アンダー・ユア・ベッド(2019)のレビュー・感想・評価
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いい意味で気持ちが悪い作品
DV夫とストーカー男に挟まれる状態になるヒロイン、ただただ痛かった。身体的にも精神的にも、見てるこっちが辛くなった。
そう感じるだけのリアリティがあって、演技とストーリーに引き込まれてしまった。
中でもストーカー男の妄想、これが1番衝撃的すぎた。
見終わったあとは複雑な気持ちでいっぱいだったけど、映画館で観てよかったなぁと思えた作品。
特にあの耳がキーンとなるほどの絶叫は、映画館でしか味わえないと思った。
ただ見た後に本気で気持ち悪くなってしまったくらいに女性目線から見た男性陣が気持ち悪かったです。
背徳感と出歯亀根性を丁寧に切なく愛を描いた良作です。
最近、大作系の作品の鑑賞が多かったので、久し振りに単館系の作品が観たかったのと、公開前に監督の安里麻里さんがテアトル新宿でビラを配られてので気になってたのとw、鑑賞した人の感想が高評価なので鑑賞。
前から観たかったけど、なかなか上映時間に合わなかったのですが、やっと鑑賞しました。
で、感想はと言うと、割りと好き♪
こういうちょっと変態チックで尖った感じで狭く病んだ感じの作品は割りと好きなんですw
お話は端的に言うと、昔優しくしてもらった女の子の事が忘れられなくて、彼女の所在を見つけ出して、ずっと監視していく中で、我慢出来なくなって、家に忍び込み、ベッドの下に潜り込んで、優越感に浸る男の話。
と書くと身も蓋も無いけど、そこにいろんな要素が組合わさっていく。
主人公の三井のやっている事は完全に犯罪行為。
ストーカー行為の行き着く果てではあるが、いろんな過去の体験から自身の存在の薄さ、周囲が自分に気がついてくれない存在感の辛さは分かるし、心が痛い、観ていて切なくなる。
卒業アルバムに自分がいない事に誰も気がついてくれないなんて辛すぎる。
だからと言って、こんな事をやっていいかは別の話ではあるが、それを許してしまいたくなる境遇とストーカー相手の千尋の環境がなんとなくそれを許してしまい、“千尋を助けられるのは三井、お前だけだ!”と思ってしまうw
ベタと言えばベタ。でもその外堀埋めを丁寧にしている所にこの作品の上手さと良さがあります。
学生時代にふと名前を呼ばれた。
ただ名前を呼ばれて、一緒にコーヒーを飲みに行った。
その思い出だけを糧に生きていると言っても過言ではない。
“もっと確り生きろ!”とも思えるけど、周囲に居ないかの様な扱いをされるのは切ないし、そこに声をかけてもらえる嬉しさは分かる。でもかと言ってあそこまでの病的なストーカー行為には普通は走らない。でも三井の気持ちは分かるし、辛さがじわじわとくる。
グッピーは水槽の中から逃げられないが、その中で精一杯自分を輝かせそうとする三井の気持ち。だが間引きする事で自分の心の何かを間引きしている。
マンデリンは彼女との唯一の繋がり。でもそれが切なくも三井の救いとなってる。
安里麻里監督の丁寧な描き方かしみじみと訴えかけてくる。
主人公の三井の描き方も病的で壊れそうな程繊細な感じで、殆どが三井の葛藤と性癖なんですw、これ以上やるとゲスになる所をギリギリに攻めてる。
…まぁ、ゲスな所も正直ありましたがw
また、西川可奈子さん演じる千尋も切ない。
陽と陰でドストレートに学生から主婦の右肩下がりの不幸せを演じてますw
最初は気持ち悪かった三井からの花束のプレゼントを心の拠り所にしているのが切ない。
濡れ場や見せ場も多く、かなり体当たりな演技は凄いです。
正直今まで知らなかったけど、出演作を見ると結構なかなかハードな作品にも出られてますが、作品の監督が結構な方々なので、これからブレイクしそうだし、またブレイクして欲しいと思う女優さんです♪
千尋の旦那を演じる安部賢一さんも絵に描いた様なクズ旦那で対比が良いw
クズな旦那なだけに三井が純に見えるマジックw
難を言う所があるとすれば、妄想のシーンが出てくると全編が妄想かと思えるシーンのオンパレードなので、何処までが現実で何処までが妄想かが観ていても分からなくなる。
また、三井を演じる高良健吾さんがちょっと男前過ぎるw 大学生時代がちょっと大人過ぎw
観賞魚店の痛いお客役の三河悠冴さんの使い方が勿体無い。
もっと三井の内面を引っ張りだすキーマンとしても十分に果たせると思うのに、使い方が勿体無さ過ぎるかな。
エンドロールで原作が角川ホラー文庫と明記されてるのを見て、確かにホラーではあるけど、どちらかと言うと純文学な要素の方が多いので、純文学ホラーと言った所かな。
角川が配給している割には上映館が圧倒的に少な過ぎるのが勿体無い。
テアトル新宿は1日1回のみの上映も勿体無い。それでも鑑賞した回は完売の満席状態。
万人受けするとは思えないけど、もっといろんな人に観てもらっても良いぐらいのいろんな事を訴えかけてくる作品かと思います。
エグいと言えばエグいし、生々しい部分も多々ありで、人の見てはいけない部分が赤裸々に描かれています。
犯罪者が犯罪を犯すまでの過程を見たいと思う野次馬かつ出歯亀根性を巧みに誘っている嫌らしさがありますが、勿論それだけではないからこその良作。
身体を重ね合うベッドを挟んで、上と下との世界観の違いがある意味ジョーク過ぎて、ちょっと笑ってしまいます。
かと言って、自分の知らないだけでベッドの下に誰かが居たら、怖すぎる。
でもベッドの下に居る三井の切なさ。
なんとも言えない背徳感とやるせなさ。
ラストは本当ならどう考えてもアンハッピーですが、三井と千尋にとっては報われた感が個人的には良かったかな。
ベタにハッピーな展開になった感じであっても2人に幸あれと思います。
監督も出演者も今後が気になりました。
この作品がターニングポイントになってたら嬉しい。
まだ未観賞の方でも興味がありましたら、是非時間をやりくりしてでも観てほしいかなと思う作品です。
もし覗きや泥棒に入って犯罪を目撃したら
あなたならどうする?
裏窓的な話 この場合罪は軽減するのか?
結局彼女と接触したのはお茶した時だけで後は妄想だったのか!
もっと一流俳優でメジャーに公開してほしい作品
怖かったよー。
怖かった。
登場人物たちの弱さは、自分のなかにある弱さと重なった。
満席になるほどたくさんの人が観ているという。
みな、弱さを抱えているのだろう。自分も抱えている。
ただの変態純情映画かと思っていた。
だけど、まったく違った。
世界との回路を持ちにくくなる出来事、あるある。
激情に任せて、惰性で大切な人に横暴に接する、ありえそうだ。
激しい暴力と強い不安にさらされて、気持ちが動かなくなる、そりゃそうだろう。
渇ききった心に吸い込まれるように趣味に没頭する、俺のことか?
すごい時代に生きている。
彼が「すべて終わりにする」と言った。間違ってはいないだろう。
ただ、生き方を変えるだけなんだ。
時間はかかる。
それを時間をかけてやれるかが生き残るすべなんだと思う。
彼に、彼女に幸あれ。
やっぱり、すごい時代に生きている。
面白かった。衝撃の映画体験だった。
西川加奈子、よい。ちょっと鼻につく学生時代、そして落ち着いたナレーションもとってもよかった。
今年の静かな名作の一本
センセーショナルな前情報だけに踊らされると非常に勿体ない作品。
本編はとても真面目に丁寧に作られていて、かなり論理的なように思えた。
何故なら彼の行動の動機の全ては"もう一度名前を呼ばれたい"という唯一点であることがブレないから。
名前とは相手の存在を其処に認め、その呼び名や呼び方によって相手をどのように捉え想っているのか、一瞬で透けて見えてしまう。
少なくとも私はそう思って生きてきた。だから名前を蔑ろにする人間を許せずに生きてきたし、名前のためにここまで行動する三井の行動や心理はごく当たり前に腑に落ちてしまった。
「人間にとって一番辛いことは忘れられることだ」というような台詞が挟まれていたけれど、
その逆に三井が千尋を思い出す時のそのあまりの記憶の鮮やかさに、彼女が我々の目の前にも匂い立つように存在を感じる、その哀しさ。
大きな目とサラサラの髪、花柄の服。
マンデリンの香りや百合の花を彷彿とさせる香水。
11年経ってそれを"再現"しようとしたマネキンや、サイフォンで淹れるコーヒーの様子が、まるで違って見えてしまう淋しさ。
"忘却"の象徴として登場する父との記憶や学生時代のエピソード。そして地中の虫たち。
10日に贈る花束に添える手紙を書くときは、決まってペンを走らせる音がキーキー鳴るその不快さ。(意図的な演出だと思う)
忘れ去られた人生を映すスクリーンはあまりに生気がなく、だからこそ写真を見て自慰をした時に放たれた白濁にすら生を感じる。
こうして"或る男の半生と恋"が静かに紡がれるのだけれど、十分すぎるくらい無駄がなく淡々としながら感情をきちんと感じさせる塩梅が素晴らしかった。
兎にも角にも、高良健吾さんの芝居に尽きる。ベッドの下での恍惚とした、それでもどこか虚無感を湛えた表情。
ラストにやっと本望を遂げた瞬間の、徐々に本心の滲み出る様子。圧巻。
これだけで観て良かったと思える作品。
距離感
3人の主人公たちの距離感、それは、実際、我々にも感じられる距離感だと思う。薄っぺらい変態の映画ではなく、社会派作品です。個人的に、高良健吾さんが行動を起こせなかった時の後悔するシーンと行動を起こしたシーンが好きです。
“Unreliable narrator”
「一人称の語り手は信頼できない語り手である」とは1961年の著書『フィクションの修辞学』の中での論だが、今作はまさにその信頼できない語り手である主人公のモノローグに依ってストーリーが進む。途中、ヒロインのモノローグも差し込まれるが、多分原作に近い表現を演出したかったのではないだろうか。なのでこれだけ確信犯的ミスリードの連発は或る意味斬新である。それが決して駄目だと糾弾しているのではなく、そのグラグラした不安定さは観終わってみると不思議な心地に誘われる体験を得た気分である。ネットで調べると、どうも原作とは少々ラストが違うようで(原作未読)、ラストの着地点における考えは違っているのだが、概ねそのベクトルは近いようである
ストーリーそのものは幾度もドラマでは語り尽くされているストーカーの話である。なので展開そのものは斬新性はない。主人公である男の過去の暮らしや生い立ち、生活等は或る意味、ステレオタイプ的に映し出されるし、何ならかなり誇張されてさえいる。これも含めて主人公の記憶が正確性を欠き、多分に自己卑下と自己嫌悪が産みだした、物語としての偽りで都合の良い歴史なのかとも穿った見方として感じる。幾ら存在感が少なくても、あれでは“苛め”以外の何ものでもなく、その意味では周りから逆ベクトルで認識されているのだろうから。とにかくその部分からも推し量るに、主人公の常軌を逸脱したストーキング行為のエスカレートさは、主役である俳優の容姿端麗さも相俟ってそれ程ホラー感を感じさせない。それよりも問題は、その被害者であるヒロインとその夫の関係性及び、DVの描写のエグさである。余程此方の方がリアリティに訴えかけてくる演技だ。とにかく正視出来ない程の数々の恐怖の行為は、演出も相俟って、今まで観たDVシーンの中でもトップ級の迫真なのである。特に女の背中を噛み、金切り声を上げ逃げるシーンは、その細い体のあちこちに青あざの特殊メイクも手伝って、圧倒的な苛まれ感をぶつけてくる。この類い希なるおぞましいシーンの連続に於いて、完全に主人公の行為はその犯罪性の天秤に掛けられその悪質性が中和され、ともすると歪んでいるかも知れないが立派な愛情表現とさえ書き換えられてしまうマジックに掛かってしまう。確かにベッドの下で行為を凝視するというホラー演出は、古くは“人間椅子“が代表であろう。そのフェティシズム性はビザールとしてマニア心を揺り動かし、それ以外は気持ち悪さのみが強調されるのだが、一番の悪行は”暴力“以外ない。その一点だけでストーリーのブーストが一気に掛かる仕組みなのである。
ただ、今作は上記で述べたように、あくまで傍白は丸っきり信用できない。主人公とヒロインの接点は、学生時代のマンデリンコーヒーを一緒に吞んだ、その一点なのである。その後、グッピーをプレゼントする件やその後の前の彼氏の暴力に対抗しての感電攻撃の件も、あれだけのシーンを観客に見せつけての主人公の妄想だったというオチが、グラグラとその“信頼”という床を瓦解させ、地の底に堕とされる気分を暴力的に味あわされてしまう。一体どこまで主人公の言ってる事は本当の話で、何を観せられているのか、混乱の嵐が吹き荒れる。一旦は夫からのヒロインの救出を諦めた男が、しかし次の扉を開けてしまう勇気又は蛮行を、若い頃の自分に似た若者の犯罪に触発され、そのボーダーを乗り越えてしまうスイッチ装置は、かなり難解な演出だったが、鑑賞後にしみじみと感じることができる玄人好みの展開である。
その後のクライマックスからのラストの慟哭の流れは、勿論バンドエンドの中での救いを落とし込む構成であり、その救いに安堵の溜飲が下がる仕組みはエモーショナルを強くそして長く感じさせる。余韻がこれほど溢れる作品はかなり少なく、これこそ邦画の一つの完成形であろうと、大いに感慨に耽った良作であった。ネオングッピーの飼育の件の残酷さ等、随所に昔の邦画にあった土着性の強いホラー要素をねじ込む組立ても関心させられる緻密さも素晴らしいと思った作品である。
異常性に共感できるか
好きな映画。
このテーマは異常性に共感できるかどうかで面白さが決まる。
ストーカーまたはストーカーされる側でも。
確かにいい男すぎるし、コミュニケーション力もあるところが今ひとつ「路傍の石」キャラとしては、キャスティング的にもストーリー的にもスクリプト的にもリアリティが高まらず。その意味では共感がたりなかった。惜しい。
そしてベッドの下をこんなに綺麗にしていることで妙にリアリティを削がれてしまった。
それでも人間椅子的な好きな人に対する執着の発露は鬼気迫り惹きつけられました。
石の下の虫
世間から忘れさられて生きてきた19歳の主人公にとって「三井くん」と自分の名前を呼ぶ女性の声がどれだけ甘美なものか。一緒に飲んだマンデリンの味とともに忘れられるはずがない。
11年後、30歳となった主人公は彼女を探し、再会し、暴走した。彼の行為は異常かつ違法かも知れないが100%腑に落ちた。
そして感動的なラストシーン!全てが報われた。彼にとっては十分過ぎるご褒美だろう。
「幸せ」が何たるかを知らず一人で生きている人たち、一人で生きていた記憶がある人たちにとっては共感/感動必至の秀作。大切な作品になるかも。
主演の高良健吾と西川可奈子が素晴らしかった。
上手く説明できない見ないとわからないこの感覚。
いろんな感情にのみ込まれて見終わった後は頭がぼーっとしました。
存在を認めてもらえないことの危うさと存在を認識してもらえることの尊さ。
R指定に対して抱いていたネガティブなイメージを払拭してくれた作品となりました。
三井くん、どうか幸せに
ストーカーも相手の状況と演者と映し方と見方によっては純愛の男になりえる。
ベッドの下から始まり、そこに至るまでの経緯や千尋への執着のきっかけを回想して現在と行き来させる見せ方が好き。
三井の主観がゴリゴリに入っていて、あの頃の彼女のミューズ感が強く伝わってきた。
便利で怖い興信所の活躍、千尋の近くに越して本当に独立しちゃう行動力よ。
ラッキースケベのシャッターチャンスでめちゃくちゃ連写する音に笑ってしまった。
何その真顔、シュールか。
どんどんエスカレートする行動に見合わない、ひたむきで一生懸命な三井。
やっていることは完全アウトで、もし自分がこんな事されていたらと思うと背筋が凍る思いだけど、三井側の目線で見ているのでどうも彼を応援してしまう。
「千尋さん、どうか幸せに」と綴る彼に同じ言葉をかけたくなる。
シュールなストーカー劇の行方はどうなるだろうと見守っていたけど、モノローグの語り手が交代すると一気に感情が昂ぶってドキドキしてくる。
悲惨な状況で生活する千尋だから持てる感覚。
どちらも歪だけど、二人の思惑や感情が掠る程度に触れ合っているのが伝わってきて、もどかしくも嬉しく思う。
最後はあまりのことに震えて泣けて仕方なかった。
三井の役を高良健吾が演じていることに、私の中では賛否両論巻き起こっていた。
明らかに美青年すぎて、こんなかっこいい人が周囲の記憶に残らないわけないでしょ!と思わずにいられない。
地味でもクラスの女子に「実はイケメンだよね〜」と噂されるのは必至の顔の良さ。
三井にはもっと生々しさが欲しいなとは思いつつ、観ているうちに実はこの顔面とちょうど良かったのかも、と考え直してきた。
この映画はただ彼の気持ち悪いストーカー行為をそのまま写しだす作品ではなく、とある人の一つの愛の形を描いた作品であって。
それを上手く伝えてくれるモデルとして、この映画の空気を保つには彼はすごく良いバランスだったと思う。
気持ち悪いだけと言い切れず、美しいとも言い切れない絶妙さ。
千尋の身体に刻まれた無数の傷跡、夫からの暴力描写がキツくてゾッとした。
その生々しさと三井のギャップも良かった。
千尋の立場がこうでなければ成り立たなかった物語。
報われない三井、報われることを望むのすらやめてしまった三井に、何となく石神哲哉を思い出した。
愛の形は人それぞれ。正しいか正しくないかは別の話だけど、相手を傷つける暴走だけは控えめに。千尋の夫は失敗例。
同族嫌悪の対象、若い男性客の存在がいいスパイスだった。アロワナをくれ。
こういう愛もあり得るかも
主人公の心の中の動きを追う映画。ありえない話だが、主人公が次の瞬間何をするのか予想できた。デジャヴな要素が多いが、テンポの良い展開が心地よく、気がつけばすっかり映画の中に引き込まれていた。
人間椅子
を思い出させるような冒頭のシーン。
最後の最後までエンディングが分からない面白さ。
暗転がこれほどまでに効果があるのかと正直驚きました。
ストーリーはこれからご覧になる方の為に、書かないでおきます。
気持ちは「彼女がその名を知らない鳥たち」の展開の時と同じかな〜。。。
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