはならない。
私自身、「右派」連中にも言いたいことは多々あるが、この映画ではほぼ一方的に「右派」(「右派」というよりは、超「右派」と表現した方が良い)の方を糾弾しているので、ここでは差し控えさせていただいた。
もう考えるのも
言論インフィニティウォー
慰安婦問題に関心を持ったことすらなかった私でも面白い。
今世紀最高のドキュメンタリー
複数の視点から歴史問題を分析、考察した傑作。人々に娯楽や夢を届けるだけではない、映画のあるべき姿を体現した作品です。
慰安婦問題について真剣に向き合っている日本国民が果たしてどれほどいるんでしょうか。
自国の新聞やニュース、学校の教科書を見聞きするだけでは十分ではない。そんなことをわかっていながらも、実際に違った視点から問題を見つめ直すということをしなかった、我々の眠りつつあった頭を目覚めさせてくれます。
本作で描かれている事が全て正しいとは限りません。だって、どんなに客観的に描くという形を取っていても、映画として編集されている限り鵜呑みにはできませんよね。
映画の影響力は強大です。その強大な力を持っているが故に、プロパガンダや情報操作に使われる事もあります…
しかしながら本作はその強大なる力を、隠れた事実を届けるという形で体現してくれました。事実を見つめ直す、そんな姿勢が大切なんです。
もっとも、造り手のミスリーディングには注意したいものの、この映画を観て認識を見つめ直す人が増えたら、とっても素晴らしいことですね。
主題は慰安婦問題だけではない。
もー1回観てもわかるかな
映画とネット情報を融合させてみました
このドキュメンタリー映画はかなりスゴイです。
ある程度政治を知っている方は知っている内容もあるかもしれませんし、自分もかなり知っているつもりでした。
しかし、私が知っていた人物は、パンフレットに載っている27名のうち、
杉田水脈(自民党議員)
ケント・ギルバート(弁護士、タレント)
櫻井よしこ(ジャーナリスト)
中野晃一(政治学者)
植村隆(元朝日新聞記者)
小林節(憲法学者)
のたった6名だけでしたw
団体として日本会議や新しい歴史教科書をつくる会は知っているのですが、その役員たちの顔を見ながらトンデモ発言を聴くことができたのは初めてでした。
それくらいInformativeなドキュメンタリー映画です。
中でも衝撃を受けたのが“元”歴史修正主義者で日系女性のH氏の告発です。
彼女自体、この映画のパンフレットに載っていないのでウヨク論客たちにも衝撃だったようで早速歴史修正主義者たちのネット上でのバッシングがすさまじい状況です。
しかしながら、H氏の告発はあまりにも生々しく、櫻井よしこ氏が「そのことに関しては話したくありません」と目が泳ぎまくってるのが印象的でした。
映画のネタバレ部分ではないので、このH氏を巻き込んでいた状況を調べてみました。
このH氏は過去に歴史修正主義者たちの“メンバー”であったため、この映画に出演する論客たちは彼女と接点がある人たちがほとんどです。
そして当然のこととして彼女を裏切り者としてバッシングを始めています。
(森友学園の籠池氏も同様ですが、右派グループの仲間割れがここでも起きておりました。)
スタートとして、歴史修正主義者たちはアメリカ人を味方に付けて慰安婦問題を否定しようと試みていたようです。
この右派グループ仲間割れ事件として登場する人物・団体は、
H氏(日系女子・元歴史修正主義者)
櫻井よしこ氏
マイケル・ヨン氏(アメリカのフリージャーナリスト)
谷山雄二朗氏(慰安婦否定ドキュメンタリー映画を作成した帰国子女)
花田紀凱氏(月刊Hanada編集長)
産経新聞
などです。(もっと絡んでる方々がいますが。)
映画ではマイケル・ヨン氏の名前は出てきませんが、歴史修正主義者たちは自分たちに都合の良いデータを出すよう、H氏と櫻井よしこ氏がこのマイケル・ヨン氏に法外な調査費を支払ったというものである。
そして、マイケル・ヨン氏が「調査の結果、日本軍の強制連行などという事実は全く存在しなかった」という予定通りの結果を産経新聞が大々的に掲載。
(いつもの右派と三流産経の茶番工作です。)
しかしながら、ここで仲間割れがスタート。
櫻井よしこ氏は更に谷山雄二朗氏という帰国子女を活用してアメリカに慰安婦問題否定論を広めようとした。
しかしながら、マイケル・ヨン氏はこの谷山雄二朗という帰国子女の青二才が大嫌いだった。
マイケル・ヨン氏「櫻井女史が自民党本部での会議を終えた後、私は自民党本部のそばのカフェに彼女を誘って、どんなことがあっても谷山雄二朗の映画をプロモートすべきでないと注意を促した。」
そしてこの谷山を宣伝しようとする櫻井、花田などと分裂が始まり、現在の泥沼に至り、「もうお前たちを手伝わない!」と決別しています。
(全てマイケル・ヨン氏のブログなどに全て書かれています。)
マイケル・ヨン氏の「手伝う」とは何を意味するのでしょうか?
「櫻井女史が自民党本部で会議を終えた後」???
この慰安婦問題は、自民党、櫻井女史、マイケル・ヨン氏、産経新聞、すべて繋がっていた工作だったということでしょうか?
要するに、汚れたカネを使って歴史修正主義者たちにとって都合の良い調査結果を流布するようにマイケル・ヨン氏に依頼したということですよね。
世界的世論を捏造・操作しようとしたのは歴史修正主義者たちだったというオチです。
吉田清治を調査するのが甘かった朝日新聞を散々叩いた歴史修正主義者と産経新聞と自民党。
その歴史修正主義者と産経新聞こそが汚れたカネ使って“意図的”に捏造し、世界を騙したという事実。
そして、第2次安倍政権後、学校教科書から慰安婦問題を一斉削除しました。
これこそ日本のメディアに大きく取り上げられるべきスキャンダルなのではないでしょうか。
ロジカルでミステリアスで面白い、必見のドキュメンタリー
構成にも編集にも懲りまくった渾身のドキュメンタリー。修正主義者やナショナリストたちが嬉々として語る事柄を知的にロジカルに論破していく痛快劇。しかし同時に、反知性で論理が通用しない者どもにとっては論破されることなど無意味で、すでに影響力の大きさでは知性やロジックでは太刀打ちできない現状の絶望までも描く。日本人全員必見。 https://www.movieboo.org/archives/27877/shusenjo
ニュートラルな論争を期待したが
衝撃のスタッフロールを見逃すな
とんでもないものを見た
「現代の日本」を記録したドキュメンタリー
各地のミニシアターで連日満員になっている話題作。
ゴールデンウィークということもあってか、名古屋シネマテークでも立ち見が出た。
歴史修正主義者側のインタビューに始まって、整理された論点を踏まえながら映画は進んでいく。
最後にミキ・デザキ監督が観客に問いかける問題に行きつく終盤の流れは、映画中盤までの流れに比して、やや性急な印象は受けるものの、日本人が真剣に考えなければならない「今」を暴き出している。
インタビューを受けた歴史修正主義者が「騙されてインタビューを受けた」などと泣き言を言っているが、この映画を見れば「騙された」などという逃げ口上が無意味であることは明らかである。
立場の左右を問わず、見るべき映画であろう。
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