主戦場のレビュー・感想・評価
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ドキュメンタリーとしては、よく出来てました。
戦前から変わらない歴史観を、飽きることなく持ち続けけ、侵略を覆い隠すことを、恥ずかしいと思わない人々が、数多く存在することを、改めて実感しました。しかし、日本政府なり右翼が、アメリカに対して、原爆投下を、一度でも公式に、抗議することがあったならば、些かなりとも気骨を感じたでしょうけれども、皆無。
耳をふさぎたくなる主張の応酬
確かに、言ってましたね!
日本は戦争でアメリカに勝った と。
オノヨーコさんのいとこだとかいうお方が。
慰安婦問題のよう些細なつまらないことになぜ興味があるのか?
とも言ってましたね。
慰安婦が、性奴隷か、そうでなく、自ら志願した、またはそうせざるを得なかった売春婦なのか、この議論に決着はつかないのかもしれない、しかし、そうせざるを得なかった歴史の被害者として、せめて本人が生きている間に、そうと認めて謝ることが、そんなに国家のこけんに係わることなのか?
そんなに、日本を 悪人などいない、嘘を決してつかない、「美しい国」と自画自賛したいのか?
優生保護法が悪法だったと認めることとどう違うのか?
多分、日本を美しい国と主張する人たちは、優生保護法を正しいと今も思っているのかもしれない。
では、天皇陛下のため、お国のために 特攻隊で若い命を散らせた人たちはどうなのか?
日本を美しい国と主張する人たちは、それもやはり 美しいことだった といいたいのかもしれない。
慰安婦の場合、被害者が女性だったから、つまらない、些細な、取るにたらない問題なのか?
女性をどこまで貶めれば、気がすむのか。
しかし、この映画は観て良かった。現政権を支える人たちの意見がよくわかった。
また、大国の思惑が今の日本を作りあげてきたこともよくわかった。
あとは、民主主義が尊重されているうちに、本当の良心をもった人を政治家に選ぶことであろう。
秀でたドキュメンタリー
ドキュメンタリー映画として秀作だと思います。たくさん調べて・・いろいろ語らせて、飽きさせない。今までの日本人監督にない才能。映画を見ての感想・・右サイドにいる方々が自信たっぷりに発言されているのですがどれも表面的で深く掘り下げていない意見に思えてしまいました。まして上映禁止を訴えるのは恥の上塗り。
結局、米国都合
最後まで、鑑賞しないで、途中退席しては、肝心なところ、
現在や未来にかかわる部分を見逃すことになります。
私が鑑賞した回でも、その前の回でも途中退席する人はいました。
「数字遊び」や「言葉遊び」には嫌気がさしますが、最後まで
鑑賞しましょう。
過去の出来事より、鑑賞することで、将来をどうするのかを考えて、
どう行動するかが重要です。
ショックを受けるかもしれませんが、最後まで鑑賞する覚悟で
鑑賞に臨んでください。
予備知識に不安がある人は、パンフレットを事前に購入し、
読んでおくと良いです。
私も、パンフレットを事前に購入し、読みました。
1941年10月18日~1943年10月8日まで、岸信介は、東條内閣で
商工大臣という重要閣僚を務め、極東国際軍事裁判ではA級戦犯
被疑者として3年半拘留されたが、不起訴のまま無罪放免されました。
B~C級戦犯者も不起訴のまま無罪放免されました。
米国が、日本の再軍事化を急ぐために、極東国際軍事裁判を途中で
止めたということです。
A~B~C級戦犯被疑者の子供や孫は、何食わぬ顔で生きているという
ことです。
これが、日本の慰安婦問題を含む戦後問題に関する諸悪の根源です。
A級戦犯被疑者の孫である安倍晋三は、現在日本の首相を務めています。
籾井勝人NHK会長は、「日本の立場を国際放送で明確に発信していく、
国際放送はそういうもの。政府が『右』と言っているのに我々が『左』
と言うわけにはいかない」と答えています。
NHK政治部記者兼解説委員の岩田明子は、「取材、報道をする上で
最も重要視している事は何か」と尋ねられて、「国益にかなうこと」
と答えています。
政府の広報に成り下がったNHKが、どのように活動しているのかも確認
できます。
「新聞記者」の予告編も上映されていましたが、「主戦場」と一緒に
鑑賞すると理解が深まると思いました。
「新聞記者」も鑑賞することに決めました。
年表を作成してみました。
2012年9月26日、安倍晋三が自由民主党総裁選挙で総裁に選ばれました。
2012年12月16日、第46回衆議院議員総選挙で自民党が圧勝しました。
2012年12月26日、安倍晋三が第96代内閣総理大臣になりました。
2013年7月21日、第23回参議院議員通常選挙で、政権与党の自民・公明両党が
合わせて過半数を超える議席を獲得しました。
2015年7月16日、委員会で強行採決された「戦争法」は、衆議院本会議で
採決され、自民党と公明党などの賛成により可決されました。
2015年9月8日、安倍晋三が任期満了による自由民主党総裁選挙で
候補者1人のため無投票再選しました。
2015年9月19日、委員会で強行採決された「戦争法」は、参議院本会議で
採決がされ、自民党と公明党などの賛成多数により可決し、成立しました。
2015年9月30日、「戦争法」は公布されました。
2016年7月10日、第24回参議院議員通常選挙では、自民党と公明党は
前回を上回る議席を獲得しました。
2017年5月19日、委員会で強行採決された「共謀罪」は、
衆院本会議で採決され、自民党と公明党などの賛成多数により可決しました。
2017年6月15日、委員会で強行採決された「共謀罪」は、参議院本会議で
採決がされ、自民党と公明党などの賛成多数により可決し、成立しました。
2017年10月22日、第48回衆議院議員総選挙では、自民党は291議席、
公明党は35議席を獲得し、合わせて議席数の3分の2以上を獲得しました。
2018年5月31日、委員会で強行採決された「働き方改革関連法」は、
衆院本会議で採決され、自民党と公明党などの賛成多数により可決しました。
2018年6月19日、委員会で強行採決された「カジノ法」を衆議院本会議で、
採決され、自民党と公明党などの賛成多数により可決しました。
2018年6月29日、委員会で強行採決された「働き方改革関連法」は、
参院本会議で採決され、自民党と公明党などの賛成多数により可決し、
成立しました。
2018年7月18日、委員会で強行採決された「参院定数6増法」は、
衆院本会議で採決され、自民党と公明党などの賛成多数により可決しました。
2018年7月20日、委員会で強行採決された「カジノ法」は、参議院本会議で
採決され、自民党と公明党などの賛成多数で可決し、成立しました。
2018年7月27日、「カジノ法」が公布され、3年以内に施行されます。
2018年11月28日、委員会で強行採決された「移民法」は、衆議院本会議で
採決され、自民党と公明党などの賛成多数により可決しました。
2018年12月5日、委員会で強行採決された「水道民営化法」は、
参議院本会議で採決され、自民党と公明党などの賛成多数により可決しました。
2018年12月6日、委員会で強行採決された「水道民営化法」は、
衆議院本会議で採決され、自民党と公明党などの賛成多数により可決しました。
2018年12月8日、委員会で強行採決された「移民法」は、参議院本会議で
採決され、自民党と公明党などの賛成多数により可決しました。
2018年12月12日、「水道民営化法」は、施行されました。
2019年4月1日、「働き方改革関連法」は施行されました。
2019年6月3日、金融庁が「人生100年時代を見据えた資産形成を促す報告書」
を発表し、老後に2000万円もの資産が必要であると報告しました。
2019年7月21日、第25回参議院議員通常選挙が「参院定数6増法」で実施されます。
よかった
主張の裏にはそれぞれの事情があって、言葉の表面だけでは理解できないことが語られる。韓国は外国にあんな暗い銅像を建てて顰蹙を買うことを想定しないのかなと思っている。慰安婦問題は全体的に言葉が汚いので、現実に苦労された人には申し訳ないのだけど、あまり関心を持ちたくない。この映画で、問題に反対だと安倍晋三に賛成にされてしまうような感じなので、あんまり賛成できない。実際に苦しんだ人に対しての配慮が重視されていた。
sexist
作品を鑑賞して真っ先に思った事は「右派はどうしてそんなに日本を美化するのだろうか?(したいのだろうか?)」という本当に素朴な疑問です。そして更に疑問なのは、美しい日本を訴えているにも関わらず右派が一様に軍隊を持って戦争をしたがっているところです。戦争は人が殺し殺され、侵し侵され、略奪し略奪され、国が廃墟になります。人間は手足がなくなり、頭が吹っ飛び、大火傷を負います。つまり、軍隊や戦争は「美しさ」とは正反対です。特攻隊などを美しく描いた本や映画がありますが、あれは妄想あるいは嘘です。
慰安婦や南京大虐殺がなかったという歴史であれば、これから先に戦争を始めて日本人の身体が吹っ飛びまくっても日本は美しいのか。戦後74年間戦争を一度もしていない日本とはみっともない国なのか。ただ単に彼らは過去の戦争を美化して戦争中は言うほど酷くなかったとして、これから先戦争を簡単にできるようにしたいだけなのだと思います。今作に登場した右派の中で戦争を経験した人間はどれだけいるのでしょうか?
私は戦争がいかに残酷かは分かりますが、慰安婦についての知識が今作を鑑賞するまでほとんどありませんでした。「慰安」とは「心を慰め、労を労うこと。また、そのような事柄」。曖昧な言葉で表現されていますが、慰安婦とは要するに軍人を慰める為にセックスをする女性のことか。言葉が慰めてくれる女性というところもピンとこない理由かも。慰めてくれる、か。
官憲が家に押し入って、人さらいのごとく連れて行ってないから強制連行はなかった(安倍晋三)。彼女達は性奴隷ではなく売春婦だった。監禁されたわけじゃない(ケント・ギルバート)。女性達を無理矢理連れてきた訳でもないし、むしろ彼女達は売春でお金を得て貯金もしていた。彼女達のブローカーは朝鮮人だった。 国際法上の奴隷の定義なんて知らない。元慰安婦が騒ぎすぎてるだけなのだから、日本と日本軍に罪はない。右派の意見をまとめるとこんな感じだと思います。
どこかで聞いた事がある言い草だなあと思ったら、現代の日本女性に対する扱いや発言とそっくりではないですか!娘をレイプした父親が無罪判決になる社会。痴漢が多いから女性専用車両を作らざるを得ない社会。その女性専用車両は男性差別であるとのたまう奴等。派手な服装をしている彼女が悪い、ブスは痴漢されないetc...
「フェミニズムを始めたのはブサイクな人たちなんですよ。ようするに誰にも相手されないような女性。心も汚い、見た目も汚い。こういう人たちなんですよ」作品の中の藤木俊一氏の発言は、驚愕の妄想に満ちていました。彼らの寝底に巣食うのは、女性蔑視と女性に対する一方的な妄想です。この人が女性の外見を上から目線で批評できる側にいると思ってるのも笑ってしまいますが、彼に女性を語る資格はありません。こんな女性蔑視な人なんて、現代女性は絶対に嫌うと思いますよ。
主戦場を鑑賞して一番に思った事は、あらゆる差別の根本に女性差別があるということです。そしてハルモニだけではなく、あらゆる国で差別に対して声を上げている女性を支持しない理由は私にはありません。
最後に、どうして杉田水脈みたいなレイシストが増えてきたのでしょう。もちろん、戦争体験者が居なくなってきている事も要因の一つだと思います。しかし、日本が経済的にも社会的にも余裕をなくし、その一つの現象として炭鉱のカナリアさながら、レイシストが増えてきていることも考えられるのではないでしょうか。また、セクシストに男性が多いのは男性が女性を脅威だと感じているからなのではないでしょうか。経済的に落ち目の日本ですが、それよりもレイシストやセクシストが主張していることを聞いている時の方が日本の凋落を強く感じてしまいます。しかも日本のトップはネトウヨです。世界は変化してきているのに日本の取り残され感がハンパなくて、それに他文化や他者を理解しようとせずにいるところ、国連の人権理事会から人権状況を勧告されるまでに落ちぶれてしまったところ、私はそれが凄く悲しいです。
ネトウヨに絡まれた日系アメリカ人のユーチューバーが、ネトウヨリーダーの著名人にインタビューしていった結果?
きっかけは日系アメリカ人のYouTuberがネトウヨに絡まれた事がきっかけで、著名なネトウヨビジネスマンやリーディングリビジョン(歴史修正主義の指導者)と言われる人達を 慰安婦をテーマにしてインタビューして行った結果は?って話なんだが
ネトウヨの信じ込んでいるデマを検証のために著名人交えてこちらもインタビュー方式で聞いていく
オチは何年か前にバラされてる
ネトウヨを誘導する人達と日本政府 含めてその裏に?って話なんだが、これがフィクションではなく現実というのが 笑える構成になってるが全く笑えない
構成もテンポもよく、場内には時折 乾いた笑いが巻き起こっていた
世界観を試される
とにかく言葉、言葉、言葉。言葉が洪水のように押し寄せてくる作品である。立場で物を言う人、ハッタリをかます人、自己弁護に終始する人、事実を検証しようとする人、寄せ集めの情報で人を騙そうとする人など、様々である。この映画を理解するには映画と同じレベルで考えるのではなく、一段高いところから、世界と人類を考えなければならない。
ある種の教条を絶対として信じる人は、他人がそれを否定するのが我慢ならない。たとえば「親に向かってその口の利き方はなんだ!」と怒る人は、子供は親を敬い従わなければならないと思いこんでいる。「誰に向かって口を利いている」とか「俺を誰だと思っている」などと怒鳴る人も同じである。なべて封建主義的である。
スポーツの指導者にもそういうタイプが多い。スポーツの動機は大雑把に二つに分けられる。世界を目指す人と、楽しみや健康のためにやる人だ。前者にとっては熱血指導はありがたいだろうが、後者には迷惑極まりない。
人が熱血指導者になってしまうのは、一元論的な考え方に陥るからである。目的は金メダルだと勝手に決めてしまう。それ以外の行為はすべて無駄な行為だと切り捨てる。自分がこの分野である程度成功したから同じやり方をすべきだと強制する。個々の事情や個性など一顧だにしない。もはやファシズムである。
実はスポーツのそういった精神性は政治的な全体主義の精神性とまったく同じなのである。チーム一丸となって敵を倒す。多様性は認められず、個性は長所ではなく和を乱すとして排除される。熱血指導者の横暴もみんなが受け入れてしまえば暴力さえも許される。どうしてそうなるかと言えば、従うほうが楽だからである。
反対の声を上げて組織や共同体を非難し批判するのは美しくない行為だとされ、協調性がない、身勝手だと悪い評価を受ける。承認欲求は他者からの高評価を期待すると同時に低評価を避けたいものだから、人はパラダイムに従ってしまう傾向がある。村八分にされたくないから仲間についていく。サッカーファンでもないのに渋谷に集まって馬鹿騒ぎしている若者たちの中にも、やむを得ず参加し、やむを得ず楽しそうにしている人がいると思う。大抵の場合は中心になるのは知能レベルが低い暴力的な人物で、仲間にも馬鹿騒ぎを強制し、場合によってはノリが悪いと言って殴ったり仲間はずれにする。知能が高いほど弱気になるので、利口が馬鹿に従う図式になる。
そして軍隊という組織は、渋谷で馬鹿騒ぎする若者たちと同じような精神性の組織なのである。大戦時の日本では、日本中が同じような状態になった。例によって知能が低くて気が強いだけの暴力的な人物が日本を牽引し、ノリが悪い人間は非国民とされて迫害され、時には官憲に引っ張られて拷問を受け処刑された。戦時下のパラダイムは実に恐ろしい。それに反抗できなかったからといって責めるのは可哀想ではあるが、それでも日本人は軍部に反抗しなければならかなったと思う。
国家とは吉本隆明が言うように人々の共同幻想である。領土、領海、領空、国旗、国歌、そして国民などが国家とされる。民族は客観的な区別の対象だが、国民は他の国家との相関関係と手続きによって決められる。白人でも黒人でも日本国民はいるだろう。
我々が中国と言うときに、何を以て中国と呼ぶのかは実に様々である。しかし「中国人は」と言うときの中国人は話者独自のイメージの中国人であって、中国人全体を指すのではない。
「日本人は日本語を話す」は誰が聞いてもその通りだと思うが、「日本人は金の亡者だ」という言葉は正確ではない。たしかに金の亡者みたいな日本人もいるかも知れないが、日本人すべてが金の亡者ではない。
そんなことは解っていると思うかもしれないが、主語を変えて「中国人は金の亡者だ」と平気で言う人がいたとして、聞いた誰もが正しい反論ができるだろうか。中にはその通りだと思う人がいるかもしれない。そこに共同体に精神的に依存することの恐ろしさがある。
慰安婦も南京大虐殺も覆しようのない歴史の事実だ。アメリカ大統領がヒロシマ、ナガサキはなかったと言ったら日本の世論は確実に沸騰するだろう。戦争を仕掛けた日本ですらそうなのだ。勝手な侵略を受けた朝鮮が、慰安婦などなかったという日本の総理大臣の言葉に激怒するのは当然である。
韓国人が日本は謝罪しろというとき、謝罪する主体は誰なのだろうか。韓国国会の議長は天皇が謝罪すればいいと言って物議を醸した。平成天皇は昭和天皇の遺した負の遺産のために日本軍が被害を齎した地域を謝罪して回ったくらいだから、明仁上皇本人は韓国に行って謝罪することも辞さなかっただろう。今上天皇も同じ路線だから、謝罪するのは吝かではないはずだ。そうさせない勢力は慰安婦がなかったと主張している勢力にほぼ等しい。
ただ日本にいる朝鮮人や韓国人から直接、お前は謝罪しろと言われても困る。個人としては第二次大戦に加担してもいないし、そもそもそんな昔にこの世にいなかった。さらに言えば、日本という共同体にたまたま生を受けただけで、共同体の責任を個人が背負わなければならない義務はない。また、戦後生まれの朝鮮人や韓国人は、たまたまその共同体に生まれただけだから、共同体が過去に被った被害について日本に謝罪を要求することもできない。そのあたりの簡単な理屈が共同体に精神的に依存している人間にはどうしても理解できないのだ。そして共同体に精神的に依存している人間は、人類の多くの割合を占めると思われる。
我々はどれだけ共同体から自由になれるのか、パラダイムにとらわれることなく、孤立を恐れず孤独に耐えられるか、そしてその上で、どれだけ他人に対して寛容になれるのか。この地球上に生きるひとりの人間として、世界観と覚悟を試される作品であった。
見るべき点はあるが、内容は偏向的
この映画の最大の問題点は、「歴史」についての取り扱い方であろう。そもそも「歴史修正主義」という言葉自体が曲者だ。この言葉の背後には「正しい歴史観があって、その歴史を歪曲する営為がある」という考え方がある。しかし、「正しい歴史(観)」なるものはそもそも存在しない。そして、「歴史」はその都度「修正」されるべきことは、「歴史学」では「常識」である。なぜなら、新たなる歴史的資料や証言、考古学的な発見や自然科学的な研究方法を取り入れることにより、それまでの「歴史観」を改訂しなけらばならないことは多々あるからである。「歴史研究」を政治家や社会運動家にゆがめられてはならない。
この映画では、学者さんたちはいわゆる「左派」の系譜と思われる人たちしか登場しないこと自体が、偏向的ではある。私自身は、真実の歴史というものは、いわゆる「左派」と「右派」の歴史観を足して2で割ったところにあると思う。ナショナリズムに固執して歴史を構築することはもちろんのこと、「人権思想」の固執して、歴史を構築することもまた誤りである。歴史事象は様々な顔を持ち、複雑な様相を帯びている。「左派」が、被害の現実を針小棒大に語るのは、「右派」の偽りと同様に大いに糾弾すべきことであり、この映画の作者のように、「大目に見る」ような態度であってはならない。「人権思想家」には、こうしたことにおいて非誠実な人間が少なくない。また、歴史観から言えば、「推定」と「(ほぼ)確実」なる事実は厳密に分けられなければならない。忘れられているのは、「歴史学」も科学である、ということだ。自然科学における「捏造」ある意味発覚しやすいが、「歴史学」においては、そのチェックが緩いように思える、なぜなら、多くの自然科学と異なり、「歴史学」は実用性という点では有意味ではない。しかし、いわゆる「慰安婦」の問題でも、政治的に歪曲して用いられている。これは、「左派」であれ、「右派」であれ、同罪である。
この映画の作者は、明らかに、一つの政治的立場で語っている。そういう意味では、メッセージは明確だ。アメリカンデモクラシーの伝道者である、ということは間違いない。私自身は、無論のこと「全体主義」者ではないが、「人権思想」には大いに疑いを持っている立場ゆえ、この映画の主旨には賛同しない。「人権思想」は、その実、「暴力」の火種となりうる。「法的」は観点とは、実際には多様であって、結局のところ、各法学者のよって立つ立場に左右される。そういう意味では、この映画が提示する法的解決も、客観的な証拠ありき、ではなく、「人権思想」に濃く彩られている。
現実世界は「人権思想」だけで彩られているわけではなく、様々な様相を持っている。そうした現実の中で最大限の誠実、正義を体現するためには、「人権思想」がかえってその枷となりうる、ということは、よくよく心に留めておくべきと思う。この問題に対して、かつての日本国家の関与があったか否かは、目下のところ「分からない」のが実情であるが、実際に「苦しい目に合された」人たちが存在することも確かではある。そうした方々の救済法は、必ずしも国家賠償によるものではくとも良いように思える。そして、いわゆる「慰安婦」と言われている人たちの中でも、国家的な次元での賠償を求めに人たちも一定多数存在する、とも聞く。国家賠償固執すること自体が、「民族的怨念」あるいは、一定の「人権思想」に立った人たちの硬直的な思考によるのであって、それを絶対視すること自体が問題ではないか。というよりもむしろ、その背後に一定の硬直した(根拠が明確ではない)「歴史観」が問題なのである。くどいようだが、「歴史学」は科学である。一定の立場からそれをゆがめてはならない。
私自身、「右派」連中にも言いたいことは多々あるが、この映画ではほぼ一方的に「右派」(「右派」というよりは、超「右派」と表現した方が良い)の方を糾弾しているので、ここでは差し控えさせていただいた。
もう考えるのも
めんどくさくなりそうだったこの問題を、ストレートに取材の幅を広げて、対立点をどんどん炙り出しているのが痛快だった。
右派には詐欺師まがいのジャーナリストも暗躍している事や、政治との繋がりなど闇はまだまだ深い。
ただ、戦争、性暴力のない世界を望んでいる。
言論インフィニティウォー
従軍慰安婦問題を右と左と研究者に話を聞いたドキュメンタリー。
従軍慰安婦問題を本人達では無く論客だけで語る事で、今の日本の縮図が見られる。
重い話なのに間抜けな論客のおかげで笑えるけれど、それが国会議員だなんて。
自民党が左翼の息抜きに生贄として議員にしているとしか思えない。
最後の大ボスに笑っちゃうけど、笑えない今の現実を味わうために見るべき一本。
慰安婦問題に関心を持ったことすらなかった私でも面白い。
この映画のテーマに対して、そう簡単に是非を論じることはしたくないので点数としては3.5だが、慰安婦問題についてほとんど無知に等しい私にとっては、ストーリー展開は痛快で面白かった。それが恣意的なものであったり、プロパガンダだったとしても。
少なくとも「慰安婦」に対する理解の一助にはなる映画だったなと思う。
今世紀最高のドキュメンタリー
複数の視点から歴史問題を分析、考察した傑作。人々に娯楽や夢を届けるだけではない、映画のあるべき姿を体現した作品です。
慰安婦問題について真剣に向き合っている日本国民が果たしてどれほどいるんでしょうか。
自国の新聞やニュース、学校の教科書を見聞きするだけでは十分ではない。そんなことをわかっていながらも、実際に違った視点から問題を見つめ直すということをしなかった、我々の眠りつつあった頭を目覚めさせてくれます。
本作で描かれている事が全て正しいとは限りません。だって、どんなに客観的に描くという形を取っていても、映画として編集されている限り鵜呑みにはできませんよね。
映画の影響力は強大です。その強大な力を持っているが故に、プロパガンダや情報操作に使われる事もあります…
しかしながら本作はその強大なる力を、隠れた事実を届けるという形で体現してくれました。事実を見つめ直す、そんな姿勢が大切なんです。
この映画を観て認識を見つめ直す人が増えたら、とっても素晴らしいことですね。
蔑日プロパガンダ映画ですね
前半は保守論者のコメントを切り取った上で批判し「歴史修正主義」のレッテルを張るもの、後半は安倍政権への批判です。
要は「慰安婦問題は終わらない、日本人は永遠に罪を認め、謝罪し、賠償し続けろ」という映画。
この監督は過去にも「ライダイハンは日本の罪」などと発言していて、正直日系人ってのも怪しいモンです。
「大学院の卒業制作だ」と言って、一般公開することには触れずに保守系からのインタビューを取っていたようですね。
相手を信用させて切り取るのは、左派が「ドキュメンタリー」を語る時によく使う手口です。
お勧めはしませんが、リベラルの実態を知る上では参考になる映画かと思います。
主題は慰安婦問題だけではない。
アメリカの東アジア政策、特に対中国戦略において、慰安婦問題が関係しているとの主張があった。韓国と日本には、アメリカの同盟国として何としても連帯してもらう必要があるのだ。その意味においては、拉致問題と問題の本質が重なる。
主権国家間のきしみは、常にその国民の人生に不利益をもたらす。他方、人権という共通概念が、異なる国の人たちを連帯させる。
この映画の結末は確かに明るくない。でも、人類は間違いなく前進している。市民として何をすべきかを考えさせる優れた作品。
慰安婦問題は外交問題ではなく人権問題
ケントギルバートってメガネを顔から離して目を大きく見せてたタレントさん?って一瞬思ったけど、それはケントデリカットさんでしたね。デリカットさん、ごめん。
慰安婦問題は、まじめに勉強しないととは思っていたけど、誰の本をとか話を聞くといいのかわからなくて避けていました。ニュースも極力観ないようにして先入観を持たないようにしていました。なんとなく今の報道は信用できなくて。
できれば第三者的な人の解説が聞きたかったんです。
ちょっと距離がある視点から事実を包括的に調査しての概説を知りたかった。
そんな時に、いつものごとくシネマトゥデイの映画短評を眺めてたらばこの映画の短評をいくつか観まして、この主戦場がまさに求めていた第三者的な解説がなのでは?と思い、急遽見にいきました。みて良かったです。短評描いてくれた方々ありがとうございます。
わたしはずっと慰安婦問題は外交問題で国際問題で、人種差別とかそっちが根っこなんだと思っていました。
でも、未成年を含む女の子たちが無理やり性処理をさせられてたって事は、レイプなんですね。性犯罪なんですね。91年の#ME TOOなんだ。人種差別は遠からずだけど、女の子の人権の話だったんだ。性差別なんだ。2019年の人権問題と根っこは同じなんだ、と気づきました。
性犯罪の被害者を貶める行為をセカンドレイプと今はいいます。人権感覚の乏しい人がやりがちな行為ですが、国会とかでわたしはずっとセカンドレイプを見させられてたんだ。それを怒りもせず放っておいたんだと気づき、自分の無知を思い知りました。
そして最終的には現日本政権の(わたしにとっての)やばさが言語化されてわかってしまい、やばい、改憲絶対アカン!改憲派の反対派に投票しなあかん。たとえ政策が微妙でも改憲派の議席を減らすためににその敵を応援しないと!
NHK圧力に負けんなよ、とか、朝日新聞と慰安婦問題の話ついに概要がわかった(ニュース避けてたから…)、とか、テキサス親父のマネージャーの眉毛…とか。
慰安婦像はいろんなところに設置するべきなんや、過去の被害者を悼み、未来の被害者を生まないために。
全147件中、101~120件目を表示