「炙り出されたのは、右か左か。」主戦場 カラコシアスさんの映画レビュー(感想・評価)
炙り出されたのは、右か左か。
この映画は大学在学中にテザキ監督が収集したディベートの切り抜き動画である。
「切り抜き」という言葉を用いた通り、本来のディベートの流れを書き換える試みが行われ、結論はディベートとは全く無関係のところにたどり着かせようとしている。
ナレーションで、テザキ監督は保守=右の論客に対してはじめから「リビジョナリスト(歴史修正主義者)」という単語を使う。これは、右の論客に対する明確な敵意であり、無礼であり、差別的である。
そして、ディベートでは全力で左の論客の肩を持つ。右の論客が繰り出したであろう手厳しい反論は、すべて無かったことにしてしまったということが、いとも簡単に見抜けてしまう。
水田議員の発言など、なにも問題のない当たり前の発言だというのに、まるで悪の親玉みたいに聞こえる。印象操作がものすごいのだ。
右の論客は終始呆れたようにモノを言う。なぜか?簡単だ。
要は慰安婦問題について語り尽くされたことすらロクに知らずに、左の論客が攻めてくるのだ。人数こそ多いが、簡単に反撃が出来る。彼ら左の論客たちの学の無さに呆れているのだ。
そこを撮り、いかに右の論客が人をバカにしたかをアピールし、「リビジョナリストどもの本質を炙り出した!」などと騒いでいるのがこの映画だ。
呆れてモノもいえない。炙り出そうとして、自らの愚かさ、差別的な行為を余すことなく晒しているのだ。
誰のために?左の論客のために、である。
何でこんなバカなことをするのか?その答えは映画の後半にある。
日本はこんな差別的な右の論客たちと同じ思想に国家ぐるみで操られているのだ!!!というのが、テザキ監督が本当に伝えたかったことのようだ。
あ、慰安婦問題の話、どっかいったね。
結局なにを扱いたかったのか?慰安婦は自分の主張したいことを引っ張り出すための、召還用のいけにえカードみたいに使うのね?
監督を最低な差別主義者だと感じた。慰安婦の皆さんをダシにつかったのだから。
しかし左の思想の人はこれに気づかない。右の思想を暴いた!やった!と騒いで、慰安婦問題なんてほったらかしている。
こいつら全員本当に人権問題を扱ってるという自覚はあるのだろうか。
こういう相手を打ち負かすためだけのプロパガンダを展開して、人から認めてもらえると勘違いしているのだろう。
私に言わせればそれですごい!といってくれるのは「ヒトデナシ」だ。
YouTuberらしい勘違いである。右の論客を貶めるに足る「撮れ高」を確保できたと勘違いしたまま、いそいそと編集にはげみ、この映画は作られたのだろう。ものすごく気持ち悪かった。差別のにおいが満ち満ちている。